龍の恩

龍の恩
益田清風高等学校
2年
野村
莉世
昔々、まだ龍や鬼がいるというような時代のこと。
あるところに、貧乏な夫婦がいました。その夫婦は食べ物も少なくお金もなく裕福な生
活ができませんでした。
ある日夫が外へ出ていると、大きな淵がありました。
「こんな所に淵などあったかな」と思い、ゆっくりと顔を近づけ覗いてみると、小さな緑
の龍が怪我をして弱っていました。本当に龍などいるものか、と思う一方、襲われるかも
しれないという恐い気持ちもあった夫でしたが、淵を下りて、持っていた布で怪我をして
いるところを巻いてあげました。最初は警戒して暴れる龍でしたが、時間がたつにつれて、
龍も落ち着いてきました。
「もうこれで大丈夫」とつぶやいた瞬間、どこからか大きな唸り声のようなものが聞こ
えてきました。それは大きな龍の親だったのです。親の龍は、子どもの龍を探していたの
です。いきなり出会った人間に怒りを覚え、夫を食べようと襲ってきそうになりました。
食べられると思った瞬間、子どもの龍が夫をかばうように、親の龍に説明するように大き
な声で鳴きました。まもなく親の龍は状況を理解したからか、どこかへ行ってしまいまし
た。
「あぁ…よかった。
」と夫は心の底からほっとしました。と同時に、自分を守ってくれ
た子どもの龍が可愛くてしかたありません。夫は、子どもの龍を自分の子どものように可
愛がりました。
それからしばらくしたある日のこと、親の龍が子どもの龍とともにやってきました。親
の龍の口元には綺麗なお椀がありました。そのお椀を夫の前に置くと、もっていけという
ように、龍が鳴きました。夫はとても綺麗なお椀に惹かれ、ありがとうございます、と深
くお辞儀しました。そしてお椀を持ち、家に帰りました。子どもの龍と離れるのがとても
悲しかった夫でしたが、仲良くしている龍の親子を見た夫は安心して家に帰りました。
家に帰った夫は疲れてしまい、すぐに寝てしまいました。そこで夫は夢をみました。自
分と妻と子どもとで仲良く幸せに暮らす夢でした。
次の日、目を覚ました夫は現実に戻されました。何も変わらない貧乏生活はまたはじま
ります。夫は食べ物もなく苦しい生活をどうにか抜け出せないかと考えていると、お椀の
ことを思い出しました。そこでお椀を売ることにしました。
お椀を店に持っていくと、主人が驚いた顔をして、無言で真剣に調べていました。しば
らくして、ようやく調べ終わりました。そのお椀は、とても珍しい材料でできており、め
ったにみられるものではなく、千両という金額で売れました。夫はまさかと思いながらも
すごく驚きました。夫はありがとうございましたと告げると、妻のいる家に早足で帰りま
した。今まであったすべてのことを話し、
「私たちにも幸せがまい下りた」と一緒になって喜びました。
それからというもの、夫は龍の親子に会うことはありませんでしたが、妻と一緒に幸せ
な暮らしをはじめ、子宝にも恵まれ、本当の幸せというものを手に入れました。そしてあ
の夢のことを思い出しました。夢が現実になったのです。
次の日夫は、あの淵にいってみました。そこで正座をし、手を合わせ、
「本当にありがとうございます。本当の幸せを手に入れることができました。」というと、
そこに妻が作ったお供え物を置きました。するとどこからか、あの龍の鳴き声が聞こえて
きたような気がしました。姿をみることはありませんでしたが、夫はにこっと笑うと、そ
の場を去り、妻と子供の待っている家へと帰っていきました。
それからというもの、夫婦は毎日毎日淵へのお供え物をかかさず持っていきました。
そして幸せに、幸せに暮らしました。
(元になった話)
「龍神伝説」
昔むかし、下呂にある大渕の里は耕地も少なく食べ物も十分にない貧乏な村でした。で
も、この里では、祝い事や祭りなどに使われる膳や椀だけはとても立派で訪れる他村の
人々を驚かせていました。
ある日のこと、一人の村人が息子に嫁をもらうことになったが、困ったことがあると渕
のほとりで嘆いておりました。
「嫁さもらうのはよいが、俺のとこにはお椀も膳もない。せがれや嫁さが恥かしくないよ
うにせにゃいかん。なんとかならんものか。近所で借りようと思っても誰も持っておらん
し、よわった。
」
信心深い親父は別に期待したつもりはなかったが川原に隆りて龍宮に通じる渕の穴に向
ってお額いをした。
「龍神様、俺のとこではこのたび隣村から嫁さをもらうことになったが、この村にゃお椀
も膳もなんにもありません、どうか婚礼の日だけでいいから膳と椀を貸してください。」
そして次の朝のこと、親父は渕のそばに行き何げなく渕をのぞいてみると、金絵巻の立
派な膳や椀が婚礼に必要な数だけ置いてありました。親父も家の者も大喜びで無事婚礼を
済ませ、使った膳椀をきれいに洗って、心ばかりのお供え物をしてお返しをしました。
それからは膳椀が必要な時、村人達は渕に通いお願いをして借りるようになり、この渕
を「椀貸せ渕」と呼ぶようになりました。しかしある日のこと、村人の一人がお祭りに借
りた椀のひとつをあやまって割らしてしまった。怖くなったその村人は、次の朝あやまる
こともせず、渕のそばに置いて逃げ帰ってしまいました。それからというもの、村人たち
がいくらお願いしても膳椀は貸してもらえなくなりました。
【参考資料】
・岐阜県益田郡役所.
『岐阜県益田郡誌』.1970 年(復刻版).