2015 年度 早稲田大学 国際教養学部(世界史) 解答解説

2015 年度 早稲田大学 国際教養学部(世界史) 解答解説
Ⅰ
ローマ帝国の理念の継承
解答
問1.ア
問2.エ
問3.イ
問8.ウ
問9.エ
問10.イ
問4.ウ
問5.エ
問6.イ
問7.ア
解説
古代ローマから中世西欧を扱った西洋史の大問だが、語句の選択問題は平易なものであり、ここでミスをしな
いことが重要。正誤判定問題も大部分は全文の正誤の判断が可能な易しいものが大部分である。今年度は後半の
大問の難易度が高いので、この大問で得点を稼いでおきたいところ。なお、一般的で平易な知識問題である問1・
問2・問3・問5の解説は省略する。
問4.ネロ帝(在位54~68)の時代は1世紀であり年代が異なるためウが誤文。他の文は標準的な内容の正文であ
り、平易な正誤判定問題である。
問6.アラリック王は西ゴート人の王であるからイが誤文。この王の人名はやや細かい知識だが、東ゴート王国
の王としてはテオドリックを記憶しているはずなので、誤りを見抜くことは難しくない。他の文は標準的な内容
の正文である。
問7.トレドは西ゴート王国の首都として押さえておくべきだが、問題文に“最終的な首都”
・
“たびたび教会会
議が開催され”とあり、また他の選択肢もイベリア半島の都市なので、少し迷わされる問題である。こうして難
易度を上げる手法は早稲田ではよく見られるが、惑わされずに自己の知識から素直に選べばよい。
問8.カール=マルテルはフランク王位に就いていない。751年に即位したのは彼の子のピピンであるからウが
誤文。他は平易な内容の正文である。
問9.カール大帝はコルドバ征服にまでは至っていない。荒唐無稽な内容なので、少なくともエには強い疑いを
持つべき。そして他の文は標準的な内容の正文なので、エを誤文と判断することは容易である。
問10.ア・エは平易な内容の正文。イでは、ハインリヒ4世の“シチリア王位を継承”が疑わしい。神聖ローマ
皇帝によるシチリア王位の継承はシュタウフェン朝の時期だと認識していれば、ハインリヒ4世(11世紀)による
継承は早すぎることに気付くべき。一方、ウでは“ルクセンブルク家”というやや細かい語句が気になる以外は
標準的な内容なので、イが誤文の可能性が高いと判断できるはず。
Ⅱ
モンゴル帝国と清
解答
問1.エ
問2.ア
問3.ア
問8.エ
問9.イ
問10.ウ
問4.エ
問5.ウ
問6.ウ
問7.ウ
解説
10問中5問が誤文選択型の正誤判定問題だが、誤りのポイントが明確なのでこちらは解きやすい。しかし語句
の選択問題にやや細かい知識を求めるものが多く、油断のならない大問となっている。なお、一般的な知識問題
である問5の解説は省略する。
問1.アの“バトゥがハンガリーに侵攻”という内容はかなり細かいが、無理に判断せず他の文に進むべき。す
ると、西夏を滅ぼしたのはチンギス=ハンであり、さらにモンケはグユクではなくトゥルイの息子なのでエは明
らかに誤文である。イ・ウは平易な内容の正文なので、アに惑わされずエを選ぼう。
問2.
“ウルス”の語はやや細かい知識だが、消去法で正答が可能。ただし近年では注目度が高まり一部の教科書
にも記載されているので、早稲田の志望者であれば押さえておくことが望ましい語句である。
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問3.イブン=バットゥータの訪中は元末の14世紀前半なので、フビライとの会見はあり得ない。よってアが誤
文。他は標準的内容の正文。
問4.ルブルックが謁見したのはモンケ=ハンなのでエが誤文。ア・ウは標準的内容の正文であり、イはマルコ
=ポーロ自身の主張を尊重するなら正文と見てよい。
問6.
