知識共創第 5 号 (2015) 21 世紀群衆論 ソーシャルメディア時代の創発的集合現象、その光と影 伊藤 昌亮 1) ITO Masaaki 1) 1) 愛知淑徳大学メディアプロデュース学部 1) Faculty of Media Theories and Production, Aichi Shukutoku University 【講演要旨】 インターネットとソーシャルメディアの普及は人々の間に「新しい集まり方」をもたらした。通常の 社会的ネットワークを飛び越えて不特定多数の人々がアドホックに結び付くこと、いわば「つながりを 超えたつながり」を生み出すことをそれは可能とする。その結果、そこに新しい知識が生まれ、新しい 情動が生じる。そこから新しい賢さが獲得されるとともに新しい愚かさが招来される。 そうした「新しい集まり方」を多角的に検討するための統合的な視座を、しかしわれわれはまだ持ち 合わせていない。従来の社会学、あるいはネットワーク科学は主に「つながり」を注視してきたため、 「つながりを超えたつながり」を取り扱うことは少なかった。また、集合知論は特に「新しい知識」に 伴う「新しい賢さ」に注目してきたため、「新しい情動」に伴う「新しい愚かさ」に目を向けることは 少なかった。 2000 年代から世界中で流行しているフラッシュモブ、2010 年代から世界中を席巻しているデモ、そ してそこから日本に生み落されたネット右翼、さらに炎上とヘイトスピーチ。そうした新しい集まりの 中には新しい知識と新しい情動とが、そして新しい賢さと新しい愚かさとが複雑に混淆している。今や 社会を動かしていく大きな推進力となりつつあるそうした集合現象を捉えるための統合的な視座を、わ れわれは今後、領域横断的に用意していく必要があるのではないだろうか。 今からほぼ 1 世紀前の 20 世紀初頭、都市環境の形成とともに現れてきた新しい集まり、すなわち「都 市群衆」が歴史を動かしていく大きな原動力となりつつあった時代、そうした集合現象を捉えるための 理論枠組みを構築しようとする試みがさまざまになされたことがある。群衆心理学、集合行動論、グル ープダイナミックスなどだ。しかし 20 世紀後半になると、それらは主に「愚かさ」を扱う部門として の大衆論と「賢さ」を扱う部門としての公衆論とに、また、特にペシミスティックな志向を持つ人文学 領域とオプティミスティックな志向を持つ理工学領域とに分化し、全体を展望することが難しくなって しまった。それとともに、多面的な性格を持つ集合現象をその多面性とともに理解することが難しくな ってしまった。その結果、21 世紀初頭の現在、今度は情報環境の形成とともに現れてきた新しい集まり、 すなわち「情報群衆」の存在を目の前にしてわれわれは、その可能性と危うさを含めた全貌を捉え切る ことが十分にできないでいるのではないだろうか。 講演者はそうした集合現象の現場をこれまでさまざまにフィールドワークしてきた。本講演ではそれ らの様子を報告するとともに、20 世紀初頭以来の群衆論の系譜を整理しつつ、新しい群衆論、いわば「21 世紀群衆論」の構築に向けた議論を展開してみたい。 Ⅰ1-1
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