光徳院 (無住寺で佐倉市の曹洞宗勝胤寺の末寺) 所 在 本佐倉字寺坂956 見学記 国史跡本佐倉城跡に近く、小高い山の山裾にひっそりと小さなお堂と墓地と大き な百日紅の木が2本あるのみで、何もない。 「酒々井町史」によると、『印旛郡誌』には堂宇間口六間、奥行七間、境内千四百四 十八坪ありとあって、大きな本堂が存在したことがわかる。明治から大正にかけて、 酒々井町の伝染病隔離病舎に指定されていた。この時代は腸チフス、赤痢、ジフテリ アなどの伝染病がしばしば流行し たが病院の隔離病舎もなかったので、病人が出 れば光徳院に強制隔離された。とある。 当時も人里離れた場所と記してあるが、今でも相当奥まったなところにあり、田圃の 畦道のような道を通り、本寺にたどり着いた。跡地は平らで墓地の持ち主かは分から ないが、草とりや枝燃しなど整備はされているようである。お堂には古そうな仏像が1 躯安置されているだけで、他に当時の面影をみいだすことは出来ない。かつて、ここ に大きな寺院が存在したこと、今はめったに人が訪れることのないこの寂しい場所に 立ち、当時はどんなお寺であったかを思い巡らすのもたのしい。 ともあれ、いつ頃植えたか夏の盛りに2本の百日紅が咲いて、その下に埋もれたよ うな小さなお堂は百日紅とともに風情があり、きっと絵になるかもしれない。
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