リルケを読む 竹内 豊 1 リルケについて語ろうとするとき、なぜか二一チェの言葉が思い浮かぶ。『ツァラトゥストラ』の巻頭 の言葉である。 万人に与える書、何人にも与えぬ書。 偉大な精神の書というものは、みなそういうものだろう。しかしこの言葉はスフィンクスの謎にも似 て、わたしを戸惑わせるものがある。わたしには、リルケについて語るのに、一度この戸惑いと向か い合ってみる必要があるように思われる。 はたしてリルケは、民主主義が是とされ、大衆文化が幅をきかす現代社会のなかで、どのように 読まれうるのだろうか。リルケと同時代人のトーマス・マンやヘッセの場合、かれらは市民性のもつ 俗物性を痛烈に批判したが、それは今日の市民社会のもつ負の面、たとえば経済的な功利主義 や衆愚政治への転落といったものに対する「内なる批判」の視点を与えてくれる。これに対してリ ルケの立場は明らかに異なっている。リルケの「思想」ということが言えるとすれば、その特質は原 初的、根源的であることであろう。かれにあっては「世界」という観念は成り立っても、「社会」という 観念は成り立ちにくい。したがって、かれの対象となる他者は、社会性を帯びた「市民」という範疇 よりも、もっと原初的で根源的な「民衆」という範疇に属しているといってよい。が、それにしても「民 1 衆」という概念で括ることのできる他者が、はたして今日の社会に存在するのだろうか。 わたした ちが生活しているこの社会はすでに市民社会であり、かつ大衆社会である。危険といっては、衆 愚政治や全体主義への転落が予想されるが、ともあれリルケの「思想」を社会という観点でとらえる かぎり、それが現代社会に与えるインパクトは無にひとしい。ただ何かの拍子で、この「思想」をは き違えた者たち(つまりロマン主義的な政治観をいうのだが)がそこから「英雄主義」をひねりだす恐 れがあるかもしれないが…… 2 リルケの「思想」の特質は原初的、根源的であると言った。それが、わたしがリルケを読んで得た 直感的な感想である。わたしはこの直感に導かれて書いている。と同時に、リルケについて語ろう とするのは、この直感の源泉を明らかにしたいがためでもある。そこで原初性、根源性をもうすこし 明らかにするために、試みにかれの民衆観について述べてみよう。 リルケが若き日に書いた「フィレンツェ日記」(1898 年)のなかにつぎのような文章がある。「われわ れの芸術は、芸術家自身以外にとっては、解放となることはできない。そしてこういう秘密に徹し得 る眼識を具えた、わずかの選ばれた人だけがそれに参与し、それを喜びとすることができるのであ る。」 これは明らかな選良意識である。かれは啓蒙的な教化を意図した民衆に対する芸術教育を愚 劣とさえみている。むしろかれはこう言うのだ。「芸術作品について、最も正しい見解を示すのは下 層の民衆である。みずから満ち足りている彼らは、芸術作品を余計なものと判断し、大理石のすべ 1 「民衆」というのはもはや前近代的な概念かもしれない。マスコミ、マスメディアの発達によって今日 存在するのは、文化的に均質化された「大衆」である。民衆は階級社会における被支配層である。 今日でも支配層は存在するが身分的な階級社会ではない。支配する者も支配される者も、一様 に大衆社会をべースにしている。 ての像を嫌い、それに石を投げつける。どうしてそれ以外であり得ようか。」 これはいったいどういうことだろうか。しかし論理的には矛盾だが、心情的にはわかるような気が する。ちょうど闘技において、互いの闘志が燃え上がれば燃え上がるほど闘技の醍醐味が増すよ うに、ここで語られていることは、芸術家と民衆との機微にみちたダイナミックな関係なのだ。かれ はその関係を巧みな比喩によって説明している。「民衆はすべてこれらの美のなかに生まれる。 ちょうど猛獣使いの子が獅子の檻のなかで生まれるように。」 リルケには民衆蔑視の観念はない。いなむしろ、真の民衆性を畏敬した点において、同時代の 誰よりも特異だったのではないだろうか。かれの民衆に対する畏敬の念は、この日記の翌年に書 かれた『神さまの話』(1899 年)のなかで、珠玉の耀きをもって描かれている。たとえば第 4 話で、神 が年老いたひとりの農夫となって、権力者である皇帝に対置されているが、そこには真実の具現 者である民衆のすがたが神の化身として表現されているのである。 リルケは民衆は民衆であるがゆえに畏敬され、貧しさは貧しさゆえに偉大であると考えていた。こ の考えは晩年に至っても変わらなかったようだ。かれはある質間にこう答えている。「神的なものを 消滅させて一種の匿名にしようと試みているような世界では、人間の助力があたええないことを人 間の助力に期待する、あの人道主義的な買いかぶりが生じないわけにはいかなかったのです。