再発見 美しい日本 石見銀山遺跡の 世界遺産登録から5年 その真の価値を 内外に向けて発信 まちづくり 最前線 島根県大田市 2 0 0 7年 7月、 ﹁石見銀山遺跡 とその文化的景観﹂が世界遺産に 登録された。その過程で特筆され るのは、官民が一体となって遺跡 の保存・活用について議論を重ね、 持続可能な地域づくりを目指して ﹁石見銀山行動計画﹂を策定した ことだ。登録から丸5年が経過し、 観光客数の面から見れば〝世界遺 産効果〟は一段落したように見え る。しかし、同計画に基づく住民 主体のまちづくりは着実に成果を 上げつつある。500年も前に自 然と共生した鉱山経営を行い、産 出された銀が世界の経済・文化交 流に重要な役割を果たしたという 登録理由は、人々に改めて郷土へ の誇りを呼び覚ました。Uターン した若者が旅館組合の協力を得て 定期的に神楽の公演を行うなど、 新しい動きも生まれている。 ︹写真︺龍源寺間歩 江戸時代中期、代官所直営の間歩 ︵銀を採掘した坑道︶として操業 されていた。現在は坑道内部を歩 きながら見学できるように一般公 開されている。 鉱山に隣接して発展した大森地区は、江戸時代に 形づくられた陣屋町で、重要伝統的建造物群保存 地区に選定されている。 石見銀山世界遺産センター 銀山で働いて亡くなった人や祖先の霊を供養する ために、25年をかけて造られた五百羅漢寺 石見銀山は1526年、博多の豪商・神屋寿禎によって発見さ 発足。1998年ごろから世界遺産登録の動きが活発化すると、 れたと伝えられる。以後約400年にわたって採掘されてきたが、 大田市との間で毎月意見交換会を開き、住民の立場に立った世 とりわけ16世紀半ばから17世紀はじめにかけては繁栄を極め、 界遺産のあり方について相互理解を図った。2004年には、住民 大航海時代に突入した世界の交易を支える存在となった。世界 と行政が一体となって石見銀山遺跡の保存・活用を考えようと 遺産委員会が認めたその価値は、次の3点に集約される。 「石見銀山協働会議」がスタートし、保存会もメンバーとして参 ①世界的に重要な経済・文化交流を生み出したこと……東アジ 加。世界遺産登録後は、激増した観光客への対策も含めて活 アの伝統的な精錬技術「灰吹法」によって生産された良質な銀 動を継続している。大田市教育委員会石見銀山課調査整備係 が、世界的規模の交易に利用された。 副主任の渕橋洋祐さんは、 「住民の意識が高く、世界遺産登録 ②伝統的技術による銀生産方式を豊富かつ良好に残しているこ のずっと以前から主体的に町並み保存などを進めている」と、 と……露頭掘り跡や坑道跡が今も600か所以上残り、その周辺 保存会の活動を高く評価する。 には精錬工房や関係者の生活跡も多数残されている。 石見銀山協働会議は、2006年3月に石見銀山行動計画を策 ③銀の生産から搬出に至る全体像を不足なく明確に示している 定した。石見銀山の価値を「遺跡とともに、それを取り巻く自然 こと……採掘から精錬まで行われた鉱山跡、外敵から鉱山を や、生き生きとした人々の暮らしが調和している姿」にあると捉 守った城跡、物資を輸送した街道と積み出し港など、鉱山運営 え、それを守り育み、伝え、活かしていくための行動指針を明ら の全体像を見通すことができる。 かにしたものだ。協働会議は2010年にNPO法人となり、計画に また、いったんは延期の方向で進んでいた審査を登録へと転 も明記されている「石見銀山基金」の運用などを担う。基金は 換させる決め手となったのが、環境に配慮した鉱山運営を行っ 島根県・大田市の拠出金と民間からの寄附を積み立てたもので、 ていたことだ。山を崩したり森林を伐採したりせず、狭い坑道 2011年度からは協働会議が公募した銀山遺跡の保存や伝統文 を掘り進んで採掘する方式が採られ、森林資源が適切に管理さ 化の振興、情報発信などの活動を支援するために使われている。 れてきた。現在では遺跡が周囲の自然と一体化し、貴重な景観 2012年、世界遺産登録5周年を迎えた大田市では、市や観 を形成している。 