幾何学的にフラストレートした近藤格子 Pr2Ir2O7 における異常ホール効果

幾何学的にフラストレートした近藤格子
Pr2Ir2O7 における異常ホール効果
東京大学物性研究所
町田 洋
近年、パイロクロア格子上で実現する幾何学的フラストレーションに起因した様々な物理現象が注
目を集めている。金属においては、d 電子系の Y(Sc)Mn2、LiV2O4 で実現した重い電子状態[1,2]、また
絶縁体においては、Dy2Ti2O7 などで見られる基底状態に巨視的な縮退が残ったスピンアイス状態が挙
げられる[3]。最近、我々はこれら 2 つの興味深い状態をつなぐ、金属スピンアイスとも言うべき状態
がパイロクロア型金属磁性体 Pr2Ir2O7 において実現している可能性を見出した。また、その特異な基
底状態のために、Pr2Ir2O7 におけるホール効果は通常の金属磁性体のそれとは大きく異なる振る舞いを
示す。
Pr2Ir2O7 において、局所的な<111>方向のイジ
ング磁気異方性をもった Pr の 4f モーメントは、
Ir の 5d 伝導電子を媒介とした-20 K の反強磁性
的 RKKY 相互作用があるにも関わらず 120 mK
まで磁気秩序をもたない。一方でこの系には近
藤効果を示し、20 K の近藤温度以下では Pr モ
ーメントのサイズは遮蔽効果により 10 %程度
減少し、反強磁性相関は-1.7 K まで抑えられる。
図 1 に示すように、磁化率は 2 K 付近までキュ
リーワイス則に従うが、2 K 以下では lnT での
発散的な増大を示し、低温での強磁性相関の発
達を示唆する。この磁化率の変化に対応して、
磁気比熱は 2 K 付近でブロードンなピークを形
図 1:磁化率χ の温度変化
成し、短距離の相関が発達していることを示す。
挿入図:パイロクロア格子
従って、2 K 以下では Pr スピン間に相関があり
ながらも長距離秩序には至らない、スピン液体的な状態が実現していると考えられる[4]。また、そこ
では<111>のイジング異方性をもつ Pr スピンに強磁性的な相互作用がはたらくことで、個々の四面体
で“2-in, 2-out”構造という立体的なスピン配置が実現していると考えられる。このような特異なスピン
構造に伝導電子が近藤カップリングを通じて混成
することにより、Pr2Ir2O7 は異常な磁気伝導を示す。
通常、金属磁性体におけるホール効果には、ロー
レンツ力とスピン・軌道相互作用による 2 つの寄与
があり、経験的にホール抵抗率ρxy は、ρxy = R0B +
4πRsM と書かれる。ここで、R0 は正常ホール係数、
Rs は異常ホール係数と呼ばれ、また B、M はそれ
ぞれ外部磁場、磁化を表す。Pr2Ir2O7 における低温
のホール効果はこの経験則から著しく逸脱し、既存
の金属磁性体とは異なる振る舞いを示す[5]。図 2
にρxy の温度依存性を示す。ρxy は 20 K 付近から増大
し始め、Pr スピン間に強磁性的な短距離相関が生
まれる 2 K 以下では、lnT での発散的な増大を示す。
挿図に示すように 20 K から 2 K の温度域では、上
記のρxy が M に比例する経験則が成り立つが、2 K
以下ではρxy は M に比例せず経験則は成り立たない。
図 2:ホール抵抗率ρxy の温度変化
さらに、2 K 以下において経験則が破綻しているこ
挿入図:ρxy の磁化 M に対するプロット
とは、σxy の磁場依存性からも明確である。図 3 に
示すように、0.5 K において M は[100]、
[110]、[111]のいずれの結晶軸方向に磁
場を印加した場合においても単調に増
大するのに対して、σxy は顕著な異方性
と共に M に対して非単調な振る舞いを
示す。
これらの結果は、Pr2Ir2O7 におけるホ
ール効果には従来型のスピン・軌道相
互作用に加えて他の寄与も働いている
ことを強く示唆していが、その候補と
してスピンカイラリティー機構が挙げ
られる。Pr2Ir2O7 のように、局在スピン
が異方性や相互作用のために有限のス
ピンカイラリティーをもつ立体的なス
ピン配置をとる場合に、それは伝導電
子に交換相互作用をとおしてベリー位
相をもたらし、仮想的な磁場として作
用しホール効果を生むことが理論的に
図 3:0.5 K でのホール伝導度σxy と磁化 M の磁場変化
提唱されている[6]。実際には、仮想磁
場 b と外部磁場 B との内積がホール伝導度σxy に寄与する(σxy ∝ b・B)と考えられており、これま
で幾つかの磁性体においてスピンカイラリティーによる異常ホール効果が議論されている[7]。
Pr2Ir2O7 の高磁場極限におけるσxy の異方性はスピンカイラリティー機構によって説明できる可能性が
ある。Pr スピンは高磁場極限においてゼーマンエネルギーと<111>のイジング異方性のために、[100]、
[110]方向に磁場を印加した場合は“2-in, 2-out”構造をとるが、[111]方向では“3-in, 1-out”構造を安定化す
る。この高磁場下での異なるスピン配置が近藤結合を通じて、異なる方向を向いた仮想磁場として伝
導電子に作用するため、[100]、[110]方向と[111]方向ではσxy は高磁場下において異なる磁場依存性を
示すと考えられる。具体的には、[100]、[110]方向では“2-in, 2-out”構造のため b2-in,2-out・B > 0 となりσxy
は増大するが、[111]方向では b3-in,1-out・B < 0 となるためσxy は減少する。また、[100]方向と[110]方向
との間の異方性は、[110]方向では外部磁場方向への仮想磁場の射影成分が[100]方向に比べて√2 だけ
小さいことに対応して、実際にσxy の異方性比がσxy[100]/ σxy[110] ~ √2 となっている。
研究会では、最近の極低温・高磁場下において測定したホール効果、磁気抵抗の結果も交えて、
Pr2Ir2O7 のホール効果におけるスピンカイラリティー機構と金属スピンアイス状態の可能性について
議論したい。
本研究は、中辻 知、田山 孝、榊原俊郎(東大物性研)、前野悦輝(京大院理)、小野田茂樹(理
研)、L. Balicas(米国高磁場研)
、J. van Duijn、C. Stock(ISIS)、C. Broholm(Johns Hopkins 大)、
J. N. Millican、 R. T. Macaluso、Julia Y. Chan(Louisiana 州立大)各氏との共同研究である。
参考文献
[1] M. Shiga et al., J. Phys. Soc. Jpn. 62, 1329 (1993).
[2] S. Kondo et al., Phys. Rev. Lett. 78, 3729 (1997).
[3] S. T. Bramwell and M. J. P. Gingras, Science 294, 1495 (2001).
[4] S. Nakatsuji, Y. Machida, Y. Maeno, T. Tayama, T. Sakakibara, J. van Duijn, L. Balicas,
J. N. Millican, R. T. Macaluso and Julia Y. Chan, Phys. Rev. Lett. 96, 087204 (2006).
[5] Y. Machida, S. Nakatsuji, Y. Maeno, T. Tayama, T. Sakakibara and S. Onoda,
Phys. Rev. Lett. 98, 057203 (2007).
[6] K. Ohgushi et al., Phys. Rev. B 62, R6065 (2000).
[7] Y. Taguchi et al., Science 291, 2573 (2001); Y. Yasui et al., J. Phys. Soc. Jpn. 75, 084711 (2006).