ずっと このまち 東彼杵町 ひがしそのぎ 小 さ く て も 、誇 り を 持 っ て 輝 く ま ち 2015 東 彼 杵 町 町勢要覧 小 さ く て も 、誇 り を 持 っ て 輝 く ま ち 東 彼 杵 町 目次 02 04 06 07 08 12 14 16 18 20 24 contents お茶香るまち 東彼杵町 心意気 「東彼杵町ブランド」を守り、活かす人々 「誇り」つなごう、東彼杵町 「日本で最も美しい町」へ 東彼杵町八景 あふれる食の豊かさ よんなっせ東彼杵町 笑顔と心を交わすまち 歳時記 ふるさとの宝を受け継ぐ 第5次東彼杵町総合計画 小さくても、誇りを持って輝くまち ごあいさつ 東彼杵町プロフィール ふるさとを守り、 ありのままを 活かしてこそ、 ここに暮らす 私たちが 活かされる。 それが東 彼 杵 町の ﹁ 誇り﹂ です。 01 お茶 香るまち 東彼杵町 02 茶のシーズン、東 彼 杵 町の 守 り 抜 かれてき た ま ちの誇 り と ではのものです 。肥 沃な大 地から わり 、その景 色はお茶の産 地なら 畝の曲 線に色 鮮やかな 新 芽 が 加 町でも 室 町 時 代の茶 臼が発 見 さ たことに始 まるといわれ、東 彼 杵 地に禅 と 茶 を 中 国 から 持 ち 帰っ 安 時 代 末 期 、栄 西 禅 師 が 平 戸の 長崎県における茶の起源は、平 ちゃ なっていま す 。 ∼大地が息吹く、 歴史と伝統の香り∼ 新 茶 畑では 、段 を 重 ねる 茶 生 ま れるふ く よか な 香 り と 、萌 うね 黄 色の美 しい茶 畑 は 、古 く か ら れたことから、その起 源はかなり 古いとされています 。生 活の一部と なり、文 化として昇 華されてきた 東 彼 杵 町のお 茶﹁ そのぎ 茶 ﹂は 、 現在、専 業 農 家 を 中 心 に400 まで 拡 大。長 崎 県の荒 茶 生 産 量の約6割 を 占め、県の特 産 品の ひとつとなっています。 新茶まつり お茶にまつわる 年中行事 03 ha 献茶祭 そのぎ茶市 全 国ブランド ﹁ そのぎ 茶 ﹂ への 情 熱 苦味と渋味が少なく、ふくよかな味と香りで親しまれるそのぎ茶。毎年開催される茶 品評会では、農林水産大臣賞をはじめ、優秀産地賞など数々の栄誉に輝いていま す。茶葉を傷めない自然な製法で仕上げるのが特徴です。 心意気 皆様に親しまれる人であり、 お茶でありたいと願いを込めて け る ﹂こと を 惜 しんでいないとこ ごころ を 込 めて﹁ 手 を か のぎ 茶の一番の特 徴は、ま はお 茶 を 飲 む 方 が 少 な く なった し 、自 信 に も な り ま し た 。近 年 とて も 嬉 し く 、ほっと し ま し た も ち 、和 モ ダンの よ う といわ れ た り も し ま す じ ること が あ り ま す が 、自 然の な 、お 茶のスタイルを 楽 が、 一方でお 茶に興 味 を 恵 みと 周 りの人の力 を 借 り なが えていま す 。お 茶にはま し んでいる 若い 方 も 増 手 なので 、と き ど き 無 力 さ を 感 らそれを 克 服し、喜んでいただけ ま す 。﹁日 本 茶 AWARD2014 ﹂ で は栄 誉 ある最 高の日 本 茶 大 賞 を 社 会 貢 献 を し 、皆 様 に も お 茶づく り を 通 して が あ り ま す 。こ れ か ら 信 頼 さ れ ること を め ざ ごころ を 込 め た お 茶 をつく るこ とで、お 客 様 との共 感 を 得て、そ していき ま す 。 い 丁寧に丁寧に つくったお茶を 心を込めて淹れる喜び 伝 える れが 評 価につながった と 思 う と 、 いただ き ました 。自 分の思いやま だ ま だ 無 限 大の可 能 性 るものをつくるように心がけてい ろで す 。お 茶 づく り は 自 然 が 相 そ そのぎ 茶 「東彼杵町ブランド」を 守り、活かす人々 心意気 手間を惜しまず まごころを込めて お茶をつくっています。 平成22年度 農林水産祭天皇杯<蚕糸・地域特産部門>受賞 日本茶AWARD2014日本茶大賞受賞 松尾 政敏 さん[茶友] 04 味が違 う ﹂というのを 知っ っかけは﹁お茶の淹れ方で るために、中 学 校へ出 向 き 、お 茶 また、お茶のおいしさなどを 伝 え しさを 広める活 動 をしていま す 。 き たことで し た 。そ れで 勉 強 を 始 ま す 。最 近は、家 族の団らんが少 の成 分・効 能や淹れ方 を 教 えてい なくなって孤 食などといわれてき め、東 彼 杵 町の茶 農 家としては初 格 を 取 りました。