商品開発・マーケティングセミナー(2 回シリーズ) 第 1 弾「超成熟市場での価値創造の新たなマーケティング」 第2部 講演「冷凍食品の海外展開~味の素冷凍食品の北米展開~」 講師 味の素冷凍食品株式会社 代表取締役社長 吉峯 英虎氏 アメリカで冷凍食品ビジネスをスタート 第 1 部で味の素はグループ全体で 1 兆円企業とのご紹介をいただ きましたが、2000(平成 12)年に味の素冷凍食品の社長に就任した 私のアメリカでの冷凍食品ビジネスは、売上 6 億円という小さいと ころからスタートしました。現在は約 130 億円を達成しており、来 年には後でお話しするウィンザー社の買収によって 900 億円ほどに 達するかと思いますが、本日は、今日に至るまでの経緯をお話した いと思います。 1909(明治 42)年創業の味の素は、1917(大正 6)年にはアメリ カに進出し、現在は 22 の国・地域に拠点を持ち、130以上の国 と地域で製品を販売しています。発展途上国におけるビジネスモデ ルである東南アジア型の展開と欧米での展開は大きく異なっていて、 日本よりも食産業が進んでいるアメリカ、それぞれの食文化が確立 されているヨーロッパでの展開についてはとても悩んでいました。 味の素の事業には二つの側面があります。「味の素」や「ほんだ し」をはじめとする調味料に関わる技術と、食用アミノ酸、甘味料、 飼料用アミノ酸といったアミノ酸に関連する技術をもって事業を展 開してきました。日本では 50 年ほどをかけて、アミノ酸の一種、 グルタミン酸ナトリウム(MSG)を主成分とした「味の素」をベー スに風味調味料化、メニュー調味料化、冷凍食品化を行ってきたわ 1 けですが、東南アジア型の海外展開においても、この「味の素」自 体の存在がどんどん隠れて進化していくパターンを踏襲しています。 それによって古くはタイ、インドネシア、近年ではベトナムで大き な事業をつくることができました。アフリカのナイジェリアでも同 じパターンで順調に成長を遂げています。ところが欧米では、この 勝ちパターンが通用しませんでした。先ほど述べたように、アメリ カへの進出は大正時代ですが、調味料中心の事業展開は大きな成果 を上げられませんでした。冷凍食品でも過去3度失敗しております。 4 度目のトライを始めたのが、2000 年だとお考えください。 アメリカ進出にあたり現地企業を買収した理由 冷凍食品は東京オリンピックを機に事業化されていて、日本の冷 凍食品メーカーの多くは約 50 年の歴史を持っています。各社が海 外に生産基地を持つようになったのが 1990(平成 2)年頃。味の素 はその時期に台湾や韓国で冷凍食品の販売を試みましたが、日本向 け製品をそのまま売ることをしていたため失敗に終わりました。 ちなみに 2000 年時点での味の素の冷凍食品事業における売上高 は 850 億円ほどで、海外での売上はゼロ。つまり 4 度目のアメリカ 進出は、海外における冷凍食品販売のスタートと言えます。2003 (平成 15)年にはヨーロッパでの販売も開始し、現在は日本国内の 売上が約 1000 億円、海外は約 180 億円です。 アメリカ進出に際して、当社は年商 10 億円のアメリカの企業を 買収しました。事業を整理したため 6 億円くらいからのスタートと なったわけです。アメリカ進出に 3 回も失敗した原因は生産を委託 したことにあり、当社のノウハウを生かしてアメリカの食生活に適 した商品を提供するためにも、現地に開発・生産の拠点を持つこと が不可欠だと考えました。また、日本の冷凍食品に使う牛肉やポテ トなどを安く調達することが可能となるため、味の素全体の冷凍食 品事業に貢献できるという思いもありましたね。 進出 2 年目、いくつもの試練に直面 現地で最初にやったことは大きく三つ。一つは長期的事業目標の 設定です。1.5 兆円のアメリカ冷凍食品市場において、どのくらい の事業規模を狙うのか。