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桜井城跡発掘調査 現地説明会のご案内
安城市教育委員会文化振興課
北側調査区の発掘調査風景
平成 28 年(2016)
日時
2月 20 日(土)
午前 10 時∼ 12 時
井戸(SX132) 戦国時代の鍋(内耳鍋)出土状況
※駐車場はありません。
歩きやすい靴でお越し下さい。
さくらいじょう まつだいらけ かんけい あんじょうじょう きょじょう あんじょうまつだいらけ よんだい ちかただ こ ちかふさ 桜井城と松平家の関係は、安城城を居城とした安城松平家四代親忠の子親房
さくらい ぶんけ ちかふさ さくらいじんじゃ のこ むなふだ
が桜井へ分家してきたことにはじまります。
この親房は、桜井神社に残る棟札から
たいえい ねん さくらいしんめいしゃ た じんぶつ
大永7年(1527)に桜井神明社を建てた人物であることがわかっています。
ちかふさ し ご ねん あんじょうまつだいらけ ごだい ながただ こ のぶさだ にゅうじょう さくらいまつだいら
親房死後の1530年ごろには安城松平家五代長忠の子信定が入城、桜井松平
け いえやす あんじょうまつだいらけ きゅうだい かんとういふう ともな てんしゅつ
家がおこりました。家康(安城松平家九代)の関東移封(1590)に伴い転出するこ
さくらいまつだいらけ ろくだい いえひろ ねんかん さくらいじょう さくらいまつだいらけ きょ
とになった桜井松平家六代家広までのおよそ60年間、桜井城は桜井松平家の居
じょう
城でした。
こんねんど あんじょうしきょういくいいんかい あんじょうさくらいえきしゅうへん とくてい
とち
くかく
せいりじぎょう ともな
今年度、安城市教育委員会は安城桜井駅周辺特定土地区画整理事業に伴い、
さくらいじょう りんせつ ちてん けいぞくてき はっくつちょうさ きかい
桜井城に隣接する地点を継続的に発掘調査してまいりました。ぜひ、
この機会に
ぶんかいさん ほうこ さくらい れきし ふ おも
文化遺産の宝庫、桜井の歴史に触れていただきたいと思います。
堀
現地説明会会場
城阿原
城山公園
城向
堀
西町上
桜井城
堀
桜井靖霊神社
主
要
地
方
道
岡
崎
西
尾
線
森田
阿原
西町中
東町屋敷
法行寺
桜井城縄張り復元
(天野暢保1991「桜井城」
『定本西三河の城』
を参考に
作成)
現地説明会位置図