闇守護業 4《黒刃》 祐太 タテ書き小説ネット Byヒナプロジェクト http://pdfnovels.net/ 注意事項 このPDFファイルは﹁小説家になろう﹂で掲載中の小説を﹁タ テ書き小説ネット﹂のシステムが自動的にPDF化させたものです。 この小説の著作権は小説の作者にあります。そのため、作者また は﹁小説家になろう﹂および﹁タテ書き小説ネット﹂を運営するヒ ナプロジェクトに無断でこのPDFファイル及び小説を、引用の範 囲を超える形で転載、改変、再配布、販売することを一切禁止致し ます。小説の紹介や個人用途での印刷および保存はご自由にどうぞ。 ︻小説タイトル︼ 闇守護業 4︽黒刃︾ ︻Nコード︼ N7005A ︻作者名︼ 祐太 ︻あらすじ︼ 近未来の日本には、荒廃した無法地帯﹃裏社会﹄があった。そん な光の届かぬ闇の世界で、守護を貫く者達がいる。﹃闇守護業﹄第 四話は、中野区支部崩壊の危機!?敵の陰謀から、仲間を救い出せ ! 1 ︽咎人の夢︾ 目覚めよ、咎人⋮⋮断罪の刻限が迫っている。 汝が存在は、世に在ってはならぬモノ。 その魂、全てを我に捧げよ⋮⋮さすれば再び、我は汝に力を与え よう。 いつまで偽善を続けるつもりだ? 浄化されることなき紅に染ま ったその手で? 刃の漆黒は我が闇の深さ。斬れ、斬り殺せ、生きとし生けるモノ 全てを。 さぁ、契約者よ、︽亡者︾よ、再び我に紅を︱︱︱︱。 2 主な登場人物紹介︵前書き︶ 主たる登場キャラクターの紹介です。 ﹃闇守護業﹄はシリーズ物ですが、この紹介を読めば初めての方で もおわかりいただけるかと思います。 3 主な登場人物紹介 りょうへい ﹃闇守護業﹄主な登場人物 そうは 蒼波 遼平⋮21歳 パー ロスキー 紺色のやや長い髪は寝癖でいつもボサボサ、瞳は漆黒。裏警備会 社中野区支部社員の男。元・東京最強のグループ﹃スカイ﹄を裏切 ったため、﹁最低最悪の裏切り者、︽邪鬼の権化︾﹂と呼ばれてい る。 ﹃音の民﹄蒼波一族の末裔で、普通人間には聞こえない超音波を 聞き取り、発する能力を持つ。蝙蝠と意思疎通が可能で、吸血蝙蝠 ﹁宋兵衛﹂と契約を交わしている。肉弾戦が得意。 面倒臭がりでキレやすい。頭の回転は鈍く、ほとんど勘で行動。 ふざけた態度と感情的な言動、かなり野生的。自己中心的な性格。 じゅんや 純也⋮?歳 白銀の髪、ライトブルーの双眸。裏警備会社LK中野区支部の社 員兼治療員担当の少年。見た目は15∼6歳程度で、現在は遼平の アパートに居候中。 2年前、遼平に拾われた時以前の記憶が無く、覚えているのは自 分の名前らしき﹃純也﹄と膨大な医学の知識だけ。どこの誰なのか は一切不明。風を操る不思議な特殊能力があるが、普段は専ら合気 道に近い武術を使う。 穏やかで非常に優しく、記憶力・洞察力に長けるが子供っぽい。 とても知能が高く、感受性豊かで、好奇心が強い。趣味は料理と折 り紙、更に大食い。身長が低く遼平より頭一個分下。人や動物を傷 つけることを嫌い、殺生を憎む。 4 きりべ しん 霧辺 真⋮25歳 金の跳ねた短髪。眼は黒で、皮膚は浅黒い。裏警備会社LKの若 き中野区支部部長。関西弁を話す、自称﹃愛の警備員﹄であり、自 らのことを﹃死人﹄とも言っていた。 普段は腰に下げた木刀で敵を薙ぎ払うが、それは鞘であり、中に 凶刃﹃阿修羅﹄が収まっている。とある流派の剣術を使用するよう だ。 いつもは賑やかな遼平達の傍観者だが、最近は特に部下にいじら れ気味。メンバーの中では最もマトモな感性の持ち主で、責任感が 強く、広い視野から物事を見極める事の出来る貴重な人物。最近、 メンバーの非常識な言動に胃薬が手放せない、苦労人。一度暴走し 始めてしまった部下︵主に遼平︶を止める為、ハリセンを常に携帯 れいと している。実は物凄い愛妻家でもある。 しが 紫牙 澪斗⋮22歳 淡緑色、ストレートな短髪。瞳は暗褐色。かなりの美男。裏警備 会社LK中野区支部社員の男。かつて暗殺成功率百パーセントの殺 し屋、︽消去執行人︾︵エクスキューショナー︶との異名を持って いた。 仕事中かけている眼鏡は別に目が悪いわけではなく、希紗の作っ た照準グラス。ちなみに、澪斗が専ら使用するカートリッジ式銃﹃ ノア﹄も希紗の手製で、照準グラスと連動している。実は愛用のリ ボルバー式マグナムもあるが、希紗の前では使いたがらない。 冷静で寡黙、他人の感情に鈍く、時に冷酷でもある。プライドが 高く、遼平の挑発にのることもしばしば。慎重で、人間不信な面も あるが、根は生真面目で頑固。笑うことは滅多に無く、愛想は皆無。 人間に興味無し。遼平とは犬猿の仲。 5 あんどう きさ 安藤 希紗⋮19歳 茶髪、ポニーテール。やや茶色の瞳。裏警備会社LK中野区支部 の社員であり、メカニッカーであり、紅一点。 巡回などより監視室での監視、警備員の装備品の制作、監視シス テムの改良などが主な仕事。非戦闘員。 明るく常に元気で、チームメンバー曰く﹃遊び心の塊﹄。どんな 状況でも空元気で突き進む、支部のムードメーカー的存在。過去の トラウマにより、拳銃を恐れている。実は、少女っぽく繊細な一面 Keeper﹂ も。彼女の自称︽女の勘︾は時に驚異的に的中する。密かに澪斗を 気にしているらしい。 ﹁裏警備会社Lose ﹃裏社会﹄⋮⋮近未来日本の、犯罪が絶えない無法地帯。そんな 社会に、︽守護︾を仕事とする変テコで一流な警備会社、それが﹃ ロスキーパー﹄。 これは、影を背負いながらも︽守護業︾を貫く、おかしな人間達 の物語︱︱︱︱。 6 PL﹃断罪の始まり﹄ 依頼4︽贖罪の刃︾ショクザイノヤイバ PL﹃断罪の始まり﹄ ﹁この野郎ーっ、今日こそは決着つけてやる!﹂ ﹁⋮⋮黙れ愚か者。決着ならばいつでもつけてやる﹂ ﹁いい覚悟だ! 喰らえぇ!﹂ ﹁ちょっと待ったぁー!﹂ 殴りかかる拳を二人の間で受け止める少年。白っぽい髪が反動で 揺れる。ついでに、拳を突き出した男の喉に当てられた銃口ももう 片手で塞ぐ。あと一瞬遅れていたら死者が出ていただろう。 ﹁純也邪魔だっ﹂ ﹁死にたくなければ見ていろ﹂ ﹁やめてってば! どうしてケンカばっかりなの!?﹂ ﹁﹁気に入らないからだ﹂﹂ ﹁⋮⋮どうしてそーいうトコロは息が合うのかなぁ⋮⋮?﹂ ため息混じりで、少年︱︱純也は自分より背の高い二人を双方へ 押し返す。まだ殺気は消えないが、それでも少しは治まった。 ﹁で、今日のケンカのお題目はなんなの?﹂ 純也の問いに、銃を片手にした冷静な男︱︱澪斗は真剣な顔つき で答える。 ﹁俺にいきなり挑みかかってきた。理由ならばこの愚か者に訊け﹂ 7 ﹁遼?﹂ 今度はまだ熱くなっている男︱︱遼平を見上げる。遼平の拳を受 け止めた純也の右手は、まだジリジリ痛んでいた。 ﹁こいつが俺のとっといた菓子を食いやがったんだよ!﹂ ﹁はぁ?﹂ ﹁そんなもの、俺は知らん﹂ ﹁食っただろっ、俺の煎餅を!﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮ああ﹂ ようやく思い出した様子で、澪斗は首を縦に振る。そうか、先程 戸棚に入っていたあの煎餅の事か。 ﹁よくも最後の一枚を∼っ!﹂ ﹁あのさ遼、たかがお煎餅一枚で⋮⋮﹂ そんな小学生レベルの理由で生死を争っていたのか、この大人達 は。﹃大人って何だろう?﹄と最年少の純也は改めて考えさせられ る。 ﹁たかがってなんだ! 俺はあの﹃べたべた焼き﹄が好きだったん だ!﹂ ﹁⋮⋮にしては、あまり美味くなかったぞ?﹂ ﹁食っといてなんだぁーっ!﹂ ﹁お、落ち着いてよ遼。澪君も︱︱﹂ 遼平から澪斗へ視線を移したのとほぼ同時に、突如の銃声っ! ﹁﹁っ!?﹂﹂ 遼平が一瞬純也に気を取られた瞬間、澪斗が銃の引き金を引いた。 その弾は遼平の顔の数センチ横を切り、事務所の窓を見事に砕いて 向こうのビル街へ飛んでいく⋮⋮。 ﹁⋮⋮外したか﹂ 8 ﹁てっ、てめぇ、﹃外したか﹄じゃねーだろ!! 実弾ぶっ放しや がって、本気出すぞコラァ!﹂ ﹁澪君っ、なにも本当に撃つことないんじゃ⋮⋮!﹂ ﹁あーあ、完璧に割れちゃったわよ∼。どうすんの?﹂ ケンカに巻き込まれまいと部屋の隅に避難していた希紗が砕け散 った窓をしみじみと眺める。騒音が聞こえないようにしていたヘッ ドホンを耳から外し、涼しくなった風を浴びていた。 ﹁⋮⋮﹂ 澪斗は何も答えない。ただ真っ直ぐ自分が撃った方向を遠く見て いる。 ﹁⋮⋮何や∼? 何かあったん∼??﹂ ようやく起きてデスクから顔を上げた部長は、眼前に広がる光景 に一時呆然となる。倒されたイス、いきり立っている遼平、遼平を 押さえている純也、銃口から煙を上げているマグナムを握る澪斗、 粉砕した窓辺に立っている希紗⋮⋮何なんだ、この状況は? ﹁なァ純也、これはタチの悪い夢だって言ってもらえるか?﹂ ﹁え⋮⋮いいけど、それでも現状は変わらないよ?﹂ 寝起きの部長︱︱真のささやかな願いを、純也は残酷な現実で跳 ね返してしまう。真は深い深いため息を吐いてから、ゆっくりと立 ち上がる。睡眠不足で立ちくらみがした。 ﹁とりあえず全員席につけー。そしてこの悪夢を起こしたヤツは素 直に手を挙げろー、今なら一週間の部屋掃除で許してやるでー﹂ ﹁⋮⋮真、その裁きは後回しになりそうだぞ﹂ ﹁へ?﹂ 澪斗の言葉が終わるか終わらない内に、何かが物凄い勢いで階段 を昇ってくる音がした。全員が事務所の扉に振り返り、澪斗は再び 銃を構える。 9 ﹁ヒドイよっ、いきナり撃ってクルなんて! もうチョットで当た ルとこだったジャないかー!﹂ ﹁あーっ! てめぇは!!﹂ ﹁フェッキー!﹂ 肩で息を切らせながら扉を跳ね開けた長身の外人は、遼平と純也 は見知った人物だった。できれば、再会したくはなかった情報屋︱ ︱フェイズだ。白人で黄土色のマリモヘアー、灰色の瞳を持つ。ち なみに小さな教会で神父もやっている、とにかく⋮⋮とにかくいろ んな意味で厄介な情報屋だ。何故なら⋮⋮。 ﹁なに、二人とも知ってるの?﹂ ﹁う、うん、一応⋮⋮﹂ ﹁この世で最もうるさいマリモキリシタンだ⋮⋮﹂ ﹁は?﹂ ﹁モウッ、おかげでボクの双眼鏡が壊れちゃっタじゃなイかー! ア、撃ったのキミだね!? 澪斗クンっ、なにすんのサ!﹂ ﹁貴様、いつから俺達を監視していた? あのビルの屋上からだな、 どこの差し金だ? ⋮⋮どうでもいいが、何故俺の名を知っている ?﹂ ﹁じゃあ澪君、さっきの発砲は⋮⋮﹂ ﹁こいつに向けてだったってのか?﹂ ﹁ムー、いい視力してルね澪斗クン。キミの質問に答えるとだネ、 ボクは三十分ほど前かラ観てたヨ。ボクは情報屋だから差し金じゃ ナイし、キミのネームぐらいは知ってるヨン﹂ 堂々と胸を張って答えるフェイズ。監視がバレたのだから、少し 10 はへこんだらどうか。しかもわざわざ乗り込んでくるか? 普通?? ﹁コレ結構高かっタんだからネ! 弁償しテもらうヨ!?﹂ ﹁馬鹿か。貴様にはこれをくれてやる﹂ そう言ってリボルバー式マグナムを片手で構える澪斗。撃鉄は既 に起きていた。引き金を無表情で引こうとする澪斗の前に、浅黒い 手が差し出される。 ﹁ここでそれはやめとき。処理に困るだけやって﹂ ﹁真、正気か? みすみす情報屋に情報をくれてやるのか?﹂ 冷たい視線が今度は間に入った真に向けられる。まだ眠そうな真 はその視線に気圧される風は無い。 確かに、澪斗の言う事は常識にかなっている。情報屋に観られて いると知ってそれを見過ごすなど普通は有り得ない。どんな情報で あれ、その情報屋を抹殺しようとするのが裏社会の基本だ。 ﹁ワイは平和主義者なんよ。⋮⋮あんさんも今度からは勝手に乗り 込んでこないでもらえまっか?﹂ 頭痛がするように真は額を押さえながらフェイズを見上げる。バ レたとわかって乗り込んでくるとは、ここにいる全員に勝つ自信が あるのか、それともただの天然か? どちらにしろマトモな情報屋 ではないのだろう。下手に手出ししないほうがいい。 ﹁平和主義者、ネ⋮⋮。ナかナか面白いジョークだね、部長サン﹂ ﹁⋮⋮それはどういう意味でっか?﹂ ﹁オー、そのまんまノ意味だヨ∼﹂ 真の瞳が一瞬だけ鋭くなった。それにおどけるようにフェイズは 両手を上げて肩をすくめる。ほんの一瞬の出来事だった。 ﹁それで、どうするのよこの人。っていうか誰?﹂ 結局、希紗が一歩踏み出て一番重要な事をまとめる。初めて希紗 11 が視界に入ったフェイズは、瞬間目を見張る。口を半ば開けたまま、 呆然と希紗を見つめていた。 ﹁な、なに?﹂ ﹁キ、希紗チャン、だよね⋮⋮?﹂ ﹁そうだけど⋮⋮﹂ 希紗の所まで進み出て、フェイズは真摯な眼で膝をつき、希紗の 手をガシッと握った。 ﹁ボクと結婚しテくだサイ!﹂ ﹁﹁﹁﹁﹁はあぁ∼!?﹂﹂﹂﹂﹂ 五人はそれぞれの表情で口を開く。しかし一番困惑しているのは 他の誰でもない、希紗である。 ﹁データにはあったケド、コンナに美しいとハ知らなかったヨ! なんて素晴らしいンダ! まるで雑草の中に咲くバラのようだ!!﹂ ﹁⋮⋮よ、良かったなァ希紗﹂ ﹁嫁ぎ先が決まったな﹂ ﹁⋮⋮いいのかな、これで⋮⋮﹂ ﹁っていうか雑草って俺達のコトかよっ!﹂ ﹁ちょっ、何なのよこの展開!? それにあんた誰∼!?﹂ ﹁アァ、言い忘れテましタ! ボクはフェイズ。フェイズ・B・イ ゼラード。フェッキーって呼んでネ。情報屋﹃ハイテンション﹄の 店主だヨン。マ、ボクしか店員はいないンだけどネ∼﹂ 一人で可笑しそうに笑うフェイズに、アメリカンジョーク︵?︶ は理解できない五人は呆然とする。一体どうしよう、この情報屋⋮ ⋮。 12 ﹁ドうかボクの熱い想いを受け取ッて∼!﹂ ﹁い、嫌だってば! 手、放してよ∼! みんなもっ、ナニ突っ立 って見てるのよ!!﹂ ﹁いや⋮⋮案外似合っとるで、希紗﹂ ﹁冗談じゃないわよ! どーしていきなり結婚話になるのよ!?﹂ ﹁しかし、今を逃せばもう好機は無いかもしれんぞ?﹂ ﹁澪斗まで∼っ﹂ もう半泣き状態の希紗。こんな事で自分の人生に大きな転機が訪 れてしまうのか? 運命という名の悪運を呪うしかなかった。 ﹁こうなったら⋮⋮フェッキー! すぐには答えは出ないから今日 のところは引き返してっ!﹂ ﹁ナルホド、そうだよネ。じゃ、ボクはこの辺で。ロスキーパーの 皆サン、ごきげんよう∼ッ﹂ 爽やかな笑みと共に、最後まで自分のテンションを保ちきった情 報屋は去っていった。全員がとてつもない疲労に襲われる。特に希 紗は跪いてがっくりと肩を落としていた。 ﹁⋮⋮それで希紗、本当に話を考えるのか?﹂ ﹁冗談。そんなワケないでしょ⋮⋮﹂ その場しのぎで放った台詞を、今更ながら希紗は後悔する。結局 情報屋を見過ごしてしまった事には、誰も気づいていなかった⋮⋮。 13 第一章﹃救えぬ魂﹄︵1︶ 第一章﹃救えぬ魂﹄ 夕日が射し込み、遠く電子音の鐘が聞こえる。午後五時を知らせ る、中野区の﹃平和の鐘﹄。 ﹁︱︱君っ、真君ってば!﹂ ﹁あ⋮⋮、どうしたん?﹂ ぼーっとして焦点の定まっていなかった瞳が、ゆっくり純也を映 す。真のデスクに両手をつけたまま、こちらを訝しげに見つめてく る少年。 ﹁どうしたの、はこっちの台詞だよ。呼んでも全然返事してくれな いんだから﹂ ﹁そりゃ悪かったなァ。で、何の用なん?﹂ 純也が脇に挟んでいた茶封筒から数枚の書類を差し出す。渡され ても何の事だかわからなくて、真はきょとんとして書類を眺めてい た。 ﹁前回の僕と遼が担当した依頼の結果報告書。ほら、竜田さんって 依頼人の﹂ ﹁あ、あァ⋮⋮。せやった、純也に頼んどいたんやったな。ご苦労 さん﹂ ﹁真君、やっぱ最近調子悪い? なんだか変だよね?﹂ ﹁ははは、そんな事あらへんって。⋮⋮よし、もう五時やし、今日 は終わりな。お疲れ∼﹂ ﹁あっ⋮⋮﹂ 荷物をさっさとまとめ、真はだるそうに手を振って帰ってしまっ 14 た。純也が物を言う間を与えずに。 ﹁この書類に判子欲しかったんだけど⋮⋮﹂ いつもの真らしからぬ言動に、純也は首を捻る。普段だったら書 類に二回は目を通して判子を押すのに。⋮⋮しかもあんな気が抜け たような状況が、ここ一週間ほど続いている。何か具合でも悪いの だろうか? ﹁ねぇ、なんだか真君⋮⋮変だよね?﹂ 振り返ってそれぞれの作業に取りかかっている三人に問う。遼平 は会計報告書と格闘中、希紗は何やらマスクをしたまま化学実験中、 そして澪斗はここ数日で何度目かの割れた窓ガラスをガムテープで くっつけるという作業と奮闘している。窓ガラスは強風が吹く度に ガムテープが剥がれて落ちるのだ。 ﹁あ? 今俺に話しかけるな⋮⋮あー、七×八っていくつだ?﹂ ﹁遼、五十六だよ⋮⋮。じゃなくて! 最近真君がおかしいよねっ て言ってるの!﹂ ﹁ただの寝不足じゃない? 真、昨日まで夜の警備が続いてたでし ょ﹂ ﹁それはそうだけど⋮⋮、なんか真君らしくないよ。絶対何かある って﹂ ﹁⋮⋮純也の言うとおりかもしれんな﹂ 窓ガラスに勝利し、ガムテープを貼り終えた澪斗が席に戻る。真 のデスクの前に立っている純也を一瞥して、自分の荷物をまとめ始 める。 ﹁純也、あれを見ろ﹂ ﹁澪君⋮⋮?﹂ 澪斗が顎で示した先⋮⋮真のイスの脇を見る。そこにあったのは、 あまりに見慣れた、真の右腕とも言うべきモノ。 ﹁え⋮⋮︽阿修羅︾⋮⋮﹂ 15 常に真が手放さない木刀。凶刃︽阿修羅︾の鞘であり、専ら真は この鞘のまま相手を叩き斬る。 その阿修羅がここにある。真が忘れて帰ったことなど、今まで無 かったのに。 ﹁やっぱり⋮⋮何か変、だよ﹂ 絶対的な違和感。小さな事かもしれない⋮⋮しかし身近な人の異 変に気づかないほど、純也は鈍感ではない。本気で不安になる。い つも安定した真だからこその、心配。いつも変化無く、全員を見守 っている⋮⋮変わらない事が真であり、それが当たり前だった。な のに。 ﹁ん∼、そう言われてみればそうかも∼﹂ ﹁気のせいじゃねえか?﹂ そう言う希紗と遼平も、何か上の空だと思うのは⋮⋮純也の気に しすぎなのだろうか。 真だけじゃない? この僅かな違和感は、この空気は遼平達から も感じられる? 何なんだ?? ふと、真のデスクの上にあった新聞に気づく。新聞をとっていな い純也は初めて今日のニュースを読んだ。いや、ここ最近テレビで もニュースは見ていなかった。 一面に大きく殺人事件が取り上げられている⋮⋮真はこれを読ん でいたのだろうか? ﹁連続殺人、﹃斬魔﹄蘇る⋮⋮?﹂ ざんま ここ数日、無差別に表社会で殺人事件が起きているらしい。しか も過去にもあった同じ手口での犯行で。その昔、十年前に﹃斬魔﹄ と呼ばれた犯人の模倣犯ではないかとの推測が書かれている。 ﹁真、君⋮⋮?﹂ 嫌な予感がした。それは根拠も無いただの感覚。ただ呆然と、何 故か満ちていく不安によって、純也は呟いていた。 16 ﹁それでは俺も帰るぞ﹂ また強風が吹いてガラスを散乱させる前に帰ってしまおうと、や や焦り気味な澪斗。そんな彼に、遼平が頭を上げて。 ﹁残念だったな紫牙、どうやら俺らは帰れねぇようだぜ?﹂ ふと眼を細めた遼平が、顔を上げて事務所のドアへ振り向く。そ の言葉に全員がドアを見つめていると、小さく扉をノックしてくる 音が。 ﹁わ、依頼人さんかなぁっ?﹂ ﹁⋮⋮このような時に限って⋮⋮﹂ 嬉しそうに扉を開けに行く純也の横で、澪斗が外そうとしていた 眼鏡をかけ直す。 ﹁はい、裏警備会社ロスキーパー中野区支部にようこそ! 依頼で すか?﹂ 純也の爽やかな応対で入ってきたのは、体格の良い二十代半ばく らいの男と、学生服を着た少年。どちらも表社会の人間だとわかる。 純也は人の良い笑顔で二人を接待用のソファへ案内し、座らせる。 本来ならば部長の真が依頼を聞く役目だが⋮⋮部長不在の為、誰が 依頼を聞くか? 支部社員達は、集まってコソコソと会議を開く。 ﹁俺は面倒なの嫌だぜ?﹂ ﹁私だって接待とかダメなのよっ!﹂ ﹁僕みたいな子供に依頼を喋ってくれるかなぁ?﹂ ﹁⋮⋮俺は喋りたくない⋮⋮﹂ あれこれと議論は口論になっていき、最終的にはジャンケンで決 まった。澪斗が、渋々依頼人と向かい合って座る。 17 ﹁何の用だ、簡潔に言え﹂ 依頼人へ冷たい視線を送って、まず一言目がそれ。 ﹁うわっ、澪君そんな偉そうな!﹂ ﹁と、とりあえずお二人のお名前を訊きましょうよ!﹂ 希紗がなんとかフォローを入れて、ソファに座った男と少年は頭 あらい てつ を下げる。 たいま けいすけ ﹁俺は、荒井鉄、大阪から来たモンです。それで、この子は⋮⋮﹂ ﹁大麻圭介と言います﹂ 男︱︱荒井と少年︱︱大麻が自己紹介をしながら警備員達を見渡 す。中に子供がいたせいか、色々と驚いているようだ。 ﹁えーっと、お二人はお知り合いですか? 同じ依頼で?﹂ ﹁いえ、ちゃいます。この大麻君は、ちょうど俺がココへ向かう途 中で迷子になっていたのを見つけまして⋮⋮こんな夜前に独りにし ておくのは危険だと思うたんで、一緒についてきてもらったんです﹂ ﹁荒井さんが、用事が済んだら僕を送ってくれると言ってくれたの で、お言葉に甘えて来ちゃいました﹂ 裏の人間だったら考えられないような親切な荒井と、これまた裏 の人間だったら有り得ないほど素直に知らない大人についてきた大 麻。本当に、表社会は平和ボケしている。 ﹁あなたがこの事務所の部長はんでっか?﹂ ﹁いや、俺ではない。生憎、たった今部長は帰ったところだ﹂ ﹁そうでっか⋮⋮﹂ ﹁急ぎの依頼なんですか?﹂ ソファに腰掛けて俯く男に、純也はお茶を差し出しながら尋ねる。 体格の良い男は、顔を上げて答えた。 ﹁はい、本来ならばこんな依頼は警備会社に頼めるような内容では ないのですが⋮⋮俺が護れなかった代わりに、取り返してほしいん です﹂ 18 ﹁取り返す? 何をだよ?﹂ 澪斗と純也が向かいのソファに座り、希紗は男の横に立っていた。 唯一自分のデスクにいた遼平が、口を開く。 ﹁我が家に伝わる家宝、神刀︽金剛︾です。俺に力が足りず、盗ま れて、今はこの東京の裏オークションに出されていると耳にしまし た。それで大阪から俺は上京してきたんです﹂ ﹁神刀⋮⋮︽金剛︾?﹂ ﹁魔を斬り祓う力を持った、純白の大刀、それが︽金剛︾です。﹃ 使い手の魂を救う﹄、そんな伝説さえ残っている、名刀なんです。 こんな内容の依頼は受け付けてくれないのはわかっとります、でも、 金ならいくらでも積みますから⋮⋮﹂ そう言って荒井が取り出した封筒には、軽く二百万程度。﹁これ は前払いですから﹂と机に差し出して。 ﹁そんな大金積んでまで大切な宝なのかよ?﹂ ﹁願いがあるんです。もし︽金剛︾が戻ったら⋮⋮本当にあの刀に 聖なる力があるんなら、救ってやりたいヤツがおるんです﹂ ﹁誰なんですか?﹂ ﹁⋮⋮コレ、見てもらえますか﹂ そう言って荒井が取り出したのは、ずっと持ち歩かれていたよう に傷ついた一枚の写真。そこには、中学生くらいの子供が二人、写 っていた。 左に立って恥ずかしそうにしているのが、今も面影を残す荒井だ ろう。一方、右に立って荒井の肩に手を組んで笑っている子供は、 黒い髪が長く、陽気そうだった。 ﹁俺の右に立ってるんが、昔の友人です。明るいヤツで⋮⋮でも、 そいつはこの写真を撮ったたった二ヶ月後に、死にました﹂ ﹁え⋮⋮﹂ 19 ﹁⋮⋮一家心中やったそうです。酷いもんです、親に殺されたあげ く、その遺体は本人かわからんほど無惨に斬り殺されていたそうで ⋮⋮。それでこいつには葬式も、墓さえもありませんでした﹂ 荒井の話を聞きながら長髪の子を見ているうちに、なんだか既視 感を純也は覚えはじめた。 ﹁この子、もしかして荒井さんの恋人だったんですか?﹂ 希紗が身を乗り出して、訊いてくる。その言葉に荒井は驚いた顔 をして、首を振って笑った。 ﹁ちゃいますって、こいつは男ですよ。こんなに髪伸ばしてるさか いによく間違われてましたけど。俺のケンカ相手で親友と言うか⋮ ⋮まぁ、腐れ縁ってとこですわ﹂ ﹁⋮⋮かわいそう、でしたね﹂ まるで純也も本当に友達だったように、感情移入して悲しく呟く。 そんな少年に荒井は﹁そうですな﹂と返して、また視線を写真の子 に向けた。 ﹁きっとこいつはまだ成仏しとらんでしょう。だから、俺の手で魂 救ってやりたいんです。⋮⋮⋮⋮⋮⋮親友、霧辺真を﹂ 20 第一章﹃救えぬ魂﹄︵2︶ ﹁﹁﹁﹁え⋮⋮?﹂﹂﹂﹂ 警備員達の顔に浮かぶのは、深さに違いはあれど、驚愕。それを 見た荒井も、きょとんとした顔になって。 ﹁どうかしはりました?﹂ ﹁え、あ⋮⋮その子、﹃キリベ シン﹄君なんですね?﹂ あの既視感は、正解? 写真の中の子供の明るい笑顔は、ココの 部長と同じ⋮⋮ような感じもするが、でもドコか違うような⋮⋮。 顔のパーツは近い、けれど、部長が持っていない︽何か︾を、この 子供はその笑顔に持っている。 ﹁はい、親友の名前間違えるわけないでっしゃろ﹂ 純也は呆然と部長の机へ振り返り、遼平は苦虫を潰したような顔、 希紗は写真を凝視して、澪斗は深く俯いて表情がわからない。 少しの、沈黙。だが、最初に口を開いたのは。 ﹁わかった。その依頼、引き受けよう﹂ その暗褐色の瞳で荒井を直視しながら、澪斗が承諾する。ただし、 条件をつけて。 ﹁ここに、俺の携帯端末の番号が書いてある。事務所には連絡をせ ずに、今度からは俺に直接連絡を入れろ﹂ メモに番号を早書きして、荒井に差し出す。それを受け取った荒 井も、不思議そうだったが頷いた。澪斗は希紗へ振り返り、﹁裏ネ 21 ットで︽金剛︾の情報を集めておけ﹂と命令する。 ﹁おい、紫牙︱︱﹂ ﹁⋮⋮黙っていろ。この仕事は俺が片づける﹂ 澪斗は、決して遼平には表情を見せずに。それに舌打ちして、遼 平は煙草に火を点ける。まだ部長の机を見つめていた純也は、その 視界に入ってきた少年に、我に返る。 ﹁うわぁ∼、コレって木刀ですかぁ? 僕、本物って初めて見まし たよ∼﹂ 部長が忘れていった︽阿修羅︾を、珍しそうな視線で見て、大麻 は触れてみる。どうやら依頼の話はほとんど聞いていなかったらし い。 ﹁わわっ、木刀ってこんなに重いのかー。木で出来てるのになぁ﹂ ﹁あっ、大麻君、あんまり触っちゃダメだよ!﹂ 剣の切っ先さえ持ち上がらない様子だが、力を込めて構えようと している。間違って鞘が抜けたら大変だ、と純也は焦って︽阿修羅 ︾を丁寧に元の位置に戻して。 ﹁⋮⋮あの木刀⋮⋮何か嫌な感じがしますな⋮⋮﹂ ふと、荒井が呟く。表社会の人間に︽阿修羅︾の気配がわかるは ずはないと思っていたが⋮⋮澪斗はさり気なく﹁どこがだ?﹂と尋 ねてみる。 ﹁何と言いますか⋮⋮禍々しい︽気︾を感じます。何か不吉な⋮⋮﹂ ﹁荒井さ∼ん、これ、荒井さんなら持ち上がるんじゃないですか?﹂ ﹁大麻君、人のモンを勝手にオモチャにしちゃいけんよ。⋮⋮あの 木刀、誰の物なんですか?﹂ ﹁アレは⋮⋮⋮⋮部長の物だ。そんなに大層なモノではない﹂ それから澪斗は淡々と仕事内容を確認し、明日には再び連絡をこ ちらから入れると約束した。 22 ﹁そういえばさ、君、名前は?﹂ ﹁え、僕? 僕はね、純也だよ﹂ なんとなく視線だけで澪斗に﹃その子供をなんとかしろ﹄と命じ られたと察した純也が、大麻の話し相手になる。大麻はどうやら中 学三年らしく、学ランをきちんと着こなしていた。模範的で邪気が 無さそうだが、理知的な感じもある。 ﹁純也君かぁ。ビックリしたよ、僕とそんなに歳は変わらないよね ? 君も警備員?﹂ ﹁うん、そうだよ。僕、学校は行ってないけど⋮⋮﹂ ﹁学費が無いの? だから働いてるの?﹂ ﹁うーん⋮⋮そんな感じ、かな。あははは⋮⋮﹂ 元より学校に行く気など無いのだが、まだこの国では義務教育制 度がある。純也ほどの見た目なら、まだ義務過程だろう。 ﹁僕も、さ⋮⋮あんまり家が裕福じゃないんだよね。それで、この 辺にはアルバイトできる所が多いって聞いて、来てみたんだけど⋮ ⋮迷子になっちゃった﹂ ﹁大麻君、この辺りのアルバイトは危険なモノが多いよ。裏社会に 繋がってるモノもある。もっと⋮⋮世田谷とか杉並なら、安全なア ルバイトを探せると思う﹂ ﹁そうなの? 純也君は詳しいね∼﹂ 子供だから裏社会に対してあまり嫌悪感が無いのか、大麻は純也 の言葉にちっとも恐れた様子は見せない。﹁だから、もうこの周辺 に来ちゃダメだよ?﹂と純也が念を押すが、﹁だいじょーぶ!﹂と 大麻は笑うだけ。 ﹁大麻君、俺の話は終わったさかいに、帰ろうか﹂ ﹁は∼い! じゃあね、純也君!﹂ 23 優しげな笑みを浮かべた荒井の後について行く大麻。二人が出て 行った後、澪斗に三人の視線が集まる。誰かが先に何かを言う前に。 ﹁⋮⋮この依頼の件は、真には言うな。俺が一切の責任を負う﹂ 24 第一章﹃救えぬ魂﹄︵3︶ ﹁ただいま∼﹂ ﹁お帰りなさい、シンっち∼!﹂ ふうり ゆりえ 夫の帰宅を待ち侘びていた布瓜友里依が真に抱きつく。玄関での いきなりの抱擁に、真が驚いた様子は無い。これが、彼らの日常な のだから。 友里依は茶髪を二つの三つ編みで分けた、まだ二十歳の真の愛妻 である。いつも露出度の高い服を着ていて、スタイルはかなり良い。 ﹁会いたかったで∼、もう十日も経つんやなー﹂ ﹁仕事だってわかってるけど、私、すごく寂しかったんだからぁ﹂ ﹁ユリリン、離れていてもワイらの心は常に一緒や∼!﹂ ﹁わかっているわっ、死んでもずーっとシンっちの傍に!﹂ ⋮⋮一応念を押しておくが、今日は何かの記念日でも、ましてや 彼らが元劇団員だったわけでもない。ごく普通の、彼らのいつもの 会話である。真の隠れた一面、﹃激愛妻家﹄が発動しているだけだ。 ﹁今夕飯の支度してるからね、今日はご馳走よ∼﹂ ﹁おぉ∼、楽しみやァ∼﹂ スキップ気味で真はリビングに辿り着いた。十日も夜の警備があ ったので、帰ってくるのは久しぶりだった。もちろん、その間も毎 日︵むしろ数時間置きに︶友里依には連絡をとっていたのだが。 冷蔵庫から缶ビールを取りだしてきて、食卓に腰掛ける。背後に すぐキッチンがあって、友里依が背中を向けて調理中だ。 ﹁それで、お仕事はどうだったのぉ?﹂ ﹁あぁ、結局何も起こらんかったんよ。クライアントが日本にいる 夜間だけアタッシュケースを護れっちゅー依頼やったんやけど、何 が入ってるか得体が知れんし、依頼人がウクライナ人で言葉全然通 25 じへんし。まァ、あの様子やとヤバイ物でも入ってたんやろなァ﹂ 興味無さそうにビールを口にする。例え何であろうと、依頼され れば護る。それが裏警備会社﹃ロスキーパー﹄の仕事。非合法なの は、もはや当たり前だ。 ﹁さすがシンっち! 完璧に無事、護りきったのね∼!﹂ ﹁いやァ、それほどでも⋮⋮。あいつらに任せんで正解やった﹂ 今回の仕事は一人で充分だった。外国人どころか日本人とでも円 滑なコミュニケーションのとれない遼平。遼平の世話をしないとい けない純也。中身を見るなと言われれば好奇心を抑えきれない希紗。 澪斗なんか、一人にしたら気に入らなければ依頼人を撃ちかねない。 どれも一人で仕事させたら不安でしょうがなかっただろう。 真には、仲間内で仕事への適性が無いと判断した場合、一人で依 頼をこなしてしまう癖があるのだ。 ピンポーン、と玄関のチャイムが鳴る。友里依は揚げ物をしてい た手を止めた。 ﹁誰かしら⋮⋮また新聞の勧誘?﹂ ﹁あァ、ワイが見てくるさかい、そこに居たってや﹂ ﹁ありがとう∼っ、愛してるわ∼!﹂ ﹁ワイもやで∼!﹂ どうして一々この二人は愛を語るのか。新婚をとうに越えた二人 は、ロスキーパーの面々に﹃バカップル﹄と認識されている。 ﹁は∼い、どちらさんですか∼?﹂ ロックを解除し、明るく扉を押し開ける。玄関先には、新聞勧誘 の若者でもなく、ご近所の奥さんでもない、強面の中年男数人がず らっと並んでいた。全員スーツを着ていて表社会の人間らしいが、 何故か真を畏怖と驚きの表情で見つめてくる。 ﹁⋮⋮お前が霧辺真か?﹂ ﹁そうやけど、あんさんらは?﹂ 26 先頭にいた髪の薄い中年男が、信じられないという風にじーっと 視線を向け、上から下まで観察する。 ﹁な、なんやねん。ワイになんか用なんか?﹂ 真が不審な顔をする前で、中年男は何かメモ書きのような物を取 りだした。 ︵逆立った金髪、浅黒い肌、身長百八十センチ前後、関西弁⋮⋮間 違いない!︶ ﹁私は、こういう者だ﹂ ﹁な⋮⋮っ!﹂ 言って男が胸ポケットから出したのは警察手帳。警視庁の刑事ら しい。 ﹁シンっち∼、誰なの∼?﹂ 部屋の奥から友里依の声が聞こえてくる。真は焦って振り返った。 ﹁な、なんでもあらへん! ちょっと⋮⋮昔の知り合いや﹂ ﹁⋮⋮霧辺真、来てもらおうか﹂ ﹁それは任意でっか?﹂ 厳しい顔で問う。刑事は、その表情に一瞬怯えたように見えた。 周りのやはり警察であろう男達も身を強張らせる。 ﹁⋮⋮⋮⋮強制だ。お前に決定権は無い﹂ ﹁そうでっか﹂ 諦めたような苦笑になって、真は靴を履いた。男達が道を開ける。 27 マンションの下でパトカーが数台停まっているのが確認できた。 ﹁ユリリン、ちょっと出かけてくるさかい、当分帰ってこられそう にあらへんわ。⋮⋮ごめんな﹂ ﹁えっ、ちょっと、どうしたの!?﹂ 友里依が急いで玄関に顔を覗かせた時、既に夫の姿は無く、遠ざ かっていく数人の足音が聞こえただけだった。 28 第一章﹃救えぬ魂﹄︵4︶ やっぱり今日も遅刻ぎりぎりで、遼平は大型バイク、愛車の﹃ワ イバーン﹄を一階の駐車場に停める。 そもそも警備の無い日まで事務所に来て、しかも出勤時刻が決め られているのは部長である真が決めたからである。﹁いつ依頼があ るかわからないから﹂という理由で定められたこの決まりは、ルー ズな遼平にとって非常にきついものだった。 ﹁遼∼、これで一週間連続で遅刻だよ。また始末書書かされるんじ ゃない?﹂ ﹁くそっ、道が渋滞してんのが悪いんだよっ! あそこで信号が赤 にならなけりゃあ⋮⋮﹂ ﹁だったらあと五分は早く家を出ようよ⋮⋮﹂ ビルの階段を駆け上がりながら、遼平と純也は三階の事務所を目 指す。腕時計が十時丁度を示す、三秒前。 ﹁着いたーっ!!﹂ ドアを跳ね開け、二人は事務所に駆け込んだ。息を切らせながら も、いつも通り襲いかかってくるであろう真の︽部下制裁用アイテ ム︾、ハリセンに備え、頭を押さえる。が。 ﹁⋮⋮え?﹂ 頭を押さえたまま顔を上げると、いつもなら仁王立ちして待ち構 えているであろう部長の姿が今日は無かった。きょろきょろと、事 務所を見渡す。 ﹁あ、二人とも⋮⋮﹂ 希紗が全員の机の先の、接待用のソファに座っていた。脇には澪 29 斗が壁に寄りかかっている。その奥で、一人普段は見かけない人物 がいた。 ﹁友里依さん!﹂ 純也が嬉しそうに近づく。友里依に会うのはかなり久しぶりだ。 だが、俯いていた彼女が顔を上げた時、純也は驚いてしまった。 ﹁じゅ、純ちゃん⋮⋮﹂ 普段は可愛らしい顔が、今日は涙で濡れている。いつも真といる 時の明るい表情しか見たことの無かった純也は困り、希紗を見る。 ﹁どうしたの?﹂ ﹁あのね、真が、﹂ ﹁いなくなっちゃったの∼っ!﹂ ﹁えぇ!?﹂ 希紗の言葉を続けた友里依が叫ぶ。遼平も、純也と同じように困 惑を隠せないでいた。 ﹁どういうコト?﹂ ﹁なんでも、昨日真の知り合いが家に来たらしくて、それから真が 何処かに行っちゃったんだって﹂ 嗚咽で言葉を喋れない友里依に代わり、希紗が状況を説明する。 遼平が向かいのソファに腰掛けた。 ﹁なんだよ、それだけか? 一夜ぐらい消えたって、おかしくねえ じゃねーか﹂ ﹁今までっ、シンっちが⋮⋮何も言わずに出ていっちゃうことなん てっ、無かったのっ﹂ まだ涙が治まらない様子で、必死に友里依は言葉を紡ぐ。希紗と 純也が非難の目を向けたので、遼平は﹁わ、悪かった﹂と小さく呟 いた。 ﹁で、でもさ友里依さん、真君に限って消えちゃうわけないと思う よ? 前も遼が一晩帰ってこないと思ったら、翌朝アパートの下で 30 酔い潰れてたしっ﹂ ﹁うわっ、遼平格好悪い∼﹂ ﹁﹃馬鹿﹄以外に形容のしようが無いな﹂ ﹁うるせえなっ、あとちょっとだったけど家に帰れなかったんだよ ! って、今は関係無いだろ!!﹂ 腕を振って話を逸らそうとする。どうして真の話で遼平が馬鹿扱 いされているのか? ﹁ンで、真のやつは消える前に何か言ってなかったのかよ?﹂ ﹁えっと、﹃ちょっと出かけてくるから、当分帰ってこられない﹄ って⋮⋮﹂ ﹁なんだ、当分帰ってこねえって言ってんじゃねーか﹂ ﹁⋮⋮しかし、平日にヤツが行方をくらますと思うか? あいつが 職場にも来ないとは﹂ ﹁その知り合いってのが気になるわね﹂ 全員が押し黙る。真に何かあったのだろうか? ﹁だけどよ、あいつなら何があっても一人でなんとかするだろ?﹂ ﹁そうでないかもしれん﹂ ﹁どういう意味だよ、紫牙﹂ ﹁⋮⋮真は今、阿修羅を持っていない﹂ 真のデスク脇にかけてある、包帯で巻かれた棒状のモノ。今真は 丸腰なのだ。 目立ちこそしないが、真はロスキーパー本社の中でもトップクラ スの実力を持つ。だからこその部長の地位であり、中野区支部の中 でもしかすると最強かもしれない。だが、それはあくまで剣術の上 でであり、素手となると⋮⋮。 ﹁ちっ⋮⋮、どうすんだよ﹂ ﹁⋮⋮﹂ 重たい空気が場を支配し始めた、そんな時。 31 ﹁ハ∼イっ、グッドモーニング皆さ∼ん!!﹂ うるさいサンバの音楽に合わせて、陽気に外人が事務所に飛び込 んできた。 左脇にこの音楽の元凶であろうラジカセを抱き、白い紳士服で踊 りながら入室してくる、長身の外人。 ﹁フェッキー!? なっ、どうしたの?﹂ 身軽に回転し、見事にポーズを決めて情報屋はラジカセを止めた。 接待用の机にラジカセを置き、優雅に一礼する。 ﹁もちろん希紗チャンの返事を聞きニ来たんジャナイか∼! サァ ッ、ボクのプリンセス、どうか良いお返事ヲ﹂ ﹁げっ、本当に来たの!?﹂ ﹁あのさフェッキー、僕達いまそれどころじゃ⋮⋮﹂ ﹁ノンノン、照れるコトは無いヨ。さぁさぁ、ボクの教会デ今すぐ 挙式を∼!﹂ ﹁って、あんた返事待つ気ゼロじゃないっ!﹂ フェイズによって真剣な雰囲気が完膚無きまでに崩される。どう してこの情報屋はことごとく場違いな時に現れるのか。 初めて見る外人に友里依は呆然としていた。涙もいつの間にか止 まっている。 ﹁この人⋮⋮希紗ちゃんの恋人?﹂ ﹁違ーう!﹂ ﹁ザッツライト、その通りだヨ友里依サン。まぁ、正確にはフィア ンセだけどネ∼!﹂ ﹁え? どうして私の名前を知ってるの?﹂ 猛烈に否定する希紗を気にも止めず、長身のフェイズは腰を曲げ 32 て友里依の前に顔を出す。﹁フッフッフッ⋮⋮﹂と不敵な笑みを浮 かべて。 ﹁その質問にお答えスル前に、色々と皆さんにオ話するコトがある ヨ。実は、希紗チャンの返事ついでに、良い情報を持ってキタんだ ヨ∼﹂ ﹁⋮⋮くだらんな。俺達は今、貴様に構っているほど暇ではない﹂ ﹁アレ∼? そんなコト言っていいのかナ∼? キミ達の部長サン に関係のあるコトだよ?﹂ ﹁﹁﹁﹁﹁っ!!﹂﹂﹂﹂﹂ ﹁何か、何かシンっちの事知ってるの!?﹂ ﹁マぁマぁ落ち着いて。ゆっくりお茶でも飲みナガラお話するヨ﹂ そのまま図々しくソファに座って、情報屋は語りだした。純也が 茶を淹れてきてフェイズに差し出す。 ﹁ドコから話そうかナ⋮⋮そうだネ、皆サンは十年前の﹃斬魔﹄の 事件は知ってるカナ?﹂ ﹃斬魔﹄という言葉がフェイズの口から出た途端、純也以外の顔 色が険しくなる。遼平でさえ真剣な表情をしたので、純也は驚いて 声を出した。 ﹁ゴメン、僕は詳しく知らない⋮⋮﹂ 純也は記憶が無い二年以上前の事は人から聞いたことしかない。 それでも、本や資料を読んである程度は知っているはずだ。なのに、 ﹃斬魔﹄なんていう単語は昨日知ったばかり。確か、連続殺人犯。 ﹁マぁ、詳しいコトは本当は誰も知らないんだヨ。名前どころか、 年齢や性別さえ一般には知らサレなかったんダカラ﹂ ﹁え?﹂ ﹁十年前、無差別に次々と人が殺害される事件が起きタ。その犯行 33 は三ヶ月のウチに行われ、人々は恐れてその刃物を使ッた手口から 犯人を﹃斬魔﹄と呼んだんダ。しかしソノ﹃斬魔﹄も東京のとある 政治家を殺害した現場デ警察に見つかり、抵抗した為そこデ処刑さ れタ⋮⋮そう表社会ではされてイル﹂ フェイズは言葉を区切り、茶を口に含む。言われた事を理解しよ うと、純也は頭の中でフェイズの言葉をゆっくり噛み砕いていた。 ﹁でもネ、このお話にハ続きがあるんだ。皆殺しにあったのハ、表 社会の人間だけジャナイ。裏社会の組織も全滅に陥ったンダ。しか も一説によれば、﹃斬魔﹄は長い黒髪をなびかせ、日本刀を握った ⋮⋮少年ダッタという。一人で裏組織まで全滅に追いつめる少年が、 簡単ニ警察なんかに殺されるト思うカイ? ⋮⋮ソウ、﹃斬魔﹄は まだ生きているという情報ガ、裏社会デハ流れていたんだヨ﹂ 嫌な感じがする。純也の中で、勝手に嫌な方向へ推測が流れてい く。十年前、連続殺人、斬魔、日本刀、少年⋮⋮生きている⋮⋮! ﹁そして十年経った今ニなって、マタ同じ手口の連続殺人が起きた。 ダカラ表社会では騒いでいるのサ、﹃斬魔が蘇ったんじゃないか﹄ ってネ﹂ ﹁で、でも斬魔は確かに死んでいるんでしょ? だって警察が⋮⋮﹂ ﹁ボクが言いにキタのはここからサ。ボクは、警察のある人間カラ 依頼を受けたんダ。﹃斬魔が今どうしているか調べてほしい﹄と。 驚いたヨ、警察は処刑したコトにしてるのに、そんなコトを言って くるんだからネ。それで、ボクは斬魔が生きているコトを確信しタ。 調べていくウチにわかった、斬魔の正体は︱︱︱︱﹂ ﹁もういいっ!﹂ 34 遼平が突然怒鳴った。驚いて、純也は立ち上がった遼平を見上げ る。その顔は怒りに耐えきれなくなったように憤っていた。 ﹁⋮⋮そうだネ、これ以上は言うまでもないカナ? ︽斬魔︾、霧 辺真のコトは﹂ 35 第一章﹃救えぬ魂﹄︵5︶ ﹁どうやらキミは知っていたんだネ、遼平クン?﹂ ﹁てめぇ、俺達にそんな事言いに来たのかよ⋮⋮!﹂ ﹁事実上、キミ達の仲間を売ってしまったからネ。セメテものお詫 びだヨ﹂ 変わらず軽い笑みのフェイズを、拳を震えさせながら遼平は睨み 付ける。純也は繋がってしまった事実の糸に、ただ呆然としていた。 ﹁そんな⋮⋮まさか、真君が!?﹂ ﹁純也クン、残念だけどその通りサ。もう一度言うヨ、キミ達の部 長⋮⋮霧辺真が︽斬魔︾なんダ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮だからなんだってんだよ﹂ 遼平の声が震える。感情の爆発を堪えているように、微かな声で。 ﹁だからどうしたってんだよ! あいつは今回の事件とは関係ねえ っ!﹂ ﹁それでも警察は、部長サンを初めに疑ったヨ。前科があるんダカ ラ、仕方が無いヨネ﹂ ﹁あいつがやるわけねーだろうがっ!!﹂ ﹁⋮⋮そう言い切れるか?﹂ ﹁紫牙っ?﹂ 壁にもたれて腕を組んでいた澪斗が、一歩踏み出す。澪斗は冷静 で、いつもと同じ表情だった。 36 ﹁真はここ数日、一人で夜間の警備をしていた為にアリバイが無い。 ⋮⋮それも警察に伝えたのだろう? 情報屋﹂ ﹁流石澪斗クン、鋭いネ。それを踏まえた上での、昨日の強制連行 ってわけサ﹂ ﹁⋮⋮そうか﹂ ﹁そうか、じゃねえだろ! なに冷静に言ってんだよ!﹂ 遼平が澪斗の胸倉を掴む。今にも殴りそうな剣幕で、服を握り締 めた。 ﹁アリバイが無い以上、疑われても文句は言えまい。ヤツは昔、殺 人鬼だったのだからな﹂ ﹁紫牙てめぇ⋮⋮本気で言ってんのかよ!﹂ ﹁俺はふざけた事は言わん。放せ、蒼波﹂ ﹁許さねぇぞ!!﹂ ﹁貴様に許されようが許されまいが関係無いな。どけ﹂ 遼平の手を払いのけ、自分の荷物を持って澪斗は出ていこうとす る。 ﹁澪斗っ﹂ ﹁今日から例の依頼がある。部長が不在なぐらいでやらないわけに はいくまい。希紗、裏オークションの会場の情報を後で俺に送れ。 今夜八時から始める﹂ ﹁う、うん⋮⋮﹂ それだけ言い残し、澪斗は帰ってしまった。遼平が近くにあった デスクを蹴りつける。 ﹁くそっ、紫牙の野郎⋮⋮!!﹂ 37 ﹁落ち着いて、遼平﹂ ﹁これが落ち着いてられるか!? おいマリモキリシタンっ、てめ ぇもとっとと帰れ! これ以上ココにいたらてめぇもぶっ飛ばすぞ !﹂ ﹁オゥ∼、怖いネ∼。じゃ、ボクはもう失礼するヨン。希紗チャン、 今日は仕事があるみたいダカラまた今度にするネ!﹂ 茶をしっかり飲み干し、ラジカセを抱えて情報屋は去っていった。 再びサンバのリズムを流しながら⋮⋮。 ﹁⋮⋮友里依、気にすんじゃねえぞ。真がやるわけねーんだからよ﹂ ﹁ありがとう、遼平くん⋮⋮﹂ もう涙も乾いた笑顔で、友里依は頷いた。ひどく疲れたような感 じは残っていたが。 ﹁私、今夜の仕事の準備するわね。しっかり仕事しないと、真に怒 られちゃう﹂ フォローするような笑みで、希紗が遼平を見上げる。﹁さてと﹂ と立ち上がり、工業カバンを持ち上げて。 ﹁遼平⋮⋮、澪斗も真を疑ってるわけじゃないと思う。だって私達 ⋮⋮中野区支部が出来た時からずっと一緒だったんだもの﹂ ﹁⋮⋮﹂ 最初中野区支部は、真と澪斗、希紗の三人だけだったと聞いたこ とがある。よくもまぁたった三人で始めたものだと、遼平は呆れた ことがある。 ずっと黙っていることしかできなかった純也は、何かが壊れてい く感覚に、どうしようもない焦燥感を感じていた。 38 39 第二章﹃斬魔﹄︵1︶ 第二章﹃斬魔﹄ ﹁帰ったよー﹂ 大きい買い物袋を腕に下げて、純也は玄関のドアを開ける。 台所もあるリビングに入ると、夕方だというのに漆黒の闇が群が ってきた。 ﹁あ、宋兵衛来てたんだ﹂ 部屋中で羽ばたく蝙蝠を見て、驚かずに冷蔵庫へ向かう。リビン グのベランダへ続く窓の縁側で、遼平が肩に一匹の大きな蝙蝠を乗 せて座り込んでいた。︵わかりやすいんだから⋮⋮︶と、純也は苦 笑する。 自分で気づいていないかもしれないが、遼平には困惑している時 に宋兵衛達を呼ぶという癖がある。大抵は呼んで餌をやる程度だが、 それで自分の心を鎮めようとしているのかもしれない。実際、宋兵 衛達といる遼平の表情は穏やかだ。 ﹃ったく、てめぇの都合で一々呼ぶんじゃねえよ﹄ 遼平の肩に乗った群れのボス、宋兵衛が高音域の声で喋る。気だ るそうに翼を片方だけ伸ばした。 ﹃⋮⋮悪い﹄ ﹃なんだ? 今日はやけに素直じゃねえか﹄ いつもより大人しい契約者に、宋兵衛は横顔を見る。普段何にも 考えていなさそうな顔に、思案しているように眉間にシワが寄って いる。珍しいこともあるものだ、明日は雪かもしれない。 40 ﹁遼﹂ 短く呼ばれて、遼平は顔を上げる。マグカップを持った純也が隣 りに立っていた。いつの間に帰ってきていたのか、全く気づかなか った。 ﹁座っていい?﹂ ﹁⋮⋮あぁ﹂ ちょこんと純也が左隣に腰をつく。遠く右側の空が赤く染まって いて、風もそろそろ寒くなってきている。 ﹁みんな知ってたんだね、真君のこと﹂ ﹁⋮⋮他の二人がいつ知ったかはしらねえが、俺はあいつの口から 直接聞いた。入社して一ヶ月ぐらいした頃のことだ。友里依にも⋮ ⋮付き合う前にちゃんと言っておいたらしい﹂ ﹁だから最近、みんなの様子がおかしかったんだね。斬魔のニュー スがあったから⋮⋮﹂ ﹁バカな模倣犯だと思ってたんだが、言う必要は無かったからな﹂ ﹁真君の事知った時、どう思った?﹂ ﹁関係ねえと思った。別にあいつの過去なんか、しったこっちゃね えよ﹂ 遼平は純也から渡されたマグカップを受け取り、闇に支配されて いく空を仰ぎ見る。あの話をされた時、確か事務所の窓辺でこんな 空を眺めていた。 ﹁だから言ってやったんだ、﹃それがどうした﹄ってな。あいつ、 目を丸くして呆気にとられた顔しやがった。俺が非難すると思って たんだろうな﹂ ﹁怖くなかった? 少しも?﹂ ﹁全然な。だって真だぜ? どこが怖いんだよ、アレの﹂ ﹁遼は強いね﹂ 俯いて、自分の淹れたコーヒーの水面を見つめる。臆病で惨めな 41 自分の顔が黒い画面に映っていた。 ﹁僕⋮⋮聞いた時最初﹃怖い﹄って思っちゃった。真君なのに⋮⋮ 僕が知らない人になったみたいで。真君を信じたいのに、﹃斬魔﹄ って言葉が頭から離れないんだ。今でもあの話が嘘じゃないかって 思う﹂ ﹁純也、あのマリモキリシタンの話は全て事実だ。嘘だと思いたい 気持ちもわかる。⋮⋮今の真からじゃ、殺人なんて考えられねぇか らな。だから純也、俺は今のあいつを信じてる。昔がどうだったで あれ、今はあの真なんだ。⋮⋮信じる根拠なんて、それで充分だろ ?﹂ 相変わらず全く論理的ではない遼平の根拠に、純也は苦笑を漏ら す。⋮⋮それでも、その根拠を一緒に掲げてみたいと思った。 ﹁そう、だね。それじゃ、僕も何か根拠を探してこようかな﹂ ﹁純也?﹂ 立ち上がった純也を宋兵衛と共に見上げる。にっこりと微笑んで、 純也は部屋から出ていってしまった。 ◆ ◆ ◆ 公衆通信端末ボックスに入っていく少年が、一人。 特殊裏番号を十ケタ、五秒以内に打ち込むと、裏ネット内に存在 する︽とある部屋︾に通じる。 ﹃ようこそッ! お子様向け情報屋、︽コンちゃんのオウチ︾へよ く来たねッ! イジメの仕返し情報から思春期の誰にも訊けない知 識まで、僕がなんでも教えてあげるよッ!﹄ 遊園地に居そうなキツネの着ぐるみが、通信画面に映る。とても 42 愛らしくその両手を振って。 ﹁⋮⋮フォックス君、今日もココではその格好なんだね⋮⋮﹂ ﹃んん? 