2015 年度 早稲田大学 文学部 (日本史) 解答解説

2015 年度 早稲田大学 文学部 (日本史) 解答解説
Ⅰ
解答
1=帥升
2=イ
3=イ
4=エ
5=親魏倭王
6=ウ
7=エ
解説
《弥生~古墳時代の「倭」
》
中国歴史書の記事を年表形式でまとめた問題。歴史書の中身や弥生~古墳時代の社会に関して問われた。文学
部が年表を使用するのは、2003 年度に受験科目に日本史が導入されて以来初めてのことであり、新傾向の問題と
言える。内容は例年通り、原始を中心とする出題であった。
1の「帥升」は『後漢書』東夷伝にみられる記述である。本学部では 2007 年度以降、史料問題が大問で出題
されたことは一度もない。ただし、史料の一部を抜粋した小問や、史料の知識を用いた正誤問題は出題されてい
るので注意したい。 2も史料の知識を用いた問題。本学受験者であれば落としてはいけない。 3のイが誤り
なのは明らか。「水城」とは白村江の戦いの敗戦後、大宰府を防衛するために筑紫に築造された堤である。
4
のエの「銅鐸」は近畿地方を中心に出土した青銅器である。邪馬台国の所在地は近畿説と九州説とがあり、その
論争に決着はついていないが、史料上にエの記載はみられない。その他の選択肢が明らかに正文なので、消去法
で判断しよう。 5は基本問題。 6は「前方後円墳の出現時期」とあるので古墳時代前期(3世紀中頃~4世
紀後半)を想像しよう。 7の「擦文文化」の開始時期を問う問題はやや難であるが、消去法で判断したい。北
海道では7世紀以降になると、擦文土器をともなう擦文文化が成立した。
Ⅱ
解答
1=たどころ
2=ア
7=大名
8=新猿楽記
3=イ
4=乗田
5=エ
6=オ
解説
《飛鳥~平安時代中期の土地制度》
飛鳥~平安時代中期にかけての土地制度からの出題。2013 年度は大問で荘園公領制、2012 年度は小問で分地制
限令が出題されるなど、本学部では土地制度は頻出である。標準的な問題ばかりなので、全問正解を目指したい。
1は用語の読み方を問う問題。早稲田大学の他学部では時折読み方を問う問題が出題されるが、文学部で問わ
れるのは初めてのことである。 2のイは死亡すると「すぐに」ではなく、次の班年を待って収公されるので誤
り。ウは細かい用語であるが、当校の【最難関大日本史選抜S】テキストには記載があるため、城南予備校生は
誤りと判断できたであろう。
「宅地」とは田令に定められた律令制下の土地。口分田とは異なり、私有権の強い土
地であり、売買が認められた。ただし、ウが誤文と判断できなくても、アは明らかに正文であるので解答は導き
出せる。エの「賜田」とは功労のあった人物に天皇が与えた田のこと。オは口分田は輸租田であるので誤りであ
る。 3は「奴」と「婢」の見分けなど細かい知識を要求されているが、数字をみて判断できたのではないだろ
うか。覚える必要がある口分田の班給額は、良人男子が2段、良人女子が男子の3分の2、賤人男子は良人男子
の3分の1、賤人女子は良人女子の3分の1である。ちなみに、ここでの賤人は「奴」を指しており、
「婢」は「奴」
のさらに3分の2の班給となるが、これは受験レベルを逸脱した知識である。 4は基本問題。 5は下線部の
直前にある「桓武天皇」から判断できるだろう。 6・7は基本問題。 8の『新猿楽記』はやや細かい用語で
はあるが、本学部の 2008 年度入試に『新猿楽記』と「大名」というフレーズをヒントに「田堵」を記述させる問
題が出題されているので、過去問研究を怠らなかった受験生は解答できたはずである。
Copyright (C) 2015 Johnan Prep School
Ⅲ
解答
1=イ
2=藤原泰衡
3=イ
4=オ
5=ウ
6=惣掟(村掟)
7=ウ
解説
《中世における戦乱》
会話形式の本文による、中世における戦乱の問題である。会話形式は 2003・2004 年度入試に連続で出題されて
いたが、2005 年度以降には一度も出されていない。かなり過去の問題のため、受験生はこの形式に驚いただろう