現 在は、茶工場 ているので、お茶でも 飲みながら、 めて日 本 茶 インストラクターの資 のそばに ﹁ 茶 飲み処 茶 楽︵ ちゃら 作ってほしいで す ね 。そのために ほっと す る 時 間 と 場 所 を 家 族で も 、子 ど もの頃 か ら お 茶 を 飲 む く ︶﹂を 造 り 、訪 れる 人 にお 茶の く り と飲んでいただいたり と、本 習慣ができればいいと思います。 おいしい淹 れ 方 を 教 え た り 、ゆっ 業の茶づく りの合 間にお茶のおい お茶のまちで起きた革命 ﹁大人の漢﹂ にむけてのお茶が世界で快挙 ちゃかん 茶漢 茶漢﹂ は、﹁世界緑茶コンテスト﹂ で COMPARISON 2 たちは、県内のお茶の向上 最高金賞をいただきました。 お茶 ひとつで、佐 世 保 市 世 知 原 町の前 ワーク﹂ の中のプロジェクトチームの が 加 入 す る﹁ な が さ き 茶 ネット 進していきます。 もさらにおいしいお茶づく りに邁 るなどこだわり ました。 これから ので、淹れ方や道 具の説 明を加 え は抽出して味わった時が完成品な 私 名 田晃宏さんを含む4人で構成され に意欲的な生産者約 る世界 緑 茶コンテストプロジェクト チームです。 その年にできたお茶の 風味で、 どのように飲んでもらおう かと考えます。 男性をターゲットに COMPARISON2 お 茶の楽 しみ 方 を 提 案 した20 13年 出 品の ﹁ 05 東坂 幸一 さん[東坂茶園] 心意気 日本茶インストラクター つくるだけでなく、 お茶のおいしさを 伝えたいんです。 大場 真悟 さん[大場製茶] 70 心意気 東彼杵町のお茶を世界へ。 挑戦は始まったばかりです。 世界緑茶コンテスト2011最高金賞受賞 世界緑茶コンテスト2013最高金賞受賞 左から 山口 亨平 さん[山口製茶] 日本茶インストラクター 平成5年度農林水産祭内閣総理大臣賞 <蚕糸・地域特産部門>受賞 平成25年度農林水産大臣賞受賞 日本茶インストラクター 茶育指導師 大山 英子 さん[大山製茶園] ﹁ 誇り﹂ つなごう、 東彼杵町 私たちのまちには、 美しい景観、豊かな食、地域の絆、 そして幸せの笑顔があふれています。 守り続けてきた美しい風景、 受け継がれてきたぬくもり、文化、 その全てが、私たちの誇りです。 この誇りをつなぎ、 光り輝く東彼杵町を育んでいます。 06 りました。さらに東 彼 杵 町にしか 化の発見と創造に努めています。 高300から400mの山 標 省が実 施 する﹁ 美しい日 本のむら 新 芽が一面に広がる茶 畑や、波 情が現れていました。 景 を 守 り 、独 自の景 観や 地 域 文 景 観コンテスト ﹂︵ 平 成6年 度 ︶に 穏やかな大村湾、そして訪れる人 者・広瀬淡窓は、 この渓谷全体を一匹の龍に見立て、上流にある八間滝を龍の頭 ない、美 しい農 山 漁 村 としての風 おいて、中尾郷赤坊が農林水産大 の心 を 打つ渓 谷 美・龍 頭 泉 など、 と称して 「龍頭泉」 と命名しました。 間部、世帯のほとんどがお 臣 賞 を 受 賞 しました 。同コンテス 町 内には美しい景 観が多 く あり、 多良岳県立公園の一角にある、美しい渓谷「龍頭泉」。流域は 「千綿渓四十八潭」 茶 農 家 という 中 尾 郷 。農 林 水 産 トは、 日本を代表する農山漁村の 誇 り となっており 、 やすらぎ と活 それらは皆 、東 彼 杵 町に住む人の といわれ、千綿川の清流に沿って48の滝と淵が連なっています。江戸時代の儒学 あかぼう 美しい景 観を表 彰 するもの。赤 坊 形 成に携わる人々のぬく も り 、そ ﹁誇 り つな ﹂ ご 東彼 う、 杵 町① 長崎県を代表する絶景 ﹁日本で最も 美しい町﹂ へ 地区は、そのぎ茶の茶畑を包み込 して郷 土・東 彼 杵 町への深い愛が 力を与 えています 。景 観の保 全と すが、 これらの多 くは針 葉 樹の人 ﹁ 誇 り をつなごう ﹂という 精 神 と むかのように森林が分布していま 防風や保水の機能があり、 お茶に なり、まちに息づいています。 工 林で、木 材 生 産の役 割のほか 、 大村湾に面して建つ駅舎・千綿駅は、旧駅舎の古材が残す風情や趣 とっても 良 好な生 育 環 境 となって 観資産」 に登録されています。 います。そんな生産環境と集落環 を形成してきたシンボル的な存在となっており、長崎県の 「まちづくり景 境の両面で、地域一体となって手入 が魅力的で多くの写真家が訪れます。