山形県内における映画を通した地方都市再生とボランティア集団

山形県内における映画を通した地方都市再生とボランティア集団
岩鼻 通明 Iwahana Michaki(山形支部・教養班)
1.はじめに
間年には 5,000 万円の財政支援があるのは、日本
地方都市の再生、とりわけ中心市街地の再活性
の地方都市における映画祭に対する支援体制とし
化を、映画を通して取り組もうとする動きが、近
ては、きわめて異例のものといえよう。
年、顕在化しつつある。
もちろん、それらなしには映画祭の円滑な運営
この方法は、大きく3つに大別される。ひとつ
はありえないのであるが、一方で映画祭を支えて
は、映画祭による活性化、そして次にコミュニテ
きたのは、市民を主体としたボランティア集団で
ィー・シネマと呼ばれるミニ・シアターを中心市
あることに、この報告では注目したい。
街地に設置する試み、最後はフィルム・コミッシ
毎回、発行される映画祭のカタログの末尾に、
ョンと呼ばれる映画ロケ・サービスによって映画
ボランティア・スタッフの氏名が明記されている
のロケを誘致する試みである。
が、その総数は毎回 300 名前後におよぶ。
今回の報告では、20 年の歴史を有する山形国
このボランティア・スタッフの任務は多様であ
際ドキュメンタリー映画祭および庄内映画村に関
り、上映会場の運営スタッフや、海外からの監督
する内容を中心としたい。
やゲストをアテンドする語学スタッフ(英語・中
国語・韓国語・フランス語など多くの言語に分か
2.山形国際ドキュメンタリー映画祭の歩み
れる)、会期中に毎日発行されるデイリー・ニュ
山形国際ドキュメンタリー映画祭は、山形市の
ースのスタッフ、さらには、毎夜 10 時からオー
市制施行百周年を記念して、1989 年に始まり、
プンする香味庵と称される交流会場の運営スタッ
2年に一度の開催を重ね、2007 年で第 10 回を数
フ(任務は深夜におよぶ)など、それぞれの経験
えた。
を生かした立場でのボランティア集団なしには、
発足当時に、上山市郊外でドキュメンタリー映
この映画祭は機能しないといっても過言ではない。
画の制作にあたっていた小川紳介監督を迎えて始
ボランティア・スタッフの多くは、山形市民や
まった映画祭は、アジアの新人監督の発掘に大き
市内在住の留学生たちであるが、中には遠方から
な成果をあげ、世界から注目を集める映画祭に成
来て、会期中はウイークリー・マンションなどに
長した。
この映画祭からデビューした監督として、
滞在するボランティアもいて、しかも数回のボラ
河瀬直美、ビョン・ヨンジュ(韓国)らの名前を
ンティア経験を持つ者も少なくない。
あげることができる。
いわば、ボランティア経験が蓄積されることに
この映画祭の成功の要素として、いくつかの点
よって、映画祭の充実に結びつき、その評価が高
をあげることができる。たとえば、山形事務局に
まってきたのであるといえよう。
加えて、東京事務局が存在し、映画業界に通じた
ただし、この数年の地方自治体の財政危機に際
スタッフが国際的な関係をつくりあげていったこ
して、日本各地の地方映画祭は岐路に立たされて
とが指摘できよう。
いる。たとえば、夕張市の財政破綻にともない、
それに加えて、山形市による財政援助をあげる
長期にわたって継続されてきた、ゆうばり国際フ
ことができる。現在でも、開催年には1億円、中
ァンタスティック映画祭は、夕張市主催で実施さ
れることは中止された。
に、いくつもの巨大な蚕室が建造された。庄内映
山形国際ドキュメンタリー映画祭でも、従来は
画村の事務所と資料館は、いずれも、かつての蚕
山形市役所内に映画祭の山形事務局が置かれてい
室を再利用したものであり、いわば、庄内映画村
たのが、2007 年 4 月からNPO法人化され、事
の設立は、松ヶ岡開拓地の21世紀的再開発とい
務局も独立した。この法人化によって、独立性が
えよう。
確保されたメリットもあるが、その一方で事務所
この庄内映画村を支えているのもまた、ボラン
経費やスタッフの人件費なども、山形市からの財
ティア集団であるといえる。映画のロケには、多
政支援から支出せざるをえなくなり、映画祭の運
くのエキストラやボランティアが必要となるが、
営に充当できる経費は減少したとされる。
庄内一円の市民が、その役割をになってきた。
それでも、2007 年 10 月の第 10 回映画祭を、
2008 年 8 月に行われた、竹中直人監督作品「山
多少のトラブルはあったものの、無事に乗り切っ
形スクリーム」の野外コンサート場面の撮影に際
たことは、大きな成果であり、今後も、ボランテ
して、500 人のエキストラが約半月の募集期間で
ィア・スタッフに支えられた体制を強化して、内
集まったことは、その役割の確固としていること
外から定評を得た映画祭を継続していくことが会
を実証したといえよう。
場となる山形市の中心市街地の再活性化に結びつ
くものといえよう。
4.おわりに
このようなボランティア集団を維持しているの
3.庄内映画村の発足
は登録制度である。多くのフィルム・コミッショ
庄内映画村は、大きくみれば、先にあげたフィ
ンでは、エキストラの登録制度を有しており、円
ルム・コミッションのひとつに数えることもでき
滑な映画ロケを成功させるためには、数千人レベ
ようが、組織が株式会社の形態をとっているとこ
ルのエキストラ登録が不可欠とされる。
ろに大きな特徴が存在する。
また、山形国際ドキュメンタリー映画祭では、
そもそも、庄内で映画「蝉しぐれ」のロケが行
ボランティアをつなぐためのメールマガジンを定
われ、その撮影のために造成されたオープン・セ
期的に発行しており、常に事務局とボランティア
ットが農地転用の期限切れで解体されようとした
を結び付けておく不断の努力もまた必要となる。
際に、この映画のプロデューサーが、セットを近
接地に移転させて再利用すべく、2006 年 7 月に
庄内映画村を設立したのであった。
この年の秋には、月山山麓に新たな石倉オープ
ン・セットを造成して、映画「ジャンゴ」のロケ
が始まり、2007 年秋に公開された。それ以外に
も、2007 年春には、
「山桜」
・「ICHI」・「おく
りびと」のロケが行われ、この春から秋に相次い
で公開が決まっている。
この庄内映画村は、庄内各地の企業や個人が出
資するスタイルで設立された。本社および資料館
は、鶴岡市(旧羽黒町)の松ヶ岡開拓地に位置し
ている。
この開拓地は、明治維新時の版籍奉還にともなう
士族開拓地であり、当初は養蚕を中心としたため