盛大に「日本一」の宴 - 中央大学

■威風堂々
赤坂プリンスホテル
合格者131人のうち、この日は1
22人が出席した。全合格者100
がどれほどのものか。とても中央の
9人の %を占める﹁日本一﹂の数
ステージには並びきれない。やむな
植松歩美(総合政策学部3年)
大池夏未(同)
竹下奈穂(経済学部2年)
池田園子(法学部2年)
法改革の任にあたった立場から、﹁今
回の波は戦後の司法改革の中でも大
きなもの。制度を提案し実行してい
く、内外に通用していく法曹になる
よう、自由とそれを美しくするフェ
アプレーの精神を大切にしていって
ほしい﹂と述べ、合格者たちを世界
に向おうとする生まれたばかりのひ
な鳥に喩えて激励の言葉をかけた。
最高裁判所からも中大OBのふた
りの現役判事。甲斐中辰夫氏は、祝
辞とともに﹁早速だが﹂と前置きを
して、法曹として持すべき心得を。
﹁実務はそれを扱う者の人間性が
タ、2ケタの他校なら訳なくステー
ま で つ づ い て い る。
﹁ 合 格 者 が1 ケ
重3重になって長く入り口のあたり
くステージ下に順に並んだ列は、2
ていくことを望む﹂と期待をこめて
スピードを持った優秀な法曹が増え
緯もあるという。理事長として今回
少しでも人間として自分を磨くよう
語 っ た。
﹁まわり道のようでも毎日
関して常についてまわることだと
。 い ず れ も、 仕 事 に
﹁これからのスピード社会において、 ね ば な ら な い ﹂
の成果を目の前にした喜びを語り、
に。何年かのちには、それが評価さ
そ し て、
﹁自分の言動に責任を持た
単なる技術に傾倒してはならない﹂
。
にじみ出るものであるから、決して
う O B の 立 ち 話 が 聞 こ え た。
﹁ ま あ、 祝福した。
永井和之総長・学長は、﹁今
ジに上げて祝福するだろうが﹂とい
回の成果は、多くの方々の尽力によ
ねる心構えをし、日夜努力する法律
真剣に耳を傾けていた。
第一歩の司法研修へ臨む主役たちは
て感謝の言葉を述べた。
来賓挨拶。中央大学OBの衆議院
議員・元法務大臣の保岡興治氏は司
家になれ﹂
。 重 い 言 葉 に、 こ れ か ら
れることになる。深い思考を積み重
アナウンサー小川光明さん︵昭和
年卒︶の司会でお祝いのスピーチ
鈴木敏文理事長は、小渕内閣当時
に司法試験制度について議論した経
■合格で安心することなかれ
り達成できたこと﹂と大学を代表し
1
が始まる。
37
夜6時半、合格者たちの入場である。 これが日本一ゆえの皮肉だねぇ﹂
進曲
﹁威風堂々﹂が音量豊かに流れる。
赤プリ新館2階の﹁クリスタルパ
レ ス ﹂。 ハ レ の 会 場 に、 エ ル ガ ー 行
in
学生記者
中
央
大
学
法
科
大
学
院
盛
大
に
﹁
日
本
一
﹂
の
宴
13
特
集
﹁
新
司
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合
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者
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、
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て
難
関
を
突
破
し
た
才 口 千 晴 氏 は、﹁ 製 造 物 責 任 も あ
りますので﹂と切り出して、会場を
沸かせた。本来なら、弁護士から中
任官され就任。そんないきさつ含み
のジョークである。
く幸せは長く ――
ということで﹂と
中山正暉・中央大学学員会会長が乾
くなかった。ドレス姿が教授のもと
女性の合格者も2割を占める︵
―
人︶
。フォーマルなドレス姿も少な
選ばれて、いまここにある栄光 ―
杯の音頭をとり、歓談に移った。
4日間にわたる試験日程や試験問
題に触れて﹁知力ではなく体力だな、 ■華やかに、盛大に
と思った﹂とユーモラスに合格をた
﹁司法研修所
たえてから、
で落第生が1
てくださったおかげ﹂と感謝を述べ、
加藤雄士さんは﹁身についた法律の
基本的な礎を必ず役立て、早く同じ
舞台に立てるよう頑張りたい﹂と挨
拶した。
合格者の声
年 間 の〝 苦 闘 〟 や 受 験 の〝 死 闘 〟
、
ることなかれ。 で と う ﹂
。 仲 間 同 士 で 語 り 合 う。2
あう菊地千春さんと恵美さん。顔も
くことがなくて﹂と、笑って見つめ
◆ふたり仲良く
﹁ふたり一緒で
ホ ッ と し て い ま す。 ど ち ら か が 泣
さまざまな顔がある。会場を歩き
ながら、合格者の声を拾った。
司法修習を終
これからのこと⋮⋮。語りながら、
そっくり、
双子の姉妹である。
そろっ
07人も出た。 に 小 走 り で 駆 け 寄 る。
﹁お世話にな
えて1人前﹂
笑 み が こ ぼ れ る。 歓 談 の 輪 は 会 場
れども頑張っ
変な時代だけ
が始まり、大
突破した皆さんには、これからよき
研 究 科 長 が 謝 辞 と と も に、