昭和3年の開業以来、地域景観 れの行 き 届いた 森 林づく り が 育 07 春夏部門・最優秀賞 「列車がキター、はやく写して」 (千綿駅) 秋冬部門・最優秀賞 「棚田の稲刈り風景」 (坂本郷) まれている地 域 として、受 賞に至 まちづくり景観資産 東彼杵町 フォトコンテスト 「来て・見て・撮って…ひがしそのぎ」 をテーマに、景観や名 ただきました。寄せられる作品には、人々の東彼杵町への愛 所、暮らしなど、 お気に入りの写真を、町内外を問わず応募い 景 夕景 はいられません。 沈む夕陽の美しさは、今日という日 に、連れ添 う 人に、感 謝を覚 えずに 大村湾サービスエリア 「このままの美しさ」 を守りたい 心 あたたまる景 色や、 日々 の暮 らしの中で、ふとした 安 息 を 感 じられるよ う な 景 観 を 見 ることがで き ま す 。そ れ は 目 に 映 る 美 し さ だ け で な く 、心 が 洗 わ れ るよ う な 感 覚 にな る 瞬 間 。中 には 名 勝 と 呼 ば れ るものも あ り 、ま た 、自 分 だけが知っている特 別 なス ポット も 。そ して 、時 には やさし く 、時には厳 しい春 夏 秋 冬 の 彩 り は 、巡 る 季 二 景 滝の芸術 玉すだれの滝 儒 学 者の広 瀬 淡 窓は、龍 頭 泉や千 綿 渓 四 十 八 潭の美 しさ を﹃ 遊 綿 渓 記﹄﹃淡窓日記﹄ に残しています。 景 東彼杵町 八 東 彼 杵 町 では 、望 郷 的 な 豊 かな 水 と 緑 が 育 む 四 季 折々の美しい農 村 風 景 。 時を越えても 節の中で生かされ、生 きて 守り抜きたい 景色がある 一 中岳の棚田 大樽の滝 08 三 夏のときめき 景 と見た夏の景色は、 いくつになっても おばあちゃんやおじいちゃん、友だち いる 私 た ち に 無 数の表 情 染 め 上 げ る 鮮 やか な 芽 吹 を 見 せて く れ ま す 。田 を きの色 、夏の蒼天に映 える ため池の水と山の緑とのコ らの恵 みの数 だ け 色 づく ントラスト 、天と 地 と 海 か 秋のよろこび⋮ 。素 朴な中 はやさしく 、私たちの日 常 にも どこか力 強 く 、あるい を そっと 覆って く れるかの ような四季 彩 。かつて広 瀬 淡 窓 が 記 した 絶 景のよ う 四 景 やすらぎの水辺 江戸時代、深沢義太夫によって築か れた四ツ池 。農に生 き 、それを 支 え る人の力強さが満ちています。 09 に、次 代へと 記 すべき 八 景 蕪池 の魅 力 は 尽 き ることが あ りません。 千綿渓谷 白木淵 歴史公園 彼杵の荘 忘れることはありません。 五 景 景 六 り 、水 辺の涼 とともにホタ 地・千 綿 渓 四 十 八 潭 が あ 移れば、町を代表する景勝 州一の集 団 茶 園です 。山に みっしりと埋め尽くす西九 木集団茶園は、山の斜面を 緑 ま ばゆい新 芽 が 覆 う 赤 ふるさとの風景です。初夏、 誰 もが想い描 く 、懐かしい 原風景であり、 日本人なら 海と清流に育まれた日本の 彼杵町の風景美。それは山 の移ろいを 忘れるほどの東 心で観る愉しさもある、時 目で見る楽しさがあり、 東彼杵町 守り抜きたい 景色がある 通 してさ ま ざ ま な 姿に出 ル観 賞や紅 葉など、四季を 景 景景景景景 龍頭泉の紅葉 蕪の茶畑 八 農の風情 も山間を駆け抜けていきます。 五穀に感謝する日本の心。人が暮ら し続 けるために必 要な﹁ 風 ﹂が今日 赤木集団茶園 色彩に包まれて 息をのむような絶景ではなくても、 のんびりゆっくりと心を洗いたくな るような四季の彩りがあります。 10 変わらぬことの 景 風景が語りかけてくる瞬間。そこに は、思わぬ発見があったり、出会い があったりします。 会えます。夕映えに輝く大 千綿駅 村 湾 も ま た 町の代 表 的 な 風 景 美の ひとつ。特に景 観 形成の面でも定評のある千 綿駅は、 レトロな駅舎のホー な海を一望できます 。まち ムから陽に染まりゆく静か の人 なら誰 もが知っている 風 景のほかに、道ばたや日 常の身近な一幕に美しさを 見つけることも … 。四季 を 通して魅せられる景 色に、 心 豊 かな 生 活 と 薫 り 高い 文 化 が 育 む 東 彼 杵 町の日 常 を 垣 間 見 ることがで き 八 景 駅舎と暮らし 通 勤・通 学 、旅 する人の情 景が、夕 陽の大 村 湾にたた ず む 駅 舎のシル エットと重なり合います。 11 ます。 口木田千部塔 美しさ 七 道ばたの声 一ツ石馬頭観音 彼 杵 町 と い え ば﹁ く じ ぎ だゆ う ら ﹂。その起 源 は 、江 戸 時 ふか ざ わ 代 、深 沢 義 太 夫が率いる鯨 組︵ 捕 鯨 専 門の集 団 ︶が 彼 杵 港に捕 れ た 鯨 を 陸 揚 げ し 、九 州 各 地へ流 通 し たことによ り ま す 。