が、設問自体は標準的な問題が多かった。
1のイが正文なのは明らか。アの保元の乱は崇徳上皇の弟である後白河天皇が崇徳上皇の皇子に譲位しなかっ
たために起きた戦乱であるので、
「譲位させた」が誤り。ウの源義平は平治の乱で源義朝側で挙兵している。エ
の平忠正は保元の乱により処罰された。オの信西は平清盛と結んだ人物。 2は「源頼朝が滅ぼした」から判断
できるであろう。 3は本学部受験者であれば、イが正答だと消去法でなくとも判断したい。アは源頼家は比企
能員の乱の後、修禅寺に幽閉され、翌年殺害された。ウの和田義盛は侍所別当である。エは皇族将軍ではなく、
摂家将軍の誤り。オの宝治合戦で滅亡したのは三浦泰村とその一族である。 4の「観応の擾乱」は基本的な用
語であっても、その正確な経過を問われているので難問である。 5は難問。山川出版社の『詳説日本史B』に
は「足利義政は、応仁の乱後、京都の東山に山荘をつくり…」とある。ア・イ・エの選択肢は正文と判断できて
も、オが正文であると断定するのは難しい。 6は基本問題。 7のYは小西ではなく、大村の誤り。Zは平戸
ではなく、長崎の誤りである。キリスト教徒の宣教師や信者を処刑した「26 聖人殉教」と 1622 年の「元和の大
殉教」は、ともに長崎で刑が執行されているので、セットで覚えておくとよい。
Ⅳ
解答
1=イ
2=留守居
7=柳沢吉保
8=イ
3=堂島
4=空米
5=オ
6=エ
解説
《江戸時代の武家の生活》
江戸時代の武家の生活をテーマにした問題。標準的な問題が中心であるが、2・4の記述式の問題は難問であ
る。おそらく、他の受験生も正答を記述することは困難であると思われるので、他の標準的な問題をしっかりと
得点したい。
1は基本問題。公事方御定書は8代将軍徳川吉宗の命により完成した裁判法典である。 2は難問。 3は基
本問題。 4は難問。 5のアの文には一瞬戸惑うが、オが明らかに誤り。諸藩は幕府の許可を得て、領内のみ
で通用する藩札を発行していた。 6のエの「蘐園塾」は山鹿素行ではなく荻生徂徠が江戸茅場町に開いた私塾。
ちなみに 2015 年の大河ドラマ『花燃ゆ』の主人公の兄である吉田松陰は、長州藩の山鹿流兵学師範を勤めている。
7の「柳沢吉保」は基本用語であるが、彼を導き出すキーワードがやや難しい。
「綱吉の小姓から出世」
「甲斐国
を拝領した大名」などから判断したい。吉保は綱吉の小姓を務め、綱吉の将軍就任に従って幕臣に加えられた。
その後、側用人に昇進して大名に取り立てられ、最終的に甲斐国の大大名となっている。 8はアとイで迷うだ
ろう。アの花道は 17 世紀末以降、回り舞台は 18 世紀中ごろまでに発明された。これらの活用によって、歌舞伎
は飛躍的な発展を遂げている。ウの芳沢あやめは女形を得意とした男優である。エの坂田藤十郎は和事で有名な
役者。荒事を得意としたのは江戸で活躍した市川団十郎である。オは寛政の改革ではなく、天保の改革である。
山川出版社の『詳説日本史B』の脚注にも、天保の改革の説明として「歌舞伎(三座)を浅草のはずれに移転さ
せ」とある。本学受験者は教科書の脚注までしっかりと目を通す必要があるだろう。
Copyright (C) 2015 Johnan Prep School
Ⅴ
解答
1=正解なし
6=イ・エ
2=内国勧業博覧会
7=原敬
3=ウ
8=日比谷
4=オ
9=ア・オ
5=イ
10=ウ
解説
《近現代の「公園」と政治》
1は解答を導き出すことはできない。アは明治政府が太政官制を整えたのは政体書である。イは太政官が神祇
官の下位に置かれたのは版籍奉還後の二官六省制でのことであり、
「当初」は誤り。政体書が公布された「当初」
は、神祇官は太政官に属する行政官の下に設置された。ウの三院制は正院・上院・下院ではなく、正院・左院・
右院である。エの内閣総理大臣は 1885 年の内閣制度で初めて設置された。なお、内閣制度導入に際して太政官
