日幹上人御23回忌奉修される

電 話 (075)461-1166(代)
振 込 口 座 京 都 18650
本門佛立宗宗務本庁
京都市上京区御前通一条上る 東竪町110番地(〒602-8377)
「東日本大震災
あれから4年…」権大僧正列伝
}
ブラジルご奉公記④
清雄寺の門祖会に併修して営む
有縁の教講多数がご遺徳をお偲びする
日、法寿九十五歳をもってご遷化あそばされた。本年はその御二十三回
併修して、佛立第十六世
講有・日幹上人御二十三
は当宗のみ。門祖の門下
へのお折伏、ご苦労を偲
び、門祖にお喜びいただ
明治二十二
年、大日本帝
国憲法が発布
された時のこ
の
行
布される﹂と聞いて﹁帝
が絹布の法被をくださる
そうだ﹂と勘違いしてお
祭り騒ぎとなってしまい
明治政府はこの騒動を鎮
めるのに大いに手を焼い
たという▼この憲法は欽
4日
第十八世講有日地上人ご祥月命日
﹁自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊
かな心をはぐくむ﹂ことを趣旨として制定された
祝日。平成元年から十八年までは四月二十九日で
あった。
4日
みどりの日
一九四七年五月三日、日本国憲法が施行された
のを記念して、国の成長を期することを趣旨とし
て制定された。
⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮⋮
定
う言葉さえ知らなかった
予
3日
憲法記念日
事
当時の庶民は﹁憲法が発
と。憲法とい
月
日 子供の日の行事
日 母の日の行事
宗
専門用語であり、入信さ
れたばかりのご信者や宗
外の人にとっては、全く
理解できない言葉が多く
ある▼言葉を発した方は
理解してもらって当たり
をきたし、せっかくのご
前と思った言葉から齟齬
縁を無駄にしてしまった
り、育成が滞ってしまっ
日 ま で、 教 講 二 十 五 名 国際空港に到着。メトロ・ 時より﹃終戦七十年 戦 えし、その声は近隣に響 へ贈呈されました。なお は分からない。だからこ
開講五周年とは、マニラ そ丁寧な説明と正しく理
︵うち教務四名︶の参加 マニラ別院の建設予定地 没者慰霊法要﹄
﹃フィリ き渡りました。
のもと、フィリピン団参 のあるパシグ市へは慢性 ピン開講五周年記念法要﹄ 奉修導師は英語にて言 にて平成二十二年二月に 解してもらえたかの確認
上、また御法門は日本語 初御講が奉修されてから が必要だ。こういう齟齬
が行われ、四ヵ所で住職 的な渋滞があり、車で一 が奉修されました。
の木村日覚師の唱導によ 時間ほどかかります。
遠妙寺開基の大僧正・ のあとフィリピン語の通 五周年ということで、ご を生まないためにも、相
り、法要が営まれました。 フィリピン教区のご信 日彰上人ご染筆の十界勧 訳にて説かれましたが、 弘通の開始はそれより以 手は何も分かっていない
という前提のもと、丁寧
団参者一行は二月二十 者が、草取りや整地作業 請の御本尊が奉安され、 このスタイルは後の三ヵ 前に遡ります。
︵続きを三面に掲載︶ な育成を図っていきたい。
日、羽田の国際空港から をした建設予定地に大き 日比両国の戦没者のお塔 所での法要でも踏襲され
5日
こどもの日
﹁こどもの人格を重ん
じ、こどもの幸福をはか
るとともに、母に感謝す
る﹂ことを趣旨に昭和二
十三年に制定。この日は
古来から端午の節句とし
て、男子の健やかな成長
を願う行事が行われてい
た。
日
母の日
日
大僧正野原日海上人ご祥月命日
明治三十二年︵一八九九︶のこの日、ロシア皇帝
ニコライ二世の提唱で、オランダのハーグで日本を
含む二十六か国が参加して万国平和会議が開催さ
れた。日本では