現 在 も 月 に一度 町 内で 鯨 肉の入 札 会 が 市 場で常に安 定 して取 引 されて 育み、みずみず しい作 物 を 産 出 。 の光 と 風 を 受 け 、豊 か な 大 地 を た斜 面の多い東 彼 杵 町は、海から の育 成 を 助 けていま す 。海に向い 陽 光 は 照 り 返 し となって 農 作 物 もたらしており 、湾に注がれた太 だけでなく 、農 業にもその恩 恵を 人 気 が あ り ま す 。大 村 湾 は 漁 業 やわらか くて 味 が 良いな まこも 町 ﹂が定 着していま す 。 ほかにも 、 行われており 、鯨のま ち﹁ 東 彼 杵 ﹁誇り ﹂ つなご う 東彼杵 、 町② あふれる 食の 豊かさ ちのか﹂﹁ゆめのか﹂といったイチゴ いる 高 品 質 なびわ を はじめ 、﹁ さ 荘」 彼 杵の 道 の 駅「 東 開発に努めています。 ド 町ブラン 東彼杵 特産品として市場性の高いお茶をはじめ、 びわや黒毛和牛など、 ブランド化を進めながら、 イベントでの発信や新たな商品 る国道205号沿いにあり、特産品販売の物産館や歴史民俗 東そのぎインターチェンジやハウステンボスへの観光ルートとな 「くじら入りだご汁」 や 「くじら炊き込みご飯」 も味わえます。 資料館などを併設。 平成26年にオープンした食堂棟では、 名物 (上から) まごころ込めたそのぎ茶/ 肥沃な土壌で育った地産米/大村 湾のなまこを使ったなまこ酢 12 大玉のイチゴ、疲労回復に効果がある高品 質のアスパラガスなど、安心・安全でおいし い東彼杵町の食の恵み。素材本来の持ち 味が多くの人を楽しませています。 の栽 培 も 盛んです 。また 、古 くか さらりとした脂で後口がさっぱり の 恵み ら 黒 毛 和 牛 が 飼 育 さ れてお り 、 食 育の とした長崎和牛が人気です。 豊 かな 食 取り組み 毎月19日の 「食育の日」 は、学校給食に九州各県の郷土料理や土地の食材 を使った料理を取り入れ、伝統的な食文化への理解を深めています。 また 「バ イキング給食」 も大人気です。 くじらのまち東 彼杵町 規定によって取引量が減少した鯨ですが、東彼 杵町では今もなお日常食として息づいていま す。釜飯やカツ丼などメニューも豊富です。 (上から)お茶あんがたっぷりの「茶 ちゃ焼き」/景観に溶け込んだ彼杵 港/日常に息づいたくじら料理 13 ﹁これまでに から まさ と 年の東 日 本 大 震 災が移 住 する 23 ん から移ってきました。 かさが忘 れられず、平 成 年1月に埼 玉 県 と 農 産 物があり 、何 より 町 民の方のあたた ちと 夏 休みに体 験 移 住 をして 、安 全 なお米 の疎 開 プロジェクトを 知りました。子どもた きっかけとなり 、インターネットで 東 彼 杵 町 平成 のIタ 関東 ﹁誇り ﹂ つなご う 東彼杵 、 町③ 地 域のぬくもり が あります﹂ interview ーン 澤登 舞 さん 優杜 く りとした気 持ちで暮らしています。 東 彼 杵 町で 、私たち 親 子は自 然 体でゆった き ました 。﹁ 和 ﹂や﹁つながり ﹂が感 じられる いろんな 人の協 力 を 得て 開 催 することがで スなどを 販 売したりする地 域のイベントも 、 えて くれました 。手づくりのクリスマスリー い中 、妊 娠 、出 産 の 大 変 な 時 期に友 人 が支 夫が単 身 赴 任 中で 、周りに頼 る 人がいな 24 感じたことのない よんなっせ 東彼杵町 14 かぶら 田 舎 暮 らしに憧 れ、退 職の5年 前から 県 内 で 移 住 先 を 探 していました 。蕪 池 のカナ ダのような風 景と中 国の景 色を思わせる茶 畑の絶 景に出 会い、ほれ込み、移 住 を 決めま した。 これまで 蕪 池 周 辺 の 遊 歩 道 を 整 備 した り、案 内 板 を 立てたりと 、地 域の方 と一緒に ﹁カナダのよ うな 風 景の中で 豊 か な 暮 らし が の やって き まし た 。植 林 し た 桜 やいろいろ な 楽しめます﹂ I ター 小林 ン 哲朗 さ ん 美枝 子 さん 木々が大きくなったら名 所になってほしいで すね。また、農 産 物 もおいしくて 、以 前 開 催 し た オーナー 制 の シ イタ ケ 栽 培 体 験 教 室 で 、集 まったほかの 地 域 の 方に野 菜 を 販 売 したところ 、たいへん喜んでいただきました。 来て、 見て、 暮らして 田舎暮らし プロジェクト 持つ都 市 住 民の方々を 対 象に、毎 年 東彼杵町では田舎への移住志向を 夏休みの期間を利用して田舎暮らし を体験していただく﹁田舎暮らしプロ 実施しています。 