“民衆教化のために六ヵ条の教訓”とは明の洪武帝の六諭のことなので、ウは誤文。ア・エは標準的な内容
の正文。イは“サルフの戦い”の語句が細かいが、ウの明確な誤りを優先して選べばよい。
問7.
“ホンタイジが従えた”というポイントから、ウのチャハル部を選ぶことは容易。
問8.
“山海関”の語句は、近年では教科書で記載例が多く、入試問題でも出題例が増えているため、きちんと押
さえておきたいところ。
問9.ブーヴェは重要な人名だが、
『康熙帝伝』の書名はかなり細かい知識。また、ウのザビエルやエのマテオ=
リッチは年代から除外できるが、アのアダム=シャールは明末~清初の人物であり除外しきれないため書名を知
らないと少し迷わされる。だが、ブーヴェが康熙帝時代の人物という点は明確なので、イを優先すべき。
問10.オランダ人を駆逐して台湾を占拠したのは鄭成功なのでウが誤文。アの遷界令は早稲田の志望者であれば
押さえておくべき知識だろう。一方、近松門左衛門は教科書にも記載されていない日本史的内容であり、また鄭
成功の母が日本女性という点も些末な内容なのでイ・エは判断に困るが、明確な誤りを優先してウを選ぶべき。
Ⅲ
20世紀のイギリス・合衆国と石油問題
解答
問1.ウ
問2.エ
問3.ア
問8.イ
問9.イ
問10.エ
問4.ア
問5.イ
問6.エ
問7.ウ
解説
一昨年から定着した英語の史料文を用いる大問であるが、Aは全体の文脈と設問にはあまり関連がない。しか
しBは英文の内容が問3に関係するので少々厄介である。また、Ⅰ・Ⅱよりも細かい知識を必要とする問題が多
いので要注意。なお、一般的な知識問題である問2・問4・問7の解説は省略する。
問1.いわゆる第2次産業革命の際に、イギリスは後発の合衆国やドイツに押されて「世界の工場」の地位から
転落したので、ウは明らかな誤文。他は標準的な内容の正文であるから、平易な正誤判定問題である。
問3.史料文Bでは、ソ連のアフガニスタン侵攻への批判やエジプト=イスラエル平和条約の重要性について言
及している。しかしそれらを考えると、アのカーター大統領とイのレーガン大統領の2つが候補となり迷わされ
てしまう。だが文中でエジプト=イスラエル平和条約を“notable achievement”
、すなわち特筆すべき成果と強
調している点から、それを仲介したカーター大統領が自賛していると見る方が自然であろう。
問5.ソ連に抵抗するアフガニスタンの現地勢力に対し、実は合衆国は武器支援も行っていたのでイが誤文。し
かしこれは戦後の現代史の中でも非常に細かい知識であり、受験生の側では判断が困難であろう。一方でア・エ
は標準的な内容の正文なので除外できる。そしてウが正文だと判断できればイが正解と割り出せるが、ターリバ
ーンに関する知識が必要となる。だが近年、9・11テロ、アルカーイダやターリバーンに関する出題は定着しつ
つあるので、早稲田の志望者であれば押さえておくべきであろう。
問6.アフガニスタンがイギリスの保護国とされたのは、第2次アフガン戦争の結果であるからエが誤文。イ・
ウは標準的内容の正文。一方、アでの“ドゥッラーニー朝”の語句はかなり細かいが、知識になければ無理に判
断せず、エの明らかな誤りを優先してエを選べばよい。
問8.アラブ連盟については、パレスチナ戦争とも関連するので、主要な諸国は押さえておくべき。そうしてお
けば、ア・ウ・エの諸国が参加したことは見抜けるので消去法的にイを選べる。
問9.個々の事件の年号の暗記よりも、キューバ危機(1962)がケネディ政権の直面した重要事件だと理解してい
れば、1970年代より以前のことだとすぐ判断できるはず。
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問10.ア・ウは、戦後の現代史としては標準的内容の正文だと判断できるはず。一方、エの内容はやや細かいも