﹁国際交流を通して平和を実現する﹂
という趣旨のもと、昭和六年から実施されている。
日
国際親善デー
日頃の母の苦労を労
り、母への感謝を表す日。
日本やアメリカでは五月
の第二日曜日に祝う。赤
いカーネーションは母の
日のシンボル。
こよみ
回忌法要を、二座に亘り
門
10
期には珍しい雲ひとつな め千名を超えるお参詣の をひたすら御宝前にお縋 特に七十年前の昭和二十 ところで未成就となり、 上人∼ご奉公の足跡∼﹄ 府側が事前に丁寧な説明
い大変穏やかな晴天のお もと、厳粛かつ盛大裡に りし、ひたむきな御題目 年三月、東京大空襲の猛 第二座に於いて奉告言上・ を制作。日幹上人の御霊 をしておけば防げた騒動
計らいをいただいて、第 執行させていただいた。 口唱に徹し、この御教歌 火の中、御本尊・御尊像 御懺悔言上をさせていた 前にお供えするとともに、 だと言える▼これを昔の
改良を、と御慈教いただ
両上人による在りし日
の日幹上人の思い出の数
いた。
また、第二座の日誠上 数に、満堂の参詣者の中
人は御教歌﹁門流の開基 には、目頭を押さえなが
婆が建立された御宝前に、 ました。
ども二十四名、団参者二 げ会・青年会・有志者か っては当たり前の言葉や
両国のご信者七十九名
御法門終了後、参詣団 た例は、案外多いのでは
︵現地信徒三十四名・子 長の挨拶。続いて、くん ないだろうか▼自分にと
は祖師のご再来 もとの ら聴聞する姿も見られた。
宗旨にかへし給へり﹂を
一方、清雄寺としては
拝され、高祖滅後、数多 この日までに﹃御二十三
の門流が分立したが、道 回忌報恩ご奉公・各部一
名がフィリピンへ団参
木村日覚師の導師で4ヵ所の法要
第1座でお焼香される日裔上人
月の
5こよみ
月の
奉修させていただいた。
今
定憲法︵君主の意思によ 大正五年、第七世講有日淳上人の長子として大阪
覚英会、そして日幹上人 交え﹁させていただく﹂ いた。
清風寺でご誕生。昭和六年、第十二世講有日宥上
って定められた憲法︶で
ご在世中に清雄寺に寄宿 ご奉公精神の大事。
ま
た
日
幹
上
人
に
つ
い
て
人
を
師
僧
に
得
度
。
同
十
五
年、
東京帝国大学︵現東大︶
卒業。応召されて朝鮮、
ブーゲンビルと転戦。終戦、
帝から憲法が下賜される
した内弟子で構成される
さらに日幹上人の三期 は、関東大震災の災禍、
性質のものだったため、 復員後の昭和二十一年、清風寺第三世住職に就任。
信誠会等四十余師のご出 十二年に亘る講有ご在位 第二次世界大戦の戦禍、
同三十一年、戦災で被災した本堂を再建。戦後の
座・ご奉公。さらに各寺 中、本山執事長としてお と二度もの大難関を乗り 戸のお供え教化﹄を発願。 環として、清雄寺教務部 ﹁帝が何かくださるそう
宗
門
の
要
職
を
歴
任
し、同五十一年には宗務総長に
就任。宗制改正、
百万霊会等の記念事業を完遂され、
院所属ご信者方も多数お 給仕されたお立場から、 越え本堂再建、ご弘通発 ご奉公を展開してきたが、 一同が日幹上人のご一代 だ﹂という憶測が出て招
同五十七年、第十八世講有に就任される。昭和六
参詣いただき、寺内を含 日幹上人は全てのご奉公 展を成し遂げられた事。 残念ながら、あと一歩の をまとめたDVD﹃日幹 かれた騒動なのだが、政
十二年五月四日、法寿七十二歳でご遷化。
去る三月二十二日、門祖
有縁の御導師方、門末 お若き頃のご奉公体験を の徹底を、と督励いただ
日隆大聖人御開山会式に
第五支庁・清雄寺︵住 有・講尊日誠上人がご親 るなんどいふ身分ではな けるご弘通ご奉公のため、
職・小山日誠上人︶では 修。
し﹂を拝され、ご自身の 教講一同﹃良いお看経﹄