ジェクト﹂を農 村 環 境 改 善センターで 自然と美しい風景、 さらにたくさんの 海・山・川、棚田や茶畑など豊かな おいしい農産物など東彼杵町のあり か、町内見学バスツアー、空き家見学 のままの魅 力 を 堪 能していただくほ 画し、移住につなげるための事業とし ツアー、農作業体験、 川遊びなどを企 て実 施 していま す 。 これまで8世 帯 28 地 元の特 産 物や景 色のすばらしさを地 域の 人の方が移住されています。 15 から 市内 長崎 方に再 認 識 して も らい、ほかの 地 域 の 方に ももっと知ってもらいたいですね。 interview ﹁誇り ﹂ つなご う 東彼杵 、 町④ 笑顔と心を 交わすまち 16 地域でミニ門松づくり 子どもたちを交えながら、お正月の飾り物 などを作成し、世代を超えた交流を深めて います。 子どもたちは地域の宝 日常的につながりがある地域だからこそ、子 育ての面においても「地域で育てる」という 意識の醸成を深めています。 将 来にわたって美しく魅力あ るま ちであ り 続 けるため に、人々の絆やつながりをはじめ、 美しい自 然の景 観 、受け継がれた 伝統文化など、今ある貴重な資源 を守り、さらに磨こうとするまち づく りに取 り 組んでいま す 。特に 町内では地域住民のつながりが深 く 、健 康づく りや防 災 訓 練 、子 ど もたちの見守りなどの活動が盛ん です。第5次東彼杵町総合計画策 定の際に実施したヒアリングやワー 域が多いため日常的にコミュニケー クショップでは、住 民から﹁ 農 業 地 ションをとっている﹂﹁ソフトボールな どのスポーツが盛んなため、世代を 超 えたつながりや交 流がある﹂と いった意見が寄せられています。 17 中学生の全国大会出場をはじめ、地域での取り組み など、東彼杵町はソフトボールが盛ん。子どもから 中高年まで一緒になって汗を流しています。 自治会等主催の防災訓練など、地域住民の一 人ひとりが防災への意識を高め、自分たちで 命を守る訓練を進めています。 世代を超えて心ひとつに ソフトボールの絆 地域で備える防災 崎 県 無 形 民 俗 文 化 財に 指 定 されてお り 、東 彼 杵 園 祭 が あ り 、地 域の誇 ふるさとの 宝を受け継ぐ ﹁誇り ﹂ つなご う 東彼杵 、 町⑤ 東彼杵郡川棚町の百津浮立が根 源とされる浮立。8月の十二社権 現、滝の観音のお祭りや、 園祭 などで奉納され、蔵本郷の文化財と して継承されています。 江 戸 時 代の大 村 藩の御 用 浮 立 で、天の岩戸を型どった傘鉾、30曲 以上の笛、舞に合わせた17の御 謳(おうたい) といった伝統ある形 式が特徴。行列は槍、 ハサミ箱を先 頭に総勢70人にもなります。 蔵本浮立 歳 時記 長 ふ りゅう の地 に 古 く から 根 付 き 、受 け 継 呼 ばれる 神 事 が あ り ま す 。万 治 がれてき た 民 俗 芸 能に ﹁ 浮 立 ﹂と 3年︵1660︶佐 賀 県 藤 津 郡 か 豊 年 感 謝の意 を 表 して毎 年 秋に ら伝わった 坂 本 浮 立は、雨 乞いや 奉 納されるもので、 300年 以 上 人以 の伝 統が保 存 会によって守られて いま す 。 り として、ま た 宝 として息づいて を願う を 持つ人 形 浄 瑠 璃や 、疫 病 除 け は、浮 立のほかに200年の歴 史 も た ち に 伝 えていま す 。町 内 に が らの形 式 を そのま ま に 、子 ど 上 もの人 が 必 要で 、現 在 も 昔 な いま す 。浮 立 を 舞 う には 70 坂本浮立 18 ぎ お んさい 園祭 毎年7月、彼杵宿の八坂神社と千綿宿 の水神宮で催される行事。7月は昔から 伝染病の流行期で、稲作も病害虫に悩 まされる季節。 その疫病除けの願いを込 めて行われています。 千綿人形 浄瑠璃 阿波人形の流れを引き、緻密であでや かな衣装や小道具が特徴。3人で1体 の人形を扱う 「壺坂霊験記」 を得意とし ています。昭和29年、長崎県無形民俗 文化財に指定されました。 語り 継 がれる 宝 前 方 後 円 墳のひさご塚 古 墳は、 古墳時代を代表するもので、大和 朝廷の下で大村湾周辺の地方を治 めていた首 長の墳 墓と考 えられて いま す 。現 在は築 造 時の大 きさの ものが歴史公園 ﹁彼杵の荘﹂ に復元 されていま す 。 二十六聖 人 乗 船 記 念碑は、 豊臣秀吉の禁教令によって 捕らえられた宣教師と信者が長崎 19 へ向かう際に彼杵から乗船したこ 二十六聖人乗船記念碑 とを記念して建てられました。 