僕のそっちの名前を知ってるってコトは⋮⋮ロスキーパ ーの社員だね? あっ、な∼んだ、純也君かぁ﹄ 着ぐるみだと、どうも視界が狭いらしい。でかい着ぐるみの顔を 画面に近づけて、キツネの口の部分から人間の眼が見えた。 ロスキーパー本社に勤めている、専属の情報屋、社内では﹃フォ ックス﹄。専属の契約のはずなのに⋮⋮勝手にこんな部屋を開いて いるのは、社長に内緒だろう。あくまでプライベートなので、純也 はこちらへ連絡したのだが。 ﹃で、どーしたのかな純也君? ⋮⋮訊くまでもないかな、︽亡者 ︾に会いたいかい?﹄ ﹁やっぱり、フォックス君ならもう知ってると思ってたよ。わかる んだよね?﹂ ﹃ふーむ⋮⋮﹄と、キツネの着ぐるみは愉快そうな声を出してか ら。 ﹃まだ社長にも知らせてない情報だけど、教えてあげるよッ。⋮⋮ 純也君に、惨劇を知る勇気があるのなら﹄ ﹁⋮⋮お願い、教えて﹂ ﹃オーケー、オーケーッ。情報の奥に潜むモノは、君が見つけるん だッ。僕はそれのお手伝いッ。⋮⋮さぁ、地獄への片道キップだよ﹄ ⋮⋮数分後、もう日の暮れた街の寂れた公衆ボックスから、少年 が出て行った。 43 第二章﹃斬魔﹄︵2︶ ﹁希紗、一つ訊く﹂ ﹁何?﹂ ﹁⋮⋮コレは何だ?﹂ たった三分で倒した裏オークション警備員を片足で踏みつけ、赤 色が流れる床を眺める。 希紗が背を向けて立っていて、スパナをベルトに戻していた。ま だ先の長そうな通路は、再び静寂が。 床中に広がった赤い液体を指し、澪斗は率直な疑問を口にしたの だ。 ﹁ふふふふ∼、何だと思う∼?﹂ ﹁俺に問うな。わからんから訊いているのだろう﹂ ﹁⋮⋮もしかして、本気でわからないの?﹂ ﹁見当もつかん﹂ ﹁はぁ⋮⋮﹂と大きなため息を吐く。こんなに強い匂いがするの ノア に、わからないのだろうか。せっかく驚かせてやろうと頑張って作 ったのに。 澪斗が指しているのは、カートリッジ式銃から発射された赤く粘 性のあるこの液体である。強い、甘い香りが通路中に漂う。今回の 弾︵?︶は何なのか? ﹁これはね、事務所近くのスーパーで購入した無添加百パーセント の⋮⋮苺ジャムよ!﹂ バーンッとどこから取りだしたのか苺ジャムの瓶を突き出す希紗。 44 勝ち誇った表情の彼女の前で、澪斗はこれ以上無いくらいの嫌な顔 をする。 ﹁苺ジャムだと? 貴様、仕事をなめているのかっ﹂ ﹁まっさか∼、私はバリバリ真剣よっ! 結構威力あったでしょ?﹂ 確かに五人もの大の男が苺ジャムによって撃退されている。だが、 よりにもよって苺ジャムなのだ。 ﹁あ、ごめん、澪斗はブルーベリーの方が好きだったっけ?﹂ ﹁そうだ、ブルーベリーは視力に良いから⋮⋮って、違う! ジャ ムなど入れるなと言ってるんだ!﹂ ﹁大丈夫よ、自然にも子供にも優しいんだから﹂ ﹁⋮⋮俺に優しくしてくれ⋮⋮﹂ 項垂れて、敗北を感じる澪斗。腰に収めたノアから可愛らしい苺 の香りがしてくる。 ﹁⋮⋮ねぇ、私からも一つ訊くけど﹂ ﹁何だ﹂ ﹁どうして今回の仕事、勝手に私と澪斗に決めたの?﹂ 今回の依頼は、希紗の策によると二人いれば充分だということだ った。しかし﹃一切の責任を負う﹄などと勝手に言い放った澪斗は、 独断で希紗を指名したのだ。 ﹁蒼波が今の状況で︵いや、いつもだが︶冷静に動けるとは思えん。 純也なら尚更だ。貴様なら、あいつらよりは仕事に身が入ると考え た﹂ ﹁⋮⋮ちゃんと考えてたんだ﹂ ﹁当然だ。これしきの事で混乱しているようでは未熟だ﹂ ﹁澪斗は⋮⋮真のこと心配じゃない?﹂ ﹁フン、所詮他人事だ﹂ ﹁⋮⋮﹂ 45 俯いた希紗を無視し、背後へ振り返る。駆けてくる男の足音を待 ちながら⋮⋮珍しく澪斗の方から口を開いた。 ﹁殺人鬼の考える事など俺が知るか。人斬りは結局、人斬りのまま という事だ﹂ ﹁信じて⋮⋮ないのね﹂ ﹁俺は貴様らを信用した覚えはない﹂ 希紗を見もせず、追いついてきた荒井を確認して澪斗は再び歩き 出す。 ﹁うわぁ∼、ホンマに進むの速いですな。しかもあっさりと警備員 を倒してまうし⋮⋮俺、邪魔でっか?﹂ ﹁いや、貴様がいなければ︽金剛︾の確認が出来ない。戦闘に巻き 込まれないよう適度に距離をとって追ってこい﹂ 床に倒れる警備員達を呆然と見渡して、荒井は問う。依頼人に対 して、澪斗は無感情で命令口調。 ﹁でも、商品の格納庫はすぐ先よ。もう警備員はいないんじゃない ?﹂ 情報で集めて作った地図を見て、希紗は通路の奥を指す。確かに、 もう人の気配はしない。三人で進むと、通路から広がった空間、そ の先に扉。 ﹁ちょっと待って! 面倒ね、すごい数の赤外線センサーが働いて る。あぁ∼、こんなシステム作ってみたいわ∼﹂ ﹁私情を挟むな。こんなモノ、セキュリティの内に入らん﹂ 赤外線の糸が見えるのは、希紗の持っているスコープだけではな く、澪斗の眼鏡⋮⋮照準グラスにも映っている。その赤い糸の発信 源へノアで連射すれば、やがて全ての糸は消える。 ﹁わわっ、苺ジャムってこんなに便利なのね∼﹂ 46 ﹁⋮⋮貴様、これを想定内で作ったのではないのか?﹂ 驚いている希紗に、澪斗は頭を抱える。危なかった、何の疑いも 無く撃ったが⋮⋮他の弾丸だったらセキュリティが作動していたか もしれないのか。 頑丈そうな扉の横には、暗証番号を入力するための機械。もちろ ん、希紗達は暗証番号を入力する気など無い。荒井は不安そうに顔 を覗かせた。 ﹁どないするんでっか? まさか無理矢理壊すなんて⋮⋮?﹂ ﹁フン、俺をドコかの力馬鹿と同じにするな。希紗、やれ﹂ ﹁はいは∼い。あんまり好きじゃないけど、ハッキングはそこそこ 得意なのよね∼﹂ 既に希紗が取り出していたのは小型のパソコンと、ソレから伸び るコード。そのコードの先端が、マグネットのように機械画面にく っつく。 パソコン画面に映される英数字の羅列。その文字を読みながら瞬 時にファイアウオールを突破するためのウイルスプログラム作成を 始める。 ﹁希紗、どれくらいかかりそうだ?﹂ ﹁んー、ここのプログラム、レベル的には中の下ね。最速で七分程 度かしら?﹂ ﹁よし、六分半で片づけろ﹂ ﹁うわっ、相変わらずのこき使いっぷりね。⋮⋮じゃあ、そっちは 六分で片づけられる?﹂ ﹁当然だ﹂ 二人の会話に首を捻っていた荒井の耳にも、やがて大勢の人間達 が駆ける音が聞こえてくる。しかし希紗は振り返りもしないし、澪 斗は無表情で通路を見やるだけ。 ﹁﹁カウント、開始﹂﹂ 47 それぞれの敵へ、裏警備員は︽一掃作業︾に入る︱︱︱︱。 ◆ ◆ ◆ 暗い独房の中で、真は冷たい壁を背に座っていた。背後の上、高 い位置にある小さな窓から弱い月光が差し込んでくる。ただじっと、 精神を研ぎ澄ませるかのように目を細くしてこの牢の入り口を見る。 小さな音を立てて、不意に石が降ってきた。後ろの窓からだ。 ﹁⋮⋮誰や?﹂ 掠れるような声で呟く。外に人の気配がした。 ﹁僕だよ、純也だよ﹂ ﹁純也っ? 一体どうやって⋮⋮﹂ 壁を隔てて外にいるであろう純也に、真は驚いて窓を見上げる。 どうやってここまで侵入してきたのだろう? ﹁フォックス君にさ、真君が今どこに居るのか教えてもらったんだ。 驚いたよ、いきなり拘置所に送りこまれてるなんて﹂ ﹁何で来たんやっ。見つかったらどないするつもりなん?﹂ ﹁大丈夫、その時は逃げるから。真君が心配で来たんじゃないか。 友里依さんもすっごく心配してたよ﹂ ﹁そうか⋮⋮﹂ ﹁真君は何にもしてないんだよねっ? すぐ出てこれるよね?﹂ ﹁⋮⋮﹂ 返事が返ってこない。それは肯定の意なのか? ⋮⋮それとも、 否定⋮⋮? 48 ﹁純也、頼みたいことがある﹂ ﹁え、何?﹂ ﹁社長に⋮⋮辞表を出しておいてくれんか。ワイたぶん、ここから 出られそうにないわ﹂ 諦めたような苦笑と共に、予想もしなかった答えが返ってくる。 純也が壁の向こう側で動揺しているのが、なんとなくわかって真は 辛かった。 ﹁どういう事!? なんでっ?﹂ ﹁そうやな⋮⋮⋮⋮ちーとばかり長くなるんやけど、昔話を聞いて くれるか? 情けない戯話を⋮⋮﹂ そうして真は、ゆっくりと彼の過去を脳裏に蘇らせながら語りだ した。 49 第二章﹃斬魔﹄︵3︶ ﹁ごめん⋮⋮ごめんな⋮⋮、真﹂ ﹁母ちゃんっ、何でや、何でなん!?﹂ 目の前で血溜まりに倒れている母親を、真は揺り動かしていた。 ﹁母ちゃんな、やっぱり真を殺すことなんてできへんのや⋮⋮ほん まに⋮⋮ほんまにごめんな⋮⋮﹂ 横には既に息絶えた父親の死骸がある。腹部からの出血が止まら ない母親の身体を、真は抱いていることしかできなかった。 ﹁母ちゃん、ワイもすぐに逝くから⋮⋮﹂ 母親は、余力を振り絞って首を振った。薄れゆく視界の中で、愛 する息子をその瞳に映しながら。 ﹁真⋮⋮あんたは生きて。どんなでもエエ。生きてや⋮⋮﹂ そして母親は最期の願いを託して、息を引き取った。流血が弱く なっていく⋮⋮その温もりが感じられなくなる。 ﹁何でや⋮⋮っ、何でなんやァァァ︱︱︱︱っ!!﹂ 悲痛な叫びが居間に木霊する。両親の屍と、血の海、そして両親 の命を奪った凶刃︽阿修羅︾が残される。ただ一人生き残ってしま った真と、阿修羅が⋮⋮。 一家心中だった。ヤミ金融業社に謀られ、返済が不可能になって の苦渋の決断だった。だが、最後の最後になって、母親は真だけを 50 殺さなかった。しかも﹁生きて﹂との願いまで託して。 ﹁どうすれば⋮⋮ワイはどうすればエエんや⋮⋮﹂ 両親が死んだ今、一体何を支えに生きていけばいいのか。しかし 母親の最期の願いを裏切るわけにはいかない。どうして⋮⋮どうし てこんな事に⋮⋮っ。 ﹁阿修羅⋮⋮﹂ 脇に転がっている血に染まった黒刀、阿修羅が鈍く光る。霧辺家 の家宝⋮⋮凶刃︽阿修羅︾が。 その時、声を聞いた気がした。低く、闇から響くような圧倒する 声。 ﹃⋮⋮悲しみにくれる者よ、何を恨む?﹄ ﹁あいつらを⋮⋮父ちゃん達をはめおったあの金融会社を!﹂ ﹃⋮⋮心弱き者よ、何を望む?﹄ ﹁力や⋮⋮ワイに力さえあれば⋮⋮!﹂ ﹃憎悪に燃えし者よ、ならば我を手に取れ。そして全てを斬るのだ !!﹄ 真は阿修羅をその手に握った。禍々しくも生命の輝きを宿した、 その刀を。奪った命の紅を吸ったように、その黒刃はとても煌めい て。 ﹁行くで、阿修羅!﹂ 女のように長かった黒髪を払い、少年は立ち上がる。服を紅に染 めたまま⋮⋮︽斬魔︾が生まれた瞬間。⋮⋮それは真が中学三年生、 十五歳の秋のことだった。 51 着ているスーツを乱した男は、焦って腰を抜かしたまま、後ずさ る。目の前には護衛だった人間の死体群と、一人の少年。黒髪を血 に染めた少年が一歩一歩近づいてくる。 ﹁たた、助けてくれぇぇ⋮⋮っ﹂ ﹁⋮⋮死ねや﹂ 一瞬だった。瞬きする間も与えず、間合いに入られて一刀のもと に身体が二つに分断される。鮮血が降って、再び少年を紅に塗る。 裏社会の組織まで一人で全滅させた少年は、無表情でしばらく自 分が斬り捨てた躯を眺めていた。ここまでくる途中で受けた傷の痛 みなど無いように、もう自分か他人のモノかわからぬ紅を身にまと って。ただ、復讐のために⋮⋮。 真の家をはめたヤミ金融業社には、裏組織の援助があった。既に 金融業社の社員を皆殺しにした彼は、裏組織に乗り込み、今殺戮を 完了させた。⋮⋮しかし、これで終わってくれはしなかった。 ﹁⋮⋮⋮⋮殺す﹂ まだこの組織のバックには資産家、そして政治家まで関わってい たことを少年は知ってしまう。今の真にとって、もはや社会全てが 復讐の対象になりつつあった。 殺す。関わった者全てを。耐えきれない苦痛を味わわせて。 52 ﹁や、やめ⋮⋮!﹂ ﹁あああああぁぁああっ!!﹂ ﹁こ⋮⋮んな子供に⋮⋮!?﹂ ﹁⋮⋮全員、早う地獄に逝けや。ワイが逝かせてやるさかい⋮⋮﹂ それは、︽斬殺する魔物︾︱︱︱︱子供の純粋な憎悪と、人なら ざる力が成す、赤い、紅い、︽斬魔︾。 ◆ ◆ ◆ ⋮⋮それから斬魔の犯行は、除除に関西から東京へ近づいていっ た。その間僅か三ヶ月。想像以上に巨大だったヤミ金融のネットワ ークに関わった者、会社を潰していき、やがて辿り着いた首都東京 で。 ﹁ひ、ひいぃぃぃ⋮⋮っ﹂ ﹁⋮⋮あんたで最後や﹂ 参議院議員オオアサ タツロウの豪邸で、斬魔は最後の仇を前に していた。あの金融業社を裏からバックアップし、賄賂を受け取っ ていた政治家。 真は正門から真っ直ぐ侵入し、警備員や召使いの人間も斬殺して 最奥のオオアサの書斎まで来た。まだ若い参議院議員は、命乞いを する。 ﹁お前が⋮⋮斬魔⋮⋮! 頼む、許してくれ! 何故私が殺されな ければいけないんだっ﹂ ﹁⋮⋮わからんのか﹂ 53 ﹁お願いだ、何でもする! 教えてくれ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮あんたが援助していた金融会社のせいで、ワイの家族が 死んだ。死ぬ前に、それだけは知っておき﹂ 少年とは思えない低く重い声。思考全てが憎悪に満たされた殺人 鬼の、音。 ﹁慰謝料でも何でも払う! だからっ、命だけは⋮⋮!!﹂ ﹁金なんていらん。⋮⋮早う、死ね﹂ 刀を、突き出してから、一度鞘に戻す。そして、足に力を込めて。 ﹁︽動︾の章、第四奥義、毘沙門天﹂ 居合い抜きで凶刃が光った。黒々と鋭利な煌めき。それを最期の 視界におさめて、オオアサは真っ二つに裂かれていた。 ﹁⋮⋮⋮⋮終わった⋮⋮﹂ 血液を払って阿修羅を鞘に戻し、振り返る。大きくパトカーのサ イレンが聞こえ、やがて警官隊が大勢書斎に流れ込んできた。 ﹁現行犯逮捕だっ、観念し︱︱!?﹂ 最初に部屋に入ってきたコウイ刑事は、唖然として言葉を切って しまった。猛烈に臭う血と肉の悪臭など、感じなくなるくらいに。 ﹁そんな⋮⋮子供、だと!?﹂ 周りの警官隊も息を呑む。世間を騒がせた連続殺人犯︽斬魔︾で あろう人間⋮⋮表社会だけでものべ百人以上を殺害した人物⋮⋮様 々な推論が言われてきた中で、今その犯人が目の前にいる。長い黒 54 髪の、少年が。 ﹁なっ?﹂ ゆっくり血塗れの少年が先頭にいたコウイ刑事へ歩み寄ってくる。 警官隊が一斉に銃を向けた。 ﹁⋮⋮﹂ 腰に差していた刀を、少年は刑事に差し出した。呆然と、その意 外に重い刀を受け取る。 ほんの少しだけ、沈黙が場を支配する。しかし、誰かが意を決し て︽斬魔︾に飛びかかる。 喚声と共に警官隊が一気に少年に群がり、少年は全く抵抗せずさ れるがままになって取り押さえられていった。 55 第二章﹃斬魔﹄︵4︶ ﹁⋮⋮そろそろ何か喋ってくれないか﹂ ﹁⋮⋮﹂ 警視庁の地下、隔離牢の中で少年は瞳を閉じて座っている。︽斬 魔︾が警察に捕らえられてから三日経とうとしていた。 コウイ刑事は、隔離牢の外から少年を見つめる。彼には、この少 年と同い年くらいの息子がいる。正直、未だにこんな子供が連続殺 人犯だなどとは信じられなかった。 ふと刑事はポケットから隔離牢の鍵を取りだし、柵の一部になっ ている扉を開ける。そして自分から中に入って鍵をかけてしまった。 ﹁⋮⋮?﹂ 真は瞼を上げ、いきなり入ってきた刑事をまじまじと見つめる。 どかっと真の隣りにあぐらをかいた。 ﹁何度も訊くが、お前、名前は?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ ﹁はぁ∼、やっぱり答えてくれないか﹂ 大きくため息をこぼし、背後の壁によりかかる。少年は体育座り のまま足下だけを見ていた。 ﹁お前の持っていた刀から殺害されたオオアサ氏の血液が検出され た。他にも付着していた血液から考えても、お前が連続殺人犯だと いうことになっている。⋮⋮否定はしないのか?﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ やはり何も答えない少年。二人の呼吸しか聞こえない静寂。 ﹁なぁ、俺今夜ここで寝てもいいかなぁ?﹂ 突然問いかけてきた刑事に、真は訝しげな目を向ける。初めてそ 56 の時目が合った。 ﹁どうせ監視の人間は今日いないし、いいだろう?﹂ ﹁⋮⋮﹂ 変な事を言い出すものだと、真は眉間にシワを寄せてしまう。殺 人犯と一緒に寝たいか? ﹁よし、今日はもう遅いし、寝るか!﹂ 布団を持ってきて勝手に敷き始める刑事に、真は困惑する。 ﹁⋮⋮あんさん、変やな﹂ 三日ぶりに喉から声が出た。声変わりからまだ間もない、男子の 声。 いきなり口を開いた少年に刑事は驚いた顔をしたが、やがて笑顔 に変わった。 ﹁よく言われる。お前もそう思うか?﹂ 真はこくっと頷く。コウイの顔がより一層にやついた。布団を準 備しない真をよそに、もう刑事は布団の中に潜り込んでしまった。 ﹁俺のことを同僚も変人だって言うんだ。まったく、失敬な﹂ ﹁間違ってないんとちゃう?﹂ ﹁お前まで言うかっ﹂ うつ伏せになって頭だけを起こし、刑事は笑った。﹃変﹄という 響きを悪くは思っていないらしい。 ﹁なぁ、お前の事なんて呼べばいい?﹂ ﹁へ?﹂ ﹁だって﹃お前﹄じゃ、なんか嫌だろ。俺が呼んでてつまらないか らさ﹂ ﹁理由それだけなんか?﹂ ﹁あぁ﹂ 修学旅行の夜みたいなノリの刑事に、呆れてため息をつく。真は ゆっくりと両脚を伸ばし、天井を仰いだ。 57 ﹁⋮⋮シン﹂ ﹁シン、か。よろしくな、シン!﹂ きっと嬉しそうに微笑んでいるであろう刑事を、少年は見ない。 ﹁よろしく﹂と言われても、自分は犯人で相手は警察なのだ。 ﹁⋮⋮ところでおっちゃん、名前は⋮⋮﹂ 少し間を開けて、真は首を下げる。が。 ﹁もう寝てはる⋮⋮﹂ 枕に顔を押しつけたまま、中年刑事はいびきをかいて寝ていた。 その眠りに入る速度に脱力する。 ﹁ほんまにあんさん、変人や⋮⋮﹂ 少年の疲れたため息も、熟睡している刑事には届かなかっただろ う。 ◆ ◆ ◆ その後、真が取り調べ室に送られることは無く、毎日コウイ刑事 と隔離牢で会話をしていた。段々喋るようになってきた真と、いつ も他愛もない事を話す。 ﹁コウイはん、職務怠慢になるんとちゃいますか?﹂ ﹁いいのさ、現場は若いやつらに任せておけば。シンといる時の方 が楽しいしな﹂ ﹁ほんま、わからん人やで⋮⋮﹂ 毎日毎日殺人鬼と会話して何が楽しいというのか。それに、コウ イは事件に関係のある事は一切訊いてこない。息子が最近反抗期だ とか、髪が薄くなってきて困っているとか、同僚に水虫だと疑われ 58 ているとか⋮⋮。 だが、拘留されて一週間後に、やっと。 ﹁⋮⋮警察はな、まだシンを捕まえた事を世間に公表してないんだ。 シンがまだ子供だからってのもあるんだが、殺された被害者の関連 性に一筋の線を見つけてな﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁とてつもなくでかい金融業社が、バックにあった。⋮⋮そして、 それに何人もの政治家が関わっていた⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁もし⋮⋮もしもだが、お前がそれで殺人を犯していたのなら⋮⋮ 話はとんでもない方向に向かう﹂ 純粋な殺意で人を殺した幼い子供にはわからないのだろう、少年 は首を捻る。 ﹁率直に言えば、政界から大きな圧力がかかるな。犯人を公表すれ ば、必ず動機に皆注目する。それで政治家の悪事がバレれば、国民 の非難を一気に浴びるだろう。だから、政界としてはこの事件をあ まり表沙汰にしてほしくない。それで⋮⋮警察はシンの事を公表で きないのさ﹂ ﹁ワイは⋮⋮大人が嫌いや﹂ 呟いた少年に、刑事は悲しそうな表情をする。コウイの予想通り ならば、おそらくこの子は。 ﹁霧辺、真⋮⋮なんだよな?﹂ ﹁⋮⋮知ってたんか﹂ 特に驚いた顔はせず、諦めたように少年は苦笑した。その笑みに 刑事は心が痛むのを感じる。大阪府警からあった情報が正しいなら 59 ば、この少年の両親は。 ﹁ヤミ金融の取り立て被害にあっていた家の中で、夫婦が死んでい るのを発見された家がある。その家の独り息子が、行方不明になっ ていた﹂ ﹁⋮⋮ワイだけが生き残ってしもた。父ちゃんが腹切って⋮⋮その 後ワイが死ぬ予定やった。なのに、母ちゃんがワイだけ生かしたん や﹂ ﹁でも、お前の親がこんな結果望むと思ったのか?﹂ こんなありきたりな台詞しか吐けない、自分を悔やむ刑事。それ でも理想の答えを察していて、微笑む少年。 ﹁望まんやろな。わかっておった。けど、これ以外に﹃生きる﹄支 えが無かったんや﹂ ﹁シン⋮⋮﹂ ﹁アホやろ? ワイ、頭良くないねん﹂ 苦笑が深くなっていく。自嘲気味に。その顔は、これから下るで あろう己の処分を既に悟っているようだった。 コウイ刑事は何も言えなくなってしまう。この少年が行ったのは 過ちだ。しかし、こんな子供が他にどう生きる術を見つけられただ ろう? 目の前で両親を失った子供が、憎悪以外に生きる道の選択 肢があったのだろうか。答えられない⋮⋮自分だって、愛する妻子 を失ってしまったら、もしかしたら⋮⋮。 しかしこの少年は︽力︾を持ち過ぎたのだ。他の復讐者と比べた 時、彼は有り得ないほど強すぎた。あまりにも多くの生命を奪える ほどに。憎悪が彼をここまで強くさせたのか、偶然にも彼が強かっ たのか。想いの力がこれほどまでに強いのだとしたら⋮⋮人は、な 60 んて恐ろしい生き物なのだろう。 ﹁ワイはもう何回死んでも償えんほど罪を重ねてしもた。今更足掻 こうとは思わへんよ﹂ ﹁⋮⋮﹂ ﹁最後にコウイはんみたいな人に会えて、ちょっと嬉しかったわ﹂ 少年の笑みを前に、刑事は熱いモノを堪える。警察はおそらく、 この少年を公表しないまま処刑にするだろう。それが最も円滑にい く方法だ。少年はそれを全てわかっている。 ﹁コウイ刑事! 総監がお見えになりました!﹂ 監視官の声に、驚いて腰を上げる。数人の警官を連れた眼鏡をか けた男⋮⋮警視総監が隔離牢の前に胸を張って立つ。コウイが焦っ て敬礼した。 ﹁総監自らお出でとは、何事ですか?﹂ ﹁うむ、そこの連続殺人犯の処分が決まった。立て、霧辺真﹂ 真が無言で立つ。そのまま、警視総監は懐から一枚の紙を取りだ した。 ﹁罪状、殺人罪。貴公、霧辺真を、計百十二人を殺害した罪で処す る。⋮⋮刑罰は、死刑﹂ ﹁総監! 裁判も無しにいきなり死刑は⋮⋮!﹂ ﹁これは上からの命令と会議で決まったことだ。︽斬魔︾は現場で 抵抗した為に処刑したこととする、よって貴公の処罰はココで行い、 霧辺真は一家心中で死んだものとなる﹂ 61 ﹁ココで⋮⋮処罰? 総監っ、まさかっ!﹂ ﹁⋮⋮やりなさい﹂ 警視総監の後ろにいた警官達が、一斉に少年を囲む。そして、後 ろから腕を羽交い締めにし、身体を倒し、布らしきモノで猿ぐつわ を噛ませた。これから目隠しもするらしい。最後の瞬間に、泣きそ うなコウイと目が合って、︽斬魔︾は微笑んだ。 やがて視覚も奪われ、残った聴覚が﹁シン⋮⋮っ﹂という音を聞 き取って。だから、その気配の方へ、自由に動かせない口で、﹁さ よなら﹂と。 右腕の動脈に何かが突き刺さる痛み、おそらく注射器か何かだろ うが、わからない。ただ、﹃何か﹄が体内に流し込まれ、それが身 体を巡っていき⋮⋮⋮⋮血液が煮えたぎったような激痛で、︽斬魔 ︾はこの世から消された。 62 第二章﹃斬魔﹄︵5︶ 自分は地獄に逝くべき人間ではない。 地獄などでは許されない⋮⋮もっと、もっと、永久に苦しみ続け る場所へ︱︱︱︱。 瞳を、開く。開くことが、出来る。寝かされた身体、その四肢の 感覚が、ある。 ﹁⋮⋮?﹂ 古ぼけた見知らぬ天井が見えて、真は上半身を起こしてみる。そ れだけで、何故か目眩がして身体がすごく重い。 ﹁やっと生き返ってくれたね。待っていたよ﹂ 人の気配など全く感じなかったのに、突如かけられる声。驚いて その方向を見ると、小柄な老人がいた。高齢で不思議な雰囲気の、 白髪の老人。 ここは、どこかアパートらしき何の家具も無い部屋、その先のキ ッチンで穏やかに緑茶をすすっている老人。寝かされていた身体に は、毛布。 ﹁生き、返った⋮⋮? ワイ、まだ死んでへんのかっ?﹂ ﹁あ、ゴメンゴメン、ちょっと変な言い方しちゃったね。君の身体 は、一度も死んでない。︽霧辺真︾も︽斬魔︾も、もう死んでしま ったけれど、確かに君は生きている﹂ ﹁どういう⋮⋮意味や? あんさん誰なんや?﹂ 63 ﹁私は君のことを知っている。でも、君は私のことを全く知らない。 フェアじゃないけど、これから私の説明を聞いて⋮⋮そして、契約 の話をしたい﹂ 老人の語りは何の脈絡も無いようで、真は混乱するばかりだ。け れど、年齢以上に大人びた⋮⋮いや、何もかもに絶望した彼は、流 れに任せることにした。 ﹁あ、でもその前に、コレを君に返しておこう﹂ 老人が差し出した棒状のモノは、間違いようもなく、 ﹁阿修羅⋮⋮!