要 旨 不快な胸焼けに襲われてふと思い起こす のは、我々の胃内部が pH 1 という強酸性状 態に曝されているという事実である。これ は食物の消化にとって重要であり、また外 部からの病原体に対するバリアとして機能 する一方、この酸性環境が自身を傷つける ことで胃潰瘍や逆流性食道炎の原因となる。 胃プロトンポンプ H+,K+-ATPase は胃酸分 図 1 胃プロトンポンプ H+,K+-ATPase 泌を担う膜タンパク質であり、胃酸抑制剤 の薬剤標的分子としても知られる(図 1)。特筆すべきは胃管腔(pH 1)と細胞内(pH 7)の間に 100 万倍もの H+濃度勾配を形成維持していることである。このような 106 倍ものカチオン濃度勾配は、自然界に存在するどんなイオンポンプにも達成 できない。P 型 ATPase に分類される H+,K+-ATPase は、なぜ?どのようにして巨 大なカチオン濃度勾配を作り出し維持しているのか?この生物学の重要な問題 に対して、生化学的機能解析と電子線結晶構造解析によってアプローチしている。 E2P 状態の構造を 6.5Å で決定すること で、我々は-subunit の N 末端が、リン酸 化(P)ドメインと直接結合していることを 見出した。このサブユニット間相互作用 は E2P 状態を安定化し、逆反応である E1P 形成を押さえる『ラチェット』のように 機能していることを変異体の解析によっ 図 2 ラチェットモデル て明らかにした(図 2)。細胞内外での急 峻な H+濃度勾配は反応サイクルを逆回転 させる強い圧力となる。H+,K+-ATPase はその分子内にラチェットを備えることで 輸送サイクルが正方向にのみ進行することを担保し、100 万倍の H+濃度勾配に抗 っていると考えられる(Abe et al. 2009)。 E2P を脱リン酸化して反応サイク ルを正方向に進行させる K+の同族 体 Rb+の結合した E2P の遷移状態 (Rb+)E2~P の構造解析を行い、その 膜貫通領域に 1 つだけ Rb+が結合し ている状態を捉えることに成功し た(図3)。ATP の化学エネルギーを イオン濃度勾配へと変換するとい う特性上、イオン輸送化学量論は 100 万倍の H+濃度勾配を作り出す 図 3 Rb+結合構造 為の鍵となる。過去の報告では、中性条件化において 1 分子の ATP 加水分解当た り、起電性を伴わない 2 つの H+と 2 つの K+が対向輸送されるという結果が得ら れている。しかしながら、1 分子の ATP 加水分解で得られる自由エネルギー(-13 kcal/mol)では、2 つの H+を同時に輸送した場合に pH 差にして 6 ユニットの H+電 気化学ポテンシャル (-16.7 kcal/mol)を作り出すことは熱力学的に不可能である。 従って、限られた ATP の化学エネルギーを効率的に利用する為に、H+,K+-ATPase はイオン輸送化学量論を pH に応じて 2 つから 1 つへの変化させることで、100 万倍もの H+濃度勾配を達成できると考えられる(Abe et al. 2012)。 胃酸抑制剤のプロトタイプとの共 結晶を構造解析することで、このクラ スの薬剤が引き起こす構造変化と、こ れに伴って形成される結合サイトを 同定し阻害剤の結合様式を示唆した (図 4)。阻害剤の結合は膜貫通部位に 起こるにもかかわらず、この構造変化 は細胞内ドメインを含む分子全体に 渡り、Ca2+-ATPase に見られる構造変 化に酷似していた。このことは、ATP の加水分解を担う細胞内ドメインと、 図 4 阻害剤結合構造 イオン結合部位の動きが高度に共役していることが P 型 ATPase にとって重要で あることを示している(Abe et al. 2011, 2014)。 参考文献 1. Abe K, Tani K, Nishizawa T, Fujiyoshi Y. (2009) Inter-subunit interaction of gastric H+,K+-ATPase prevents reverse reaction of the transport cycle. EMBO J. 28: 1637-1643. 2. Abe K, Tani K, Fujiyoshi Y. (2011) Conformational rearrangement of gastric H+,K+-ATPase with an acid suppressant. Nat. Commun. 2: 155. 3. Abe K, Tani K, Friedrich T, Fujiyoshi Y. (2012) Cryo-EM structure of gastric H+,K+-ATPase with a single occupied cation-binding site. Proc Natl Acad Sci USA. 109: 18401-18406. 4. Abe K, Tani K, Fujiyoshi Y. (2014) Systematic comparison of molecular conformations of H+,K+-ATPase reveals an important contribution of the A-M2 linker for the luminal gating. J Biol Chem. 289: 30590-30601.
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