ひさご塚古墳 第5次東彼杵町総合計画 交流 小さくても、 誇りを持って 輝くまち 田舎暮らしプロジェクト 実 、田舎 暮らし体 験の実 施 、古 民 家や 空 き 家の利 活 用による地 域 の交 流 促 進や活 性 化を図っていま す 。さらに東 彼 杵 町は、交 通の要 く りとして、 コミュニティ活 動にお う な 活 力 あ るコミュニティ体 制づ 民 主 体のま ちづく り がで き るよ 住 民 自 らがそれぞれの立 場で 考 え 、話 し 合い、行 動 していく 住 景 観 資 産の認 定 を 受 けた千 綿 駅 のま ちの実 現 をめざしていま す 。 特 性 を 最 大 限に活かした﹁ 交 流 ﹂ 網の結 節 点 としての立 地 環 境の ち﹂ の特 徴 が あることから 、道 路 衝として ﹁ 多 くの人が往来 するま ける 情 報 発 信や 情 報 共 有 、研 修 整 備 を はじめ 、物 産 館 を 増 築 し た 道の駅に対 する休 憩 機 能の整 の情 報 発 信や、交 流の場 としての 拡 大においては、各 種 定 住 支 援 制 備を推進しています。 援していま す 。交 流や定 住 人口の 度や定 住に関 する情 報 提 供の充 な どの充 実 、人 材 育 成 な ど を 支 1 長崎自動車道 東そのぎインターチェンジ 20 産業 を 図っていま す 。水 産 業の面では、 ナマコ漁の不漁に対する生息可能 みを 推 進していき ま す 。さらに特 光 農 業 などの視 点による取 り 組 いま す 。 これからも 宣 伝 活 動や観 大のための課 題の共 有 化 を 図って る所 得 向 上 とそのぎ 茶の消 費 拡 者 振 興 大 会 を 開 催 し 、茶 業によ 魅力ある産業づくりとして、特 に茶業振興の面では、町茶業生産 用などを進めています。 し、住 宅や公 共 施 設での木 材の活 帯 が 形 成 さ れていること を 活 か の振 興では、県 下 有 数の人工林 地 活用事業を実施しています。林業 経 費の一部 を 助 成 す る 空 き 店 舗 と活性化では、起業家などの出店 進 していま す 。町のにぎわい創 出 対 策 といった 計 画 的 な 保 全 を 推 性 試 験の実 施 、漁 港の長 寿 命 化 産 品 や 自 然 環 境 な どの 情 報 発 体 制づく りとして、﹁ 東 彼 杵 町 子 は 、地 域で 子 ど も を 育てる 支 援 り 組 んでいま す 。子 育 ての 面 で での生 活 習 慣 病 予 防の推 進に取 信 、﹁ 自 治 体 特 選ストア﹂ への出 店 保健・医療・ 福祉 ど も・子 育 て 支 援 事 業 計 画 ﹂を 広 場 事 業﹁ よんなっせ ﹂の拡 大 に 護 保 険 事 業では、高 齢 者つどいの 点 施 策 に 取 り 組 んでいま す 。介 介 護 、福 祉 、保 健 を一体 とした 重 策 では 健 康 寿 命 の 延 伸 を 図 り 、 人にやさ しい福 祉 と 健 康のま ちづく り をめざ す 中 、高 齢 者 対 支 援 を 行 う 環 境づく り を 行って 会 全 体で子 どもの発 達 と子 育て 育や各 種サービスの充 実など、社 減 、障がいのある子 どもの早 期 療 や 、子 育てに伴 う 経 済 的 負 担 軽 いき ま す 。ひ と り 親 対 策の推 進 育てられる 環 境づく り を 進 めて も とに 、安 心 して 子 ど も を 産 み 努 め 、健 康 対 策では 保 健 指 導 に いま す 。 魅力ある農業経営を支援 社会福祉協議会 2 3 よる 医 療 費 適 正 化 、地 域や 家 庭 21 東そのぎグリーンテクノパーク 子育て支援センター (すくすくねんね) 彼杵川水質調査 情報伝達訓練 組んでいます。都市計画の面では、 住む人たちの思いや地域の特色を 活かした市 街 地の形 成に努める一 方で、地域の活気と安全安心に満 保 全では、まちづくり会 議などで 町﹂をめざしています。自然環境の 実践しながら、﹁日本で最も美しい 景 観 を﹁ ま も り ﹂﹁つな ぐ ﹂ ことを ぐ ま ちづく り として、 ふるさとの 豊かな自然と美しい景観をつな 推進により、 ゆとりある生活環境 参 画や 団 体 などの育 成 と 連 携の 管 理に努めていま す 。さらに住 民 らぎ を 与 える公 園の適 正な維 持 園など、人にうるおいや癒し、 やす 里、地区ごとに整備された農村公 いの広 場や 河 川 公 園や す ら ぎの ます。公園計画では、龍頭泉といこ 環境・ 景観保全 千 綿 川の環 境 保 全 活 動が計 画さ の創出を進めています。 