校長だより H26年度 NO.11 平成27年1月1日 未(ひつじ)年 の 元 旦 岐阜市立岐阜商業高等学校 校長 林 田 仁 新年を迎えるに当たり、ふと、この世に生を受けて58回目となる今年に思いを馳せて みました。干支(えと)は12年で一巡するため、60歳で迎える「還暦」は丁度5回り目 が終わる年に迎えます。そして、今年と同じ未(ひつじ)年の元旦は、私にとって昭和42 年に10歳で初めて迎えて以来、これまで都合5回迎えたことになるのです。 先ず最初に迎えた昭和42年は、ツイッギーが来日してミニスカートが大流行し、グル ープサウンズが歌謡界を席捲した年です。小学4年生の私は、幼稚園の年長から続いた言 いたい放題、やりたい放題の「ガキ大将政権」が終焉を迎え、クラスメイト全員から「総 スカン」の仕打ちにあって対人関係の大切さをじっくり考えさせられた年でした。 22歳で迎えた昭和54年には、国公立大学の共通一次試験が始まり、ウォークマンが 売り出され、そしてインベーダーゲームが大流行しました。大学4年生の私は、岐阜県の 教員採用試験を突破すべく、焦りながらも進まない試験勉強にいらつきながら、棒高跳の 練習中に左膝半月板損傷等の大怪我を負ってしまった年でした。 34歳で迎えた平成3年は、ワンレン、ボディコン、ソフトスーツが大流行し、ジュリ アナ東京のディスコブームが巻き起こった年です。既にバブル景気には陰りが見え始めて いました。県立各務原東高校で「陸上漬け」の私は、教え子が平成元年の高知でインター ハイ初出場を果たし、翌年の宮城へと繋げたものの、この年の静岡には駒を進められずに 連続出場が途絶えた年になってしまいました。 46歳で迎えた平成15年はiPodが売り出され、宮崎駿監督の「千と千尋の神隠し」 が大人気となった年です。本校赴任10年目の私は、生徒指導主事を任されながら相変わ らず「陸上漬け」の毎日でした。荒天続きの長崎のインターハイで初出場の女子リレーが 決勝へ進出する中、岐阜からは市岐商野球部「第85回全国高等学校野球選手権大会出場」 の知らせが届き、多忙な夏休みだったことがつい先日のことのように思い起こされます。 また、長崎で失敗した男子ハンマー投が、その秋の静岡国体で準優勝を果たして選手を抱 きしめながら号泣したことも忘れられません。 振り返れば、最後に少し持ち直したものの、過去5回迎えた「未(ひつじ)年」は干支の 数で分けて比べると、私にとってあまり良い年ではなかったのかもしれません。 さて、今年はいったいどんな年になるのでしょうか。 ・・・私が置かれた立場は過去4回 と大きく変わりました。校長として生徒、職員が日々安心して学校生活を送り、保護者や 卒業生、地域の皆様から絶大な信頼をいただけるように、平常時にはどっしりと構え、緊 急時には迅速かつ公正な判断の下、適切な指示を繰り出していかねばならないのです。 「あまり良い年ではなかった。 」などと言ってはおられません。平成27年度は、本校関係 者の誰からも「良い年だった。 」と感じていただけるよう、微力ながら鋭意努力してまいり ます。 ◇ そして、次回70歳の「古希」で迎えられるであろう12年後の未(ひつじ)年には、 矍鑠(かくしゃく)とした姿で「市岐商デパート」に買い物に訪れる元気な老人でいられる ことを願っています。
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