﹂ 受け取ることができない、その様子を見た老人は少年の手元にそ っと刀を置いた。そして、本題に入る。 ﹁君は死んでしまうには惜しい人材だ。だから、警察の上の方に頼 んでココに運んできてもらったんだ。ちょっと荒々しい方法でゴメ ンね、かなり強力な麻酔を打ったらしくてさ﹂ ﹁なら⋮⋮あんさんが、ワイを死なせなかったんか!﹂ 老人の胸倉を掴む。この老人のせいで⋮⋮死ぬ機会を失った! 何故こんな老人がそんな事が出来るのかとか、そんな事は真の頭の 中に無かった。ただ、目の前の男のせいで死ねなかった⋮⋮それは 事実だった。 ﹁そうだよ。君にはまだ生きててもらわないと﹂ ﹁何でやっ、何でみんな死なせてくれへんのや⋮⋮!﹂ 老人の胸倉を離し、がっくりと膝をつく。床についた両手のすぐ 隣りに、まるで鞘のままだと木刀のような阿修羅が転がる。︽あの 64 時︾と同じだ⋮⋮また、阿修羅と自分が⋮⋮。 ﹁⋮⋮そう簡単に死ねると思わないでね。あれだけ他人を殺してお いて自分も死のうなんて、虫が良すぎるよ﹂ 手をついた真の前で、老人は淡々とした口調で続ける。 ﹁私は、君の償いを手伝おうと思ったんだ﹂ ﹁償い⋮⋮?﹂ ﹁そう。君の犯した罪は重い。だから、これからの人生をその償い に費やしてみないかい?﹂ ﹁⋮⋮ワイに何をさせようって言うんや?﹂ ﹁︽守護︾さ。護ってほしい、君の力で﹂ ﹁護る? 一体何を?﹂ ﹁そうだねぇ⋮⋮人々の大切なモノを︱︱︱︱想いを﹂ 顔を上げた真を見つめ、やっぱり微笑んだまま老人は語る。真は そこで初めて気づいた。気配を感じてわかる、この老人はあまりに も強大な力を持っている⋮⋮隠しきれないほどの。真の力でも、全 く敵う気がしない。 なのに、力ずくで無理矢理に引き込まず、温厚な微笑みを崩さず に。 ﹁地獄より苦痛に満ちた世界⋮⋮﹃裏社会﹄で、︽守護業︾をやっ てみないかい? 私はね、﹃ロスキーパー﹄っていう裏警備会社の 社長なんだ。つまりは、君をスカウトしようと呼んだってこと﹂ ﹁ロスキーパー⋮⋮?﹂ ﹁うん。もちろん、決定権は君にあるよ。多くの生命を奪ったその 刀と共に、護ってみないかい? 贖罪、として﹂ ︽阿修羅︾と共に? 償いきれるわけがない⋮⋮しかし、自分は 罰せられるべき存在。この命を︽守護︾に捧げることで、それが罰 となり、贖罪になるのなら。 65 ﹁⋮⋮やらせてください。お願いします﹂ 土下座をして、深く頭を下げる。この老人になら、ついていく。 ﹁ありがとう、真。じゃあ一緒に来てくれるかな、本社へ案内する よ。ココは、私のちょっとした隠れ家のような所でね﹂ 湯飲みを置いて、老人は玄関へ歩き出す。 真は一瞬、その手に再び阿修羅を握ることを躊躇ったが⋮⋮光の 戻った瞳でいつよりも強くその鞘を掴んだ。 ﹁あのっ、ところで社長はん、お名前は⋮⋮﹂ かぜなぎ ﹁あぁ、忘れてた。私の名は、﹃風薙﹄⋮⋮よろしくね﹂ そして霧辺真は決意した。この老人に忠誠を誓うことを。もう、 あの︽声︾に負けないことを。⋮⋮この身が滅ぶまで、贖罪の為に 護り続けることを。 66 第二章﹃斬魔﹄︵6︶ ﹁⋮⋮⋮⋮﹂ 彼が話し終えた後も、純也は黙っていた。真が大きく深呼吸をす る音がする。 ﹁信じて、いいよね﹂ ﹁え?﹂ ﹁真君のこと。僕は信じるよ﹂ 今ならはっきり言える。﹁絶対に違う﹂と。この壁の向こうにい るのは、間違いなく純也のよく知る真なのだ。殺人鬼などではなく、 部長、霧辺真が。 ﹁ありがとな純也。⋮⋮でもこれ以上、みんなに迷惑かけたくない んよ。今回の事件、ワイは今ここで裁きを受けるべきなのかもしれ ん。明日には、ワイが﹃野田 真﹄として逮捕されていることを警 察が明かす。だから、それまでに社長に話をつけといてくれ﹂ ﹁そんなっ、僕は嫌だよ! 真君は、もう人を殺してないっ!﹂ ﹁きっと⋮⋮きっと今回の事件は、ワイの怨念の残像で⋮⋮そして 天罰や。ワイは、現世に残っていてエエ人間やない﹂ ﹁嫌だよ⋮⋮戻ってきてよ、真君⋮⋮! 真君がいなくなっちゃう なんて、悲しいよ⋮⋮っ﹂ ﹁⋮⋮純也、部長として命令する。頼む、辞表を﹂ ﹁っ!﹂ 何か言いたそうに、純也は言葉を切る。今まで真が部長命令なん てした事はなかった。いつもメンバーの好き勝手にさせてくれて、 上司ぶることは無かった。それなのに、こんな時だけ。 67 そして真実を知った今、純也は、あの依頼人のことを真に話すか どうか悩む。澪斗に口止めされていたが⋮⋮。 ﹁真君⋮⋮荒井鉄さんって人、知ってるんだよね?﹂ ﹁な!? なんで純也が鉄やんのコト知って⋮⋮まさか、東京に来 てるんか!?﹂ ﹁やっぱり、親友だったんだね⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮あァ。同じ剣術道場に通ってたんや。鉄やん、東京に居るん やなっ? 今、ドコに⋮⋮!﹂ ﹁荒井さん、真君が生きてることを知らなくて、それで︱︱︱︱﹂ ﹁誰だっ!?﹂ 外から別の声がした。見張りが純也を見つけてしまったらしい。 ﹁純也、逃げろ!﹂ ﹁でも真君、僕っ﹂ ﹁エエから早く! ⋮⋮ほんまに、ありがとな﹂ 一度壁を振り返ったが、純也は走り出した。見張りが数人駆けて くる。 高い拘置所の壁を難なく飛び越え、着地する。向こうの正門から 見張りが追ってきていた。 ﹁まずいな⋮⋮﹂ 前方の裏口からも走ってくる見張りがいる! 挟み撃ちにされそ うになった、その時。 後ろから急に眩しい光が射した。けたたましいエンジン音を唸ら せて、何かが近づいてくる。 68 ﹁純也!﹂ ﹁遼!?﹂ 瞬時に純也に追いついた遼平の大型バイクから、腕を伸ばされて 軽々と後ろに乗せられる。ワイバーンはスピンターンをして、再び 加速。見張りの人間を蹴散らし、公道に戻った。 ﹁遼、どうして⋮⋮﹂ ﹁フォックスから連絡があった。お前が︽斬魔︾の居場所を尋ねて きた、と。それで遅ぇから来てみりゃこの騒ぎだ。ったく、バカが﹂ ﹁ゴメン﹂ ﹁で、真には会えたのかよ?﹂ ﹁話しただけだったけど。⋮⋮遼、やっぱり真君は真君だね﹂ ﹁当たりめぇだろ。根拠、見つかったみてぇだな?﹂ ﹁うん。必ず⋮⋮必ず真君を助けよう﹂ ﹁はっ、言われるまでもねえ﹂ 完全に見張りをまいたバイクは、ネオンの消えることの無い街へ 疾走していった。 ◆ ◆ ◆ 東の空の色が薄くなる。表にも裏にも、陽は平等にその光を差し 込む。 ﹁もー、どうなってんのよ∼! これだけ荒らしても見つからない なんてっ﹂ 一度中野区支部事務所に戻ってきた希紗と澪斗、そして荒井の三 69 人は、次の行動に悩んでいた。 昨夜から大きい裏オークション会場へしらみ潰しに潜入してきた のだが、結局ドコにも︽金剛︾は無かった。 ﹁希紗、︽道化師︾には訊いてみたのか?﹂ ﹁フォックスには訊いてないわよ⋮⋮あの人、一々連絡する度に口 説いてくるし。でも、背に腹は代えられない、かしら﹂ 諦めた様子でため息を吐いてから、真のデスク上の通信端末から ロスキーパー本社へアクセス、情報部を呼び出す。 ﹃希紗ちゃん、僕を呼んでくれたねッ! これって愛のモーニング コールッ!?﹄ ﹁⋮⋮いつか私の技術で、画面先の人間を殴れるシステムを作って やるわ﹂ 女好きのフォックスがきっとそのピエロの仮面の下でにやけてい るのを想像すると、無性に腹が立ってくる。はた迷惑なこの前の外 人情報屋の件もあって、最近希紗は機嫌が良くない。 ﹁フォックス、黙って俺達の探す情報を調べろ。私語は許さん﹂ ﹃もしかして、希紗ちゃん達も︽亡者︾をッ?﹄ その言葉に一瞬固まった希紗の横で、澪斗がすぐさま﹁違う﹂と 断言する。その声色は、冷たく、重い。 ﹁東京の裏オークションに、神刀︽金剛︾という商品があるはずだ、 それを調べろ﹂ ﹃︽金剛︾だってッ? ちょっと、なんで君達がその刀を!﹄ ﹁あれ、知ってるの?﹂ 希紗の意外そうな言葉に、フォックスはふと動きが止まる。 ﹃﹁闇を斬るべく創られし、神の太刀︽金剛︾。西の凶なる刃を絶 つために﹂⋮⋮残された徳川家の文献によると、それは関ヶ原の戦 70 いで創られた、東軍の刀さ。西軍、石田側の︽凶刃︾に勝つために ねッ﹄ ﹁その西軍の︽凶刃︾って⋮⋮!﹂ ﹃そう、希紗ちゃんの想像通りッ。この二つの刀を近づけてはなら ない﹄ 希紗は焦ってデスク脇に振り返り、昨日のままの木刀を見やった。 澪斗は、目を細めて沈黙を守る。何の話かわからない荒井は、接待 用ソファに腰掛けてこちらの様子をうかがっていた。 ﹁フォックス、言い伝えなどはどうでもいい。俺は、その︽金剛︾ が何処にあるのかと問うているんだ﹂ ﹃あぁ、君達と話しているうちに検索はかけておいたよッ。今結果 が出たけど⋮⋮︽金剛︾は、ドコの商品にもなっていない﹄ ﹁もう誰かに落札されちゃったってコト!?﹂ ﹃その可能性も調べてみたけど、ほとんどゼロに近いね。さて澪斗、 ココで問題だよッ。かつて︽斬魔︾が使用していた刀とほぼ同等の 力を持つ太刀、この僕の情報網にも捕らえられない行方不明の太刀、 そして現在蘇った︽斬魔︾の持つ太刀⋮⋮さぁ、君の答えは?﹄ ﹁⋮⋮なるほどな。この俺に問題を出すには、貴様はヒントを出し すぎだ。甘く見られたものだな﹂ ﹁え、何が何なの?﹂ ﹃情報は、知るだけでは意味が無い。その知識を熟慮することで、 初めて情報は価値を得る。⋮⋮君の答えを、僕に見せてよ﹄ ﹁良かろう﹂ そう言って、澪斗は勝手に通信を切る。まだ混乱して唸っている 希紗を無視し、荒井へ振り返った。 ﹁荒井、残念だが︽金剛︾の詳しい場所はわからなかった。そこで、 71 どういった経緯で︽金剛︾が盗まれたのか、教えてくれないか?﹂ ﹁あ、はい。今から二週間ほど前です。盗まれるまで、俺はあの刀 がそんな大層なモノだとは知りませんでした。でも、親から家宝だ ったこと、言い伝えを聞いて、取り返しに来たんです﹂ ﹁その、霧辺という友人とは、幼馴染みか?﹂ ﹁そうです。同じ剣術道場に通う仲で、﹃閃斬白虎﹄という流派の 剣術です﹂ ﹁わかった。⋮⋮﹃魂を救う﹄などと言っていたが、霧辺には会え んぞ?﹂ ﹁ははは、そりゃ⋮⋮もうとっくに死んだ人間ですからな﹂ その荒井の笑顔は悲しそうなのに、澪斗は冷たい表情を変えない まま。そして、デスク脇にあった部長の木刀を持って、事務所から 出て行こうとする。 ﹁希紗、少し用事が出来た。仕事は一時中断だ、仮眠でもしておけ﹂ ﹁えっ、ちょっと澪斗ー!﹂ 疲れきった彼女の声に、返事は無い。しょうがないので、言われ たとおり仮眠しようとした。が。 ある人を思い出して、携帯通信端末をポケットから引っ張り出す。 ◆ ◆ ◆ ﹃もしもし⋮⋮友里依さん?﹄ 意識がハッキリしないまま、友里依は携帯にかかってきた通信に 出た。希紗からだ⋮⋮焦って涙の跡を拭うが、赤く腫れぼった目は 誤魔化せない。 ﹁ど、うしたの、希紗ちゃん? お仕事は⋮⋮﹂ 72 ﹃今は休憩です。友里依さん大丈夫ですか、独りで⋮⋮﹄ わざわざ仕事の休憩に、気遣って連絡をくれた希紗。それは上司 の妻へという態度ではなく、親しい友のように接してくれる。 ﹁ありがとう。心配しないで、私、家でずっと待ってるから﹂ 夫がいなくなってからずっと泣いたまま、食事もしていないけれ ど、それでも信じて待っていることが自分に出来る一番だから。 ﹃何かあったら連絡してくださいね﹄と言った希紗からの通信を 切って、友里依はふとベッド脇にあった写真立てを視線に映す。 それは、戸籍の無い夫との、正式には挙げられなかった小さな結 婚式の写真。 ﹁シンっち⋮⋮﹂ 記憶は、一年と半年さかのぼる︱︱︱︱。 73 第三章﹃咎人の舞台﹄︵1︶ 第三章﹃咎人の舞台﹄ ﹁あんさん、何してるん?﹂ 自分に投げかけられた言葉だと気付いて、友里依は顔を上げた。 すぐ目の前に立っていたのは、何かの制服のようなコートを着た金 髪の男だった。 ﹁⋮⋮何よ、あんた﹂ ﹁せやなァ⋮⋮この街の平和を護る者?﹂ ﹁は? 警察?﹂ ﹁ちゃうちゃう。ワイはただの警備員﹂ 笑って首を振る自称﹃警備員﹄に、友里依は胡散臭いものを感じ る。﹃ただの警備員﹄が、こんな路上にいるはずがない。ここは、 一日中若者と犯罪の絶えない街なのだ。 ﹁平和? 警備員? 頭おかしいんじゃない?﹂ ﹁うわ、きっついなァ。ま、そう思われてもしゃーないか﹂ 金髪の男は、苦笑して頭を掻いた。そして友里依の前で屈んで、 同じ目線で話し出す。 ﹁ワイは今仕事で、この街の治安維持活動っちゅーのをやっとる。 だから、路上におるあんさんら若者を家に帰さんといかんのよ﹂ ﹁私は帰らないわよ﹂ ﹁あちゃー、そう言うと思ったわ。一言で﹃はいそーですか﹄って いったらワイら必要無いもんなァ﹂ ﹁わかったら早くどっか行ってよ。私、あんたなんかに構ってるほ ど暇じゃないの﹂ 立ち上がって、カバンを持ち上げる。この厄介そうな人間から離 74 れようとした時。 ﹁⋮⋮援助交際、でっか?﹂ 止まった友里依に、大きなため息が聞こえる。図星だったのが少 し悔しくて、振り返った。 ﹁やめとき。後悔するだけやって﹂ ﹁あんたに何がわかるのよ。所詮男なんてバカな生き物よ。それを 利用して何が悪いっていうの? 私の勝手でしょ﹂ ﹁気付かないんか? 利用されてんのはあんさんの方なんやで?﹂ 真面目な顔つきの男と目が合った。蔑んだ様子など微塵も無い、 真摯な眼で。 ﹁身体だけやない。知らない間に心もズタズタに傷ついていく。気 付いた頃にはもう後戻りできなくなっとる。⋮⋮薬と同じや﹂ ﹁だから家に帰れって? 冗談じゃないわ、あんたの説教なんか聞 きたくない﹂ ﹁家に帰れとは言わへんよ。この街には家に帰られへん人間もぎょ うさんおる。援助交際やって否定はせん。それもある意味商売やと 思うからな。⋮⋮せやけどな、あんさんみたいな未来ある人間が足 突っ込んでいい世界やないんよ。下手をすれば裏社会と繋がってま う﹂ むすっとした表情のまま、その男を睨み上げる。男は、臆せずに。 ﹁帰らないまでも、他の街で普通に働けばエエ。⋮⋮近くな、この 街の不法一斉摘発を警察が行うんよ。このままココにいたら、捕ま ってまうで?﹂ ﹁なんであんたがそんな事知ってんのよ﹂ ﹁ワイの仕事は﹃街の平和を護ること﹄⋮⋮というか、本当はあん 75 さんみたいな﹃若者を救うこと﹄やねん。警察の手に渡る前に、こ の街から逃がそうってな﹂ ﹁あんた、一体⋮⋮?﹂ ﹁ワイは、裏警備会社ロスキーパー中野区支部のモンや。つまり、 裏社会の人間﹂ ﹁裏社会!?﹂ 思わず後ずさってしまう。怪しい人物だとは思っていたが、まさ か裏社会の人間だったとは。 ﹁⋮⋮せやなー、やっぱ怖いよなァ。あんさんよりよっぽどヤバイ 仕事やし﹂ ﹁っていうか、嘘でしょ? あんたみたいのが裏社会の人間?﹂ ﹁それはほんまやで。表社会のやつらはワイらの事ちょっと誤解し てるようやけど﹂ ﹁誤解って?﹂ ﹁ワイらかて、マトモな人間もおるって事。全部が全部ヤバイわけ でも無いんよ?﹂ ﹁ふーん⋮⋮﹂ 半信半疑で頷いてみる。少なくとも、目の前のこの男はマトモそ うでは無いが。でも、何故か危険な感じもしない。 突然、小さな警報のような音がやかましく鳴る。金髪の男の端末 の呼び出し音のようだ。﹁ちょっとすまん﹂と一言謝って、通信に 出る。 ﹁もしもしー?﹂ ﹃真君∼、助けてよ∼っ﹄ ﹁純也? どうしたん?﹂ ﹃あのね、大変なんだっ、遼がっ﹄ ﹁落ち着けって。遼平がどうかしたん? 初めから話してみぃ﹂ ﹃えっと、僕達が若い男の人達に注意したらなんだか怒られて、い 76 きなり殴りかかってきて⋮⋮そしたら遼が一発でその人倒しちゃっ て、それで、一気に乱闘に⋮⋮﹄ 少年の焦った顔の背後で、﹁わあぁっー!﹂と乱闘の声であろう 騒音が聞こえる。テノールの﹁てめぇらまとめてかかってこいやぁ ーっ﹂という叫びと、その直後に若い男達の悲鳴が響く。少年が、 泣き出しそうな顔で尋ねてきた。 ﹃真君、僕どうすればいいのかなぁっ? 男の人達助けた方がいい ? それとも︱︱︱︱うわあっ!?﹄ ドタンッと画面が揺れて、少年が消えた。暗い路地と暴れる男達 が映る。 ﹁どうした純也っ﹂ ﹃いきなり人が飛んできて⋮⋮遼が蹴り飛ばしたみたい。あっ、な んか仲間呼ばれちゃったよ! これじゃあ、︽護る︾どころか被害 者続出になっちゃう∼!!﹄ ﹁わかった! 今すぐそっち行くから純也はじっとしてろ!﹂ ﹃うん、真君早く来て∼!﹄ 端末を閉じ、男は方角を確認した。画面に一瞬映った歩道橋は、 確か街の北にあったはず。 ﹁すまん、なんか同僚がまずい状況っぽいから行かなきゃならへん わ。あんさんは、早くこの街から出て行くんやでっ﹂ ﹁え、ちょっと!﹂ 金髪の警備員はコートを翻して走っていった。名前も言わずに。 ⋮⋮いや、そういえば通信で名前を呼ばれていた。 ﹁シン、ね⋮⋮﹂ 77 第三章﹃咎人の舞台﹄︵2︶ 先日と変わらない路上で、二人の男と女が座り込んでいた。 ﹁なーんで出てってくれへんかなァ﹂ ﹁この前も言ったでしょ。私の勝手よ﹂ 今までの荒れ様が嘘のように、路地には他にほとんど人が見られ ない。この横に座っている警備員の働きで、この辺りの若者は退去 していった。 ﹁予定では今日、警察が来ることになっとるんよ? あんさんなん か、職務質問されたら怪しまれるで?﹂ ﹁その台詞、そっくり返すわ。そっちこそ、一発で逮捕されるわよ ?﹂ ﹁いや、ワイは危なくなったら即逃げるから﹂ ﹁⋮⋮あんた、見かけ通り弱腰ね﹂ 呆れてため息が出る。﹃街の平和を護る﹄とか言ってたくせに、 いざとなったら逃げるのか。まぁ、こんなヘラヘラとした男が強い わけもない。 ﹁ワイは平和主義者なん。別に、痛いのが嫌だからとか、そういう 理由じゃないでっ﹂ ﹁はいはい、一生言ってなさい﹂ もう相手にする気も起きなくて、友里依は適当に話題を変える事 にした。何故か、この場から立ち去ろうとは思わなかった⋮⋮どう してだろう、この人間とは一緒に居ても退屈しない。 ﹁それで、この前のヤバかった同僚、どうなったのよ?﹂ ﹁あ? 純也のことか? ⋮⋮あれはなァ、ほんまに大変だったで ∼。駆けつけてみたらもう不良の半分は倒れててな。それで同僚の 78 遼平︱︱こいつがまたアホでどうしようもないヤツなんやが、そい つをまだ見習いの純也と二人で止めに入って。結局不良のグループ は逃げていったんやけど、倒れてるやつらの処理に困ったんで、純 也と全員の意識が戻るまで看病してな。そしたら気がついたやつは 皆、遼平の顔見て泣いて逃げていったんよ。⋮⋮よっぽど怖い目に あったんやろなァ⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮ちょっと、そんな凶暴なやつが同僚なワケ?﹂ ﹁んー、まァ正確に言えば﹃部下﹄やな﹂ ﹁部下?﹂ ﹁ワイ、一応中野区支部の部長やねん。だから、社員は部下ってこ とになる﹂ ﹁部長∼!? あんたにそんなの勤まんの?﹂ ﹁⋮⋮ほんま、あんさんキツイなァ⋮⋮。ワイかて、望んでなった わけやないで? ウチの社長が勝手に決めたんや﹂ ﹁何よ、出世したんだから素直に喜べばいいじゃない﹂ ﹁それが全然喜べる状況とちゃうんやって。みんな人の話は聞かん し、すぐケンカ始まるし、自己中心的人間ばっかやし、まともに仕 事しようとするヤツおらへんし⋮⋮﹂ 色々と苦労を思い出したように、男は深い深いため息を吐く。こ んな見た目だが、苦労が多いらしい。急に男の背が暗くなったよう に友里依は感じた。 ﹁なんかよくわかんないけど⋮⋮、ま、まぁ頑張んなさいよ。ね?﹂ ﹁うぅ、ありがとな∼﹂ 何故自分が励ます立場になっているのかわからないまま、とりあ えず男の肩を叩く。いじけた子供のように金髪の警備員は背を丸く してアスファルトの地面を指でなぞっていた。 ﹁あんさん優しいやん。ワイ、わかってくれた人は初めてやわァ∼ ⋮⋮﹂ なんだか泣き出しそうな男に、友里依は思わず微笑んでしまう。 79 こんな人間が裏社会の者だとはやっぱり信じられない。普通⋮⋮で はないが、全然怖くない。 ﹁⋮⋮ねぇ、あんたシンっていうんでしょ?﹂ ﹁へ? ⋮⋮どうしてそれを?﹂ ﹁通信で散々名前呼ばれてたじゃない。本名は?﹂ ﹁⋮⋮﹂ 困惑したように眉間にシワを寄せる警備員に、友里依は首を傾げ る。名前を言いたくないのか? ﹁どしたの?﹂ ﹁なんちゅーか⋮⋮ワイ幽霊やから、本当は名前無いねん﹂ ﹁は??﹂ いきなり幽霊などと言い出した男は、苦笑の表情で空を仰ぐ。追 究したかったが、ついつられて友里依も夜空を見上げていた。何に も無い闇。東京ではもう星を見ることは叶わない。 ﹁もう存在の許されない生物⋮⋮生と死の狭間のモノ⋮⋮光ること も、輝いて散っていくことも出来ない、中途半端な星くず︱︱︱︱﹂ ︽何か︾を願っているようなのに、きっとその︽何か︾を、この 男は自分でわかっていない。更にそれを知っているから、自嘲を浮 かべて。その奥には、激しい自己嫌悪。 何故かそんな男の心が痛々しくて、友里依が口を開いたのと同時 に⋮⋮⋮⋮遠くパトカーのサイレンが聞こえた。 80 第三章﹃咎人の舞台﹄︵3︶ その国家権力のサイレンに、反射的に素早く金髪の警備員は立ち 上がり、焦って腕時計で時刻を確認する。 ﹁まだ時間やないのに⋮⋮!﹂ ﹁あ、警察来たみたいねー﹂ 呑気にサイレンのする方向を見ていた友里依の腕を、男は掴んで 立たせる。そしてそのまま走り出した。 ﹁ちょっと、何すんのよっ!﹂ ﹁あんさんかて捕まりたいわけやないやろっ、逃げるに決まっとる がな!﹂ 腕を引かれ、裏路地に入る。暗い路を何度も曲がりながら男は器 用に無線機を取り出す。 ﹁みんな、聞こえるか! 警察がもう来よった、全員退避せいっ!﹂ しばらくして、ノイズと共に複数の声が聞こえてくる。 ﹃こちら純也! こっちはまだかかるかも⋮⋮でもなんとかするか ら心配しないで!﹄ ﹃おい真、どうなってんだよ! まだ早ぇだろ!﹄ ﹃真、私はもう退避完了!﹄ ﹃一体どうなっている⋮⋮もうこちらには警察が来ているぞ!﹄ ﹁みんなすまん! ワイかて状況を把握できとらんのや。とにかく、 自分の身の安全を第一にすること! 無茶するんやないでっ!﹂ ﹃うん、できる限りやってみるよ!﹄ 81 ﹃当たりめえだろ、面倒くせぇなぁ﹄ ﹃無茶なんかしないわよ∼﹄ ﹃フン⋮⋮﹄ それぞれの応えが返ってくる。しかしまだ安堵しない表情で、今 度は携帯端末を引っぱり出す。親指だけでドコかへ通信を入れた。 ﹁早く出てください⋮⋮!﹂ 苛立っているような顔で通信画面を見入る。その間もより遠くへ と脚は疾走する。 ﹃もしもーし、どうしたね真?﹄ ﹁社長! どうなっとるんですか、なんかもう警察が来たんですが !? 十一時からじゃなかったんですかっ﹂ ﹃おや、私は十一時って言ったかね? 警察の一斉摘発は十時から だよ﹄ ﹁はァ!? どーしてそういう重要なコトを言い間違えるんですか !﹂ ﹃はっはっはっ⋮⋮嫌だなぁ、ちょっとしたミスじゃないか。誰に でもあることだよ﹄ ﹁開き直らんでくださいっ! まったく、忘れやすいんだからいつ も大切な事はメモしておいてくださいって言ってるじゃないですか ! だいたい社長から来る仕事はいつも変なのばっかりで︱︱﹂ ﹃もー、小言はやめてよー。⋮⋮それで、どうして通信をかけてき たんだい?﹄ ﹁⋮⋮安全確保の為の、やむを得ない場合での戦闘を許可してくだ さい﹂ 82 男の声に本気が宿る。端末に映った老人は少し驚いたような表情 をした。 ﹃おや珍しいね、君からそんな事を言ってくるなんて。⋮⋮相手が 警察だからかい?﹄ ﹁⋮⋮ワイは仕事に私情は挟みません。社員の安全を確保したいだ けです﹂ ﹃わかったよ。全て、君の判断に任せよう﹄ ﹁ありがとうございます﹂ 画面に真剣な面もちで一礼して、通信を切った。目の前に丁度良 い廃棄された車を見つけ、友里依をそこへ押し込んでドアを閉める。 ﹁もうっ、何すんのよ!﹂ ﹁今だけでエエ。そこに隠れてたってや﹂ そしてもう一度、男は無線機に口を近づける。 ﹁ワイや。しゃーない場合での武力行使を許可する! でもできる だけ逃げてや!﹂ ﹃あぁ? なんだよ、もう何人かやっちまったぞ?﹄ ﹃フン、言うのが遅い⋮⋮﹄ ﹁遼平、澪斗あんたらなァ⋮⋮。えぇい、もうエエ! でも手加減 するんやでっ﹂ ﹃あー悪ぃ真、無理だな﹄ ﹁何!?﹂ ﹃俺はなぁ、警察が大っ嫌いなんだよおぉっ!!﹄ 何かがぶつかる音と、人の喚声が聞こえる。遼平が完全に暴れて いる⋮⋮それだけは確かだった。 ﹃はーはっはっは! 捕まえられるもんならやってみろってんだよ ぉ!!