ちた市街地環境の構築を進めてい れているほか、住 民 提 案 企 画によ 防 防 災 無 線においては、県 内 初の る体 制づく りを 進めていま す 。消 る美しい景観のまちづくりに取り 生活環境 試みでデジタル化し、移 動 系 無 線 していま す 。中でも 、自 治 会 等 主 命は自 分たちで守る行 動 を 推 進 図っていま す 。ま た 、自 分 た ちの の啓 発 と 組 織の機 動 力 強 化 を 教 育 と 指 導 を 徹 底 し 、未 然 防 止 意 識の高 揚 、各 種 災 害に対 す る して 、消 防 団や一般 町 民への防 災 啓 発 、環 境 教 育 、省エネの啓 発 と のぎTV ﹂ で 紹 介 し 、環 境 意 識の 動 車﹁コムス﹂を 導 入 。﹁ 長 崎 東 そ そのほかに も 、超 小 型の電 気 自 サイクル活 動 を 推 進していま す 。 再 生 利 用の推 進 、町 民 主 体のリ く りをめざし、 ごみの排 出 抑 制や ため、衛 生 的で無 駄のない環 境づ しい町 ﹂を 実 感できるまちにする の更 新 を 行いま し た 。ま た 、 ﹁美 体の防 災 避 難 訓 練が町 民の協 力 地 域 興しに努めていま す 。 安 全 安 心な生 活 環 境の整 備 と のもとで行われ、有 事で活 用でき 景観資産の保全 (JR千綿駅) EVスタンド設置 (道の駅) 4 5 22 小さくても、 誇りを持って 輝くまち 教育・ スポーツ る 授 業の推 進 、学 力 向 上 研 究 発 表 会の実 施 な ど を 重 点 施 策 と し、子どもたちの健全成長の施策 に取 り 組んでいま す 。全ての町 民 がスポーツと関わりの持てる環 境 規 導 入 を 図 り 、小・中 学 校におい るタブレットやパソコンの更 新 、新 や 性 別 に 合ったスポーツ・レクリ 手への支 援 推 進 などのほか、世 代 励 、長 崎 国 体をきっかけとした選 制の充実、教科外の体育活動の奨 て、 スポーツに関 する情 報 提 供 体 ては、全ての機 器の更 新 を 進めて エーション大 会や 教 室 を 企 画 し 、 ︵ する・観る・支 える︶ の整 備 とし いま す 。また、通 級 学 級や特 別 支 誰もが気 軽にスポーツに親しめる は、 IT環境でのシステム変更によ 援学級の整備、学校給食での食育 環境づくりに努めています。 学 校 教 育の環 境 整 備 について 向 上においては、教 えて考 えさせ 需 要 に 対 応で き るよ う 努 めてい に基づき 、複 雑 多 様 化 す る 行 政 の適 正 化 な ど 、行 財 政 改 革 大 網 働 による 町 政の推 進 、人 事 管 理 機 構の効 率 化や町 民 と行 政の協 の充 実 などを 図っていま す 。学 力 行政 全ての町 民が﹁このま ちに住ん の展 開 が 必 要 となっていま す 。そ ま す 。﹁ 豊 かで う るおいのあ る ま のた めに も 、中 期 財 政 計 画の策 でよかった と 感 じるま ちづく り ﹂ い、町 民 協 働のも と 、で き ること 定 と 実 施 、自 主 財 源 確 保 の 推 ち づ く り ﹂を め ざ す た め に も 、 から解 決 し 、町 民一人ひとりが心 進 、特 定 財 源の補 足 、持 続 可 能 ハード・ソフト 両 面での基 本 方 針 豊 かに暮 ら すことがで き るよ う 対 してさまざまな 知 恵 を 出 し 合 職 員一丸 となって 取 り 組んでいま な 財 政 運 営の推 進 といった 施 策 をめざしていま す 。町 政の課 題に す 。町 民サービスの向 上 となる行 に取 り 組んでいま す 。 地域のスポーツ活動 役場窓口 6 7 政 運 営の推 進では 、行 政 組 織の 23 小学校授業風景 東彼杵町役場庁舎 ごあいさつ 本 年 度 は、町 制 施 行 年の節 目であ り ま す 。 55 市 町 村が 市 町になり 、大 きな変 革が行われ 平 成の大 合 併は積 極 的に推 進され、長 崎 県 内の 21 いりま す 。 東 彼 杵 町は、自 然 豊かな 山 、川 、海に恵 まれ、 そ して人 と 人 とのふれ あいの中で郷 土 を 育んで き た 産 業 、歴 史 風 土 、地 理 的 条 件 などを 組み合 わせて、将 来に向かって町の方 向 性 を 、住 民の皆 長 町議会議 森 敏則 ﹁ 安 心 して老 を 楽 しむことができる町 ﹂をめざして町づく りに邁 進 してま する覚 悟 を 新 たにし 、引 き 続 き﹁ 安 心 して子 ども を 育てられる町 ﹂そして し 、諸 問 題に腰 を 据 えて果 敢に取 り 組み、町 政 進 展に向 けて全 力 を 傾 注 我々議 会 人は、今 を 未 来へつな ぐ ために﹁一歩 先の時 代 を 読み﹂ 一致 結 束 様と共に取 り 組む課 題が山 積していま す 。 