そ して、神の慈悲は何とも言いあらわせないほど神の冷酷と結びついていますから、神の慈悲を、神 慮の先回りをして、分配しようと企てるような時代は、同時に、きわめて古くからたくわえられている 残酷さをも人々のあいだへ引張りこんでくるのです。」(1924 年 8 月 17 日) ここにみられるのは社会主義的な民衆観に対する批判である。そればかりではなく、もし政治の めざすものが民主主義の維持や福祉の向上であるとすれば、そういう思想とさえ相容れないもの がある。が、ここでリルケの政治的アナクロニズムや反動性をあげつらうことは誤っている。ここには 確かに社会主義や民主主義のあいだに横たわる「残酷さ」の指摘がある。しかし逆に政治的保守 主義が擁護されているのではない。リルケは、およそ政治というものがもつ「残酷さ」を衝いている のである。 ともあれリルケの民衆観にはわたしたちの意表を衝く何かがあることは確かである。それはかれ の「思想」のもつ原初性、根源性から発しているのである。 3 2 わたしはかつて森有正について述べた評論 において、かれが「政治」と「過去」という問題に意 を砕いていたことを取り上げたことがある。「政治」とは、狭義の政治ばかりではなく、主体をとりまく 現実世界の総体を意味している。それが「政治」と謂われる所以は、現実世界の動力因がほかな らぬ政治的原理に発しているからであろう。また「過去」とは、その主体の内的世界をいう。「政治」 は現実の利害に執着して「過去」を捨象する。しかし実は「過去」にこそ生の源泉があり、現実がこ の「過去」に送り込まれることによって、一つの存在の環が完うされるというのである。 では主体の 内的世界をなぜ「過去」と呼ぶのか。実はそこにリルケに繋がるものがあるのだ。森は「リールケの レゾナンス」という文章のなかでこう書いている。「美はそれ自体で自足しているが、我々はそれを 前にして自足することが出来ない。それ故にこそ、それは我々の今の生を遥かなる過去にまで変 貌させることによって、その過去である生を現実よりももっと生きるに価するものとする。リールケが 2 拙稿「森有正―遥かな過去、遥かな愛―」(1990 年) 『我々はある一つの神の先祖である』、というのはそういう意味である。」 森がここでいう「過去」とは、自己存在の根源にあって、アイデンティティの基礎となるものである。 そのような意味においてそれは「歴史」と同義である。したがって多くの場合、それは必然的に民 族主義的な傾向を帯びたものとして自覚されるであろう。森の場合もその点では例外ではない。た だキリスト者であったかれは、それを超民族主義的な「諸国民の父」アブラハムに求めた点で特異 3 である。 つまり国家主義的民族主義という、一般に陥りやすい陥穽に嵌まることから免れることが できたのである。したがってかれの美に対する意識もそのようなものとして発現している。 森は「美」を「我々の嘆きの限りなく向かう郷愁のようなもの」と言っているが、かれにとって「美」と は、生を規定する言葉であり、まさにアイデンティティの源泉であって、したがって「美」の喪失を嘆 くこの一節は、存在と自己との乖離という事態を暗示している。これはちょうどリルケが『ドゥイノの悲 歌』の冒頭で、「ああ、いかにわたしが叫んだとして、いかなる天使がはるかな高みからそれを聞こ うぞ?」と叫んだあの「嘆き」と同種のものだ。森のいう「過去」はこのような文脈において理解される べきである。 森が引用しているリルケの言葉は「フィレンツェ日記」からのものであるが、やはりこの文脈に沿っ て理解され得よう。リルケは「子孫」とは言わず「先祖」と言っているのだが、そこが肝心な点なのだ。 4 つまり通時的な軌道が通常の直線ではなく、円環でとらえられているのである。 それはかつて生 3 因みに森有正の主著のタイトル―『バビロンの流れのほとりにて』『流れのほとりにて』『城門のかた わらにて』『砂漠に向かって』―は、いずれもアブラハムの行跡を辿っている。またこのシリーズの 続編として構想されながら、かれの死によって実現に至らなかった作品も、『荒野に水は湧きて』と なっており、命名の仕方は同様である。 4 リルケにおける時間の観念には一種の輪廻観があったと思われる。つぎに『時祷詩集』の第一部 「僧院生活の書」(1899 年)から、かれの輪廻観を示す詩を引いてみよう。「物の上にひろがって大 きくなる/輪のような生を私は生きている。/おそらく最後の輪を完成することはないだろう。/しかし私 は試みようと思っている。/私は神のまわりを、太古の塔のまわりを廻っている。