講演資料 (#1)

日本の海難救助業の歴史
明治から太平洋戦争まで
英国では産業革命により工業が発展、鉄鋼製の船が
建造されるようになり、救助が可能となってきた。
1839年英国でシ―べ・ゴルマンにより最初のヘ
ルメット潜水器が完成。
セントリフューガルポンプ
日本における器械潜水のはじまり
増田萬吉という人
潜水服の増田萬吉
(神奈川県立金沢文庫所蔵)
★安政6年(1859年)横浜に来て、外国人
居留地内のジャーディン・マセソン商
会のボーイとなる
★オランダ人ノールトフーク・へフトとの出
会い
★慶応2年(1866年)横浜で弾薬倉庫船
の船底修理に指揮者として参加。器械
式潜水による作業を見た
★その後まもなくオランダ人から潜水術
を習得
★明治4年頃から引揚げ作業を手掛けた
★明治5年(1872年)頃、萬吉指揮が指
揮し、国産の潜水器を製造
トルコ軍艦「エルトゥールル号」の
艤装品等の引揚げ
救助活動に参加した潜水夫
(トルコ記念館蔵)[串本町役場提供]
エルトゥールル号
(トルコ記念館蔵)
[串本町役場提供]
増田萬吉と山科禮藏
トルコ軍艦遭難慰霊碑建立献金者碑
[串本町役場提供]
企業としての組織的な海難救助業の創始
三菱造船所海難救助部(長崎)
M.26年(1893)
山科海事工業所(東京)
M.30年(1897)
日本海事工業(株)(大阪)
T.6年(1917)
松田海事工業所(函館)
M.39年(1906)
東京サルヴヱージ(株)(東京)
T.6年(1917)
帝国海事(株)(神戸)
T.7年(1918)
帝国サルヴヱージ(株)(大阪)
T.13(1924)
日本サルヴヱージ(株)(東京)
S.9(1934)
三菱造船所海難救助部(明治26年設立)
「夕顔丸」
マンスブリッジ
ドンキボイラー
•
•
セントリフューガルポンプ
•
明治17年(1884年)
郵便汽船三菱会社が
長崎に三菱造船所を
創業したとき、アイル
ランド生まれのイギリ
ス人Mansbridgeは、
潜水夫兼索具責任者
として採用された
明治26年(1893年)
から海難救助事業を
副業的に開始
当時の救助道具(セ
ントリフューガルポン
プ、ドンキボイラー
等)と救助船に使用し
た「夕顔丸」
海難救助船「大浦丸」
明治35年(1902年)三菱長崎造船所で竣工した
日本で最初の専用救助船
総トン数:672 トン
馬力 : 687 IHP
速力 :12.2ノット
(最大)
「大浦丸」は日露戦争(明治37−38年)時海軍の御用船として
仁川、旅順、樺太で損傷したロシア軍艦の浮揚作業に従事
「パルラダ」( 6,630排水トン)旅順港
「アンガラ」(11,700排水トン)旅順港
「ノーウィック」 樺太・大泊(コルサコフ)
「スンガリー」( 2,550排水トン)仁川港
米国貨客船「ダコタ号」の遭難
• ダコタ号(20,718総トン、
1904年竣工)
• 明治40年(1907年)3月千
葉県白浜に座礁
• 当時世界最大の貨客船
で、「ミネソタ号」の姉妹
船。
• 救助船「大浦丸」にマン
スブリッジ、北川保等以
下上乗り、救助に出動し
たが、全損となった。後
日撤去された。
• 貨物は山科海事工業が
救助した。
「梅が香丸」浮揚作業
大正元年(1912年)関門港で沈没
• 帝国海事協会所有の義勇
艦 3,273総トン
• 神戸三菱造船所が浮揚作
業
• 救助船「有馬丸」、「大浦
丸」
• 孕石元照技士(後・東京サ
ルヴェージ会長)
救助船「有馬丸」
企業としての組織的な海難救助業の創始
三菱造船所海難救助部(長崎)
M.26年(1893)
山科海事工業所(東京)
M.30年(1897)
日本海事工業(株)(大阪)
T.6年(1917)
松田海事工業所(函館)
M.39年(1906)
東京サルヴヱージ(株)(東京)
