北部ケルマディック島弧の熱水性魚類から同定された 新規の恒常性維持システム ― 極限環境適応に注目した医生物学モデルの開拓にむけて ○滋野修一(海洋研究開発機構)・Malcom Clark(NIWA)・Ashley A. Rowden(NIWA)・Kareen Schnabe(NIWA)・Rachel Boschen(ビクトリア大)・山本正浩・土田真二・藤倉克則(海洋研究開発機構) 高温、貧酸素、そして酸性の環境下においては生体内の酸化ストレスが著しく増加し、癌、腫 瘍、老化、脳梗塞、神経変性疾患などの死亡因や重篤な障害を引き起こすことが知られている。近年、 同様もしくはそれ以上の過酷な深海熱水域の近傍では有毒である活性酸素が生体内で多産されやすい 状態であることから、その極限環境に適応した動物種から高い抗酸化ストレス能をもつ特殊な生体素 材、生理活性物質や関連分子の発見が期待されてきた。しかし、系統的にヒトに近縁であり、比較対 象種として重要な脊椎動物の研究例はこれまでにほとんどなく、そのため医生物学的に有用な素材は きわめて未開拓な状態であった。本研究では、初めて深海の熱水適応魚類の適応機構を明らかにする ため、北部ケルマディック島弧ヒネプイア海山の熱水噴出孔周辺に多数生息していた小型で飼育維持 が容易なアズマガレイの一種(Symphurus sp.)に注目し、特殊な細胞や組織構造が存在するかどうか を網羅的に精査した。特に外部環境に直接暴露される鰓や上皮、そして酸化ストレスに弱いとされる 神経細胞および脳を中心に透過型顕微鏡や分子マーカーなどを用いて調べた。その結果、体部の上皮 全域に抗酸化の場であるミトコンドリアを多数含み、微絨毛様の構造が発達している細胞が同定され、 それらの細胞が体全体に広範に分布していることが分かった。これは従来鰓のみに局在する塩類細胞 に大変類似していたものの層状構造を有することが異なり、もっとも発達した顎部腹側では四種の細 胞タイプからなる多層構造を構成した。個々の細胞は微絨毛が細胞外領域に樹状に拡張し、全体とし て水平方向にグリット状に配列されていた。これら細胞群の一部はプロトンポンプ(vacuolar H+-ATPase)やナトリウムポンプ(Na+/K+-ATPase)を高発現したが、他の細胞は低発現であるため別 のイオン調節能をもつ細胞群からなる分業化が行われていることが示唆された。また、その脳にはと くに酸化ストレスに弱いとされる運動ニューロンでグリア細胞の被包や細胞外マトリックスが発達し、 逃避運動を司るマウスナー細胞からの繊維が沿岸性のヒラメ類と比較して肥大化し、血液脳関門には 通常見られない濾胞状構造が同定された。これらの結果は、いずれも過剰に生産される酸化ストレス に対する耐性能を上げるための構造もしくは外部酸性環境の過剰な水素イオンやナトリウム毒性を調 整し、安定した体内の浸透圧や恒常性を維持するためのイオン調整システムが特殊化したものとみな された。現在、RNA シーケンス解析から特殊なイオンポンプや受容体、細胞外マトリックス、そして生 理活性物質関連遺伝子の単離を網羅的に行っている。それらは従来知られていない還元環境に適応し た生体材料として、また新規の医生物学素材のシーズとして提供されることが期待される。
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