/そしてもう千年も 廻っている。/しかも私はまだ知らないのだ、自分が一羽の鷹であるか、一つの嵐であるか、/それと も一つの大きな歌であるかを。」(第 2 編) 「私には自分が今、子供でもあれば赤児でもあり、/大人 でもあればそれ以上の者でもあるような気がする。/ただ私は感じる、/輪はそれ自体の回帰によっ て豊かだということを。」(第 61 編・尾崎喜八訳) きられた生であり、同時にいま生きられつつある生でもある。謂わばオーバーラップされた生といえ ようか。「今の生を遥かなる過去にまで変貌させる」、言い換えれば現実が過去に送り込まれる、と はそうした生の捉え方をいう。かれが存在の恢復、すなわち失われた「美」の恢復を「郷愁」という 言葉で語っているのは、「過去」にこそ失われた「美」の源泉があると覚知しているからである。ひと は現実の生をこの「過去」に送り込むことによって、自らを豊かにすることができる。森が内的世界 を「過去」と呼んだのは、そういう意味であろう。 リルケの存在論的な思想についてはもっと広範な検討を要することであるが、それはいま措くとし て、ここにはリルケの今日的な読み方のひとつが示されているといえよう。 4 わたしがこれまでに述べてきたことは、現実世界と内的世界という図式で表すことができそうな事 柄である。しかしこれは誤解を招きやすいかもしれない。なぜならもし現実世界を客観とし、内的 世界を主観(意識)としてとらえるなら、今日の思想的常識として、こんな二元論は旧式に過ぎようし、 リルケの世界観に照らしても、かれの存在的な不安そのものが、すでにこうした図式を単純に適用 することのできないものとなっているからである。しかしわたしがここで言いたかったことは、主観/客 観の二元論ではなく、その関係である。内部/外部の関係といってもよい。つまり主体を内部とすれ ば、その主体が関係する他者や社会が外部である。リルケは一般に精神世界に属する内的な人 として理解されようが、わたしは外部、二ーチェのいう「万人」の世界にもこだわってみたかったの である。 リルケが拠り所としたのは貴族的な社会であって、今日の大衆社会ではない。大衆社会への移 行の予感は、オルテガの『大衆の反逆』1930 年)の出現を俟つまでもなく、当時の知識人や文化 人の一般的な共通認識であって、たとえばヘッセは『荒野の狼』(1927 年)のなかでジャズ音楽に 興じる若い世代(当時の新人類)の出現を描いているが、リルケにあってもそのような認識は共有さ れている。たとえば『マルテの手記』(1910 年)の冒頭で、時代の病理を自己の存在不安に重ねて 5 見事に描き出しているし、『ドゥイノの悲歌』(1922 年)には文明批評的な箇所がみられる。 さらに 『オルフォイスヘのソネット』(1922 年)では、機械文明に対して懐疑的ながらも、未来への可能性を 6 保留しているような面もうかがわせているほどなのである。 したがってかれを旧時代に属するロマ ン主義者とみることは適当とはいえない。 リルケにとって時代というものは、あくまでも窓越しに眺められる大通りのようなものであって、その 大通りから逆に眺められるリルケの館は、いかにも貴族の館然としていて、通りの景観にそぐわな いのは致し方あるまい。実際わたしたちがふだん目にし、耳に聴くもののどこにリルケを告知して いるようなものがあろうか。しかしいかに時代にそぐわなくとも、それは人間の存在の根底に横たわ る諸問題に深く根をおろしているがゆえに、時代を超えて普遍的に妥当するのである。たとえばリ ルケー流のキーワードである「物」の、思想は、どれほど深くわたしたちに物の在り方を教えてくれ ていることだろうか。 神学においては、神は隠れることによって自らをより深く顕わすという。おそらく「何人にも与えぬ 書」というものも、求める者に対しては、より深く自らを啓いてくれるものなのだろう。 5 つぎに『ドゥイノの悲歌』からごく一部を引いておこう。「力の大倉庫を時代精神は建てならべた。そ れは現代が/あらゆるものから絞りとる動力と同様に、形姿というものをもたないのだ。」(第七の悲 歌) 「いまはかつてのいかなる時代より/物たちがくずれてゆく、真実の体験となりうる物たちがほろ びてゆく。/そういう物たちに取ってかわっているのは、形象をもたない作りものだ。/殻だけの作りも の。」(第九の悲歌、手塚富雄訳) 6 『オルフォイスヘのソネット』第一部 23。リルケはこのソネットでオルフォイスに象徴される生命の普 遍性に奉仕するかぎりにおいて機械の可能性を見ている。
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