﹄ ﹃どうしたの!? 真君、遼がまた暴れてるのっ?﹄ 83 ﹁あのアホがァ∼っ。純也、ワイは今動けへんからあんたが行って くれるか?﹂ ﹃わ、わかった! 僕頑張るよっ﹄ 少年の意を決した声が無線機から届く。︵見習いの少年に任され る社員って⋮⋮︶と友里依はつくづくこの警備員の会社を怪しく思 う。大体、部長である彼の指示を聞いていないではないか。 ﹁ねぇ、あんた達の方が大丈夫なの?﹂ ﹁あはは、まァ、なんとかなるやろ﹂ ﹁随分いい加減なのね﹂ ﹁好きなようにやらせてやる。責任はワイが持つ。⋮⋮認めたくな いが、何やかんや言って結局あいつらを信頼してるんよ﹂ そう言う男の横顔は、楽しそうな笑みだった。上に立つ者であり ながら、らしくない。ましてや裏社会の者なのに、そんなでいいの か? ﹁一番隊は通りを、二番隊はこのまま路地を行けーっ﹂ 小さかったが、確かにそんな声が聞こえた。大勢の人間が駆ける 足音が近くなってくる。 84 第三章﹃咎人の舞台﹄︵4︶ ﹁なんかこっち来るみたいよ⋮⋮?﹂ ﹁予想以上に早いなァ⋮⋮。よし、どーにかするか!﹂ 頭を掻いていた警備員が、足音のする方へスタスタと歩いていっ てしまう。思わず友里依は呼び止めた。 ﹁待ってよ! どうする気なの!?﹂ ﹁言ったやろ、ワイがどうにかしてくる。あんさんはそこから動か んといてや﹂ ﹁どうにかするって⋮⋮あんた一人でなんとかなる問題じゃないで しょ!? 逃げるんじゃなかったのっ?﹂ 男は、変わらないヘラヘラとした笑みで振り返って口を開いた。 いつの間にか、右腕に包帯で巻かれた棒状のモノが握られている。 ﹁確かにワイは平和主義者やけど⋮⋮仕事は︽守護︾。あんさんは ワイが護る、命に代えてもや﹂ 最後に安心させるような笑顔で手を振って、警備員は行ってしま った。口を半ば開けたままの友里依が残される。 ﹁⋮⋮命に代えても、って⋮⋮﹂ 穏やかではない言葉に何も言えなくなってしまった。その後ろ姿 が見えなくなった頃、ようやく声が出る。いくらなんでも、大袈裟 ではないか。相手はただの警察なのだし⋮⋮。 85 ﹁何者だっ、お前!?﹂ 路地の向こうで、叫ぶ声が聞こえた。その直後に銃声も。あの警 備員に向けられたものなのか? 友里依はそっと自動車から抜け出 る。 好奇心と不安で、男から動くなと言われた場所から移動する。声 のする方へ⋮⋮男が歩いていった方へ忍び足で歩く。ゆっくり壁か らその先の光景を見た。 ﹁危ないなァ、いきなり発砲すんなっちゅーねん﹂ ﹁お前を連行する! 抵抗すれば本当に撃つぞ!﹂ 両手を上げた金髪の男の前に、ずらっと警官隊が銃を向けて並ん でいる。友里依の位置からだと丁度男の背が見えた。 ﹁ちょ、ちょっと待てや。職務質問も無しに連行なんて⋮⋮﹂ ﹁弁解なら署で聞いてやる。大人しくついてこい!﹂ ﹁⋮⋮やっぱマトモな摘発やないんやな。社長が寄こしてくる仕事 やから覚悟はしておったが⋮⋮ったく、貧乏クジやで﹂ ﹁何をブツブツ言っている! 早くこちらへ来いっ﹂ ﹁どういう事や? 事情も調べずに連行なんて有り得へんやろ﹂ ﹁っ! う、うるさい! この街に居る者はほとんどが不法な者だ ろうが! 裏社会に入る前に更生してやるんだっ!!﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮そんな理由なんか。できれば穏便にと思うとったが⋮⋮ ワイも遼平の事言えへんなァ﹂ 静かに握っていた棒状のモノの包帯を解く。簡単に包帯は落ちて いき、鋭利な木刀が姿を晒した。それを水平に構える。 ﹁さァて、ワイも護りたいモンがあるんでな。本気でかかってきて 構わへんで?﹂ 86 ﹁抵抗する気か! 処罰開始を、許可っ!﹂ ︵本当に殺されちゃうっ!!︶ 一斉に引き金が引かれた。けたたましい銃声に、友里依は首を引 っ込めて目を閉じる。しかし、次に聞いたのはあの男の断末魔では なく、違う悲鳴だった。 ﹁うわっ﹂ ﹁な⋮⋮!?﹂ ﹁ひ、怯むなぁっ!﹂ 混乱したどよめきと悲鳴が路地に響いている。もう一度様子を見 ようと顔を角から出した。今度見えたのは、警官隊を薙ぎ払って蹴 散らしている、撃たれたはずのあの男。 ﹁ウソ⋮⋮﹂ まるで別人だった。あの、ヘラヘラとした、弱腰の、ストレス溜 まり気味の警備員では無いようだ。 瞬時に消え、また現れて優雅な太刀筋で警官隊を一掃していく。 飛んでくる銃弾をかわし、木刀一本であの人数を相手にしていた。 姿を確認する時は、そこで警官が倒された後。表社会の人間の眼 では追えない速度での一瞬の移動と、刹那の一撃。右腕に握った木 刀の先端で鎖骨を、左肘で反対に居た者の鳩尾を、突く。銃口の照 準が定まらないうちに手を木刀で打たれ、拳銃が落ちた時には所持 者も気絶。 警官達は恐怖で混乱して本当に男を殺そうとするのだが、全く歯 が立たない。⋮⋮警備員は確かに、命を賭けていて。 ﹁あんたで最後やな﹂ ﹁くそぉ⋮⋮っ﹂ 腰を抜かした隊長の周りに、急所を打たれて気絶した隊員が倒れ ている。二十人はいた警官隊が、五分としない内に一人の男によっ 87 て全滅された。驚異の強さを顕示した男は、隊長の前から木刀を離 してふと哀しそうな顔をする。 ﹁⋮⋮逃げてくれ。ワイはこんな事、しとうなかった⋮⋮﹂ 頼むような言葉に、隊長は素直に従った。惨めな悲鳴を上げなが ら路地を走り去っていく。 警官隊が倒れた中、男は俯いて哀しみにくれた瞳をする。男は、 こんな光景を知っているようで。その瞳には後悔、そしてまた、あ の自己嫌悪。 ﹁⋮⋮⋮⋮ワイは⋮⋮護りたいだけなんや⋮⋮﹂ その呟きは哀願するような、切実な声だった。誰に向けるでもな く、祈っているような言葉。 ︱︱︱︱強すぎるのに、脆すぎる︱︱︱︱。 友里依は、何も知らないのに、ふとそう感じた。 地獄などより恐ろしい社会で、あの男は己を嫌い続けて生きてい る。己を嫌うことで⋮⋮︽自己︾を維持している。そしてそれが、 生物の本能に逆らっていることも、知っている⋮⋮。 ︵叫びなさいよ⋮⋮︶ 誰か助けてくれ、と。 88 自分を救ってくれ、と。 苦しくてしょうがないのだ、と。 そんな感情を押し込めている男の瞳が、悲しすぎて、何故かどう しても愛おしくて、友里依は足を踏み出していた。 刹那、喉元寸前に木刀が突きつけられるっ! ﹁誰や!?﹂ ﹁っ!﹂ 音に反応して振り返り際に木刀を構えた男は、相手が友里依であ ることに気付いて急いで木刀を下げる。 ﹁す、すまんっ! なんでここに来たんや? 動くなって言ったや ろ?﹂ ﹁ごめんなさい⋮⋮。音がして⋮⋮その⋮⋮心配だったから⋮⋮﹂ 本当に裏社会の人間だったのだ、この男は。まだ信じられないが ⋮⋮でも、やっぱり怖くない。なんとなく目が合わせられなくて、 友里依は下を向いていた。 ﹁心配してくれたんか、ありがとな。ワイはなんとも無いが⋮⋮あ んさんは怪我とかしてないか?﹂ ﹁えぇ、私は⋮⋮﹂ 腰に木刀を戻した男は、友里依を気遣ってくる。 先ほどの自己嫌悪の瞳は隠して、陽気に微笑んで。それは辛い演 技、悲しい欺瞞。憎悪を口にすることは、相手にも重荷を背負わせ ることだと、そんな思考の結末。 89 ならば、自分に出来るコトは? 強引に心開かせるコト? きっ と、違う。 ﹁ありがとう﹂ ﹁へ?﹂ ﹁護ってくれて。⋮⋮ありがとう﹂ 男は不意をつかれたような顔をしていた。しかし、やがてその表 情が笑みに変わる。 ﹁まァ仕事やけど⋮⋮どういたしまして。あんさんが無事で嬉しい わ﹂ ﹁やるじゃないっ、ちょっと見直したわよっ﹂ 軽く肩を叩くと、男も優しく笑って。 一緒に笑う。例え相手は心の底からじゃなくても。己の嫌悪感に 向き合う時間を与えさせないぐらい、一緒に笑い続ける。演技を、 役者が忘れるほどに。 どうしてそこまでこの男に尽くしたいと思うのか、自分でもよく わからなかった。 ただ⋮⋮あの瞳の色を思い出すと、胸が締め付けられて⋮⋮もう あんな瞳は見たくない、けど、この人とこのまま離れたくない。 ︱︱︱︱見たいの、貴方の本当の笑顔を。 90 しかしすぐに、足音が複数聞こえてくる。﹁こっちだ!﹂という 声と、近づく駆け足の音。 ﹁うわー、またかいな。逃げるでっ﹂ ﹁え、戦わないのっ?﹂ もう男に手を引かれて二人は走り出している。あれだけの力があ れば、今度も簡単に倒せるだろうに。 ﹁ワイはなるべく人を傷つけとうない。戦わずに護りたいんや。⋮ ⋮もう、誰も傷つけとうない⋮⋮﹂ 握られた手に力が込められる。この男の過去に何があったのか、 友里依は追究しなかった。触れれば、何かを壊してしまう気がした から。 ︵このままでもいい⋮⋮︶ ふと友里依は思った。このまま、この路地が永遠に続けばいい。 ずっと、どこまでも二人で走っていたい。握った手を、離さないで。 貴方と同じ舞台で、演じてもいい? いつか二人一緒に、演技を 忘れて心の底から笑える日まで⋮⋮。 91 第三章﹃咎人の舞台﹄︵5︶ 大きくないビルの最上階の一室で、老人は通信画面を前に話して いた。 ﹃どういう事ですか。あなたがしっかり管理すると言うから任せた のですよ?﹄ ﹁そちらも随分と処理に困っていたじゃないか。第一、私は彼を︽ 管理︾すると言った覚えは無いね。彼の意志で私についてきてもら ったんだ﹂ ﹃またそういう屁理屈を⋮⋮。あなたのせいで被害者が出たという 事実を、わかっているのですか?﹄ ﹁おや、心外だね。彼は容疑を認めたのかい?﹂ ﹃前回と同じく、黙秘を続けていますよ。まぁ、ヤツがやったのは 九分九厘間違いないでしょう。今回は手を出さないでいただきまし ょうか? 今度こそ斬魔を処刑します﹄ ﹁名前の無い彼で、裁判でもするのかい?﹂ ﹃氏名などいくらでもつけることは出来ます。すぐヤツには死刑宣 告がされますよ﹄ 画面の眼鏡の男は、勝ち誇った表情をする。老人は変わらぬ穏や かな笑顔で話を続けた。 ﹁君も随分と手際が良くなったね。そこは褒めるべきかな?﹂ ﹃心にも無いことを。もうあなたが何を言っても無駄ですからね、 くれぐれも余計な真似はしないようお願いしますよ﹄ ﹁はいはい、わかったよ。私は何もしないよ﹂ 92 老人は肩をすくめる。男はそれに満足したように頷き、別れの挨 拶を言って丁寧に通信を切った。暗くなった画面と、老人が静かに 佇む。 ﹁近頃の警察は、立派になったんだねぇ⋮⋮﹂ 机に両手を組み、その上に顎を乗せて呟く。老いているのに年齢 がよくわからない不思議な外見の老人は、楽しそうに微笑んだ。 直後、小さくノック音が室内に響く。事前に知っていたように老 人はゆったりと椅子の背もたれに寄りかかった。 ﹁どうぞ﹂ ﹁失礼します﹂ 老人の言葉に反応して高い声が返ってくる。同時に、大小二つの 人影も。 ﹁今日はいろんな人に会えるなぁ。⋮⋮久しぶりだね、遼平、純也﹂ ﹁お久しぶりです、社長﹂ 入室してきた白銀の髪の少年が、深く礼をする。紺髪の男の方は 老人に見向きもしなかった。 ﹁二人揃って、どうしたんだい? 確か今日は、私の誕生日じゃな いはずだけど﹂ ﹁けっ、誰がジジイの誕生日なんて祝うかってんだよ。とっととく たばれ﹂ ﹁遼っ! すみません社長、僕達用事があって⋮⋮﹂ 親指を下に突き出して遼平は老人を忌々しげに睨む。とても社長 に対する態度ではない遼平を、純也は軽く小突く。相変わらず、社 長に隠すことなく嫌悪感丸出しだ。風薙社長はそんな二人の様子を、 穏やかな微笑みでただ眺めている。 ﹁私に用事? 何かな﹂ ﹁しらばっくれんなよジジイ! 見当はついてんだろうが﹂ ﹁⋮⋮真の事かね﹂ ﹁やはりご存じだったんですね、社長。僕は、その事について二つ 93 用事があって来ました﹂ 純也が真面目な顔つきで一歩踏み出る。遼平は不満そうな表情で そっぽを向いた。楽しそうな瞳で、風薙社長は純也の次の言葉を待 つ。 ﹁一つ目は部長、霧辺真からの伝言です。﹃今日中に自分を辞職さ せてほしい﹄と﹂ ﹁彼らしいねぇ。こちらに警察の手が回る前に繋がりを断ち切るつ もりかい﹂ しみじみと言う社長の前で、純也は両手を握り締めて昨晩の会話 を思い出す。言い渡された部長命令。彼が下した、最初で最後の⋮ ⋮。 ﹁それで、二つ目の用事は何だね?﹂ ﹁僕からのお願いです。⋮⋮今の辞職願いを、却下してください﹂ 風薙社長の細められた眼がやや開いた。純也は声を荒げる。 ﹁お願いします、真君を辞めさせないでくださいっ﹂ ﹁部長格の願い取り下げを君一人で出来ると思うのかい?﹂ ﹁だからてめぇに頼んでんだろうがっ!﹂ 遼平が急に社長の机に手を叩きつける。頼むような態度ではない が、それでも風薙社長が気を悪くした感じは無い。純也も遼平を止 めることを忘れ、必死に頭を下げる。 ﹁真君は絶対に無実なんです! だからっ﹂ ﹁警察なんか信用できねえ、俺達が犯人を見つけてやる!﹂ ﹁⋮⋮君達は真を疑ってないんだね。何故だい?﹂ ﹁物理的証拠はまだありません。ですが、僕達は真君の人格を信じ ています。お願いです、引き延ばすだけでもいい、辞職は待ってく れませんか﹂ 94 ﹁人格、か。今の真に人は殺せない、と?﹂ ﹁そうです﹂ ﹁⋮⋮わかった、とりあえず君達の願いを受け入れよう。でも、引 き延ばすだけだよ?﹂ ﹁ありがとうございます!﹂ 純也は嬉しそうに頭を深く下げる。遼平も小さく﹁どうも﹂と呟 いて下がっていった。礼を述べて退室しようとした二人に、ふと思 い出したように風薙社長は口を開く。 ﹁そういえば⋮⋮、澪斗も今日は本社に来てたよ。情報部に用があ ったみたいだったけど﹂ ﹁澪君が? 確か今は仕事中のはず⋮⋮﹂ ﹁けっ、あんなやつなんか知るかってんだよ! 余計なお世話だジ ジイっ﹂ ﹁おやおや、なんだかいつにもまして仲が悪そうだねぇ。もし真が 帰ってこなかったら⋮⋮彼が次の部長かもだよ?﹂ ﹁なんだと!? 冗談じゃねえ、絶対に真を連れ戻すぞ純也!﹂ ﹁あはは⋮⋮、そうだね﹂ 苦笑いになって、純也は部屋を出る。先に出ていってしまった遼 平を追っていった。 再び静けさを取り戻した室内で、風薙は立ち上がり、背後に広が っていた巨大な窓ガラスから灰色の街を臨む。ガラスに、実に愉快 そうな老人の顔が映る。 ﹁私は何もしないよ。⋮⋮私は、ね。﹂ 95 96 第四章﹃怨念の策略﹄︵1︶ 第四章﹃怨念の策略﹄ 真が先日まで夜間警備をしていたホテルのロビーで、遼平と純也 は立ち尽くしていた。 ﹁真を見たっていう証言は無いのか? ホテルの人間で、見てるや つがいれば⋮⋮﹂ 真がいたのは高層ホテルの三十五階。誰かが真を目撃していても おかしくないはず。 ﹁一応はフロントで訊いてみたんだけど、そんな人は誰も見てない ってさ。大体真君が仕事中に表の人に見られるような真似はしない と思うよ﹂ ﹁なんで仕事がそんなに大切なんだよ。どうしてあいつは必死なん だ?﹂ ﹁遼は毎回サボってるからねぇ。真君は、助けてくれた社長に忠誠 を誓ってるみたいだし⋮⋮社長の命令なら絶対に従うよね。僕は風 薙社長は好きだけど、遼はなんで社長が嫌いなの?﹂ 社長に会うことは滅多に無い。純也は、初めて会った入社面接の 時と、その後本社に行って二∼三回。遼平と社長が二人っきりで話 した事はあるのだろうか。 ﹁⋮⋮あいつとは昔色々あってな。ったく、あのクソジジイ⋮⋮﹂ 何か不機嫌な記憶を思い返したのか、遼平は不快な顔をする。そ ういえば、何故遼平はそんな嫌いな人間の下で働いているのか? ﹁遼はさ、なんでロスキーパーにいるの?﹂ 純也は自分の食費を稼ぐためだ。拾われた時、精神が不安定だっ 97 た純也は遼平の近くにいる事で安全とされ、それで自然と遼平の働 いていたロスキーパーで同じく働く事になったのだ。だから純也に は選択肢が無かったとも言える。しかし遼平は、他にも職業が選べ ただろう。 ﹁あのジジイが声かけてきたから仕方なくやってんだ。別に理由な んかねーよ﹂ ﹁社長のスカウト?﹂ ﹁まぁンなとこだろうな。俺は⋮⋮あいつにかくまわれて︱︱︱︱﹂ ﹁え? 何て言ったの?﹂ ﹁何でもねーよっ﹂ 最後の方が小声だったので聞き直すと、遼平は何故か答えてくれ なかった。遼平が気を悪くしないように、これ以上は訊かないこと にする。誰にでも、知られたくない過去があるものだ。⋮⋮そう、 誰にでも。 だから、話題をすり替えようとする。 ﹁ところでさ、社長って本当は何者なのかな? 社内の噂では表社 会でかなりの権力をもってるらしいよ。情報部のフォックス君が社 長に内緒で勝手に発行してる﹃ロスキーパーまる秘新聞﹄に載って たんだ﹂ ﹁はぁ? フォックスのやつそんなの出してんのか? っていうか、 お前なんで知ってるんだよ﹂ ﹁あのね、希紗ちゃんの愛読なんだー。見せてもらった!﹂ ﹁⋮⋮時々よぉ、俺や紫牙よりお前らの方がよっぽど仕事してねー ように感じるんだが?﹂ いつも遼平と澪斗のケンカの影に隠れているが、純也と希紗だっ 98 て依頼が無い時は各自好きな事をやっている。純也なんか茶を淹れ てるイメージしか無いが、実は机の引き出しの中には﹃折り紙三十 色セット︵金・銀色入り︶﹄が常にしまわれているのだ。マトモに 仕事しているのは真くらいだろう。 ﹁気のせいだよ。⋮⋮でさでさ、その新聞に毎回面白いムダ知識が 書かれててさ∼﹂ ﹁はっ、どーせくだらない事しか書いてないんだろ﹂ ﹁大半はそうだけど⋮⋮でもたまにスゴイ情報が紛れてるよ。﹃激 突! 札幌支部VS那覇支部﹄とか﹃ロスキーパー美女美男子ラン キング﹄とか。澪君なんか三年連続で上位にランクインだよ!﹂ ﹁紫牙の野郎っ、いつのまに∼! って、﹃札幌VS那覇﹄とか今 ヤバイの入ってなかったか?﹂ ﹁すごかったよ∼、我慢比べ対決での一回戦のサウナでは札幌支部 全滅だったけど、二回戦の雪生き埋めでは那覇支部全員凍結しちゃ って。決着つかないから最後は三十人で大乱闘! 後にそれは﹃ロ スキーパー南北合戦﹄と呼ばれ︱︱﹂ ﹁俺らって⋮⋮マジで暇人だよな⋮⋮﹂ 裏社会の中で一流と呼ばれながら、﹃変﹄と称されるのは社長の 人格のせいだ。あの社長が次から次へと﹃スカウト﹄と称して変な 人材ばかり拾ってくるからこうなるのだ。 ⋮⋮自分もその﹃スカウト﹄された﹃変の一員﹄である事に、遼 平は上を向いて歩きたくなった。 ﹁それで本元、風薙社長についてなんだけど。フォックス君の情報 99 網でも一向に尻尾が掴めない、すごく謎な人物なんだ。本名すらわ からない。表で権力があるらしいけど、どういう立場の人なのかさ っぱり﹂ 肩をすくめて両腕を上げる純也を前に、ふと遼平は真剣な顔をす る。 ﹁⋮⋮純也、あのジジイが何であれ、ただモンじゃないことは確か だ。知らねえ方がいい事もある﹂ ﹁遼?﹂ やっぱり何か知っているのだ、遼平は。︽知らない︾という事は 寂しいけれど、それで幸せである事も事実なのだろう。 ︽真実︾を知るという事は、必ずしも良い結果を招くわけではな い。それでも、︽真実︾を知りたいと純也は思う。︽過去︾を知っ ても、その人と変わらずにありたいと願う。真の事だってそうだ。 だから、そのために、まだ真と変わらずにあるために、今出来る コトを。 純也が取り出したのは、何故かフォックスから送られてきた十年 前の︽斬魔︾事件の詳細情報が書かれた紙束。斬魔が殺害した全て の人間、そして関わった警察の者で⋮⋮膨大な情報量だ。 ﹁⋮⋮? おい純也、この名前⋮⋮﹂ 紙束に顔を覗き込んできた遼平が、警察官の名前を指差す。それ は、︽斬魔︾事件を担当していた、一人の刑事︱︱︱︱。 100 名を、﹃荒井 銀﹄。 101 第四章﹃怨念の策略﹄︵2︶ ﹁これ⋮⋮﹃アライ ギン﹄って⋮⋮あの依頼人と名前似てねぇ?﹂ 神刀︽金剛︾の奪還依頼をしてきた、あの﹃荒井 鉄﹄という人 物と。 なんとなく直感で言ってみただけで、遼平自身は深く考えていな かったが。純也はその人物の詳細情報を見て、何かに気付く。 ﹁あぁ、この人、﹃荒井﹄って書いて﹃コウイ﹄って読むんだよ。 フリガナふってあるし⋮⋮真君の話でも聞いた。確か、真君に親し くしてくれた刑事さんだよ﹂ ﹁ふーん⋮⋮、じゃあ、依頼人のアライとは他人か?﹂ ﹁そうじゃない? ほら、出身地だって全然違うし、お子さんの名 前も違う﹂ 流石はフォックスの情報書、細かい部分まで調べてある。しかし、 頼んでいないのに、何故フォックスはこのような情報を送ってくれ たのだろう? ︵もしかして⋮⋮?︶ ふと純也は眼を細めて思考を巡らせる。 これは、フォックスからの何かメッセージではないか、と。 フォックスの言葉、﹃情報の奥に潜むモノは、君が見つけるんだ﹄ ︱︱︱︱奥に潜むモノ? 今回の連続殺人事件についての情報は。 102 十年前の︽斬魔︾事件と同じ手口の犯行。 しかし、今回は本当に無差別殺人。 犯行は東京都内、時刻は全て夜。 真はちょうどその事件少し前から、単独で夜間警備。 そして、真が拘留されてからは事件が止まった⋮⋮。 ︵全く引っかからない⋮⋮すんなり犯人が予測できる⋮⋮︶ 子供にだって、これだけの情報を与えれば誰が犯人だかわかる。 謎など、微塵も無い。 ︱︱︱︱だからこその、疑問。簡単すぎる故の、謎。絶対的な、 違和感。 ﹁でもよぉ、名前の読み方なんて面倒だよな。普通、これはアライ だろ? 漢字なんてどうにでも読めるじゃねえか﹂ ﹁あ、ははは⋮⋮、遼も何度か、﹃アオナミさんですか?﹄とか言 われてたしね∼﹂ ﹁蒼い波って書いて﹃ソウハ﹄って読むんだっつの。国民全員名前 をカタカナにしやがれっ!﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮え?﹂ ポカンと口を開けて、純也は目を見開く。そんな純也を見下ろし て、遼平は眉間にシワを寄せた。 ﹁なんだよ、今、俺のこと﹃漢字が読めないバカだから﹄とか思っ 103 たんじゃねえだろうな?﹂ ﹁違⋮⋮じゃなくて⋮⋮カタカナ⋮⋮?﹂ ただでさえ白い純也の肌、その顔が、青白くなっていく。急いで 手に持っていた書類をめくり、殺害された被害者名簿を物凄い速さ で読み直して⋮⋮一番最後の紙を見て、指が震える。 ﹁そうか⋮⋮そうだったんだ⋮⋮なんで気付かなかった⋮⋮!!﹂ ﹁お、おい、純也? なんだよ、ここに書かれてるオッサンが、ど うかしたのか?﹂ そこに写っている男性の写真とプロフィールを読んでも、遼平は 何もわからない。が、純也はすぐに。 ﹁遼っ、最初からだったんだ⋮⋮⋮⋮しくまれてたんだよ! これ は罠だっ!!﹂ ﹁は??﹂ ﹁とにかく、急いで友里依さんと⋮⋮あと、澪君にも連絡とって! 手遅れになる前にっ!﹂ 純也の必死な声に気圧されて、遼平はジーパンのポケットから携 帯端末を取り出す。しかしボタンを押す前に、勝手に携帯は画面を 変えた。 104 ﹁非通知の電話⋮⋮? 誰だよ⋮⋮﹂ 気付いた時には手遅れ。しかも、皮肉なほどの僅かな差で。 怨念の残像のシナリオは、完璧な完成へ︱︱︱︱。 ◆ ◆ ◆ 薄い日光が差し込み出す、穏やかな昼。事務所には、静かな寝息。 部長の机に突っ伏して平和に寝ている希紗へ、男がそっと自分の 上着をかけてやる。その笑みを浮かべた寝顔に、思わず口元が引き 上がってしまう。 ﹁⋮⋮動くな、荒井﹂ ﹁っ?﹂ いきなり湧いて出たとしか思えないほど、突然現れた気配と声。 先ほどまで希紗と荒井しかいなかった事務所、その荒井の背後に、 澪斗が立っていた。後頭部に突きつけられた銃口が、激鉄を上げる 衝撃も伝える。 ﹁な、何しはるんでっか、紫牙はん⋮⋮?﹂ ﹁この状況で、わからないか? 貴様を、︽消去︾する﹂ かつて、その銀に光る銃を常に紅に染めていたという、暗殺屋︽ 消去執行人︾が、背後で殺気を放っている。 105 ﹁冗談キツいでっせ? まさか、あんさん︱︱︱︱﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮猿芝居はここまでだ、三流役者が﹂ 執行人が浮かべるのは、蔑んだ笑い。その表情は見えないはずな のに、荒井の顔つきが険しくなる。 ﹁両手を上げろ。⋮⋮右手に持っているモノを落とせ﹂ しばし躊躇っていたが、ゆっくり、両腕を上げる。希紗のイスの 背もたれに接していた右手が握っていた︱︱︱︱短刀も。 ﹁この俺にくだらん芝居を見せたこと⋮⋮真をはめたことを、あの 世で後悔でもするがいい﹂ ﹁悪いが、俺、あんたのその偉そうな喋りめっちゃ気に入らんねん。 あの世で後悔すんの、あんたの方とちゃう?﹂ 背後へ回し蹴りを放った荒井の一撃を、バックステップで澪斗は 回避。その間に事務所のソファの側へと荒井は移動。 106 ﹁おっかしいなぁ。