ます。 渡邉 悟 周 年 に あ た り 、東 彼 杵 町 議 会 を 55 代 表してご挨 拶 申し上 げま す 。 町制施行 長 東彼杵町 て、東 彼 杵 町の今 を 知って戴 き ま すようお願い申し上 げ 、 ごあいさつと致し 本 書 を 町 内 外の皆 様に広 く 御 活 用 戴 き ま して、ま ちづく りの一環 とし 展 開 致 しま す 。 杵 町 総 合 計 画 ﹂をもとに、﹁ 今 を 未 来へ﹂を 基 本 理 念 とし、具 体 的な施 策 を 先 人 達が築いてき たこの素 晴らしい歴 史 、文 化 を 継 承 し 、﹁ 第5次 東 彼 で人口減少対策を重点施策として進めています。 政府は地方創生として ﹁総合戦略5カ年計画﹂ ました。 79 24 東彼杵町プロフィール 東彼杵町は、昭和34年(1959)5月1日、彼杵町と千綿村との合併によって誕生。お茶とみかん と鯨のまちとして、 また、人と産物と情報が集まる長崎県の玄関口として知られています。温暖な 気候と多良山系の山々が美しい自然を育み、県を代表する景勝地の龍頭泉があります。 東彼杵町町民憲章 太陽、緑、水そして爽やかな空気。 わたしたち東彼杵町民はこのすばらしい自然の中で生きがいのある、 心豊かな生活と、調和のとれた香り高い文化の町をめざし、 次代への道しるべとしてここに町民憲章を定めます。 一、恵まれた自然に感謝し住みよい町をつくりましょう。 一、思いやりのある心で明るい家庭をつくりましょう。 一、健康で仕事に励み豊かな郷土をつくりましょう。 一、 ともに学びあい子供のゆめと若い力を伸ばしましょう。 一、 きまりを守り交通安全の輪を広げましょう。 人 口 男:4,015人 女:4,462人 計:8,477人 世帯数 3,091世帯 面 積 74.25km2 町章 町木 「楠」 町花 「コスモス」 (平成27年1月1日現在) 主な公共施設 東彼杵町総合会館 歴史民俗資料館 道の駅「彼杵の荘」 龍頭泉いこいの広場 河川公園やすらぎの里 HIGASHISONOGI TOWN Guide Map 東彼杵町へのアクセス [空港] 長崎空港より車で約30分 [東彼杵町案内マップ] 長崎県のほぼ中央に位置する東 彼杵町は、風光明媚な大村湾に面 し、燦々と降り注ぐ太陽や緑豊か な山々、清流などの豊かな自然と、 さわやかな空気に包まれたまち。 陸上・海上・空路のいずれもアク セスが良い立地環境です。 [鉄道] ‒ 川棚駅 ‒ 彼杵駅 ‒ 千綿駅 ‒ 松原駅 ‒ 竹 松駅‒諏訪駅‒大村駅‒ ※大村湾沿いを走ります。 ※快速「シーサイドライナー」 は千綿駅には止ま りません。 [バス路線] <一般路線バス> ●JR九州バス KYUSHU 嬉野線:彼杵駅‒嬉野温泉‒武雄温泉駅 ●東彼杵町営バス ●西肥自動車 佐世保‒ハウステンボス‒彼杵本町‒長崎空港 ※東彼杵町内は、 「彼杵本町」 のみ停車です。 虚空蔵山 川棚町 [道路] ・高速道路:長崎自動車道 東そのぎICで下車 <一般国道> ・国道34号 ・国道205号 NAGASAKI 小音琴川 JR 大村 線 口木田川 口木田海岸 歴史民俗資料館 東彼杵町総合会館 34 滝の観音 番神山 道の駅 「彼杵の荘」 長崎自 動車道 205 川 川内 泓川 俵坂峠 飯盛 川 大音琴川 大楠 佐賀県 嬉野市 中 尾 川 彼 杵 川 赤木集団茶園 彼杵 赤木工業団地 「茶子ちゃん」 そのぎ茶PRキャラクター 東そのぎIC 彼杵港 東彼杵町役場 塩鶴川 二十六聖人乗船記念碑 東そのぎ グリーンテクノパーク 千綿川 ひさご塚古墳 龍頭泉 34 川 鹿ノ丸池 弘法渓谷 三井木場池 千綿 河川公園やすらぎの里 田川 才貫 ずっと このまち 東彼杵町 2015 東彼杵町町勢要覧 中池 蕪池 樫井 川 串川 江串三郎入道塚 ード リーンロ 大村湾グ 東彼杵キリシタン墓碑 千綿渓谷 龍頭泉いこいの広場 陣谷 江ノ串川 大村市 HIGASHISONOGI 発 行:長崎県東彼杵町 〒859 - 3808 長崎県東彼杵郡東彼杵町蔵本郷1850番地6 TEL:0957 - 46 - 1111 FAX:0957 - 46 - 0884 http://www.sonogi.jp/ 発行年月:平成27年3月 制作: (株) ジャパンインターナショナル総合研究所
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