小泉君のこと(交遊記)

小泉君のこと(交遊記)
楢戸
守
小泉君が長い間(25年位?)社長をしていた新宿・歌舞伎町のホテル
ヴィンテージは、1階にあるレストランでクラス会をやったことがあるの
で覚えておられる方も多いと思います。
最近このホテルの売却が決まり、彼の長い間の苦労がやっと報われること
になりました。
そもそも何で彼がこのホテルと関わったのか?ですが、少しその経緯を
お話ししましょう。
このホテルはある不動産会社が建てて、その権利を2000口位に分割し
て約800人の投資家に販売しました。投資家にはホテルの収益で配当す
る と い う 、今 は や り の「 R E I T 」の 原 型 み た い な 金 融 投 資 商 品 で し た が 、
間もなくその不動産会社が倒産してしまい、暴力団が関与してくる等不穏
な状況になりました。
や む な く こ の ホ テ ル に 投 資 し て い た 人 達( 小 口 の 所 有 者 )は 組 合 を 組 成 し 、
ホテルを経営する会社を作ってホテルを続けることにしたのですが、信頼
できる経営者が中々見つからず、仕方なく当時勤めていた会社を辞めて彼
が引き受けたのです。
彼は私と同じ慶応大学の法学部を卒業後NHKに就職したのですが、あの
ガラガラ声ではアナウンサーには向かなかったからでしょうか「法務室」
に配属されました。当時のNHKは内幸町にあって、私が銀行の本店・広
島支店などを経てNHK本社の近くの虎の門支店に転勤して来た時も、ま
だその法務室にいて入社した時と同じ一番下っ端だと嘆いていました。
ちょうど“列島改造ブーム”の頃で、三菱グループが共同で「三菱開発」
というデベロッパーを作って社員を募集しており、彼はその会社への転社
を考えていて、私もそれに賛成しました。
ところが運が悪いことにオイルショックを契機にブームが終わって、三菱
グループはその会社を清算することになってしまいました。やむなく彼は
米国の保険会社と西武グループとの合弁会社に再就職したのですが、西武
グループ各社からの出向社員が肌に合わなかった様で、中堅の電子機器メ
ーカーに再転職していたのです。
ホテルの経営を引き受けてからの彼は、新宿周辺に本社や支社がある企
業をまわって宿泊客紹介の依頼をしたり、東京への出張客を呼び込むため
に全国の会社の支社や団体などを飛び回っていました。
その甲斐あってホテルの経営は順調に伸展し、投資家への配当の他に余裕
資金で希望する投資家から小口権利を(安い価格でしょうが)買い取るこ
とも出来るようになりました。
この間、私はほとんど何も手伝いができず見ているだけでしたが、木村君
は官庁への建築物の報告書作成等でお手伝いをしていたそうです。
今回のホテル売却で、投資家は(多少の損失はあるものの)投資元本を回
収できることになり喜んでいると思いますが、この売却を斡旋したのは東
急の不動産会社に勤めている彼の息子さんだったということも何かの縁な
のでしょう。
それでは何故彼があんなホテルに投資などすることになったのでしょうか、
その経緯もお話ししましょう。昔、私が結婚して小田急線の「相武台前」
というところに小さな家を買って引っ越した時、彼が遊びに来てたまたま
小田急不動産が分譲していた土地を衝動買いみたいに買ってしまいました。
その後彼も結婚してそこに家を建てた頃には、私は転勤で広島に行ってし
まいましたのであまり行き来はなかったのですが、間もなく彼も遠くて通
勤に不便だったからでしょうか、もっと新宿に近い小田急線の読売ランド
に家を買い替えました。
そ の 後 、そ の 家 が バ ブ ル の 波 に 乗 っ て 高 騰 し 良 い 値 が つ く 様 に な り ま し た 。
あの当時は銀行が家を担保にした借り入れを盛んに勧誘していて、彼もそ
の家を担保にして借金し、証券やゴルフ会員権などに投資しましたが、そ
の中にホテルの小口投資があったのです。
間もなくバブルが崩壊して不動産、証券、ゴルフ会員権などが下落し始め
た時、これまでの経験では数年すると価格が回復していましたので彼もど
うするか悩んでいましたが、私は早期の清算を勧めました。彼は早速自宅
や投資を処分して借り入れを返済し、残った資金で小田急多摩線の五月台
駅の近くに小さな土地を買って家を建てましたが、その後の経過を見ると
これが大正解でした。
普通はこんな時はグズグズしていて失敗するのですが、彼の優れていると
ころは、決断の早いこと、行動力のあることだと思っています。そして最
後に残ったのが冒頭のホテルへの小口投資でした。
この投資のお蔭で彼のビジネスマン生活の過半が“ホテルの社長”になっ
てしまったということです。この社長業が25年も続いたのは、彼の誠実
な人柄が多数の小口投資家から信頼されたからだと思っています。
彼とは山登り、スキー、ゴルフなど趣味が大体一緒で、山登りは小石川高
校時代に彼に丹沢登山に連れて行ってもらってのめり込んでしまいました。
彼は大学時代にスキー場のアルバイトをする程相当のレベルで、彼とよく
行く様になったのは私のレベルが上がってきたここ十数年のことです。
スキーは池辺君や工藤君のお蔭で、毎年彼と志賀高原の“合宿”に参加さ
せてもらっていますが、最近は森屋君・白井君・伊藤君も参加して賑やか
になりました。逆にゴルフの方は一緒する方が年々減ってしまい、今は彼
と木村君だけになってしまいました。
彼と趣味が全く違うのは“農作業”です。彼は農耕型の人間、私は山菜取
り・貝採り・釣りなどが好きな狩猟型人間で、農作業はせずもっぱら収穫
物を頂くだけでした。いつも貰ってばかりでは申し訳ないと思い、彼が山
梨県に畑を借りた時に、農作業用の長靴などを買って2~3度手伝いには
行ったのですが、長続きはしませんでした。
彼の“ホテル社長業”もあと僅かで暇になるでしょうから、これからはス
キーやゴルフで一緒する機会が増えると楽しみにしています。