光協会・商工会議所をはじめ官民による実行委員会を組織して 世界遺産のコアゾーンの1つで、国の重要伝統的建造物群保 記念事業を企画。 「石見銀山ウオーキングミュージアム」と銘 存地区にも選定されている大森地区。江戸時代に天領となった 打ったキャンペーンを、約半年間にわたって展開している。その 石見銀山の陣屋町として発展し、武家屋敷と商家が混在する特 1つが「らとちゃん缶バッジキャンペーン」 。らとちゃんは5周年 徴的な町並みが形づくられた。一帯はその面影を今も色濃く残 記念事業のマスコットキャラクターで、 「らと」は螺灯(間歩と し、2010年3月に電線の地中化が完成した家並みはすっきりと 呼ばれた坑道を歩くのに使われた、サザエの殻を利用した灯り) 美しい。 に由来する。らとちゃんがデザインされた缶バッジを100円で購 同地区では1957年、全戸加入により大森町文化財保存会が 入・提示すると、さまざまな店舗や施設で割り引きやグッズ進 歴史と文化の香りが漂う町並みには古民家を活かした ショップもあり、人気を集めている。 石見銀山の外港として栄えた温泉津は戦国武将や文 人墨客も逗留した温泉町だ。 温泉の宿泊客を楽しませる「石見神楽」 呈などのサービスが受けられる。 「神楽で温泉津を元気にしたい」 との思いで神楽団の立上げを仕 掛けた小林泰三さん 術の力だと思う」と小林さん。 また期間中の毎週末には、大森地区にある銀山公園駐車場で 石見銀山を訪れる観光客は、2008年に80万人を超えた。世 「銀山ウオーキングミュージアム劇場」が開催されている。神楽 界遺産登録前と比べると、優に2倍以上の数字だ。現在は50万 や太鼓などの伝統芸能を中心とした公演で、地元の小中学生や 人ほどに落ち着いており、客層も団体から個人へとシフトしてい 高校生が出演する回もある。このイベントを主催する大田市観 る。大田市観光振興課の川島穂士輝課長は、 「大田市には三瓶 光協会の山﨑紀明専務理事は、この5年間を「石見がメジャー や仁摩など、他にも魅力的な場所が多い。今後はゆっくり市内 な存在になり、全国からお客さんが来てくれるようになった」と を周遊してもらえるような滞在型観光を推進していきたい」と語 評価。その一方で、 「この地域に見合ったお客さんの量と質をど る。また、同課主事の福田倫之さんは「5周年を、地元の人た う求めていくかが今後の課題」と話す。 ちがもう一度石見銀山の価値を見直す契機にしたい」と強調。 大森地区と銀山街道で結ばれ、温泉街としては唯一の重要 6年前に協働でまとめた行動計画に示されているように、 「持続 伝統的建造物群保存地区となっている温泉津。その中心部に位 可能な石見銀山スタイルの地域づくり」を、住民とともに追求し 置する龍御前神社では、毎週土曜日に夜神楽が上演されており、 ていく考えだ。 ヤマタノオロチなどを題材とした迫力ある舞が宿泊客を楽しま せている。仕掛け人は、温泉津生まれの小林泰三さんだ。京都 造形芸術大学を卒業後、そのまま同大学に就職し、ある夏に学 生を連れて故郷へ遊びに来た。そのとき訪れた福光海岸の美し さに一同が感激し、小林さんにとっては子どもの頃から身近な 芸能であった神楽をここでやったら面白いという話に。そのアイ デアは、大学の学外授業「温泉津プロジェクト」として結実し、 毎年「海神楽」を上演するようになった。3年前には、 「神楽で 温泉津をもっと元気にしたい」と、大学を退職してUターン。 大田市観光協会専務理事の山 紀明さん 大田市教育委員会の渕橋洋祐さん 温泉津にはもともと神楽を上演する団体=社中がなく、15年 ほど前に小林さんたちが立ち上げた「温泉津舞子連中」も、ボ ランティアとして細々と活動を行っていた。しかし、その地道な 取り組みが次第に地元の人々に認められ、平成22年より始まっ た夜神楽定期公演は旅館組合が主催という形で全面的に関 わっている。 「地元の人たちが率先して舞台の修理などをしてく れるのが嬉しい。それも、理屈抜きに人の心と体を揺さぶる芸 大田市観光振興課長の川島穂士輝さん 同課主事の福田倫之さん
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