第 399 号 2011 年 (平成 23 年)6 月 5 日発行(毎月 1 回 5 日発行)1977 年(昭和 52 年)4 月 1 日創刊 ISSN 0913-3380 (6) インスリン製剤の 変遷をたどる 第1回 ●粟田 卓也(埼玉医科大学内分泌・糖尿病内科) カナダのオンタリオ州の小都市ロンド 夏期休暇で不在の間の出来事であり、 尿病に試すことになった。トロント総 ンの外科開業医フレデリック・バンティ まさに真夏のトロントの奇跡であった。 合大学に入院していた 14 歳のトンプソ ングであった。1920 年 10 月 30 日の夜、 生化学者コリップもチームに加わり、ア ン少年の両方のおしりに牛の膵臓から が発見された年の翌年の 1922 年にさか 犬の膵管を縛れば外分泌細胞が萎縮・ イレチンの検討はさらに進められた。12 の弱酸性エタノール抽出液を 7.5mL ず のぼるが、90 年を経た現在では日本だ トロントの奇跡 退化し、残った膵島細胞から糖尿病の 月には変性した膵臓でなくともアルコー つ、合計 15mL が注射されたが、最初 けでも約 180 万人の糖尿病患者に使用 血糖を下げる内分泌物質が得られるの ルを用いて抽出できることもわかった。 の注射では血糖は少ししか下がらず注 されるに至っている。多くの糖尿病患 ではないかとのアイデアを得て、バン ちなみに、アイレチンを投与され 70 日以 射部位の一方に膿瘍が生じた。しかし、 者を死の淵から救ったインスリンの発 ティングは 11 月 7 日にトロント大学生 上も生存した膵全摘除犬マージョリー 1 月 23 日にコリップの作った新しい抽 見物語とその後の発展の歴史は、医学 理学のマクラウド教授と面会した。マ の名は後に有名になる(写真 1) 。 出液をトンプソン少年に再度注射した 史の中でも特筆されるものとして大き クラウドはあまり乗り気ではなかった 1922 年 1 月 11 日にいよいよヒトの糖 ところ、血糖は 520mg/dL から な注目を集め、すでに多くの書籍・著 ものの、膵管を縛って変性した膵臓を 120mg/dL まで下がり、尿糖はほとん 述にまとめられている。 移植するという新しい試みに興味を持 写真1 医学部棟屋上のベスト(右)、 バンティング(左)とマージョリー(中央) は じ め に 最初のインスリン治療はインスリン ど消失した(図 2) 。さらに 6 人の患者に 本連載では、動物インスリンからヒ ち、学生のベストが助手として加わり、 投与して良好な結果を得られ、マクラ トインスリン、さらにはインスリンア 1921 年 5 月 17 日に実験が開始された。 ウドは 1922 年 5 月にアメリカ内科学会 ナログへと大きく進化してきたインス 彼らにとって幸運なことに、1918 年に少 で糖尿病患者の治療に有効な膵臓抽出 リン製剤にスポットを当てて、そうし 量の血液からの血糖測定が可能となっ 物をインスリンと命名し発表した。ミ た 90 年にわたるインスリンの歴史をた ていた。膵管結索は当初はうまくいか ニコラムにある糖尿病の飢餓療法で著 は じ め に どり、患者、医療現場にもたらされた なかったが、7 月 30 日にようやく十分 名であったアレンも発表を聞き、現代 メリットやデメリット、さらには今後 に変性した膵臓を取り出すことができ 医学で最も偉大な功績の一つであると の展望を述べたい。 た。予定していた移植は取りやめて、 して賞賛した。 氷冷したリンゲル液の中ですりつぶし トロントの奇跡 参考書籍 て得た膵臓抽出物を糖尿病犬に投与し ペニシリンの発見などと並ぶ 20 世紀 てみたところ、血糖が 200mg/dL から 最大の医学上の発見と言われるインス 110mg/dL にまで低下した(図 1)。そ リンの発見は、1921 年にカナダのトロ の後 2 匹の犬でも血糖降下作用を確認 ントでなされた。主役となったのは、 し、彼らはその抽出物をアイレチン こうした偉大な発見などしそうもない (isletin)と名付けた。マクラウド教授が 1)マイケル・ブリス著, 堀田饒 訳:インスリンの発見. 朝日新聞社, 1993. 2)丸山工作著:新インスリン物語. 東京化学同人, 1992. 3)二宮陸雄著:インスリン物語. 医歯薬出版株式会社, 2002. 4)葛谷健編:インスリン 分子メカニズムから臨床へ. 講談社, 1996. 図1 糖尿病犬410号 1921年7月30日の血糖値 1921年7月30日 1 血糖値 3 ②変性した膵臓の抽出物5mLを静脈内に注入 ③水200mLに溶かした糖20グラムを胃管を通して投与 5 7 9 11 1 3 5 7 9 11 時 300 250 ②② 200 200 ② 210 ② 150 インスリン発見以前 糖尿病の病変の座が膵臓であるこ 尿病が発症していることを発見した。 とが判明したのは最近のことである。 1916 年にイギリスのシェーファーは 17 世紀にブルンネルは膵臓の役割を 1869 年に 20 歳の医学生であったラン 調べるために犬の膵臓を切除する実験 ゲルハンスが発見した膵島から内分泌 を行ったが、犬たちは 3カ月から1 年 される仮想ホルモンが糖尿病の原因に も生きた。実際には膵管を切断するの なるとの推論を発表し、それをインス が手術の主な内容であったためらしい リンと命名した。 が、膵臓は不要な臓器であるとして、 ② 100 ② ③ 110 図2 膵抽出物によるレナード・トンプソンの尿糖の変化 インスリン発見以前の重症糖尿病 その後 200 年近く膵臓への関心は薄れ 患者(現在の1 型糖尿病)の運命は過 ることとなった。 酷であった。発症後数年以内にケト 糖尿病の歴史の中で大きなブレーク アシドーシスによる昏睡で死亡し、3 スルーが、1889 年にミンコフスキー 年以上生きながらえるのはまれであっ (写真 2)とメーリングによる膵臓摘出 た。唯一の治療法はアメリカのアレ 実験における偶然の観察からもたらさ ン (写真 3) が行った飢餓療法であるが、 尿糖 (グラム) れた。彼らは膵臓の酵素が脂肪の消化 飢えによる死を選ぶか糖尿病による 220 に必要かどうかを調べるために犬の膵 死を選ぶかのようなものであり、患 200 臓の全摘出術を行ったが、著しい頻尿 者の寿命を数年延ばすのがせいぜい 180 を認めたことから尿糖を測定し重症糖 であった。 160 写真2 オスカー・ ミンコフスキー 140 120 100 80 60 40 20 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 16 17 18 19 20 21 22 23 24 25 26 27 28 29 30 31 1 2 3 4 5 6 7 8 9 10 11 12 13 14 15 1月 2月 写真3 フレデリック・ M・アレン
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