T.6年(1917)
帝国海事(株)(神戸)
T.7年(1918)
帝国サルヴヱージ(株)(大阪)
T.13(1924)
日本サルヴヱージ(株)(東京)
S.9(1934)
山科海事工業所(明治30年設立)
・増田萬吉に仕え、帳場
を預かっていた
・東京・日本橋に山科
海事工業所を設立
山科禮藏
「第二魁丸」
救助船「魁丸」
「ミネソタ号」救助作業
20,718総トン(「ダコタ号」の姉妹船)
大正4年(1915年)山口県室津沖に座礁
企業としての組織的な海難救助業の創始
三菱造船所海難救助部(長崎)
M.26年(1893)
山科海事工業所(東京)
M.30年(1897)
日本海事工業(株)(大阪)
T.6年(1917)
松田海事工業所(函館)
M.39年(1906)
東京サルヴヱージ(株)(東京)
T.6年(1917)
帝国海事(株)(神戸)
T.7年(1918)
帝国サルヴヱージ(株)(大阪)
T.13(1924)
日本サルヴヱージ(株)(東京)
S.9(1934)
松田海事工業所(明治39年設立)
救助船「比叡丸」
• 松田助八
• 明治35年、横須賀海軍工
廠から函館船渠へ
• 明治39年退職、樺太コル
サコフの戦利艦「ノー
ウィック」の浮揚作業に参
加。
• その後函館をベースに解
撤、海難救助を開始
• 第一次世界大戦による需
要の波に乗り、船成金に。
海運業、造船業にも参入
• 救助船は「鞍馬丸」(199
総トン)、「比叡丸」(131総
トン)
企業としての組織的な海難救助業の創始
三菱造船所海難救助部(長崎)
M.26年(1893)
山科海事工業所(東京)
M.30年(1897)
日本海事工業(株)(大阪)
T.6年(1917)
松田海事工業所(函館)
M.39年(1906)
東京サルヴヱージ(株)(東京)
T.6年(1917)
帝国海事(株)(神戸)
T.7年(1918)
帝国サルヴヱージ(株)(大阪)
T.13(1924)
日本サルヴヱージ(株)(東京)
S.9(1934)
日本海事工業株式会社(大正6年設立)
「有馬丸」
大浦丸
• 三菱造船海難救助
部、山科海事工業
所、松田海事工業
所を合一
• 大正6年3月、大阪
に設立。東京、門
司、函館に支店
• 大阪商船千浦友三
郎が代表に
• 取締役には山科禮
藏や松田助八など
• 救助船、道具、人を
継承
「魁丸」
大正8年(1919年)欧米のサルベージ会社を視察
英国リバプール・サルベー
ジ・アソシエーション倉庫
デンマーク沖で救助作業中の
デンマークの会社の救助船団
英国の会社の40トン吊りクレーン船
スウェーデンの救助会
社の沈潜引揚げ用台船
「へフロン号」(7,906トン)の救助
• 米国船舶院
所有
• 大正8年
(1919年)関
門港六連島
付近に座礁
• チェコ軍の兵
士900人乗
船
• 関西学院大
学・グリークラ
ブの秘曲「ウ・
ボイ」との縁
企業としての組織的な海難救助業の創始
三菱造船所海難救助部(長崎)
M.26年(1893)
山科海事工業所(東京)
M.30年(1897)
日本海事工業(株)(大阪)
T.6年(1917)
松田海事工業所(函館)
M.39年(1906)
東京サルヴヱージ(株)(東京)
T.6年(1917)
帝国海事(株)(神戸)
T.7年(1918)
帝国サルヴヱージ(株)(大阪)
T.13(1924)
日本サルヴヱージ(株)(東京)
S.9(1934)
帝国海事株式会社(大正7年設立)
海元丸
諏訪丸
• 神戸の長谷川商店
社長、長谷川源太
郎が大正7年帝国
海上火災保険(株)
(安田財閥系)の支
援のもと設立
• 海難貨物(綿花、砂
糖など)や海難船の
スクラップ処理がも
ともとの生業
• 救助船は
海元丸(G.T. 314)、
来島丸(G.T. 688)、
諏訪丸