ココの連中は、あのガキ除けばそんなに頭回ら んやつばっかりやと聞いたんやけど﹂ ﹁俺は愚か者どもとは違う。貴様ごときの猿芝居など、見抜けるわ﹂ ﹁ほぉ∼。なら、俺の正体は?﹂ 決してあの好青年風だった荒井ではない、酷く残忍な笑みで澪斗 に尋ねる。澪斗は、銃口を荒井の左胸へ照準を合わせながら。 ﹁﹃閃斬白虎﹄流剣術免許皆伝者、同時に、最近の都内連続無差別 殺人事件犯人、荒井鉄⋮⋮これで満足か?﹂ ﹁嫌やわぁ、俺が人殺し? そんな証拠、どこにあるんでっかぁ?﹂ ﹁まず、貴様の家に元より神刀︽金剛︾など無かった。あの刀は、 関ヶ原の戦いで東軍が所持していたモノ。それが、関西に住む貴様 の家宝であるわけがない﹂ 今朝、澪斗が事務所を出て行く前に荒井にしたいくつかの質問。 真の幼馴染みということは、実家は当然関西のはず。 ﹁よって、︽金剛︾が盗まれた、などとははったり。⋮⋮いや、む しろ、貴様が盗んだのではないか? この関東に眠っていた、︽金 剛︾を﹂ その可能性は高い。フォックスの情報網に捕まらない名刀⋮⋮答 えは簡単だ、まだその刀は、使われていたのだから。 ﹁更に、愚かにも貴様は自ら言ったな。﹃真と同じ剣術道場に通っ ていた﹄、と。今回の事件、︽斬魔︾と犯行の手口が同じ⋮⋮とい うことは、つまり使用していた剣術の流派が同じということだ﹂ 真、あるいは同等の力量の持ち主で同じ流派の者⋮⋮容疑者は絞 られた。 107 ﹁ほほぉ∼、やるやないか。あんたみたいな人間、斬り裂いてみた いわぁ﹂ 鋼色の短刀、その刃を舌で舐めて、狂気に歪んだ笑顔を見せる。 目前の男を斬り裂く、イメージに酔っているのだろう。 ﹁フン、貴様に俺は斬れん。何故貴様が殺人を犯し、俺達中野区支 部をはめるような真似をしたか知らんが、ここまでだ。﹃霧辺には 会えん﹄と忠告しておいただろう?﹂ ﹁お堅い人やなぁ、親友にくらい会わせてくれてもエエんやないの ?﹂ ﹁﹃親友﹄だと? ほざくな下種、どの顔さげて真に会おうという のだ?﹂ 小さく、堪えられないように荒井が笑いを零す。﹁会えへんのは あっちの方やで﹂と、微かに呟いて。 ﹁⋮⋮貴様には、︽斬魔︾を名乗る資格は無い。︽斬魔︾とは、純 粋なる殺意、そしてそれをやがて受け止められる者が称される名。 貴様は、常に数多の他人の命を背負って生きる覚悟など、あるまい﹂ ﹁はっ、あの殺人鬼を相当気に入ってるらしいでんなぁ。あんたを 殺したら、霧辺はどないな顔すんのやろなぁ?﹂ どこまでも、可笑しそうに、楽しそうに。その笑みで、希紗にも 手をかけようとしたに違いない。 108 ﹁ん⋮⋮、あれ⋮⋮澪斗帰ってたの⋮⋮?﹂ 今更ながら、希紗が目を覚ました。そして、眼前の光景に唖然と する。リボルバー式マグナムを構える澪斗と、短刀を向ける荒井? 混乱し、女が慌てふためいたその隙に。 希紗の首もと目掛けて投じられる短刀、それをマグナムの銃身で 瞬時に弾き返すっ! ﹁本当は霧辺の部下も皆殺しにする予定やったけど、まぁエエわ。 じゃ、俺の﹃親友﹄、斬らせてもらうで﹂ 澪斗が短刀に気を取られているうちに、そんなコトを言い残して 荒井は窓を割って逃走した。ここは三階だというのに⋮⋮おそらく、 彼も裏の人間の基礎体力以上を持っているのだろう。 ﹁ちっ、俺が先日ガムテープで固定した窓を、よくも⋮⋮!﹂ ﹁なんかよくわかんないけど、怒るトコ違くない?﹂ ﹁希紗! 面倒なことになった、追うぞ!!﹂ ﹁う、うんっ!﹂ その時、澪斗の携帯端末が鳴り出す。 予想もしなかった人物から、想像できなかった事実を知らされる 109 ための。 110 第四章﹃怨念の策略﹄︵3︶ 昼間だというのに小さな窓しかない為に独房の中は薄暗かった。 微かに監視員がいる方から聞こえるラジオの音に、真は耳を傾ける。 電波状況の悪いここ拘置所では未だにラジオを使用しているらしい。 所々ノイズに阻まれながら、こんなニュースが聞こえてきた。 ﹃⋮⋮えー、今月十二日からの連続殺人事件の容疑者が、二十一日 に警察に捕まっていたことがわかりました。容疑者は東京都在住の 野田真、二十五歳です。警察の推測どおり野田容疑者は十年前の︽ 斬魔︾殺人事件の模倣犯であり、大方容疑を認めているもようです。 証言によりますと、﹁殺せれば誰でもよかった﹂などと無差別犯行 を話しており⋮⋮﹄ ﹁⋮⋮﹂ あまりのやり方に、思わず苦笑してしまう。ずっと黙っていたの だが、まさか証言まで勝手に偽装されるとは思わなかった。﹃野田 真﹄だって笑える。 ﹁﹃殺せれば誰でもよかった﹄、か。⋮⋮ワイめっちゃ悪者やなァ ∼﹂ 他人事のように笑ってしまう。時に、表の組織の方が裏よりよっ ぽどとんでもない事を平気でやるものだ。ショックとか悔しいとか いう感情より、呆れた感じが勝る。 ﹁失礼します。警視庁の者ですが⋮⋮﹂ ﹁はっ。ご苦労様です!﹂ 監視官の緊張した声がした。誰かがこちらへ歩いてくる音がする。 真が顔を上げると⋮⋮初老にさしかかり気味の男が一人立っていた。 真の口が半ば開き、遅れて言葉が出る。 111 ﹁⋮⋮コウイはん﹂ ﹁十年ぶりだな、シン﹂ 男の顔が嬉しそうに歪む。シワが増えた顔に、安堵が見えた。 ﹁なんつーか⋮⋮、ハゲたなァ、コウイはん﹂ ﹁おいおいっ、十年ぶりの言葉がそれか!﹂ 真の素直すぎる台詞にコウイが肩を落とす。顔はあまり変わらな いが、薄かった髪がかなり無くなってるのは確かだった。 ﹁あはは⋮⋮、すんまへん。元気そうで何よりですわ。で、こんな 所までどうしたんでっか?﹂ ﹁お前なぁ。シンがここに捕まってるっていうから焦って来たんじ ゃないか。まさかこんな所で再会することになるとはな。俺はあの 時、本当にお前が死んだんじゃないかと⋮⋮﹂ あの︽斬魔︾が処刑された時、無意識に苦悶の叫びを出したのを 覚えている。そんな様子を見れば、死んだものと思われても当然だ ろう。 ﹁⋮⋮ほんまにすいません。ワイもこんな事になるとは予想しませ んでしたわ﹂ ﹁やはりあの証言は嘘か﹂ 腕組みをし、コウイはため息を吐く。険しい表情で真を見つめた。 ﹁しかも偽名までつけられて⋮⋮何か言ったらどうだ﹂ ﹁ワイが何言っても相手にされんでしょう。まァ一度は死んだ身や し⋮⋮十年生き長らえただけでも儲けモンってことで﹂ ﹁俺はそんな結末は望まない! それで罪を犯した者を野放しにし て終わるっていうのか!﹂ ﹁⋮⋮コウイはん、忘れてへんですか。ワイだってその野放しにさ れた者なんやで?﹂ ﹁っ!﹂ 112 立ち上がった真が、牢の柵越しにコウイと相対する。十年前は見 下ろしていた少年が、今ではやや高いぐらいにたくましくなってい る。髪や声は変わったが、浅黒い顔は変わらない。⋮⋮その、全て を受け入れた大人びた苦笑も。 ﹁わざわざ来てくれてありがとうございます。でも、遅れながらに して制裁の時がきたのかもしれません。ワイはここで裁かれるべき だと﹂ ﹁⋮⋮いいのか﹂ ﹁え?﹂ ﹁お前はそれで、本当にいいのか? 残してきたモノはないのか﹂ ﹁⋮⋮﹂ 真は俯く。ふと、頭を友里依が過ぎった。そして、中野区支部の 部下達も。 残してきてしまったモノ達。無責任と言えばあまりに無責任だ。 しかしもう自分にはどうしようもない⋮⋮。 ﹁信じとるから。⋮⋮ちょっと不安やけど、みんなの事、信じてお るから﹂ だからいいのだと言う真に、コウイは微笑む。﹁そうか⋮⋮﹂と 首を振りながら、少しだけ幸せな気分になった。あの寂しい少年は、 この十年で生きる支えを再び見つけられたのだ。とても幸福な、生 き甲斐のあるモノ達を。 ふと意識に雑音が入ってくる。その音は除除に大きくなってきて いた。 ﹁何か外が騒がしくないか⋮⋮?﹂ 113 ﹁へ? そう言われれば⋮⋮﹂ 何やら叫び声が遠く聞こえてきた。直後、地響きと爆発音が轟く! ﹁な、何や!?﹂ 警報が鳴った。緊迫した声色で、放送が響く。 ﹃拘置所内に侵入者がありました! 見回りの者は外へ、監視の者 は総員監視体制に入ってください! 繰り返します⋮⋮っ﹄ ﹁侵入者だと? 今時拘置所破りなんているのか⋮⋮?﹂ ﹁実際来てるみたいですなァ。しっかしアホやな、拘置所に来るな んて物好きにもほどが︱︱︱︱﹂ すぐ壁の向こうでガチャッと金属音がしたと思うと、次の瞬間に は物凄い衝撃で独房の壁が吹っ飛んだ! あまりに驚いて、崩され た瓦礫の山を二人で呆然と見つめる。 ﹁あっ、ビンゴっ、真発見∼!﹂ ﹁こ、の声は⋮⋮﹂ 穴が開いたことで急に独房に光が差し込む。その先に、二つの逆 光になったシルエットがあった。あまりにも見慣れ過ぎた、予想も しなかった人物の影が。 それは⋮⋮こちらに向かって元気に手を振っている希紗と、小型 のロケットランチャーを肩に担いで瓦礫に片脚をかけた澪斗。 ﹁な、なな⋮⋮!﹂ 柵に背中を預け、驚愕して思考が回らなくなる。しかし、今一番 言うべき事を叫んだ。 114 ﹁何やっとんのやお前らァァ∼っ!!﹂ ﹁いや、何って﹃拘置所破り﹄﹂ ﹁こないな風に壁ぶっ壊しおって! 何考えてんのやっ!﹂ ﹁特に何も考えてはいない。この壁が邪魔だったから破壊したまで だ﹂ 当然の如く言い放つ澪斗に、頭を押さえたくなる。コウイと話し ていたから良かったものの、あのまま壁に寄りかかって座っていた ら今頃は瓦礫の下敷きだ。一瞬、︵殺しにきたのか⋮⋮?︶と疑っ てしまった。 ﹁おい⋮⋮アホな侵入者ってまさかあんたらの事なんか⋮⋮?﹂ ﹁誰が阿呆だ。撃つぞ﹂ 向けられたロケットランチャーの砲口に、真は焦って両手を上げ る。まさかもなにも、彼らのドコをどう見たら普通の面会者に見え るのか。間違いなく、この二人が騒ぎの原因なのだ。 ﹁ちょっと、そんな事言ってる場合じゃないってば! 見張りが来 るわよ﹂ ﹁何しに来たんっ? どうして︱︱﹂ 真の言葉を遮るように、澪斗が腕を振って真にモノを投げた。そ れを受け取り、真はさらに驚く。 ﹁阿修羅っ!?﹂ ﹁⋮⋮その刀をフォックスに調べさせた結果、事件で殺害された者 の血液が一人も検出されなかった。よって貴様がここにいる理由は 無いと判断した。犯人もわかったことだしな﹂ ﹁まさか、犯人って⋮⋮﹂ 115 ﹁真、今それどころじゃないの! 遼平から連絡があって、友里依 さんが何者かに誘拐されたって!﹂ ﹁何やて!? 誰がっ﹂ ﹁わからない! でもとにかく行ってっ! ここは私達がなんとか するから!!﹂ 鞘を握り、真は躊躇する。もちろん友里依を助けにいきたい。し かし、ここを二人に任せるというのは⋮⋮。 ﹁何を迷っている! 貴様が行かないでどうするんだ!﹂ ﹁お願い行って! 外で遼平が待ってるはずだからっ﹂ 駆けつけてきた見張りの人間に、澪斗が引き金を引いて威嚇射撃 をする。それでも何人かが爆風で倒れていった。 ﹁⋮⋮いい仲間ができたんだな、シン﹂ 背後で穏やかにコウイが呟く。柵から手を入れて、そっと真の背 中を押した。 ﹁行けよ。お前の居るべき場所はここじゃない﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮はい﹂ 一歩、また一歩前へ踏み出す。光の方へ⋮⋮仲間の方へと。ここ で死んでいる場合じゃない。護りたいモノがある。裁きはその後で も遅くはない。 ﹁走って真! 道は私が開けるっ﹂ 希紗が小型の機械を投げると、閃光と煙が炸裂した。爆弾ではな い⋮⋮ただの発光弾だ。 ﹁⋮⋮俺達の部長は貴様以外は認めん。行け﹂ ﹁やーっぱ、私達は五人揃って中野区支部でしょ!﹂ 116 ﹁澪斗、希紗⋮⋮。恩に着るっ!﹂ 煙の中を、部長は駆け去っていった。やがて完全に真が逃げた後 に、煙は晴れる。戸惑う見張りの前に立っていたのは、二人の侵入 者のみ。男の方は担いでいたロケットランチャーを投げ捨てる。 ﹁澪斗の用事って、アレだったんだ﹂ ﹁これが一番てっとり早かったからな﹂ ﹁遼平は絶対気付かなかっただろうね∼﹂ その予想は見事に的中している。なんだかんだ言って一番証拠を 掴めたのが澪斗だった。 ﹁そういえば⋮⋮、﹃俺は貴様らを信用した覚えはない﹄じゃ、な かったの?﹂ 意地悪い笑みで希紗は問う。かなりの人数に囲まれながら、まだ 二人は余裕の様子だ。澪斗は顔を背けてぶっきらぼうに言う。 ﹁フン、俺は信用していない。⋮⋮ただ、疑っていないだけだ﹂ ﹁なんか矛盾してない∼?﹂ ﹁⋮⋮﹂ もう澪斗は何も言わなかった。なんだか不機嫌そうにノアを構え る。希紗も倣って特製の発光弾︵こけおどし用︶を手にする。 ﹁蹴散らすぞ、希紗!﹂ ﹁まっかせてっ﹂ ノアから発射された苺ジャムが合図となり、たった二人の侵入者 を相手にした乱闘が始まった。 117 第四章﹃怨念の策略﹄︵4︶ ﹁真、こっちだ!﹂ 高い塀から難なく飛び降りてきた真に、声が届く。顔を上げると いつもの大型バイクを唸らせている遼平がいた。 ﹁遼平っ﹂ ﹁話は後だ、乗れ!﹂ 普段は純也の特等席である後ろに跨る。その直後にバイクが走り 出した為、バランスを崩し、真は落ちそうになる。よくこんな場所 に純也は乗っていられるものだ。 ﹁どうなってるん!? 純也はっ?﹂ ﹁あいつは先に行って様子見にいってる。手は出さないよう言って おいたから平気だ﹂ ﹁どうして場所が⋮⋮?﹂ ﹁誘拐犯からわざわざ電話があったんだよ。﹃愚かな君達に通告す る。今から言う場所に霧辺真を連れてこい、従わなければ女の命は 無い﹄、ってな。人をバカにした口調で喋りやがって⋮⋮﹂ ﹁ワイが狙い、か﹂ ﹁すまねぇ真、俺達がついていながら、友里依を⋮⋮﹂ ヘルメットをしていない遼平が悔しそうに歯を食いしばる。わか りやすいというか⋮⋮ひねくれているように見えて、結構遼平は単 純なのだ。そんな部下に苦笑を漏らす。 ﹁エエって、元はと言えばワイのせいやし。後はワイがなんとかす る﹂ ﹁⋮⋮お前の﹃なんとかする﹄はあてにならねぇんだよ。いつも⋮ 118 ⋮自分だけ勝手に突っ込みやがって。普通は逆だろ﹂ 不味い状況になると真は己を犠牲にしてでも他人を護ろうとする。 それが彼の言う﹃なんとかする﹄であり、それで中野区支部が何度 か救われたことも否めない事実ではある。しかしその性格は、上司 としては不向きとしか言いようがない。 ﹁無責任なんだよ。上司ってのは最後まで組織を統率しなきゃいけ ねぇだろ、一番先にいなくなるな﹂ ﹁うわー、遼平に説教されるとは思わなかったわァ﹂ ﹁何が言いたいんだよ﹂と遼平はむすっとした表情になる。真は 笑いながら、遼平の言葉をしっかり受け止めていた。 わかっている。自分は上司であるべきではない。時に冷静な判断 が出来ない事も知っている。それでも⋮⋮それでも、仲間が傷つく のは耐えられないのだ。誰かが怪我するくらいなら自分が⋮⋮、そ う思ってしまう。全てを護りたい。自分の身が滅ぶまで、もう誰も 逝かせたくない。その為ならば︱︱︱︱。 ﹁︱︱い、おい真?﹂ ﹁あ、あァ、すまん﹂ ﹁また変な事考えてんじゃないだろうな?﹂ ﹁んなコトあらへんって。ちゃんと前見て運転しぃ﹂ 前方を指差され、遼平は再び意識を運転に戻した。指定された廃 棄倉庫まで、もう間もなくだ。 ◆ ◆ ◆ 街外れの廃棄倉庫前に到着して、二人は広がる光景に唖然とした。 無数に転がる強面の男達の身体⋮⋮その中央で服の砂埃を払ってい る少年が一人。 ﹁純也、手出しはするなと言っただろ﹂ 119 ﹁遼、真君! いや∼、ゴメンね、先に手間を省いとこうと思って さ﹂ ﹁手間って⋮⋮純也まで巻き込みとうなかったんやが⋮⋮﹂ ﹁今更巻き込むもなにも無いだろ。まぁいい、よくやった純也﹂ ﹁うん!﹂ 頭に手を置かれて、純也は嬉しそうな顔をする。いつもなら争い を好まない純也が、ここまでする理由。きっとそれは希紗や澪斗、 遼平が駆けつけた理由と同じで。だから真は行かねばならない。無 事に、友里依を取り戻さなければ⋮⋮。 ﹁指定場所はあの倉庫ン中だ。行くぞ!﹂ ﹁チョォーット待ったアァ∼!﹂ 上から降ってきた声に、三人は驚いて倉庫の屋根を見上げる。コ ンテナなどの倉庫であるこの巨大な建物から次に降ってきたのは、 二メートル近い長身の外人だった。 ﹁え、フェッキー??﹂ ﹁ココから先は行かセないヨ∼︵条件つきダケド︶!﹂ ﹁はぁ? なんでてめぇが出てくんだよ! しかも括弧﹃条件つき﹄ 括弧閉じってなんだよっ﹂ ﹁フッフッフッ⋮⋮、ボクはいわゆる門番サ! ココからは部長サ ン、キミしか通さナイ﹂ ﹁へ? ワイ?﹂ ﹁ソウ! あとの二人にハ残ってボクの相手をしてもらうヨ。それ ガ条件サ﹂ 120 マリア フェイズは自分の身長ほどもある大鎌を構える。相変わらずのテ ンションで何を考えているのかわからないが、冗談ではないらしい。 ﹁けっ、てめぇが門番だと? 笑わせんなよ﹂ ﹁ジョークじゃないネ。ホラ、早く行かないと友里依サンが危険ダ ヨ? サぁサぁ、部長サンは行ってヨ﹂ 後ろ指で倉庫の戸を指す。我に返って、真が振り返った。 ﹁⋮⋮任せられるか?﹂ ﹁当たり前だろ。こんなマリモキリシタン、相手にするまでもねえ﹂ ﹁なんかよくわかんないけど、真君は先に行って。僕達もすぐに後 を追うから﹂ 頷いて、真はフェイズの横を通過していく。本当にフェイズは彼 を素通りさせた。大きな扉を開け、真は一人で中へ。 ﹁どういう事だ、説明しろよ﹂ ﹁イイヨ。ボクが依頼を受けたのはネ、警察の人間ダケじゃないん ダ。モウ一人⋮⋮もっと前から依頼人がいた。その人物ハ部長サン、 霧辺真が斬魔であるコトを既に知ってイテ、彼の現状を調べるよう に依頼してキタ。そして彼の性格、仕事傾向まで綿密ニ情報を集め て、今回の一連の計画ヲ実行したのもその人物サ﹂ 121 ﹁その人は⋮⋮⋮⋮大麻圭介君、だね?﹂ ﹁⋮⋮肯定は出来ないヨ、守秘義務があるからネ。でも、これだけ は言える。部長サンにかなりの怨恨がある人ダヨ。そうでなきゃ、 コンナにもヒドイ事は出来ないからネ﹂ ﹁結局そいつの思い通りに事が運んだってわけか。で、情報屋のて めぇがなんでココで出てくるんだ?﹂ 黒幕とフェイズが繋がっていたことは理解できた。フェイズが監 視していたのは、真だったのだ。真に容疑がかかるよう手伝ったの もフェイズ。そこまではわかったが⋮⋮。 ﹁そうだネ∼、言うなればアフターサービスってやつカナ? ボク の店は親切第一だからサ﹂ ﹁⋮⋮⋮⋮嘘だな﹂ ﹁⋮⋮うん、嘘だね﹂ ﹁ドッキーンっ、な、なんでバレちゃったのカナ??﹂ 大鎌を落とし、あっけなく動揺するフェイズ。よくこんな性格で 情報屋が勤まるものだ⋮⋮世も末か? ﹁なんだよそのわかり易すぎる効果音は。お前が、サービス精神で 危ねえ橋渡るわけねーだろ﹂ ﹁フェッキーが動く時って、大体が自分のためなんだよね⋮⋮﹂ 122 ﹁ウグググ、短いお付き合いデよくそこまでご存じだネ⋮⋮。エェ ーイ、こうなったラ全部正直に話しちゃうヨ! ボクはネ、この機 会に便乗して実力を調査しに来たんダヨ。謎の多いロスキーパーの 本当の力を﹂ ﹁俺達の力?﹂ ﹁まぁネ。でも、ボクだって一度にそんなに欲張らナイ。今日調べ るのハ⋮⋮純也クン、キミだヨ!﹂ 白い指でフェイズは純也をビシッと示す。悪戯っぽく指されて、 純也は﹁僕!?﹂と驚く。フェイズは満足そうに頷いた。 ﹁蒼波一族の力、︽鬼︾の遼平クンも充分東洋の神秘ダケド、キミ の能力はソレ以上にボクの興味をそそる。自然現象に人が介入でき るわけがナイ。どうやって風を操ってイルんだい?﹂ ﹁フェッキー、僕もよくわからないんだ。僕には過去の記憶が無い。 どうやって、って言われても、ただなんとなくとしか⋮⋮﹂ ﹁⋮⋮なるほどネ。ウン、まさに東洋のミステリー!﹂ ﹁おいこのマリモ! てめぇと話してる暇はねぇんだよ。わかった らどけっ﹂ 苛ついてきた遼平が腕を振る。フェイズは残念そうに大袈裟にた め息を吐いた。 ﹁モウっ、遼平クンはせっかちサンだなぁ。ボクは言ったでしょ、 純也クンの本当の力が知りたいノ。正直、キミだけはデータが集ま らないんダヨ。澪斗クン達の情報はそれなりに手に入れてるケド、 純也クン、キミはいつも力を自分でセーブしてる。そうだネ?﹂ ﹁っ!﹂ ﹁キミは裏社会で生きていくにハ優しすぎル。そのタメ自ら本気を 出さない。⋮⋮そんなじゃ、いつか死んでしまうヨ?﹂ 123 ﹁うるせえぞマリモ! どう生きようが勝手だろうがっ!﹂ ﹁もちろんそれは自由ダヨ、神は平等に我らをお創りにナッタ。⋮ ⋮サァ、ここでキミに選択肢をアゲル。本気でボクと戦って力ずく でココを通るか、否か﹂ ﹁そんなっ、通してよフェッキー!﹂ ﹁ボクと戦えば、ネ。おそらくキミは強大な力を隠してル。ボクは 情報屋として、それが知りたいンダ。⋮⋮いいカイ、ボクはキミの 大切な人の情報を売ったんダヨ? ボクを憎んでも全然おかしくな いと思うんダケド?﹂ ﹁それは⋮⋮! それは、フェッキーだって仕事だったから! こ の社会じゃ仕事は選べないっ、そうでしょ!?﹂ 純也に憎悪の感情は微塵も見られない。確かに純也の言うことも 正しい。善悪に関係無く、仕事人に選択権は無いと言える。だがそ れでも憎んでしまうというのも、また人情というものだ。 ﹁どうしたラ、そんなに人を恨まずに生きられるのカナ⋮⋮。じゃ あボクは、最終手段をとるシカないナ﹂ たぶんこの優しすぎる少年は、自分が殺されかけても本気を出そ うとはしないだろう。フェイズは少しだけ、彼を羨ましく想う。世 界中の人間が皆彼のようであれば、世界はこんなにも歪まなかった だろうか。これほどまでに透明な心の持ち主がもっと世界にいたな らば⋮⋮あるいは。 ﹁いい加減にしろよ! 何が戦うだ、てめぇなんか俺一人で充分だ !﹂ 遂に遼平の我慢が切れた。先程から自分を差し置いて勝手に話を 進めていく情報屋に、完全に腹が立ったようだ。遼平が黙って純也 とフェイズが戦うのを見ると思っているのだろうか。決して遼平一 124 人でも勝てない相手ではない。純也が出る幕は無いだろう。 長身の白人は、大鎌を拾い直して軽々と回し始めた。そして鎌の 部分を上に立てた状態で、ピタリと止め、短く英文を唱える。 ﹃⋮⋮我が父よ、我が行う罪、決して許されまじ。けれど我らが意 志の為、我は力を振るう!﹄ 純也には、その英語が聞き取れた。同時に、悪寒が走る。とても 嫌な予感がした。 ﹁いくヨ⋮⋮一瞬ダ﹂ 明らかにその声色が表情が⋮⋮テンションが違う。キッと眼を上 げたと思った次の瞬間には、その長身の姿は無かった。 何かが、陽の光を遮る⋮⋮! 125 第四章﹃怨念の策略﹄︵5︶ 影を知らせるのは、視覚。 無音を教えるのは、聴覚。 聴覚に頼りすぎた上の、不覚。その隙は、蒼波の人間だからこそ。 ﹁遼っ、上!﹂ ﹁な⋮⋮!?﹂ 顔を上げた時には、もう大鎌ごと降ってくる情報屋は回避不可能 な距離に。しかし、あの地点から鎌を振るには無理がある。これで はその刃で切るのも不可能。大鎌で最も危険な部位は、その弧を描 く刃なのだから⋮⋮。 そんな思考が、更に不覚であることに気付くには、手遅れ。 鎌の先端、棒の先が、遼平の左胸を全体重で突く⋮⋮っ!! ﹁が⋮⋮っ﹂ 無意識に漏れる、呼吸が止まる声。一撃の衝撃音も、その声も、 後ろにいた純也には聞き取れて。手を伸ばした時には、仰向けに倒 れる遼平とすれ違い。その倒れゆく身体、閉じられる瞳も、コマ送 りのように目に焼き付く。 鎌ごと男を地面に叩きつけて、遼平の意識が飛んだことを確認し てから、フェイズはバックステップで元の位置に戻る。 その考えられない俊敏さと遼平が倒れたことに呆然としていた純 也が、嗄れてしまったような喉から音を出す。 ﹁え⋮⋮?﹂ 何が起こった? 遼平が倒れていて、フェイズが厳しい顔でこち 126 らを見つめてくる。今、何が⋮⋮? 刹那の出来事だった。思考が回らない⋮⋮動いてくれない。数秒 ほど間を開けて、ようやく現状確認をする為に目が動く。 ﹁⋮⋮遼っ﹂ まず理解できたのは、遼平に意識が無かったこと。そして⋮⋮呼 吸も無い。 ﹁っ!?﹂ 脈も無い。医学に詳しい純也が間違うはずもなかった。心肺の停 止、意識の欠落、握った腕から感じられなくなる体温。受け入れら れない現実が、目の前に横たわっていた。 ﹁そんな、まさか⋮⋮? 遼っ!﹂ 純也がわからないわけがない。生死を判断することなど、容易い ことなのだ。⋮⋮それでも、頭がその答えを拒絶する。否定したか った。 ﹁⋮⋮死んでるヨ。ボクが殺した。﹃メシア・クロス﹄は受けた者 ノ息の根を止めル﹂ 淡々とした口調でフェイズは言う。純也の細い腕が震え出す⋮⋮ 冷や汗が流れる。 鎌の先端部分で身体を突いただけ⋮⋮だが、正確に心臓位置を。 目立つ外傷も、出血も見られないが⋮⋮即死。ショック死を狙った 技⋮⋮。 ﹁⋮⋮ありえないよ⋮⋮﹂ ﹁現実を受け入れられないカイ? これが西洋の奇跡ってやつダヨ﹂ どうして⋮⋮。 127 ﹁なんで遼が殺されなきゃいけないの!?﹂ ﹁キミの実力が見たかったカラ。キミの一番大切なモノを奪えば、 見せてくれルと思ったんダケドなぁ﹂ どうして。 ﹁そんな事のために⋮⋮﹂ ﹁ソウ、たったそれだけのタメ。ボクが憎いデショ、純也クン?﹂ どうしてっ。 ﹁僕は⋮⋮僕はっ﹂ ﹁サァ、その感情を堪えるコトは無いヨ。今、キミは大切なモノを 失った。そして奪った本人がココにいる。⋮⋮全力で殺しにきなヨ﹂ どうして⋮⋮どうして自分のために!! ﹁う⋮⋮あ⋮⋮っ、うああぁぁあぁあああぁああっ!!﹂ 少年の絶叫が、広い地に響く。強風が嵐のように呼び込まれてい く⋮⋮小さな少年の元へと。視界を塞がれながら、襲いくる気配に フェイズは跳んで回避っ。 何かが鋭く通過した音がして、服の袖が切れていた。先程まで居 た場所の地面が、刃物で切断されたように一直線に切られた跡があ る。切り裂かれる大地、それは神の逆鱗の如く。 128 ﹁⋮⋮!﹂ まだ渦の中心で純也の叫び声がしていた。見境なく風の刃が四方 へ飛ぶ。少年を中心に、地面が削られ、えぐられていく。 ︵力の暴走!? コレは⋮⋮︶ 本気というよりは、暴走に近いとフェイズは感じた。この風は、 おそらく操られているのではない。ただ強大な力に無理矢理引き込 まれているだけだ。嵐の中の少年は、もう自我を保っていない。 ﹁これがキミの力なのカイ⋮⋮純也クンっ!﹂ 大鎌を地面に突き立てて、なんとか立っていられる。撒き上がる 砂で前が見えない⋮⋮気を抜いたら吹き飛ばされてしまいそうだ。 上空に雲が集まりだし、影が差す。 ﹁ああぁっ、うあぁぁあーっ!﹂ 暴風が治まっていく。力尽きたのかとフェイズは必死に顔を上げ た。急に辺りは静寂を取り戻す⋮⋮俯いた少年と、その足下に倒れ た男があった。 ﹁⋮⋮?﹂ 静けさの中フェイズが一歩踏み出した時、鋭い裂く音と共に鮮血 が地に舞う⋮⋮。 触れてはいけない力、目にすれば最期の禁忌の奇跡︱︱︱それは 神か、化け物か。 129 第五章﹃贖罪のために﹄︵1︶ 第五章﹃贖罪のために﹄ 軋んだ金属音を立てて、巨大な扉の隙間から真は倉庫に入る。暗 く広い倉庫の先は、最初は何も見えなかった。老朽化の進んだ屋根 から、所々光が射し込む。 ﹁出てこいっ、ユリリンを返せ!﹂ ﹁遅いんだよ、待ちくたびれたじゃないか﹂ まだ高い子供の声が返ってきた。想像していなかった声に、驚き ながらも目を細める。 暗闇の先に、黒っぽかったから見えなかった学生服の少年が確認 できた。その隣りに座り込んでいる女性の姿も。 ﹁ユリリンっ!﹂ ﹁助けてシンっち!﹂ ﹁⋮⋮あのさぁ、こんな時ぐらいその呼び合いはやめてくれないか な⋮⋮。こっちが恥ずかしいんだけど﹂ 誘拐犯のもっともな台詞に、真はきょとんとした顔になる。そし て、踏み込んでいた足を戻して最初の位置から仕切り直した。 ﹁あ、すまん、じゃあやり直しで。⋮⋮友里依っ!﹂ ﹁助けて真!﹂ ﹁⋮⋮どうでもいいけど、お前達真面目にやってる?﹂ 呆れて脱力する少年。緊迫感が出ない⋮⋮ここまで用意したシチ 130 ュエーションが台無しではないか。 ﹁ワイは大真面目や! 一体あんさん誰や!?﹂ ﹁僕は大麻⋮⋮オオアサ圭介。父がお前に世話になった﹂ ﹁オオアサ⋮⋮?﹂と真は首を捻る。恨みなら山ほど買う職業だ、 名前を全ては覚えていられない。しかしこんな少年が来るほどだ、 相当の怨恨に違いない。 ﹁⋮⋮覚えていないようだね。斬魔、霧辺真が殺した最後の犠牲者 だよ。僕の父⋮⋮オオアサ タツロウは﹂ あの政治家⋮⋮! 賄賂をヤミ金融から受け取っていた、東京の ⋮⋮。 ﹁あの時僕と母はたまたま家にいなかった。帰ってきた僕達が見た 光景を、お前は知っているね。家になだれ込んでいた警察と、死体 の山⋮⋮無惨に見る影もなく殺害された父の遺体を﹂ ﹁⋮⋮それでか﹂ ﹁あの後どんなに母が苦労したか、お前にはわからないだろう! 馬鹿な警察のせいでお前は生き長らえた。この十年間どれほど僕達 が苦しい目にあってきたか⋮⋮﹂ ﹁何よっ、あんたの父親が何してたか知ってるの!?﹂ ﹁友里依! その話はエエ⋮⋮﹂ 続く友里依の言葉を制止する。犯した罪に、言い訳はしたくなか った。 ﹁⋮⋮知ってるよ。ヤミ金に援助してたんだろ? お前の事を調べ ている内にわかった。⋮⋮でもそれがどうした!? たかがそれだ けの事で父は殺された! たかが⋮⋮それだけの事で⋮⋮っ﹂ 131 少年⋮⋮大麻は憤った瞳で睨み付ける。真は大麻の言う事ももっ ともだと思った。自分が彼の親を奪ったのだ、復讐されても当然の こと。 ﹁あんさんの事も、理由もようわかった。仇討ちでもなんでもやっ てや。ワイは抵抗せぇへん﹂ ﹁⋮⋮素直だな﹂ ﹁恨まれても当然やん。ワイを殺したいやろな。エエよ、いつかこ うなる事はわかっておった。⋮⋮友里依は放してやってくれ﹂ 大麻の、突然の高笑い。とても嫌な感じのする笑いで、それでも 睨みつけてくる。 ﹁そんな都合良くいくと思うかい? ⋮⋮駄目だよ、お前には充分 僕達の受けた苦しみを返す。ここまで全てが僕のシナリオ通りに進 んだ。これからの素敵なシナリオを教えてあげようか? ⋮⋮﹃仲 間の手助けによって逃亡した斬魔は、都内のある廃棄倉庫で発見さ れる。そこには死体が二つ⋮⋮女と斬魔の躯﹄がね。この女はお前 の目の前で殺す! そしてその後ゆっくりお前には死んでもらおう﹂ ﹁関係無いやろ⋮⋮! 友里依はあんさんとは何の関係も無いっ!﹂ ﹁あるよ。お前と一緒に居ただけで有罪だ。そう、お前の馬鹿な部 下どももね﹂ ﹁っ!﹂ ﹁あははははっ、まったく馬鹿にもほどがあるよね! 拘置所に乗 り込んだやつらは今頃逮捕、外のやつらも親切な情報屋によって処 分されてる。ホント、悪人を上司に持つと災難だねぇ﹂ ﹁⋮⋮あいつらがそう簡単にやられると思うか? そこはシナリオ ミスやで﹂ 冷静さを取り戻してきた真が、忠告する。この仇討ちには正当性 132 がある。仇に苦しみを味わわせたいという想いもわかる。だが⋮⋮ 護らなくてはいけないのだ。仲間の誇りを、大切な人を。 木刀を腰から抜いた。二人に歩み寄り、神経を研ぎ澄ませる。 ﹁やはり来るよね⋮⋮。いいだろう! 斬魔の力を、見せてみろよ !﹂ その言葉を合図に、今まで息を殺していた男達が一斉に襲いかか ってくる! 裏社会の始末屋⋮⋮要は殺し屋の集団だ。倉庫に入っ た時から気配に気付いていた真は、驚く様子も見せずに立ち止まる。 木刀を一回薙払っただけで、数人が弾き飛ばされる。雑魚だ⋮⋮ 裏社会でも三流の輩。いくら出てきたところで真の敵ではない。阿 修羅を抜けば早く片が付くが⋮⋮あえて真はそれをしなかった。 銃弾を弾き、敵の急所を打ち、たった十数人程度の始末屋は簡単 に全滅させられる。もうあと少しまで真が二人に近づいた時。 ﹁どうしてかな、何故刀を抜かない? 何故殺さなかった?﹂ ﹁もう誰も殺さないと誓ったからや﹂ ﹁殺さない? お前が? はははっ、まったくお前は笑わせてくれ るね! そんな偽善がいつまで続くかなぁ。お前は殺人鬼だ、その 事実が変わることはない。どんなに演じたとしても、その凶悪な素 顔が消えることはないんだよ﹂ ﹁⋮⋮せやな。あんさんの言うとおりや。だからワイはもう少しだ け、偽善者でいたかった。過去を忘れたいと願った事はない。それ でも一生演じ続けて生きたかった﹂ あと一歩踏み出せば二人が射程距離内に入る所まで来て、立ち止 まる。入れば、一瞬で事が終わる。しかし、それでいいのか? ⋮ ⋮そんなほんの一時の躊躇いが、真に隙を生じさせた。 ﹁今のはちょっとした前菜だよ。これからが、本番だ。⋮⋮さぁ、 133 斬魔の登場だよ!﹂ 熱い痛みが真の肩に走る! 振り返り際、白い太刀が一瞬見えた。 噴き出す血を押さえ、真は何者かが現れた背後から距離をとる。 ﹁っ!?﹂ ﹁⋮⋮よう霧辺、腕がなまったな﹂ 血に染まった巨大な白刀を握っていた人物は、頑丈な身体つきを した男だった。見覚えがある、そう、忘れるはずがないのだ。 ﹁彼が今回の斬魔くんだよ。彼もお前に恨みがあったようだったか ら、協力してもらったんだ﹂ ﹁鉄やん⋮⋮!﹂ 目元、口に面影がある。 真は幼い頃から父の勧めで剣術を習っていた。理由が、霧辺家が 代々侍の家であったからという事を知ったのはしばらく後のことだ。 習い先の道場、﹃閃斬白虎﹄流で当時実力の一、二を争っていたの が真と荒井。良き好敵手であり⋮⋮親友だった男、荒井鉄。 ﹁やっぱりあんただったんか⋮⋮なんでや!?﹂ ﹁霧辺、お前を斬りに来た﹂ ﹁どうしてや!? ワイはあんたと戦いとうない!﹂ ﹁わからんか? ⋮⋮十年前あの事件があった時、師範はすぐ我が 流派の技だと気がついた。そして姿を消したお前と事件が結びつい た。完成していないまでも、既にお前の技は免許皆伝に近かった⋮ ⋮師範が⋮⋮流派の者達がどれほど傷ついたかわからんのか!﹂ 134 ﹁そんな⋮⋮﹂ ﹁けどな、俺の恨みはそれだけやない。結局俺は師範を越え、免許 を皆伝した。だが! だが周囲の者は俺を一番とは見ない! 皮肉 にもあの事件のおかげで、皆はお前を影ながら一番だと囁いた。俺 はお前の影のせいで、最強の称号を手に入れられんかった!﹂ ﹁⋮⋮決着、か﹂ ﹁そうや! 最後の手合わせからもう十年あまりになるか⋮⋮あの 時はお前の勝ちやったな﹂ 正直、真はよく覚えていない。当時は家の事情が切羽詰まってい て、剣術に身が入っていなかった。ただ、あの頃は毎回手合わせで どっちが勝った負けたで散々言い争いをしていた記憶がある。懐か しい⋮⋮幸せだった頃の記憶。 ﹁白虎の名誉、そして俺の実力の為にお前を斬る! 刀を抜け、霧 辺!﹂ ﹁流派の名誉か⋮⋮。荒井、あんたは矛盾しとる。破門されとるワ イが言うのもなんやけどな、敵の背から斬りつけんのは︽道︾から 反れる行為やで﹂ ﹁はっ! そうだな、お前は何かと白虎の︽道︾を気にしておった。 だが時に強さは︽道︾の上には無い! 斬ることこそ剣術の全て!﹂ ﹁違うっ! 白虎の︽道︾は闇を斬る力、己に勝つ強さや﹂ ﹁ならその︽道︾で俺に勝ってみろ! その︽阿修羅︾でな!﹂ 荒井が巨大な刀を水平に構える。真の構えと同じ⋮⋮閃斬白虎流 の基本構え。 ﹁今回の事件、殺害の手口から白虎の者とは思っておったが⋮⋮あ 135 んただと、信じとうなかった⋮⋮﹂ ﹁変わらんな、霧辺、アホすぎるほど甘い。俺はお前と対等に戦う ため、この神刀︽金剛︾を手に入れた。知っとるか? お前の凶刃 ︽阿修羅︾の生い立ちを﹂ 父から何度も聞いたことがある。霧辺家の成り立ちを、阿修羅の 創られた目的を。関ヶ原の戦いにて⋮⋮西軍、石田側で創られた、 殺戮の為の刀。だが西軍の敗退によって霧辺家と共に歴史から消え た名刀だ。 ﹁その阿修羅に抵抗するべく東軍、徳川でも創られた神刀︽金剛︾。 相応しくない者が持っていたんでな、名刀に相応しい俺が手にして やった﹂ ﹁奪ってきたんかっ﹂ ﹁︽金剛︾だって、飾られて見せ物にされているよりは俺に使われ ることを望んでいるだろう﹂ ﹁人殺しに使われて嬉しいことなんてあるか!﹂ ﹁阿修羅とて喜んだだろう? 斬った時、刀が喜びに震えるのを感 じなかったか?﹂ あの声⋮⋮! 両親が死んだ時聞いたあの声は。あれは阿修羅の ものではなかったか。自分に力を貸したのは阿修羅だったのか⋮⋮? ﹁⋮⋮けど⋮⋮﹂ ﹁お喋りはここまでや。さぁ、刀を抜け!﹂ 136 殺し合いを求める言葉、かつての親友の血を欲する声。 抜刀すれば、それは再び殺生を犯すこと。 137 第五章﹃贖罪のために﹄︵2︶ ﹁嫌や⋮⋮! あんたが相手なら尚更っ﹂ 斬りたくない。殺人を犯した者でも、昔の親友なのだ、斬れるわ けがない。 ﹁なら先にあの女を斬ろうか? お前をある程度苦しめてから殺す つもりやったが﹂ ﹁それはさせへん!﹂ ﹁なら手段は一つやろ? こいや!﹂ 荒井は足で床を蹴る。まだ決断がつかないまま、真は横に跳んで 上から降る太刀を避けた。瞬時に横に荒井が現れる。肩からまだ流 血しながら、それでも次の一撃もかわす! 白虎流の基本は、﹃一刀両断﹄。一閃のもとに全てを斬り捨てる、 無駄の無い実践的な流派だ。素早い動きと一瞬だけ力を込めるその 技は、天性の素質も要求される難しい流派の一つ。 ﹁ちっ﹂ ﹁どうした、このまま何もせずに殺されるか!?﹂ 確実に瞬殺を狙ってくる刃を、木刀で受け止めることもなく避け るだけ。道場に居た頃の手合わせとは違うのだ、怪我ではすまない。 荒井はそれを覚悟できている。しかし⋮⋮。 ﹁真っ、戦って!﹂ ﹁友里依⋮⋮っ﹂ 何をしている⋮⋮護らなくてはいけないモノが、自分にはあるっ! 大刀を突きのばし、荒井が向かってくる。一瞬だ⋮⋮この一瞬で! 138 ﹁︱︱︱︱︽動︾の章、第四奥義、毘沙門天っ﹂ 甲高い金属音が廃棄倉庫に響く! 居合い抜きされた細い刃が、 その黒い身を更に紅く染めていた。 荒井には、その一閃が見えなかった。ただ、腕に一筋の斬られた 痕がある⋮⋮金剛を握った手が、震えている。 ﹁待たせたな。ようやっと覚悟が決まったわ。存分に決着、つけよ うやないか﹂ いつの間にか荒井の後ろに立っていた真が、口を開く。もうその 瞳に、揺らぎはない。 ﹁いくで﹂ 張りつめる空気、友里依さえ口を噤む強大なプレッシャー。静か な宣戦布告と共に、真の姿はかき消えた。 ◆ ◆ ◆ ﹁ッ!?﹂ 腹部を深く切られた! 恐ろしいほど静まり返った地で、フェイ ズは驚愕していた。何かが今、自分の腹部を切り裂いていった⋮⋮ だが、何も見えなかった。五メートルほど間隔を開けた場所に一人、 少年が立っているだけだ。 139 ︵今のは?︶ 何故か耳鳴りがし、全身の皮膚が痛い。出血をする腹部を押さえ たかったが、本能的な第六感が動くなと命令してくる。 俯いて顔が見えない少年から、強い︽気︾を感じる。怒気なんて 生温いモノじゃない、いや、殺気よりも⋮⋮? ﹁そうカ⋮⋮っ﹂ また、今度は顎が切られる。先程から、動いた時にだけ切られて いるのだ。これは日本の自然現象。古来は妖怪の仕業と言われてき た、 ︵カマイタチ! 本当に彼は⋮⋮自然現象を操っテいる!?︶ ﹃鎌鼬﹄。主に冬に起こる現象で、気圧が一ヶ所だけとても低く なった時に一時的に起こる。強い気圧の差によって皮膚が引っ張ら れ、動いただけで自然と皮膚が切られる。その現象は時として刀よ りも鋭利に切るが、あくまで瞬間的な事象のはず。 ここまで人間が自然に介入できるのかと、フェイズは動揺を隠せ マリア ない。恐怖心と好奇心が彼を興奮させた。調べてみたい、この少年 の本当の実力を! ﹁時間がナイから⋮⋮早くやるヨ!﹂ 裂かれる袖も気にしないで、大鎌を構える。大鎌にも鎌鼬が襲っ て、純白が悲鳴をあげた。 フェイズの言葉に反応したように、小柄な少年は一瞬で間合いに 入ってくる! 拳を突き出し、ギリギリでかわされた直後に脚蹴り を鳩尾に叩き込む!! ﹁くゥッ⋮⋮﹂ 純也の蹴りは急所を突き、フェイズの長身が吹っ飛ばされる。飛 ばされている間も鎌鼬によって服と共に皮膚が切り裂かれた。どう やら、周囲一帯に気圧の壁が生じているらしい。 素早く起き上がり、純也の姿を探す。ふっと影が過ぎって、即座 140 に横に転がった。一秒前までフェイズがいた場所に、純也が勢いよ く降下。軽い少年の身体からは予想もつかないような重い音と共に、 地面に亀裂が入る。 だが純也の攻撃の手は休まらない。軽い身体で間合いに入り、激 しい連打を繰り出してくる。フェイズはなんとか大鎌でそれらを防 ぐが、動けばそれだけ、避けようの無い鎌鼬が襲い来るのだ。なに か手を講じなければ、殺される。この少年に。 しかし、鎌鼬は無差別だ。この状況を作りだした純也にも同様に、 襲う。むしろ純也の方が素早く動いているのだから、傷はあちらの 方が多かった。なのに、気付いてさえいない様子で、白銀の髪の少 年は止まらない。乱れた髪が、純也の顔を隠す。 ﹁ボクも押されっぱなしジャないヨっ!﹂ 渾身の一突きで、鎌の先端を使って小さな身体を吹っ飛ばす。軽 々と宙に浮いた身体が鎌鼬に裂かれていくのが、まるでスロー再生 されているようにはっきりと確認できた。砂埃を上げて倒れ込み、 動かなくなる。 終わったのかと、フェイズが膝をついて安堵の息を漏らした時だ った。ぴくっと再び純也の腕が動き、よろよろと立ち上がる。 ﹁マダ動けるのカイ⋮⋮!?﹂ ﹁あ、あぁ⋮⋮う⋮⋮﹂ しわがれた声が微かに聞こえた。強い鎌鼬が、ふらつく少年の肩 を深くえぐる! 血管と皮膚が引きちぎられる音がしたが、聞こえ ないように純也はもう一度構え、飛び込んでいく!! 141 避ける術は、もう情報屋には残されていない。 解放してしまった禁忌を止める術も、フェイズには無かった。 ﹁ゴメン⋮⋮ヴァーゴ⋮⋮!﹂ 142 第五章﹃贖罪のために﹄︵3︶ ﹁⋮⋮⋮⋮目ぇ覚ませっつの、チビ﹂ 片膝をついたフェイズの寸分前で、純也の拳を握り返した人影が あった。にやついたその顔で、もう片手を伸ばし、少年の乱れた白 銀の髪を押し上げる。 握った拳から力が抜けていく。やっと見えた少年の顔は⋮⋮瞳か ら流れる雫で濡れていた。フェイズと自分との間に立ちふさがった 男に、濡れた瞳を大きく開いて。 ﹁︱︱っ、りょう⋮⋮!?﹂ ﹁な、なんだよ、なんで泣いてんだお前? この泣き虫が﹂ 純也は傷だらけの腕を遼平に伸ばそうとして、途中で力尽きて倒 れてしまった。なんとか地面につく前に身体を支える。もう意識は 無かった。 ﹁ふぅ⋮⋮。タイムリミット、だネ﹂ 自由になった気圧が強い風を吹かせ、安定した気圧が戻ってくる。 ﹁よっこいしょ﹂とフェイズは鎌を支えに立ち上がった。 ﹁いやぁ、一時はどうなるコトかと思ったヨ。遼平クン、サンキュ 143 ー﹂ ﹁はぁ? おいコレどうなってんだよ。なんで純也が⋮⋮てめぇ俺 に何しやがった?﹂ 遼平は何が起こったのか思い出そうとする。確か、いきなり上空 にフェイズが現れて⋮⋮鎌で突かれた瞬間、急に意識が遠のいて⋮ ⋮気がついたら周囲が荒れ地と化していて、純也がフェイズに飛び かかろうとしていて。よく見れば、目の前の情報屋はボロボロだ。 ﹁うーんとネ、遼平クンにはちょっと死んでてもらおうかと思って ネ。だから、西洋の奇跡でチョコチョコっと、ネ?﹂ ﹁あぁ!? 俺が死んだだぁ!?﹂ ﹁だから言ったジャン、﹃メシア・クロス﹄は受けた者の息の根を 止めル、ってネ﹂ ﹁聞いてねぇぞ、ンな話はっ﹂ ﹁アレ、そうだったっけ? ⋮⋮まぁ死ぬって言ッテも、ただの﹃ 仮死状態﹄なんダケド。その名の通リ、救世主、︽イエスの十字架 ︾なのサっ。復活を意味する奇跡の業。純也クンにもバレないんだ から、大したもんデショ?﹂ ﹁ってゆーコトはつまり⋮⋮﹂ ﹁ソウ。純也クンを騙して、キミが死んだと思い込ませたノ。タイ ムリミットは復活してしまう三分マデだったケドネ﹂ 陽気なフェイズの笑顔に、唖然とする。ため息を吐いて片腕で支 えている純也を見下ろし、意識が戻ったら一発殴ってやろうと決め る。普通信じるか? ﹁俺がそんな簡単に死ぬワケねーだろ⋮⋮﹂ ﹁ウンウン、まったくだよネ。キミみたいなタイプは、世界が崩壊 しかかっても根性で生き抜けるヨ∼。大体、ボクはこれでも神父な んだし︱︱︱︱﹂ 144 ﹁おいマリモ﹂ ﹁ン?﹂ ﹁二度とこんな真似すんじゃねーぞ。次にやりやがったら⋮⋮俺の 実力も見られると思え﹂ 視線が合い、静かな怒りに燃えた瞳に気付く。内心身震いするの を感じたが、表情には出さない。今の状況で彼を敵に回すのは良く ない。 ﹁そう何度も同じ手が通用スルとは思ってないヨ。⋮⋮一つ訊くケ ド、キミ達はどちらの方が強いのカナ?﹂ 今見た限りでは、純也の力はケタ違いに強い。以前見た遼平の力 よりも。 が、遼平は鼻で笑った。 ﹁俺に決まってんだろ。⋮⋮本気でやればな。だが今のは純也の本 来の力の七割もねえ、下手な好奇心は死を招くぞ﹂ ﹁そうカイ⋮⋮。じゃあボクはあえて予言しよう。その少年の力は、 遅かれ早かれキミ達に破滅を呼ぶダロウ。本人の望みに関わらず、 いつの日か﹂ ﹁⋮⋮﹂ 遼平は反論してこなかった。ただ、眼を細めてじっと視線を合わ せる。その瞳は、とうにそんな事には気付いているようにも思えた。 ﹁ンな事はどうでもいい。俺には⋮⋮果たすべき︽約束︾があるん だ﹂ ﹁わかったヨ。そレではボクはこの辺で。⋮⋮あぁ、言い忘れてタ、 145 純也クンに﹃ゴメンネ﹄って謝ッテおいてくれないカナ? 彼には 随分とヒドイ事をしてしまったからネ﹂ ﹁⋮⋮早く帰れ、マリモ﹂ 切られた腹部を押さえながら、フェイズは倉庫の屋根に飛び移り、 姿を消していった。気圧が散々に荒らされたせいで、雲行きが怪し くなり始める。今にも雨が降ってきそうだ。 どかっと地面に座り込み、煙草に火を点ける。寄りかかっている 純也が、静かな寝息を立てていた。 ︱︱︱︱﹃ねぇ遼⋮⋮﹄ もうあれから二年になる。あの︽約束︾は、まだ二人の間で静か に保たれている。黒くなった雲を見上げ、紫煙を吐く。 ︱︱︱︱﹃ねぇ遼、もし僕が︱︱︱︱時は⋮⋮﹄ ﹁わあってる。⋮⋮忘れたことは、ねぇ﹂ もう一度、確認するように言葉にしてみる。過去の声に、再び頷 く。 146 ﹁お前より先には死なねーよ⋮⋮⋮⋮︽約束︾、したからな﹂ 147 第五章﹃贖罪のために﹄︵4︶ 残像しか目は捕らえられない。気配でなんとか防いでいるが、そ れも限界に近かった。 右斜め死角に、気配がする! ﹁くっ﹂ 重い神刀︽金剛︾を持ち上げ、迫る凶刃を寸前で押し止める。ギ リギリと拮抗し合う金属音。白と黒の二つの刃の向こうに、鋭い眼 差しの金髪の男がいる。荒井は、想像以上の力量に息を呑んでいた。 ﹁型は基本形とずれているが⋮⋮ただ東京で遊んでいただけではな いようやな﹂ ﹁⋮⋮﹂ まだ余裕を保ったような荒井に、真は一度身を退いて距離をとる。 やや肩を揺らし、荒井は息を整えた。真は阿修羅を構えたまま、微 動だにしない。 この十年、東京で実戦を重ねて真の型は変わった。それは木刀で は斬れないからというのもあるし、応用を身につけたからというの もある。だから、既に真の技は﹃一刀両断﹄ではない。 荒井の前に立つ真は、あの瞳をしている。荒井は知っていた。稽 古の時と変わらない⋮⋮彼が本気である時の証。敵と相対した時の 虎のような、熱い冷静な瞳。気を抜けば、一瞬でその牙にやられる。 そしてこの状態の真は、普段とは別人のように無口になる。 ﹁俺が一番なんや⋮⋮俺はお前より強いっ﹂ ﹁⋮⋮!﹂ 二人の姿が同時に消え、その中央にぶつかり合った形で現れる。 148 キイィンッ⋮⋮と澄んだ音が倉庫に響く。余韻を残し、阿修羅と金 剛は何度も打たれ合ってその音を立てる。 横薙ぎにされた金剛を阿修羅が押し返し、その隙を突こうとして 荒井が滑り込ませた白刃の前に細い黒刀が再び。太さなら阿修羅の 三倍はありそうな金剛を、真は右腕一本で弾く。 ﹁聞こえるか霧辺! お互い斬り合うべく生まれてきた刀が今、永 年の時を経て歓喜の叫びを上げているのがっ! 長い眠りから覚め たこの太刀がっ!!﹂ ﹁⋮⋮なら今度は永眠させたる。もう二度と、人を殺められんよう に﹂ 両者が身を退き、残像も消え失せた。二人が息を吸う音が上方で 聞こえる。 ﹁﹁︽動︾の章、第三奥義、羅刹!﹂﹂ そんな和音になった叫びと、またあの澄んだ金属音がした。上空 二メートルあたりでぶつかった真と荒井が、お互いの反作用で後方 に飛ぶ。着地するが早いか、互いが両手で大きく刀を振るう! ﹁﹁︽静︾の章、第四奥義、輪廻っ!﹂﹂ ほぼ等身に素早く描かれた純白と漆黒の円は、刀を離れて衝撃波 となって衝突する! 二つの衝撃波は相殺され、空気の渦は掻き消 える。 ここまで技の速さ、威力はほとんど同じ。しかし、先ほど荒井か ら受けた肩の傷のせいか、真の脚もとが崩れ、阿修羅を地に突き立 149 てて片膝をついてしまう。 ﹁終わりやなぁ、霧辺ぇぇ!﹂ ﹁やめて⋮⋮っ、真ーっっ!!﹂ 友里依の叫びも空しく、真の背後にまわった荒井が先ほど斬りつ けた肩の傷口に再び白刃を突き刺す! もはや苦痛の声さえ出せな いのか、無音のまま真は口を開けて、身体が揺れて︱︱︱︱、 ﹁な⋮⋮ぁっ!?﹂ 無感情のように細められた眼、その真の背後で、荒井が驚愕の声 をあげる。真に後ろ手で握られた黒刃が、正確に荒井の右脚を貫通 していた。その刃は、確実に骨を切断。 閃斬白虎の︽道︾に背く荒井ならば隙をうかがって必ず背後をと る、それが悲しくもわかっていた真だからこその、﹃肉を斬らせて 骨を断つ﹄手段。 