喜連川中学校 2年 佐竹毎斗さん [PDFファイル/171KB]

「相手の気持ちを考える」
喜連川中学校 二年
佐竹 毎斗
「かわいそう。」
僕が放った、この一言が友達を深く傷つけた。
小学校中学年のときである。僕にはとても仲の良い友達がいた。
学校ではいつも一緒だったし、家に帰ればすぐに、彼の家に遊びに
出かけることが、僕の日課だった。
彼には四つ違いの「ダウン症」の弟がいた。いつも楽しそうで、
お兄さんが大好きということが全身から伝わってきた。そんな弟の
面倒を彼もよく見ていて、僕が遊びに行っても、ずっと弟のそばに
いた。僕は弟のことをもっと知りたかったのだが、彼があまり話し
たがらなかったので、しばらくは何も聞かないことにした。
しかし、あるとき、ふいに
「K ちゃんの弟、病気なの?かわいそうだね。」
という言葉が僕の口から出た。すると、今まで見たこともない険し
い表情で
「うるせえ!かわいそうなんかじゃねえよ。」
と怒鳴られてしまったのだ。僕は唖然となった。彼のことを思って
言っただけなのに、なぜ、そんなふうに怒鳴られなければならなか
ったのか理由がわからず、無性に腹が立ってきた。
それからというもの、彼と話すこともなくなり、当然、家に遊び
に行くこともなくなった。そして、心にモヤモヤを残したまま僕た
ちは進級した。
しかし、始業式の日、意外なことが起こった。貼り出された新し
いクラスの名簿のどこを探しても、彼の名前がなかったのである。
急いで担任の先生のところに行き、彼のことを尋ねると、親の仕事
の都合で東京に引っ越したと言われた。結局、彼からは何も聞けな
いまま別れることになり、心のモヤモヤはいつまでも僕の中に残っ
た。
数日後、彼から手紙が届いた。手紙には、こう記されていた。
「あ
のときは怒鳴ってごめんね。でも弟はかわいそうなんかじゃないよ。」
僕はこのとき、彼が謝ってくれたうれしさよりも、障害があるの
にかわいそうではないという彼の言葉に疑問を抱いた。ハンディを
背負うということは、本人も家族も、やはり大変なことだと思って
いたからだ。せっかく手紙をもらったのに、僕の気持ちは晴れず、
返事を出す気にもなれなかった。
それから半年ほど過ぎて、彼のことも、心のモヤモヤのことも忘
れかけていたとき、あるテレビ番組が目に止まった。それはダウン
症の人の生活に密着するという内容だった。僕はこれを見ていて、
あることに驚いた。それは、誰もが口をそろえて、
「生きることが楽
しい」と言っていたことだ。それは、僕の中の障害者のイメージを
大きく覆した。僕はこれまで、ハンディを背負っている分、人より
苦労することがたくさんあり、差別を受けることも多く、生きるこ
とそのものが大変だと勝手に思い込んでいた。しかし、テレビに映
っていたのは、僕たちと同じように特技や趣味を持っていて、でき
ないことには果敢に挑戦する姿だった。ハンディのことなど感じさ
せず、全力で楽しんでいる姿に心を打たれた。そして最後に、
「僕は、障害があることを自分の個性だと思っています。気を遣っ
てかわいそうと言ってくれる人がいます。当然、バカにするつもり
などない、優しさから出る言葉だとわかっています。しかし、それ
は僕が一番傷つく言葉です。家族はみんな、僕のことを愛してくれ
るし、何かしようとすれば全力で応援してくれます。たとえ、障害
があっても支えてくれる人がいる限り、生きることは幸せです。」と
いう言葉を聞いたとき、僕の心の奥底にずっとあったモヤモヤが一
気に晴れたのを感じた。と同時に彼への罪悪感でいっぱいになった。
障害がある人はかわいそう、それは一般的な考えだと思っていた。
しかし、そうではなかった。むしろ、そう思ったことが彼らを傷つ
けていたのだ。あのとき、優しさのつもりで言った一言がどれほど
彼を深く傷つけてしまったことか。今となっては、もうどうするこ
ともできない。これは僕にとっての一生の後悔になった。
ある先生が、かつてダウン症の生徒を受け持った時のことを話し
てくださったことがある。いつもニコニコしていて、周りにいる全
ての人たちを自然に笑顔にしてくれる存在だったという。心ない言
動に傷つき、悩み、苦しんだことも少なくなかったけれど、それで
も決して他人のことを責めたり、悪く言ったりすることはなかった
そうだ。人として大切なことを彼から学ばせてもらったと先生はお
っしゃっていた。
優しさのつもりで言った何気ない一言。しかし、それは相手を深
く傷つけてしまった。この経験を糧に、思い込みや一般論で物事を
判断するのではなく、相手のことを正しく理解した上で、その立場
や気持ちを考えていけるような人間に成長していきたいと思う。