多入力多出力モデルに基づく建築構造物の健全性診断 - Keio University

多入力多出力モデルに基づく建築構造物の健全性診断
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構造ヘルスモニタリング
損傷同定
部分空間法
層剛性
近年の建物や都市インフラの老朽化に伴い,構造健全性に
関わるリスクマネジメントへの関心が高まっている.建物の
安全性を確保するために,常時微動または大地震時における
リスクを迅速かつ定量的に評価する「構造ヘルスモニタリン
グ(SHM)
」技術が重要となる.本研究では SHM 構築のため
のシステム同定問題を扱い,対象構造物の層レベルでの健全
性診断を行うことを目的とする.
建築構造物の応答は多方向成分が連成するため,多入力多出
力(MIMO)モデルに基づく一括解析が望ましい.しかし既往の研
究では,各方向成分ごとに 1 入力多出力(SIMO)モデルを構築す
るものが殆どであった.その背景として,MIMO モデルによる同定
そのものの困難さと,推定されたモードに対応する入出力関係を
明確に特定することの困難さが考えられる.本研究ではこうした煩
雑さや問題点を解決し,部分空間法を用いて多方向成分を一括
評価する,新規性の高い取り組みを行った.
特に免震構造物への適用性を主眼とし,少ない参照センサ
数を最大限に活用したモデル低次元化を行う.実際に,慶應
義塾大学日吉キャンパス新研究棟における地震観測データを
用いて検証する.
2.定式化
2.1 システム同定問題
各層質量が既知である N 層せん断構造物に対して,入力地
震動が作用する際の全層における絶対加速度応答データが計
測されている場合に,各層せん断剛性及び粘性減衰係数を同
定する問題について考える.これらの時間変化を損傷指標と
し,層レベルのオンライン健全性診断を行う.
2.2 層剛性・減衰同定アルゴリズム
提案アルゴリズムは,次のフローチャートに示す通り,大
別して 2 つのステップから成る.
Vibration Response Data
【STEP1】Estimate MIMO Modal Properties
by Subspace Identification Method
【STEP2】Identify Stiffness and Damping
Damage Evaluation
図 1. 提案手法の流れ
【STEP1】 部分空間法を用いて,対象構造物の複素モード
特性を抽出する.基本周期程度の短い解析対象データ区間に
おいて,(1)式で示される ni 入力 no 出力型の線形時不変離散時
間システム表現を仮定する.基準層において計測された加速
度を入力 u ∈ ℜ n ,上部構造において参照される加速度を出力
y ∈ ℜ n とし,MIMO モデル構造を取り扱う.ここで用いる
i
怜毅*1
彰*2
敬一*3
多入力多出力モデル
1.緒言
o
○吉元
三田
岡田
MOESP アルゴリズムは,入出力データの QR 分解や特異値分
解から,システム行列 A,B,C,D を推定する手法である.
x k +1 = Ax k + Bu k
(1)
y k = Cx k + Du k
推定された状態空間モデルから複素モード解析を行い, i 次
モード固有値λi 及び i 次モード形状φi を得る.さらに対象区
間の長さを保ちながらデータ 1 個分ずつスライドさせるオン
ライン処理を行い,モデルの時間変化に対応する.
【STEP2】 モード特性に基づく層剛性及び減衰係数を求め
る.
前ステップで得られた i 次モードの j 層変位φi(j)を用いて,
時間関数を導入した変位 xi(j)(t)を以下のように仮定する.時間
微分により速度,加速度を算出しておく.
x i ( j ) (t ) = φ i ( j ) ⋅ e λ t
(2)
i
i 次モードを用いた j 層における慣性力 fi(j)(t)は質量及び絶対加
速度の線形結合により算出できる.この慣性力はばね力及び
.
ダンパ力と釣り合っており,層間変位 di(j)(t)及び層間速度 di(j)(t)
を用いて表現できる.複数個のモード情報における実部及び
虚部を同時に参照することで,次の連立方程式が得られる.
未知パラメータである層剛性 ki(j)及び減衰係数 ci(j)は,最小 2
乗法により同定される.
k i ( j ) ⋅ d i ( j ) (t ) + c i ( j ) ⋅ d& i ( j ) (t ) = f i ( j ) (t )
(3)
本ステップでも参照するモード情報を 1 個ずつスライドさせ
るオンライン処理を行い,層パラメータを更新する.
提案する健全性診断手法の特徴を以下に挙げる.
(1) MIMO モデルに基づき,多方向成分を一括して解析可能
(2) コヒーレンスの高い基本モード特性から,全層パラメー
タを安定的に同定可能
(3) オンライン処理により,モデルの非線形性に対応可能
3.数値解析による検証
3.1 シミュレーション概要
互いに非連成な並進 X,Y 方向を考慮した,各層質量 1000 ton
の 4 層せん断構造モデルを解析対象とする.剛性及び減衰係
数は,各軸方向で全層同じ値を有するものとする.設定パラ
メタを以下に示す.
表 1. 4 質点モデルの設定パラメタ
Stiffness
Damping
1st Mode
[kN/m]
[kN*s/m]
[Hz]
X-dir.
3.273×105
1.00
3
1.809×10
Y-dir.
