JICA 横浜 海外移住資料館・日本移民学会共催 2015 年 4 月 25 日(土)於 JICA 横浜 4F かもめ 公開講座「日本人と海外移住」第 7 回「南洋群島への移民」講演概要 今泉裕美子(法政大学国際文化学部) はじめに 〇「南洋群島」を生きたひとたちを探して―ミクロネシアの人たち、帰還者からの聞き取りと資料調査 ・ミクロネシア各地で調査。日本では沖縄、福島、東京(八丈島)、山形、北海道 etc.)を中心に各地で。 なぜ日本ではこれらの地域出身者が多かったのか。 ・沖縄の「地域史」との関わり 具志川(現うるま)市史、沖縄県史、沖縄市史で南洋移民を担当 〇史・資料調査―日本、台湾、韓国、アメリカ本土、グアム、ハワイ、ミクロネシア、個人 etc. “ない”といわれた史・資料→その存在状況、保存の経緯からからみえること 〇「南洋群島」とは? ①「ミクロネシア」の一部 ②「南洋」の範囲 ③植民地としての歴史 ④現地の人々(日本から南洋群島に移民が渡航した時期に関する説明) ⑤戦前日本の中国・植民地への移民のなかの「南洋移民」 1、なぜ南洋群島に日本から移民が渡航するようになったか 1-1 日本政府、海軍にとっての南洋群島 〇日本が南洋群島に見出した価値 (③、④は占領後) ①資源豊かな東南アジアへの経済進出の拠点として活用 ②対米軍事戦略上の要地としての活用 ③日本で食べてゆけない人たちの働き口 ④(1922~)委任統治制度を通じて戦後秩序のなかの日本をアピールする ex.文明国日本を示す「ショーウィンドウ」としての統治、欧米諸国との協調姿勢 〇統治機構の変遷と特徴 ※南洋群島は台湾、朝鮮のような植民地だったのか 1914 年~1922 年 1919 年 日本海軍による統治 ベルサイユ講和会議で日本の C 式委任統治に決定 1922 年~委任統治機関南洋庁による統治(台湾、朝鮮のような領土ではない) ・国際連盟から義務付けられた事項 ・現地住民に対する公式名称「島民」(Inhabitants of the Islands) 原則として国籍を与えず cf.朝鮮人、台湾人(民籍名)=大日本帝国臣民 ・南洋庁(パラオ諸島コロール島)、サイパン、ヤップ、パラオ、トラック、ポナペ、ヤルート の6支庁(1943 年に北部支庁、西部支庁、東部支庁に再編) 1935 年 日本が国際連盟から正式に脱退(委任統治は継続するも「海の生命線」として「領土」と しての認識・関与を強化、兵站基地化へ) 1/5 1-2 1939 年 南洋群島防衛のために第四艦隊を再編、41 年から南洋群島常駐 1940 年 日本軍の進駐開始 1941 年 日米開戦(サイパン島を拠点にグアム侵攻・占領) 1943 年 南洋庁長官に海軍中将、各支庁長に海軍現役将校を配置。 1944 年 満州などから陸軍部隊が次々と「転進」→南洋群島各地が米軍占領下に 移民先としての南洋群島 〇第一次世界大戦に前後する時期、海外移民の主要な渡航先アメリカへの移民が困難に ○ 第一次世界大戦後日本の社会経済状況と「南洋移民」への誘因 ①大戦後の反動不況に続く金融恐慌、昭和恐慌と慢性的な不況→格好の新たな移民先 ②南洋興発㈱による渡航費、生活費、農業費用などの貸付け ③ビザ不要、南洋航路の整備(1 週間程度で到着) 2、植民地社会の特徴 2-1 移民の仕事 ①製糖業を基幹産業に ②南洋庁による拓植事業 ③南洋拓殖㈱(1936 年設立) ④兵站基地化の推進(1930 年代後半~) ⑤「絶対国防圏」の設定(1943 年 9 月)以後 2-2 南洋群島社会の特徴 ①南洋興発㈱による製糖業を中心とする熱帯産業(水産業、栽培事業、酒精工場などなど)の発展に 沖縄、八丈島・小笠原島から移民を導入。