祖会に併せて厳かに法要が営まれた。
忌にあたり、ご自坊の清雄寺において有縁の教講多数が参列する中、門
日幹上人は、佛立第十六世講有・本山第四十七世住職・関東根本道場 理、文証、そしてご利益
東京・清雄寺第二十世住職としてご奉公いただき、平成五年三月二十四 の有無から見ても、正し
く高祖のみ教えを継ぐの
日裔上人・日誠上人の導師のもと
当日は、連日の低温と
は打って変わり、この時
第1座に参列された日誠上人と小山家ご親族方
一座を佛立第十九世講有
御法門は、第一座の日 を体現されたまさに﹁口 を日幹上人と共にご避難 だき、御二十三回忌御正 記念品として宗内寺院教 笑い話と聞き流すことも
当年の本年度教化誓願早 会ならびに参詣者一同に できるが、こういう伝え
講尊日裔上人、第二座を 裔上人は御教歌﹁願くは
唱
の
御
講
有
﹂
。
そ
の
結
果
、
申
し
上
げ
た
ご
様
子
を
お
話
贈呈させていただいた。 方のトラブルはどの世界
当住・佛立第二十四世講 つかひ給はれ奉公を す 宗門・本山のご弘通発展、 下さり、改めて、今こそ 期成就を誓った。
︵清雄寺教務部記︶ でも起こりうるだけに注
なお、報恩ご奉公の一
諸事業も全て完遂を見た。 佛立教講の妙法弘通によ
意しておきたい▼お寺で
お互いも口唱折伏・経 る世界平和の実現が大切、
交わされる言葉の多くは
力現証に徹し、常に信心 と御慈教いただいた。
教講
5支
遠妙寺
東京・遠妙寺では、去 約五時間のフライトにて なテントを張り、手作り 十一名︶が異体同心、異 らの開講五周年のお祝い 常識と思われる事も、ど
る二月二十日から二十四 マニラのニノイ・アキノ の祭壇をご荘厳。午後三 口同音にて御題目をお唱 の記念品が大人と子ども のように受け取られるか
マニラ別院建設予定地での一座法要
購 読 冥 加 料 一部 50円
THE BUTSURYU SHIMBUN
橋口清遠
編集人
澤田日松
発行人
体験談:妙源寺 永田豊秋氏、 妙薫寺 池上長子姉
5支・清秀寺門末婦人の部の野外御講、 2支・南大阪布で弘通促進決起大会
佛立開導日扇聖人物語 第5回、 5支・東京房総布 教化誓願者大会を開催
平成 27 年5月 1 日発行
5月号他ページの主な記事 ┃
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┃ 本門佛立宗機関紙
10 5
18
日
第八世講有日歓上人ご祥月命日
明治二十四年、御牧傳之助の長男としてご誕生。
同三十七年、第二世講有日聞上人を師僧に得度。大
正二年、第三世講有日随上人に請われて養子縁組
され、野原性を名乗られる。この頃、薫化会の設
立に尽力される。終戦前後の一宗独立の折りは、本
門佛立宗開創事務局幹事長としてGHQ ︵連合軍
総司令部︶と歴史行政面での折衝を行われた。昭
和二十二年五月二十六日、佛立宗の独立を見届け
られ法寿五十六歳でご遷化。
26
明治二年、田中市太郎・民を両親に京都でご誕
生。同二十七年、第四世講有御牧日教上人を師僧に
宥清寺で日聞上人のお剃刀をいただき得度。僧名
を清歓といただく。同三十四年、師命により乗泉
寺住職に就任。昭和十一年、第八世講有に加歴。同
十九年五月三十日、法寿七十六歳でご遷化。
30
美しく荘厳された日幹上人のご祭壇
25
発 行 所
佛立教育専門学校の卒業式並びに入学式
5支・遠妙寺のフィリピン団参、 5支・光隆寺 門祖会に東京大空襲ご回向
2面
3面
4面
5面
6面
7面
8面
平成 27 年5月1日 金曜日 (毎月 1 回 1 日発行)
聞
新
立
佛
(1) 第 6 6 5 号 (昭和 41 年 6 月 17 日第三種郵便物認可)
日幹上人御23回忌奉修される