私は、2005(平成 17)年には 30 億円を販 2 売して利益の出る会社にしよう、2010(平成 20)年には 100 億円を 売り上げて次の投資を考えようと思っていました。 もう一つは、前の会社から継承した 200 以上にのぼる製品一つひ とつの成長性・収益性の把握と事業の選択です。製品は 70 アイテ ムに絞り、翌年には利益が出ない日本への輸出事業の縮小を行い、 機内食をはじめとする現地 OEM 事業の拡大、アメリカのアジア市場 における丼物の販売強化を行いました。 また、アメリカに地盤を置いて事業を展開するために、アメリカ 人のコンサルタントを雇い、6 ヵ月間、全てについて一緒に考えま した。これによって私の考え方はアメリカ的になり、会社全体の雰 囲気や意識も少しずつ変わっていきます。当初は全ての部門で日本 人がトップを務めていましたが、開発、生産、人事のトップをアメ リカ人に替えました。 そんな矢先に、数々の試練が訪れます。2001(平成 13)年 9 月 11 日にテロが起こり、その影響で売り上げの 10%を占めていた機 内食事業がなくなりました。さらに同時期、アメリカでの狂牛病・ 鳥インフルエンザの発生を受けて日本向けの牛丼や焼き鳥丼の輸出 が禁止となり、事業転換を余儀なくされたのです。 メインストリーム市場に向けた商品展開を始動 そこでアメリカ上陸 3 年目にあたる 2002(平成 14)年以降は、 アメリカ国内のアジア市場に向けた販売の強化に着手しました。当 社が得意としていたにも関わらず、それまでアメリカでは展開して いなかった餃子・焼売の販売をスタートします。また 2004(平成 16)年には、日本への輸出をゼロにした上で、アメリカのメインス トリーム、つまりアメリカ人をターゲットにした商品の開発・販売 に踏み切りました。手始めが、ウェアハウス・クラブ(会員制倉庫 型卸売小売)チェーン、コストコにおける OEM ピラフの展開です。 販売チャネルとして、ウォルマートをはじめとする通常のスーパー マーケットではなくウェアハウス・クラブを選んだのは、アジア人 と違ってアメリカ人は「味の素」という会社を知らず、当社製品に ブランド力がなかったわけです。クラブストアは値入率が低いうえ、 利用者から「ここが選んだ製品はおいしい」というストアロイヤリ ティーで信頼を得るビジネスモデルですから、私たちの製品のよう に品質はいいがブランドの力はない製品にとって、最も適切だと考 3 えたのです。 結果、2004 年はアジア市場で約 10 憶円、メインストリーム市場 で 5 億円ほどを売り上げました。当社製品の認知度が高まったこと で、2006(平成 18)年にはメインストリーム市場の売上も約 10 億 円をマーク。そして 2007(平成 19)年後半、売上総額が 35 億円を 超えたところでついに収支がプラスに転じます。2010 年にはウォル マートなどスーパーマーケットとの取引も始まり、2013(平成 25) 年度は売上 138 億円、利益 15 億円を達成しました。 強みを活かした商品開発と現地人材の活用が成功の秘訣 進出から 7 年半を要しましたが、何とか利益が出るところまで持 っていくことができた要因の一つは、得意とする分野で勝負したこ とだと思っています。日本食のおいしさやヘルシーさ、当社ならで はの品質の高さなどはそのままに、現地に合わせてアレンジを加え れば売れる、という確信がありました。メインストリーム市場向け の商品群はアジア市場向けとほぼ同じ構成で、同じ機械を使って作 っていますが、全く異なる味にしたり、米の種類など材料も変えた りすることでマッチングを図っています。 そして最も重要なポイントは、単に商品を変えるだけではなく、 会社のマインドセットを変えたことにあります。メインストリーム 市場への展開を始めた時点で、開発、製造、販売といった各部門の トップはアメリカ人が務めていましたし、マーケティング部門の人 材は完全に現地採用としました。日本やアジアの流通においてはい わゆる問屋が介在しますが、アメリカの場合はその限りではありま せん。