1.309×106
2.00
対象モデルにランダム入力加振を行う際,振動開始 5 秒後
から 3 層の X 方向剛性を徐々に低下させる形で,損傷を仮定
した.サンプリング振動数 100Hz,継続時間 10 秒間とし,モ
デルの非線形応答を Wilson θ method により算出した.観測
雑音として,入力の 1%にあたる白色雑音(入力とは独立)を
考慮した.
Diagnosis of Structural Integrity for a Building Using Multi-Input Multi-Output Models
YOSHIMOTO Reiki, MITA Akira, OKADA Keiichi
3.2 提案手法の検証
X,Y 両方向の地盤加速度を入力,各層加速度を出力とする
2 入力 8 出力モデルを構築し,応答データに提案手法を適用す
る.まず【STEP1】に従い,解析対象区間を 1 秒分として部
分空間法を適用した.20 行 80 列ハンケル行列の特異値分解に
基づきモデル次数を 16 に固定して,オンライン処理より得ら
れた 1 次・2 次モード振動数の推移を図 2 に示した.これらは
X,Y 方向の理論 1 次モードに対応する極であることから,多
方向成分を一括する MIMO モデルを用いても,各入出力関係
が独立に求まることが明らかとなった.
しかしモードに関する事前情報が得られない通常の場合,
極がどの入出力関係に対応するものか不鮮明である.そこで,
入力による励起の度合いを示す刺激係数を導入する.1 次モー
ドにおける(入力-出力)パターン間の刺激係数の推移を図 3
に示す.(X-X)の安定性から,X 方向の並進モードであると
判断される.刺激係数を用いて,安定的なモードを割り出す
ことができた.換言すると,1 次モードは X 方向のパラメタ
同定に適しているといえる.
これらを踏まえて【STEP2】に従い,1 次モード情報を用い
て同定した X 方向の層剛性を図 4 に示した.ほぼ真値と一致
しており,特に 3 層において 5 秒経過時点からの剛性低下に
厳密に追従することに成功した.以上の数値解析より,提案
手法の理論的な妥当性を検証した.
4.2 免震層の健全性診断
基礎部の並進 2 方向加速度を入力,1 階・R 階の並進 2 方向
加速度及び捩れ加速度を出力とする,2 入力 6 出力モデルを構
築した.解析対象区間を 4 秒間,モデル次数 18 としてモード
解析により得られた 1 次・2 次モード振動数を図 7 に示す.刺
激係数を用いた考察より,1 次が並進 Y 方向,2 次が並進 X
方向の 1 次モードに相当することが判明した.
ここで上部構造における非計測層の1次モード形状を次式
の cos 関数により補間し,モデル低次元化を行った.但し h
は対象層の高さ,H は総階高,βは対象システム固有のモー
ド振動数から決定される定数で,上部構造の底部及び頂部応
答を境界条件として適用することにより決定される.
h 
π
β (1 − )
H 
2
φ1 = cos 
(4)
これらを踏まえ,1 次モード特性から免震層の Y 方向パラ
メータを同定した結果を図 8 に示す.免震層で計測された変
位から 2 秒区間ごとに求めたパラメータと,十分な精度で一
致していることが確認された.
Y
X
図 5. 来往舎の外観
図 2. 低次振動数の推移
図 3. 1 次モード刺激係数
損傷発生!!
4層
3層
図 6. 免震層変位の時刻歴
図 7. 低次振動数の推移
2層
1層
図 4. X 方向の層剛性同定結果
4.実構造物への適用
4.1 建物及び地震の概要
検討対象とする慶應義塾大学日吉キャンパス新研究棟の外
観を図 5 に示す.柱は CFT,梁は S 造のラーメン構造で,地
上 7 階,延床 18606m2,軒高 31m,基礎と 1 階床の間に高減衰
積層ゴムを有する免震構造物である.長手方向を X,これに
垂直な方向を Y 軸とする.建物にはモニタリングシステムが
実装されており,地震時に観測されたセンサ情報はインター
ネットサーバに転送されブラウザから閲覧可能である.2002
年 6 月 14 日午前 11 時 43 分に発生した茨城県南部を震源とす
る M4.9 の地震観測データを解析に供する.基礎部で観測され
た X,Y 方向変位の時刻歴波形を図 6 に示した.応答レベル
を考慮して,10∼60 秒区間を解析対象とする.
*1 慶應義塾大学大学院生
*2 慶應義塾大学助教授 Ph.D.
*3 清水建設株式会社
図 8. 免震層の Y 方向の層剛性及び減衰同定結果
5.結論
刺激係数の導入により,MIMO モデルに基づき多方向信号
成分を一括して評価可能とした.損傷指標としての層剛性は,
信頼性の高いモード情報に基づきオンラインで同定された.
実際の免震構造物を検討対象とし,免震層同定に必要なセン
サ数を大幅に低減した H 上で,提案手法の妥当性を確認した.
謝辞
本研究を進めるにあたり,モニタリングシステム構築には,
清水建設(株)岩城英朗氏及び白石理人氏に御協力戴いた.
ここに記して謝意を表します.
Graduate Student, Keio University
Assoc. Prof., Keio University, Ph.D.
Shimizu Corporation