つてを頼って「自由移民」が増加 ②なぜ沖縄から多かったのか? ③「一等国民:内地人(日本人)、二等国民:沖縄人/朝鮮人、三等国民:島民」なる暗黙の序列の 存在。(インフォマントによって序列の入れ替えはあるものの) ④ウチナーンチュにとっての南洋群島とは 3、引揚げと引揚げ組織 ①戦時の引揚げ(1943~44) ②戦後の引揚げ 民間人(1945 年 10 月~1946 年前半) おわりに ①「南洋移民」の経験 とは ・植民地社会を形成、維持する一員としての生活、仕事、人間関係 ex.島嶼、世代、出身地、ジェンダー、仕事などによる特徴 ・戦時の体験…日本軍の進駐、引揚げ、地上戦や飢餓を経て米軍占領下での「自治」 →帰還先の戦後「復興」で役割果たす ex.沖縄 2/5 政財界、教員、警官、看護婦など ②南洋群島からの帰還者組織―再渡航要求から慰霊と交流へ ・帰還者の組織設立と活動 戦時疎開業務→戦後は生存者情報の収集、再渡航要請など 貧しさゆえに渡航→戦時の一時的な疎開のつもりでの帰還/戦争により財産、身内を失って帰還→ “ヒキアゲシャ”としての疎外感を抱えつつ戦後日本社会各地での生活 ・戦時の引揚げ者受け入れ組織の結成→戦後全国各地で様ざまな単位、規模で組織化、「全国南洋会」 →現在は活動停止、解散が相次ぐ ・沖縄では複数の組織が存在、現在なお多くが活動中 ・現地との交流、組織の変化…親睦と慰霊が中心に。日本各地およびミクロネシア各地の地域単位の交 流。 ✤帰還者組織に参加しない/出来ない人びとの存在 ✤現在、次世代に何を、どう引き継ぐかが大きな課題 ⇔同世代、次世代としてどう引き継ぐかというわれわれの課題 【参考文献】 蘭信三他編 2013『人の移動事典―日本からアジア・アジアから日本へ』丸善出版株式会社。 石上正夫 2001 『大本営に見捨てられた楽園 玉砕と原爆の島テニアン』桜井書店。 印東道子(編) 2005 『ミクロネシアを知るための 58 章』【第 2 版】明石書店。 今泉裕美子 1994「国際連盟での審査にみる南洋群島現地住民政策」『歴史学研究』第 665 号。 2002 「南洋群島」具志川市史編纂委員会『具志川市史』第四巻、移民・出稼ぎ論考編、具志川市教育委員会。 2003「南洋へ渡る移民たち」大門正克他編『近現代日本社会の歴史 近代を生きる』吉川弘文館。 2005 「南洋群島引揚者の団体形成とその活動-日本敗戦直後を中心に」『県史料編纂室紀要』33 号. 2009「南洋群島への朝鮮人の戦時労働動員」『季刊戦争責任研究』第 64 号(2009 年夏季号)。 2011 「南洋」㈶沖縄県文化振興会資料編集室編『沖縄県史各論編 5 近代』沖縄県教育委員会。 2014「太平洋の「地域」形成と日本―日本の南洋群島統治から考える」李成市編『岩波講座 日本歴史(地域論)』岩 波書店。 2015 「南洋群島の日本の軍隊」・「コラム サイパン島・テニアン島の「玉砕」」坂本悠一編『地域のなかの軍隊7 植 民地 帝国支配の最前線』吉川弘文館。 岡部牧夫 2002『海を渡った日本人』山川出版社。 具志川市史編さん委員会 2002『具志川市史』第四巻、移民・出稼ぎ証言編、具志川市教育委員会。 鈴木均 1993『サイパン夢残-「玉砕」に潰えた海の満鉄」』日本評論社。 野村進 1987 『海の果ての祖国』時事通信社(改稿を加えて『日本領サイパン島の一万日』岩波書店、2005 年として刊行)。 3/5 (今泉 2011)より転載。 4/5 5/5
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