企業としての組織的な海難救助業の創始 三菱造船所海難救助部(長崎) M.26年(1893) 山科海事工業所(東京) M.30年(1897) 日本海事工業(株)(大阪) T.6年(1917) 松田海事工業所(函館) M.39年(1906) 東京サルヴヱージ(株)(東京) T.6年(1917) 帝国海事(株)(神戸) T.7年(1918) 帝国サルヴヱージ(株)(大阪) T.13(1924) 日本サルヴヱージ(株)(東京) S.9(1934) 帝国海事株式会社(大正7年設立) 海元丸 諏訪丸 • 神戸の長谷川商店 社長、長谷川源太 郎が大正7年帝国 海上火災保険(株) (安田財閥系)の支 援のもと設立 • 海難貨物(綿花、砂 糖など)や海難船の スクラップ処理がも ともとの生業 • 救助船は 海元丸(G.T. 314)、 来島丸(G.T. 688)、 諏訪丸 企業としての組織的な海難救助業の創始 三菱造船所海難救助部(長崎) M.26年(1893) 山科海事工業所(東京) M.30年(1897) 日本海事工業(株)(大阪) T.6年(1917) 松田海事工業所(函館) M.39年(1906) 東京サルヴヱージ(株)(東京) T.6年(1917) 帝国海事(株)(神戸) T.7年(1918) 帝国サルヴヱージ(株)(大阪) T.13(1924) 日本サルヴヱージ(株)(東京) S.9(1934) 帝国サルヴェージ株式会社(大正13年設立) 「祐捷丸」 807 G/T 2,189 HP 昭和2年建造 「早隆丸」 • 競争激化のため、 神戸の帝国海事 (株)と大阪の日 本海事工業(株) が合併 • 両社の救助船、 道具、人を継承 • 救助船「祐捷丸」 の建造 • 大阪本社の他、 神戸、東京、門司、 函館、小樽に支店 帝国サルヴェージが行った救助作業 昭和4年、揚子江呉淞防波堤に座礁した米国砲艦「ルゾン号」。 昭和6年、中華民国福建省興化湾イスマス島沖の暗礁に座礁した 中華民国軍艦「江元」 企業としての組織的な海難救助業の創始 三菱造船所海難救助部(長崎) M.26年(1893) 山科海事工業所(東京) M.30年(1897) 日本海事工業(株)(大阪) T.6年(1917) 松田海事工業所(函館) M.39年(1906) 東京サルヴヱージ(株)(東京) T.6年(1917) 帝国海事(株)(神戸) T.7年(1918) 帝国サルヴヱージ(株)(大阪) T.13(1924) 日本サルヴヱージ(株)(東京) S.9(1934) 東京サルヴェージ株式会社(大正6年設立) • 大正5年、東 京海上の海損 部の中に救助 を担当する部 署設置 • 大正6年3月 同社の一機関 として東京サ ルヴェージを 設立 救助船「吾妻丸」 (431G/T, 1,330HP) 「那須丸」 693 G/T 1,203 HP 大正8年室蘭沖で座礁し船体の略中央部で折損した「陽天丸」 (7,155 G/T)から、仮設桟橋を経由して生ゴム、ラクダ毛などの積荷 瀬取り中。 仮設桟橋の上にも設置した簡易レールは写真右端の作業小屋まで 延びている。 昭和6年3月、ノルウェーの貨物船「ローズビル号」(5,450 G/T)は台湾海峡入口の牛山島に座礁。「那須丸」で救助 企業としての組織的な海難救助業の創始 三菱造船所海難救助部(長崎) M.26年(1893) 山科海事工業所(東京) M.30年(1897) 日本海事工業(株)(大阪) T.6年(1917) 松田海事工業所(函館) M.39年(1906) 東京サルヴヱージ(株)(東京) T.6年(1917) 帝国海事(株)(神戸) T.7年(1918) 帝国サルヴヱージ(株)(大阪) T.13(1924) 日本サルヴヱージ(株)(東京) S.9(1934) 日本サルヴェージ(株)の設立(昭和9年) • 昭和8年、保険会社の斡旋で両社は協調態勢に入っ た • 昭和9年、鈴木祥枝(さかえ)主宰のもと、東京サル ヴェージと帝国サルヴェージ両社を解散。同時に、船 舶保険協同会の加盟会社10社が出資し、両社の人 員、救助船、道具のほぼ全てを継承・統合して新会社 を設立 • 設立の趣旨:日サルの任務は、第一義的には、これら の保険会社が契約している船舶、積荷を救助すること。 さらには一般の救助業者としても業務を行う。一方、 保険会社は日サルの事業を支持する • 取締役会長に北川保(もと三菱造船所、前三菱海上) • 創立日(9月21日)当日、室戸台風により大 阪で多数の遭難船が発生。合併したばかり の両社の社員が一丸となって救助にあたった ことで、社内融和が生まれた • 昭和11年樺太で救助した相州丸を曳航中、 大時化のため「大浦丸」が沈没。乗組員と救 助員20名が犠牲。相州丸は救助成功 太平洋の女王「浅間丸」(16,975G/T)の救助 昭和12年9月香港港外で座礁 翌13年3月救助成功 救助船「祐捷丸」 サンワンベイの海岸 に座礁した「浅間丸」 昭和13年∼15年建造の救助船 静波丸 (984G/T 2,550HP) 秋津丸 (610G/T 1,256HP) 保津丸 (613G/T 1,226HP) “AI SOKULA” 戦後の日サルの復興 • 戦後は、中古船を改造して救助船にしたり、 海軍から払い下げられた救助船を使用 • 航路啓開のため多数の沈船撤去が必要とな り、一大サルベージブームが起き、全国に 200社以上の業者ができた。 • サルベージブームが過ぎると業績不振となり、 昭和28−29年資産の処分と大リストラ • 昭和50年と58年にも経営危機に直面したが、 業界の支援により生き延び、今日に至る。 救助船「早潮丸」の建造(昭和35年) 1,156G/T 3,200HP 大型航洋曳船「航洋丸」の建造(昭和43年) 2,061 G/T 11,000 IHP 最高速力19.6ノット 救助船「第二静波丸」の誕生(昭和58年) 1,039 G/T 8,200 BHP 新「航洋丸」の建造 平成10年 2,096 G/T 10,000 BHP 遠洋区域(国際) DPS(定点保持装置付) 多目的作業船「開洋」の建造 平成13年 3,530 G/T 近海区域 ターンテーブル 2,500 m/t DPS(定点保持装置)有 救助船「早潮丸」の建造 平成19年 497 G/T(国際) 4,000 BHP 近海区域(国際) DPS (Kongsberg cPos) ご清聴ありがとうございました。
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