のだが、近年のエジプトがアラブ諸国の中で特に孤立している印象はないはずなので、疑いを持つべき。実際に
はムバラク大統領の下で関係修復は行われ、アラブ連盟にも1989年に復帰している。またイの「脱退」は、正確
には「除名」なので微妙な表現だが、イとエを比較して判断すると内容面が疑わしいエが正解だと割り出せるだ
ろう。
Ⅳ
1960年代までのパレスチナ問題の経緯
解答
問1.ウ
問2.エ
問3.エ
問8.エ
問9.エ
問10.ア
問4.ウ
問5.ア
問6.ウ
問7.イ
解説
今年度の中ではもっとも難易度の高い大問。パレスチナ問題を題材に、教科書に記載例がほとんどない非常に
細かい知識を必要とする問題を多く含んでおり、高得点は難しい。そうした難問については、論理的に選択肢を
なるべく絞り、正答の可能性を上げる努力はしておこう。なお、一般的な知識問題である問1・問10の解説は省
略する。
問2.かなりの難問。パレスチナ分割案(1947)におけるイェルサレム市の扱いに関する知識はやや細かい。しか
し、この時点でイギリスは現地の委任統治を放棄しているのだからウは除外できる。またユダヤ・イスラーム両
教の聖地のため、アラブ人国家・ユダヤ人国家のどちらに帰属しても両者の衝突が不可避と思われるため、ア・
イの可能性は薄いと判断すべき。結局、国際連合の管理下というエの可能性が高い。以上のように比較して考え
れば正答は不可能ではない。
問3.第一次中東戦争(パレスチナ戦争)の参加国をすべて記憶しておくことは非現実的だが、地理的に考えてみ
よう。イランはイスラーム国家だがアラブ系ではなく、またイスラエルからは離れすぎているため、選択肢を比
較すればエを選ぶべきである。
問4.国連難民高等弁務官事務所(UNHCR)の語句は、教科書にもほとんど記載例のない非常に細かい知識。他の選
択肢も紛らわしい名称であり、正答は非常に困難である。解けなくとも気に病む必要はないだろう。
問5.ここでは流れで考えよう。ナセルらによるエジプト革命と第二次中東戦争(スエズ戦争)の影響を受け、ほ
どなくして発生したのはイラク革命。そのイメージがあれば、 e
(1958)の革命はイラクだと予想がつく。ま
た、ヨルダン・モロッコ・サウジアラビアで革命は起こっていないのでイ・ウ・エは非常に疑わしい。総合的に
見てアが正解だと割り出せる。ヨルダン・モロッコ・サウジアラビアはいずれも、親米・親西欧的な国王が独裁
的王政を続けている国々である。
問6.
“六日間戦争”は第三次中東戦争(1967)の別名なのでウが誤文。ア・イ・エは標準的内容の正文であり、正
答は容易である。
問7.かなりの難問だが、論理的に絞り込んでいこう。まず米軍主体の多国籍軍というのは湾岸戦争(1991)での
ことなのでアは除外。日本の陸上自衛隊がこの時期に参加するはずがないのでウも除外。しかしエジプトの受け
入れ同意という非常に細かいポイントのためイは判断が困難。エも迷わされる。しかしイ・エを比較すると、正
式な国連軍の派遣ならば常任理事国である英・仏が拒否権を行使するだろうから、エの可能性は薄いはず。した
がってイを選ぶべきである。
問8.これは受験生にはあまりに厳しい難問である。 m
のエルサルバドルについては、教科書での記載例も
なく、また地理的に考えてもどれも中米なのでア~エを区別する手段はない。 n
についてもア~エのすべて
がアフリカ諸国なので特定ができない。ルワンダの虐殺の年号を1994年と暗記していない限り正答は難しい。
問9.これも難問。第三次中東戦争(六日間戦争)におけるイスラエルの占領地としては、シナイ半島・ゴラン高
原・ガザ地区を押さえておくことは重要だが、それだけでは正答を特定できない。細かすぎる知識問題であり、
解けなくとも気にする必要はないだろう。
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