例えばウォルマートは直接仕入を行っていて、軒先渡しのケ ースもあります。メーカーがフルサービスを行うのではなく、商談 ならブローカーに、物流なら運送業者に、あるいは一括してマーケ ティングに特化した会社に委託するなど、それぞれのプロに任せた ほうが効率的でコストを削減でき、儲かる仕組みになっているので す。言い換えると、そういう場所で戦っていくためには、プロに任 せなければ儲からないんですね。そのルートを開拓すべく、現地で 採用した人材を最大限に活用しました。 現地の文化と日本の長所を融合させたテーラーメイドの経営を 4 これらの経験を踏まえ、海外事業参入の際に考えるべきポイント を挙げるとすれば、まず一つは基本戦略です。自社が持つ技術の優 位性を把握した上で、事業のドメインをどこに置き、その事業をど のくらいの規模まで持っていくのかを考えるということです。私は 「5 年後に売上 30 億円で利益を出し、10 年後に売上 100 億円を達 成」という絵を描きましたが、ぶれることなく様々な決断をするた めにも、最初にそういうことを決めておくということが大切だと思 います。 日本とは異なる環境で戦うという認識も不可欠です。当社はその 認識に基づき、現地の食文化に対して具体的なイメージを持つこと に努めたり、自社製品に適した業態を選んだりすることが必要でし た。また、アメリカのメインストリームをターゲットとするならば、 日本のディストリビューターだけでの展開には限界があります。現 地のディストリビューターを自分たちで開拓できないならば、開拓 できる現地の人材を雇うべきです。 運転資金は、ある程度の余裕を持ってスタートするのが賢明です。 私は 3 年目から返済すればよいと考え借入金で賄いましたが、なか なか思うようにはいかず、実際に返せるようになるまでには 7 年半 を要しました。1 年目は 5 億円のマイナスでしたが、これは毎週 1 千万円の赤字が出るという状態で、続くと元気がなくなってしまい ます。「ここまでマイナスを出してもいい」というラインを決めて おくことも大事です。 組織運営に関しては、16 ヵ国もの人材が在籍し、うち英語が通じ る従業員の割合が 75%だった当社では、ボーナスのダウン一つとっ ても大変でした。アメリカの場合、その覚悟は持っておいたほうが よいと思います。そして、事業はアメリカ的なマインドで動かす一 方、社内ではオープンドアポリシーを実践したり、毎日工場に入っ て一緒に食事をとったりすることで従業員とのコミュニケーション を図っていました。日米いずれかのやり方に偏るのではなく、組み 合わせることが、成功の一つのキーワードです。現地の文化と日本 の長所を融合させたテーラーメイドの経営を作っていくことが大切 なのではないかと考えています。 日本食・アジア食の冷凍食品市場における北米№1 を目指す 約 4 兆円と巨大な北米の冷凍食品市場は安定的な成長を続けてお 5 り、中でも日本食・アジア食市場をはじめとする、ヘルシー・高品 質といったキーワードで差別化された市場は著しく伸びています。 そこでさらなる事業規模拡大を実現すべく、当社は 2014(平成 26)年 11 月、アメリカにおけるアジア食の冷凍食品市場でトップ シェアを誇る年商 700 億円のメーカー、ウィンザー・クオリティ・ ホールディングス社を買収しました。ウィンザー社は全米に 7 つの 生産拠点と 3 つの流通センターを持ち、製品の取扱店舗数は約 8 万 店と幅広いうえ、取扱レストラン数も約 12 万店にのぼり、外食向 けの営業基盤も強固です。このネットワークを活用して当社製品の 販売を加速するとともに、当社の技術をもってウィンザー社の製品 を進化させることによって、北米冷凍食品市場における日本食・ア ジア食の圧倒的№1 を目指す所存です。 6
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