そしてかがんだ姿勢のまま荒井に向き直り、左手を地につけたま ま阿修羅を水平に構えて。片脚に全力を込め、一気に地を蹴る! ﹁︽無︾の章、秘奥義っ、虎爪疾風斬!!﹂ 正面からの横薙ぎで金剛ごと斬り、更に飛び越えるように宙返り して上方から二閃っ! 真が着地した時、既に決着はついた。⋮⋮ あまりに速かったために、斬られた荒井でさえも何が起こったのか わからなかったが。 150 ﹁なっ、こんな⋮⋮っ、秘奥義やと!? どうしてお前が⋮⋮!﹂ ﹁終わりにしようや、荒井﹂ 荒井の疑問には答えず、真は振り返って阿修羅を下ろす。瞳はも う普段の真。遅れて、切断された神刀︽金剛︾の刃が落ちる。巨大 な白刃は、中央で鋭利に斬られていた。噴き出す血に、荒井は膝を つく。 ﹁俺が弱いというんか⋮⋮この俺があぁっ!﹂ ﹁⋮⋮あんたは弱くない。ただ、ワイは阿修羅を信じとった。どん な名刀でも使う者の想いで変わる⋮⋮どう望まれて創られた存在だ としても。ワイは、そう思う﹂ ﹁く、そ⋮⋮っっ﹂ ﹁何度でも来ればエエ。ワイは待っとるから⋮⋮今度は正面から来 いや﹂ 柄を握ったまま、荒井は気絶した。死なないはずだ⋮⋮︽虎爪疾 風斬︾は、﹃一刀両断﹄の技ではない。あれは︱︱︱︱。 ﹁ちっ、結局は役立たずか。まぁいい。僕が裁きを下してやる!﹂ 銃声がした。ほぼ同時に友里依の悲鳴も聞いた気がしたが、視界 が揺れてよくわからなかった。後ろに押される身体を自力で起こす と、激痛が走る。身体を見下ろすと、腹部に紅い点があった。 腹から上がってきた血液を吐き出し、なんとか阿修羅を突き立て て倒れるのを防ぐ。まだ硝煙を上げている拳銃を、大麻が引きつっ た笑みで握っていた。 照準の定まっていない銃から、動けない真へ何度も何度も弾丸が 151 連射され⋮⋮紅い点を刻まれていく身体は限界。 喜びに震えているような奇妙な笑みで、大麻は躊躇無く引き金を。 ﹁⋮⋮子供が銃持っちゃいかんって⋮⋮母親に教わらなかった、か﹂ ﹁その言葉、そっくり返すよ! 刀剣類も日本は禁止だ。⋮⋮まぁ、 そんな事はどうでもいいんだけどねぇ!﹂ 高笑いのまま大麻は連射し続ける。照準は合ってないが、真は避 けない。男を数発の弾丸が貫通していく。 きっと⋮⋮きっと何度自分を殺そうと、あの少年の憎悪が晴れる ことは無いだろう。それは復讐の為に百人近く殺してきた真が一番 よく知っている。どうすればいい? 自分はただ護りたいだけなの に⋮⋮。 ﹁やめてぇぇっ!!﹂ 手足を縛られていた友里依が、決死で体当たりをする。少年の手 から銃が飛んだ⋮⋮焦って、大麻は友里依を殴り飛ばす! 小さな 悲鳴がして、友里依の細い身体は地に叩きつけられる。 ﹁くそっ、馬鹿女が!﹂ ﹁⋮⋮馬鹿女やない。友里依っちゅう立派な名がある﹂ 大麻が拳銃に手を伸ばした時、黒い光が走って銃身を分断した。 低い威圧するような声⋮⋮十年前のあの︽斬魔︾がそこに。 拳銃をいともなく斬り捨てた黒刀は、少年に向けられる。少年は 知らない。この光景が、父親が見た最後の光景だとは。 ﹁あ⋮⋮あぁ⋮⋮﹂ 152 途端に怯え出すのは、子供⋮⋮いや、人間らしい性だろう。いき なりの形勢の不利に動揺して震えだすのは、ある意味では︽人間ら しい︾様。 ﹃⋮⋮コロセ⋮⋮﹄ あの声が、十年の時を経て、再び。狂気の音は、︽人間らしくな い︾、魔のモノから。 ﹃殺せ⋮⋮﹄ 闇から聞こえるような低い声は、除除に大きくなっていく。十年 前のあの時と同じ声。真に復讐の力を与えたあの⋮⋮。 ﹃殺せ⋮⋮殺せ⋮⋮﹄ 今大麻を逃がせば、また復讐に遭う。また大切な者達が傷つけら れる。自分の死をもってしても、その復讐劇は終わらない。ならば。 ﹃憎かろう? この子供が。殺せ、殺さねば、それしか手は無い⋮ ⋮﹄ 護りたい。しかし自分がどう頑張っても拭いきれない過去がある。 その為に自分の周りの人間が死んだら⋮⋮自分は。 153 ﹃殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ殺せ⋮⋮﹄ ﹁⋮⋮や、や﹂ 声は身体を支配していく。阿修羅が震えながら振り上がっていく ⋮⋮喉がかすれて声にならない音を出す。 ﹃殺せ! 殺せ!﹄ ﹁⋮⋮⋮⋮やっ﹂ しゃがみ込んで恐怖の瞳で見上げてくる少年の前で、完全に凶刃 は上がりきった。右腕に力がこもり、下ろされる! ﹃殺せえぇ!!﹄ ﹁嫌やアァっ!﹂ 鮮血の花弁が舞い、大麻の視界を紅く染めた。 ︱︱嫌いで、憎くて、絶対に許すことはない。必ず、己が手で殺 める︱︱。 154 阿修羅が深く突き刺さる⋮⋮⋮⋮真の右腕に。一瞬で左手に掴ま れた凶刃は、使用者の腕を貫通していた。腕を突き破り、地に刺さ っている。 ﹁な、お前、何を⋮⋮っ﹂ いきなり自分の腕を斬った男に、少年は驚愕する。真はついてい た片膝を離して立ち上がり、右腕を貫いている刀を抜いた。 ﹁生憎、もうその声には負けへんって誓ったんでな。誰も殺さんよ、 ワイはもう﹂ 大量に出血しながら、真は勝ち誇った表情をする。大麻も友里依 も驚愕と困惑の顔に染まっていた。突然﹃声﹄とか言い出すのだか ら、無理はない。 ﹁やっと勝てたな。悪かったな、阿修羅。あんたのせいにして﹂ あの声は阿修羅のモノではない。薄々気付いていたが、確信した のは今。十年前も今も、憎悪を力に変えたのは真自身の心の︽闇︾ だった。そして今、強引ではあったが真は︽闇︾からの声に勝った。 ﹁大麻⋮⋮ってゆうたよな。帰ってくれへんか。⋮⋮あんさんがい なくなったら、母親が悲しむ﹂ 155 阿修羅を鞘に戻して真は声をかける。気が抜けていた少年は我に 返り、男を睨むと、 ﹁このぉぉぉっっ﹂ 素早くサバイバルナイフを握って突進してきた。大麻の身体は勢 いよく真にぶつかったが、ナイフの刃の部分だけは真の左手がその まま掴んでいた。刃が手に食い込む痛みなど、互いの心の痛みに比 べれば︱︱︱︱。 ﹁⋮⋮くしょう、ちくしょうっ﹂ ﹁⋮⋮生きてて⋮⋮ごめんな⋮⋮﹂ それは心からの謝罪だった。少年は疲労しきったのか、気を失う。 真はナイフを捨て、丁寧に大麻を寝かせる。バラバラと、学生服の 下からスタンガンや小型ナイフが落ちてきた。 雨が降ってきたのか、多く穴の開いている屋根から雫が垂れてく る。それは、 脆弱なる神が下した、罪人への冷たき鉄槌か。 ならば受けよう、紅と雫が交わる痛み、これで神だけでも満足す るのなら。 156 157 第五章﹃贖罪のために﹄︵5︶ ﹁友里依っ﹂ 真は倒れたままの体勢になっている友里依まで急いで駆けつける。 手足を拘束している縄を阿修羅で断ち切ると、友里依は真が倒れる ほどの勢いで抱きついてきた。 ﹁真ーっ、真ー!﹂ ﹁ごめんな、ワイのせいで怖い想いさせて⋮⋮﹂ 真の腕の中の友里依が、今まで溜め続けていた涙を堪えることな く流す。彼女を、左腕でただ抱いてやる事しかできない。 ﹁ほんとに怖かったの、真が殺されるかと思ったらっ﹂ ﹁怪我は無いか? どこか傷は⋮⋮﹂ 首もとにスタンガンの痕が見えて、真も泣きたくなる。 ﹁自分の心配してよっ! 傷だらけじゃない!﹂ ﹁ごめんな⋮⋮ごめんな﹂ ﹁謝らないでよ⋮⋮っ﹂ ﹁でも、ワイが⋮⋮ワイのせいで⋮⋮﹂ どんなに謝っても謝りきれない。十年前のあの日に死んでいれば。 生き続けなければ。愛さなければ⋮⋮。 自分が生き続ける限り、罪はついてまわるのだと。そんな事はわ かっていたはずだった。このまま存在していたら、周囲の者に迷惑 が及ぶ。 158 一時の感情で数多の命を奪った、そんな自分の手が、身体が、心 が大嫌いで。 己を︽嫌う︾などというレベルでは、許されるはずがなかったの だ、あの大罪は。己を︽殺す︾こと、被害者に味わわせた苦痛の数 倍以上の痛みをもって︽この世から消す︾ことで、誰か一人でも、 自分を許してくれるだろうか? この紅にまみれた身体を、この罪深い魂を、我が手によって︽消 す︾ことでしか、もう手段が無いと。 そんな暗愚な答えしか見つけられぬ、自分がやはり嫌いで︱︱︱ ︱。 ﹁⋮⋮お別れや、友里依。ワイ、もう逝かなきゃならん⋮⋮﹂ 女の身体を突き放し、男は再び刀を抜く。この刃が最後に殺める のは⋮⋮最も多くの命を奪った使用者にして、武士の末裔。 これで阿修羅が紅く染まるのも最後だと、そう刀に願って、詫び て。 159 断罪のために、黒刃は命を絶つ! ﹁真︱︱︱︱︱っっ!!﹂ 160 止まった刃先を伝う、紅い雫。 確かに男の腹部を目掛けた黒刃は、女の両手に掴まれて動かなく なる。左手一本で柄を握っていた真の力が負けたのは、もうそこま で余力が残っていなかったのか、それとも友里依の手を傷つけたく なかったからか。 ﹁友里依⋮⋮離して⋮⋮﹂ ﹁嫌っ! 手が斬れたって離さないから!!﹂ ﹁なァ⋮⋮これが最善なんよ⋮⋮わかってくれ⋮⋮﹂ ﹁何が最善!? 真が死んで、それが最善だって言うの!? 私を 残すのが、最善なのっ?﹂ ﹁だって⋮⋮こうすればもう友里依が危なくなることも無いから⋮ ⋮﹂ 161 ﹁ふざけないでっ!!!﹂ あまりの気迫に、真が怯む。初めて友里依から浴びせられた怒声 ⋮⋮憤りの形相⋮⋮見たこともなかったほどの、涙。 ﹁私は真と一緒に居たいの! 絶対、真と生きるから! 私ワガマ マなのっ!!﹂ ﹁友里依⋮⋮ホンマに、我が儘やで⋮⋮? ワイが困るがな⋮⋮﹂ 友里依が阿修羅をより強く握って、その細い手が斬れていくのを 見て、真はつい刀を落としてしまう。 地に当たる刃の金属音、屋根を叩いて雫を垂らす雨音だけの、世 界。 友里依の潤んだ瞳は、真が本気で愛おしいと思ったその瞳は、ふ っと柔らかな笑みを浮かべて。 真を見上げながら、首に手をまわしてゆっくり抱きつく。 ﹁ねぇ真、私ね、本当に真を愛してるの。だから、真にも、︽真自 身︾を好きになってほしいの。私は自己中だから⋮⋮真がどんなに 嫌がっても、絶対、自分を大切にさせてやるから﹂ ﹁なんで、なん⋮⋮? なんで友里依はそこまで︱︱︱︱﹂ 162 ﹁見たいの、貴方の本当の笑顔を﹂ それは出逢った時と未だに変わらない、愛する根拠。離れたくな い理由。大好きな、目標。 ﹁夫婦なんだから、独りで重荷を背負わないで。私、そんなに弱く ない。だって、真の妻なんだもの﹂ 愛妻の、優しく温かい言葉。もう涙を堪えることが出来なくて、 嗚咽と共に、押し殺していた心の声が漏れる。 ﹁つ、らかった⋮⋮苦しかったっ、︽自分︾に否定され続けて、そ れでしか︽自分︾を保てなくて。誰にも認めてもらえないモンやと 思ってた⋮⋮!﹂ ﹁私も、支部のみんなも、真を認めてるの。気付かなかったのも、 認めなかったのも、真だけ。⋮⋮ね、一緒に居てくれる?﹂ 心が己を許すには⋮⋮自分を認めるにはしばらく時間が要りそう だけれど。 ﹁ワイもっと強くなるから。友里依を護れるくらい、強くなってみ 163 せるから。⋮⋮ずっと、隣りに居るから﹂ ﹁うんっ﹂ 雨の冷たさも、右腕の痛みももう感じなくなっていた。全身から 力が抜けていく⋮⋮抱きしめた友里依の体温さえ遠のいていく。 もっと早く気付けばよかった。もう独りではないのだと。最後に 友里依を強く抱いて、真は流れる雨に意識を委ねた。 友里依は見えなかったが、気配でわかっていただろう。 彼が、十年ぶりに本当の笑顔を取り戻せたことを︱︱︱︱。 164 EL﹃願わくば、非凡な日々﹄︵1︶ EL﹃願わくば、非凡な日々﹄ ﹃風薙さん! あなたという人は⋮⋮!﹄ ﹁おや? いきなりどうしたんだい?﹂ 受信ボタンを押した途端に映った憤怒の男の顔に、風薙老人は臆 することなく穏やかに首を捻る。いつも通りの微笑みに、今はより 愉快そうな成分が含まれていた。 ﹃白を切るつもりですかっ? 私が何も知らないとでも?﹄ ﹁だから何を怒っているのかな? 君が何を知っているって?﹂ ﹃斬魔が脱走しました。更に追跡したところ、わざわざ真犯人まで 出てきましたよっ。またあなたの仕業ですね!?﹄ ﹁おやおや、真犯人がいたのかい。私は全く知らないよ。よかった ね、本当の犯人が見つかって﹂ 腕を組んでその上に顎を乗せながら、老人はにっこり微笑む。そ のひょうひょうとした態度が、画面先の男の血管を浮き上がらせる。 男は必死に冷静さを取り戻そうとしていた。 ﹃良いわけがないでしょう⋮⋮! 我々は誤認逮捕、用意した証拠 は全て水の泡です! マスコミが面白おかしく騒ぎ立てることでし ょうねっ!﹄ ﹁まぁ落ち着いて。警視総監ともあろう人間が慌てていると、部下 に示しがつかないよ?﹂ 165 ﹃余計なお世話ですっ! 今回もあなたの差し金でしょう!? 斬 魔の仲間と思われる人間が二人、拘置所で目撃されています。⋮⋮ 少しは聞いていますよ、あなたが裏で出来損ないの人間達を集めて いることは﹄ ﹁何のことかなぁ? ⋮⋮大体、私は︽出来損ないの人間︾と接触 した覚えは無いね。私の周囲には優秀な者達しかいないよ﹂ 今にも画面を叩き壊しそうな剣幕で、眼鏡の男は腕を震えさせる。 普段は威厳があるのであろうシワの刻まれた顔も、今は鬼のように 歪んでいた。今度は老人から口を開く。 ﹁それで、真犯人は誰だったのかな? 私としては、動機とかも気 になるんだけど﹂ ﹃⋮⋮っ。⋮⋮現場で、大阪在住の荒井という男と元参議院議員大 麻氏のご子息を発見しました。荒井の所持していた刀より証拠が上 がったので逮捕。大麻氏のご子息は﹁荒井に誘拐された﹂として保 護しましたよ﹄ ﹁相変わらずそういう手は上手いね。その大麻君は何か言っていた かい?﹂ ﹃⋮⋮⋮⋮言わせませんよ。彼には黙っていてもらう﹄ 全てを見通したような老人の澄んだ眼差しを、警視総監は睨み返 す。風薙は肩をすくめて首を振る。﹁これ以上詮索しない﹂という 合図だった。 ﹃お話はこれくらいにしましょう。私にはこれから記者会見がある もので。⋮⋮風薙さん、最後に一つ﹄ ﹁何かな﹂ 166 ﹃あまり裏で動かないことです。あなたに裏で動かれては、こちら としても厄介ですから。あなたには表で役目があるはずです⋮⋮お わかりでしょう、ご自分の︽立場︾が?﹄ ﹁ご忠告、ありがとう。表の役目はしっかり果たすよ。でもね、な かなか裏も楽しいんだよ﹂ ﹃⋮⋮。それでは﹄ 諦めたように男は通信を切った。笑みを深くした老人がゆっくり と椅子の背もたれに沈み込む。 ﹁私は何もしていないよ? ⋮⋮⋮⋮強くなったんだね、真﹂ その笑顔は子供の成長を喜ぶような微笑み。十年前救ったあの瞳 に、間違いは無かった。あの小さな支部を彼に託してからもう四年 ⋮⋮あちらはなかなか楽しそうだ。 ﹁君の信じた道を行けばいい。⋮⋮もっと私を楽しませてね﹂ 167 EL﹃願わくば、非凡な日々﹄︵2︶ 瞳を開けば、きっと青い空がある。ひんやりと冷たい北風が髪を 揺らし、頬を撫でていく。息を深く吸って、ゆっくり吐いてみる。 ⋮⋮生きている。 ﹁いい天気だねー﹂ ﹁せやなァ﹂ 横からの声に、瞼を上げて予想通りの空を仰ぎ見る。いつもよど んで見える東京の空も、今日は少しだけ澄んでいるように思えた。 街外れの小さなビルの屋上で、灰色の街とそれを覆い包む青をその 目に映す。低い手摺りに寄りかかり、二人は遠くを眺めていた。 ﹁こういうのを、﹃天高い﹄って言うのかな﹂ ﹁秋空のことな。本当はもっと綺麗やで、東京は空が汚れておるか ら﹂ ﹁真君は、本物見たことある?﹂ 興味津々の瞳で純也は真を見つめる。﹁ん∼﹂と真は色あせてし まった過去の日を呼び戻していく。 ﹁ワイがまだ小さかった頃や。家に帰る道の途中で、高い空を見て おった。⋮⋮ま、大阪の話やけどな﹂ ﹁大阪かぁ⋮⋮﹂ 純也は東京から出た事が無い。だから汚れた空気しか知らないし、 星も見た事が無い。もっと広い世界を見せてやりたいと、真は考え る。 ﹁せや、いつか大阪を案内したるよ。東京とは全然違うで∼﹂ ﹁いいの!? やったぁ﹂ それもいいと思った。亡き両親に、今の自分を報告しようか。 そういえば、確か父に言われた事があった。それは、秋空の下だ 168 ったように覚えている。 ﹁⋮⋮︽真︾、か﹂ ﹁え?﹂ ﹁ワイの名前の由来な、いつか教えてもらった事があったんよ。﹃ 物事の︽真︾の姿を見極められる人間になってほしい﹄って﹂ それが両親の望みだった。自分は、少しでも近づけただろうか。 一度は何もかも見失って罪を重ねた身。自分は⋮⋮まだこの名を名 乗っていても良いのだろうか。 ﹁︽真︾の姿、か⋮⋮いい由来だね。僕にも⋮⋮由来とかあったの かなぁ﹂ ふと純也の横顔が寂しそうな微笑になる。失った楽しい過去が有 るのと、過去が無いのとではどちらが辛いのだろう。⋮⋮そんな比 較をしている自分が嫌になって、真はふり切るように首を振る。言 葉が自然と口を出た。 ﹁あったさ、ちゃんと。あのな純也、名前をつけてもらったっちゅ う事は、存在が望まれたという証や。きっと純也に名前つけた人は、 純也を愛しとったと思う。希望とか願いを託されて、人は名をつけ られるモンやから﹂ ﹁うん、ありがとう。僕この名前⋮⋮大好きだよ﹂ ﹁そうか﹂ 純也は、どうして名前だけは思い出せたのかわからない。ただ⋮ ⋮ただ、これだけは心の奥に残っていて。昔、誰かがそう呼んでく れた気がする。温かい、優しい声で。 169 ﹁あ、名前といえばさ、友里依さんから聞いたよ、アレ!﹂ ﹁何の事なん?﹂ ﹁﹃虎爪疾風斬﹄! 秘奥義なんだってねっ﹂ ﹁あー、アレ? 別に大した事ないんよ∼、アレ︱︱︱︱︱︱︱嘘 やから﹂ ﹁えぇ!?﹂ 興味無さそうに真は組んだ腕の上に顔を乗せる。手摺りから滑っ た純也は、なんとか体勢を立て直していた。そんな純也を見て、真 は含み笑いをする。 ﹁ど、どういう事!?﹂ ﹁いや、破門されたワイが秘奥義なんて知ってるわけないやん。ア レはハッタリでかましたモンで、技はワイのオリジナル。﹃閃斬白 虎﹄に︽無︾の章なんてありませ∼ん﹂ ﹁じゃあ⋮⋮﹂ ﹁アレは元々、鞘のままで使う為の技なんよ。実戦で試したこと無 かったんやけど⋮⋮、ぶっつけ本番でよく成功したよなァ﹂ まるで他人事な真に、純也は脱力を隠せない。失敗は考えなかっ たのか⋮⋮無謀というか無茶というか。たまたま成功したから良か ったものの⋮⋮。 ﹁結構エエ名前やろ? 即興で考えたにしては良く出来とるわァ﹂ ﹁真君⋮⋮それ絶対に誰にも言わない方がいいよ⋮⋮﹂ ﹁そうか?﹂と真が不思議そうに首を捻る。﹁絶っ対にダメだよ ⋮⋮﹂という純也のため息混じりの声が聞こえた。 170 ﹁ところで、なんで鉄やんが依頼持ってきたこと教えてくれなかっ たん? ワイに言ってくれればすぐに罠だってわかったやん﹂ ふと思い出したように、真は首を向ける。その視線と重なってし まい、﹁あー⋮⋮﹂と気まずそうな純也の声。 ﹁澪君に口止めされててさ⋮⋮ごめん﹂ ﹁澪斗に? なんで澪斗が??﹂ 首を捻る真に、苦笑して純也は空を仰ぐ。そして﹁内緒だけどさ、 ﹂と先に言っておいてから。 ﹁僕も事件の後、﹃あの時はどうして?﹄って訊いたんだ。そした ら、﹃最初から荒井を真に会わせる気はなかった。過去の親友など に会えばヤツが苦しむのは目に見える結果だ。刀を見つけたら適当 にはぐらかすつもりだったが⋮⋮まさか本当の犯人だったとはな﹄、 だって。澪君らしいというか、らしくないというか∼﹂ ﹁そうかァ⋮⋮あの澪斗が、ねぇ⋮⋮﹂ ﹁ホントにごめん。でもね、これも口止めされてるコトで、たぶん 澪君に悪気は無くて⋮⋮だから⋮⋮﹂ しみじみと感慨深げに呟いた真に、純也は何かを言いたそうにし ている。そんな板挟みになって動揺している純也が、なんだかおか しくて。 ﹁心配せんでエエよ、純也のコト言わへんし、澪斗も責めたりせん。 むしろ︱︱︱︱﹂ 171 ﹁おーい、そこの重傷大バカコンビ。何してんだ?﹂ 呆れた顔で屋上に出てきた遼平の前に立っているのは、右腕を固 定された真と、首もとや手足に包帯を巻いた純也だ。無傷の遼平に 運ばれて、先日目が覚めたばかりの二人。 ﹁だァれが﹃大バカコンビ﹄や。重傷は否定せんけど﹂ ﹁バカだろうが、お前ら。かーってに勘違いして暴れたバカと、か ーってに自分の腕斬ったバカが﹂ ﹁⋮⋮遼にバカって言われたよ⋮⋮﹂ ﹁反論できへんのが辛いなァ⋮⋮﹂ ﹁﹁はぁ⋮⋮﹂﹂という重傷コンビの深いため息。遼平が顔をに やつかせる。しばらく二人の反応を楽しんだ後で、脇に挟んでいた 新聞を真に投げ渡す。 ﹁何や?﹂ ﹁一面だぜ、この事件﹂ 片手で新聞を広げ、でかでかと一面に載せられている記事を読む。 純也も覗き込んできた。 ﹃斬魔事件、真犯人逮捕される。 警察が逮捕した野田容疑者は誤認逮捕であった事が昨夜発表され た。明らかな証拠が見つかり、大阪在住の荒井鉄︵二十五︶容疑者 を逮捕。野田氏は無事釈放され︱︱﹄ ﹁⋮⋮何が﹃無事釈放﹄だってんだよな﹂ ﹁ははは⋮⋮。あの子は⋮⋮大麻は逃げられたんやな﹂ 172 ﹁ナニ嬉しそうな顔してんだよ﹂ 軽い笑みで新聞を返した真に、遼平は不審そうな顔をする。むし ろ悔しがるところだろう、ココは。 ﹁いや、なんでもない。それで、遼平もサボりか?﹂ ここは事務所のあるビルの寂れた屋上。仕事が無いからといって、 普段なら真はサボらないのに。 ﹁お前がサボるなんて珍しいじゃねーか。どういう心境の変化だ?﹂ ﹁まァ、たまにはエエかなー、なんてな。事務所の窓からだけでは、 見えんモンもある﹂ ﹁は?﹂ ﹁色々気付いたんよ、大切なモノに。やっぱ、愛の力ってやつ∼?﹂ ﹁出たぜ、バカップル⋮⋮﹂ ﹁真君は真君だねぇ⋮⋮﹂ 得意気な真に、遼平と純也は苦笑いになる。事件後も何も変わら ない⋮⋮いつもの真のよう。 ﹁⋮⋮あ、忘れてた。俺はサボりに来たんじゃねえんだよ! 真、 今事務所に依頼人が来てるぜ﹂ ﹁何ぃ!? そういう事は早く言わんかい! どけって!﹂ 屋上のドアの前に立っていた遼平を押しのけ、真は階段へ向かう。 その後ろ姿を、純也が呼び止めた。 ﹁真君!﹂ ﹁へ?﹂ 振り返ると、両手を口にそえて純也が叫んでいた。遼平もにやつ き顔でこちらを見ている。 173 ﹁僕達ね、今ちょっと金欠状態なんだ!﹂ ﹁仕事寄こせよな! 頼むぜ部長っ!﹂ ﹁⋮⋮そーゆーのは、一度でも真面目に仕事してから言うんやな!﹂ 笑顔で真は階段を下りていった。その表情を見て、純也と遼平は それぞれの笑みで顔を合わせる。いつも通りだ⋮⋮いつもの大切な 日常が、ここに。 ﹁ね、遼、真君ちょっとだけ変わったよね﹂ ﹁そうかぁ? ドコがだよ﹂ ﹁ドコっていうか∼⋮⋮、昔の写真に写ってた時と、そっくりだよ﹂ ﹁ンなの、同じ人間なんだから当たり前だろ﹂ ﹁そうだよね⋮⋮同じ人なんだよね!﹂ 嬉しそうな純也の笑顔に、﹁変なやつ﹂と首を傾げる遼平。部長 は取り戻せたのだろうか、少年の頃持っていた︽何か︾を。 真は暗い階段を一人駆け下りていく。その脳裏には、まだあの青 空が映っていた。 ﹁社長⋮⋮感謝します﹂ もう一度生きる支えを手に入れられた。大事なモノが手の中にあ る。再び幸福のきっかけをくれたあの方に、心から感謝する。 ﹁お待たせしました!﹂ 事務所の扉を開ける。﹁遅いわよ∼﹂と笑う希紗と、待ちくたび れて睨んでくる澪斗がそこにいる。 何故かそれがどうしようもなく嬉しかった。変わらない非凡な日 々が、また始まる。 174 その日、少しだけ身体が軽く感じた。己を認めてくれる人達に、 気付けたから。偽善者でもいい、自分に大事なモノを護る力を貸し てほしい。 ︱︱︱︱なァ、阿修羅。 依頼4︽贖罪の刃︾完了 175 EL﹃願わくば、非凡な日々﹄︵2︶︵後書き︶ これにて、﹃闇守護業﹄第四話は終わりになります。 ここまで読んでくださり、作者として嬉しい限りです。 遅くなるかもしれませんが、続編もきっと出ます。 皆様に感謝申し上げて、今回は失礼させていただきます。 176 PDF小説ネット発足にあたって http://ncode.syosetu.com/n7005a/ 闇守護業 4《黒刃》 2012年10月18日14時56分発行 ット発の縦書き小説を思う存分、堪能してください。 たんのう 公開できるようにしたのがこのPDF小説ネットです。インターネ うとしています。そんな中、誰もが簡単にPDF形式の小説を作成、 など一部を除きインターネット関連=横書きという考えが定着しよ 行し、最近では横書きの書籍も誕生しており、既存書籍の電子出版 小説家になろうの子サイトとして誕生しました。ケータイ小説が流 ビ対応の縦書き小説をインターネット上で配布するという目的の基、 PDF小説ネット︵現、タテ書き小説ネット︶は2007年、ル この小説の詳細については以下のURLをご覧ください。 177
© Copyright 2024 ExpyDoc