制は廃止となっているのでオも誤りである。 2は基本問題。
「上野」
「内務省」
「漢字7字」などから判断しよ
う。 3のメーデーとは労働者の団結と連帯を示威するため国際的に行われる祭典のこと。本学受験者であれば
迷わずウを選択したい。アは 1989 年に結成された労働組合全国中央組織であるが、用語としては細かい。イは
日中戦争から太平洋戦争にかけて結成された組織であり、労働者を戦争に全面的に協力させるためのものであっ
た。
「報国」という文字をみつけたら、まずは戦時下の組織であると考えてみるとよいだろう。エはソ連コミン
テルンの支部として非合法に結成された共産主義政党。オは高野房太郎らが労働組合結成を促進するために組織
された団体。 4のオの「戦後の首相として初めて靖国神社を公式参拝した」のは、小泉純一郎ではなく中曽根
康弘である。 5は本文から学校名を導き出すことは難しいが、設問の選択肢から札幌農学校について問われて
いることが判断できる。正誤判定問題のうち、
「誤りを選べ」というタイプの問題は、誤り以外の選択肢はすべて
正文となるので、これをヒントに問題を解くことも大切なテクニックの一つであろう。イの東京大学農学部の前
身は駒場農学校である。 6のアは西郷従道ではなく山本権兵衛である。なお、西郷従道は首相には一度も就任
していない。 ウは海軍ではなく陸軍の誤り。第二次西園寺内閣は、陸軍の二個師団増設要求を拒否したため倒
閣された。オの統帥権干犯との批判が起きたのは、ワシントン海軍軍縮条約ではなくロンドン海軍軍縮条約締結
後である。 7は基本問題。 8は本文4段落目の2行目にある「日露戦争の講和条約に反対する国民大会の会
場」から判断しよう。 9は空欄Dの直前の「1930 年代に永田町に国会議事堂が建設されるまで公園の南西に仮
議事堂が置かれていたことから」の文言に惑わされてはいけない。決め手になるのは、4段落目の1行目にある
「1903 年に開園」の文言である。イ・エは 1903 年以前の出来事なので誤り。ウは中国で起きた反日運動である。
10 の正文の選択肢はやや細かいが、ウが明らかに誤りであると判断できる。日本社会党が左右両派に分裂したの
は、サンフランシスコ平和条約の締結をめぐってのことである。
Ⅵ
解答
1=エ
2=蔦屋
3=イ・オ
4=ア
5=日本橋
6=エ
解説
《浮世絵の歴史》
浮世絵の歴史をテーマにした問題である。文学部の大問Ⅵは例年、文化史が出題されている。特に絵画などの
美術史からの出題が多く、2014 年度は水墨画、2013 年度は大和絵、2012 年度は狩野派の歴史がテーマとなった。
毎回、美術作品の写真が利用されることが多いのが特徴である。今年度は各大問の中で最も難解な出題が集中し
たため、多くの受験生が苦戦を強いられたであろう。
1は空欄Aの直前に「江戸開府以来の徳川幕府お抱え絵師」とあるのでエ「狩野派」であると判断できる。ち
なみにア「土佐派」は宮廷御用絵師。エ「住吉派」は幕府お抱え絵師であるが、江戸初期に土佐派から分離して
成立したため「江戸開府以来」には該当しない。 2は蔦屋重三郎の本屋である耕書堂を描いた『画本東都遊(え
ほんあずまあそび)
』からの出題で、山川出版社の『詳説日本史B』に図版が掲載されている。同教科書には早稲
田大学図書館に所蔵されている旨が記載されているが、本学部受験生であれば、そのような作品は押さえておく
べきであろう。ただし、図中の行燈看板に小さく蔦屋重三郎の文字が記されていたり、本文の下線部aにも「寛
政の改革によって、この版元や戯作者たちが処罰や弾圧を受けた」とあるので「蔦屋」だと判断できる。 3は
基本問題。 4はやや難問。 5の「日本橋」が五街道の起点となっていることや、魚市で栄えたことは知って
いただろう。しかし、
「作品の題名」と問われているのでやや答えづらかったのではないだろうか。 6は難問。
Copyright (C) 2015 Johnan Prep School