﹁難関を
辞。法科大学院からは大村雅彦法務
開校時の前理事長、阿部三郎氏の祝
終わりには高村正彦・元外相も挨
拶に駆けつけ、つづいて法科大学院
りまして﹂
﹁ よ く 頑 張 っ た ね、 お め
とハッパをか
いっぱいに広がった。
合格で安心す
け、
﹁法曹の
て生きていく
大量輩出時代
ように。大事
法曹となって中央大学法科大学院を
広めていってほしい﹂とはなむけの
かいこう
なのは邂逅、
出会いを大
言葉を述べた。
締めくくりは、合格者を代表して
ふたり。松石和也さんは﹁ハートフ
ルメソッドのもと、皆さんが指導し
菊地千春さん(右)と恵美さん
27
切にしてほし
い﹂と語りか
﹁演説は短
けた。
「Hakumon ちゅうおう」'06 年冬季号
祝福のスピーチを笑顔で聞く 主役 たち
大法科大学院教授就任のはずだった。
年開校を前にして、最高裁判事に
04
ての合格だった。ともに法政大学卒、
被害者救済の現状は、アメリカと比
ければ、と強く思いました。日本の
自分もこういう気持ちで取り組まな
ことがある﹂というエピソードも。
期休暇中などに法律事務所等におい
か?と聞くと、
﹁⋮⋮一応、私です﹂
弁護士という仕事に興味をもった﹂
と千春さんが遠慮がちに手を挙げた。 べまだまだ遅れていますから﹂と話
て実務研修を受ける制度︶を通して、 ち な み に、 ど ち ら が お 姉 さ ん で す
そ う だ。
﹁法曹界には中大出身者が
歳。
弁護士を目指す理由について、千
春さんは﹁法曹三者の中で弁護士と
多いので、エクスターン・シップな
した。
いう仕事は自分にとって、身近な存
◆ 被 害 者 救 済 徳竹敬一さん︵明
歳 ︶ が、 法 曹 を 志 し
︵中央大学卒・ 歳︶
鶴田佳子さん
も検事の道をめざしている。
いだきました﹂と恵
Gの方々が非常に熱心で親切にして
映っていたのは、被告人を弁護する
た犯罪報道だったという。テレビに
たきっかけは中学生のときに目にし
﹁特捜部に入ろう、とは思ってい
ません。どんな小さな事件でも、事
て﹁被害者救済﹂に取り組む弁護士
必ず司法試験に合格
は﹂と考え、現在は検察官を志して
者により近い立場にあるべきなので
﹁ 検 察 官 の ほ う こ そ が、 被 害
でしっかりとやれば、 う ち、
問されて答えられないこともあった。
もあった。法科大学院の講義で、質
績が思うように振るわなかったこと
しかしその度に、大事な言葉を思い
何度もくじけそうになったという。
いるそうだ。
は2倍、悲しみは半
先生との距離が近い教室で問題意識
ない授業があったから。大学と違い、
続けていれば結果は出てくるはずだ
まっても諦めないことが肝心です。
浮 か べ る よ う に し て き た。
﹁行きづ
﹁励ましあってでき
から﹂
。後輩たちへのメッセージだ。
分で、受験勉強中も
たことがよかったの
をもって学べたことは大きかったで
あることを知らず、
﹃僕がやらなきゃ誰もやらないんだ
﹁検事
特 に 心 に 残 っ て い る の は、
である奥村丈二先生︵特任教授︶の
人たちの顔がフラッシュバックして
た 。﹁辛かったことや支えてくれた
間もなく自分の受験番号があっ
すね﹂
﹁学部内で知らない
よ﹄という言葉。この言葉を聞いて、
◆若い人と一緒に
ウェブ上で
の 合 格 発 表 で、 ス ク ロ ー ル す る
人に声をかけられた
周囲は、千春さん
と恵美さんが双子で
かな﹂という。
﹁中央のロースクールに進学した
の は、
﹃被害者と法﹄という他には
できると思います﹂
中大関係者のほか多くの来賓が顔をみせた
︵千春さん︶
。喜び
諦めないこと。この言葉を常に心
にとどめてきた。模試や試験で、成
美さん。
ロースクールの2
年間は?
﹁授業、
予習、復習の毎日で
をめざしてきた。大学で法律を学ぶ
件は事件。少しでも人の役に立てた
した。でも、最後ま
弁護士の姿。徳竹さんは﹁被害者は
26
らいいなと考えています﹂
26
誰が守るのか﹂と感じ、以来一貫し
治 大 学 卒・
どの実習が充実しており、OB・O
業の一環のエクスターン・シップ
︵長
在﹂と話し、恵美さんは﹁学校の授
28
思わず涙しました﹂と石黒麻利子さ
と笑う。大学入学と同時に夫の転勤
活を送っていました。ごく普通の。
業後は約7年の間、会社員として生
週末は浜松に出向き、 その間に宅建、行政書士の資格を順
が決まり現在も単身赴任だそうだ。
う感じでしたね﹂
夫の親の介護をする。 にとって⋮⋮次は司法試験か、とい
睡眠時間を削っての
多忙な二重の生活が
ロースクールも夜間部を探した
ものの、会社と勉強の二足のワラジ
では中途半端になってしまう。そう
決意して、安定した収入の上に成り
頑張って受かろうね、という和やか
じゃなくてみんなで
で も、 蹴 落 と す ん
ラムが充実している中央大学を選ん
を、
なかでも、
規模が大きくカリキュ
で勉強をするべく昼間の法科大学院
学院では租税法を学びたかったので、
い意気込みを感じました。また、大
させる﹄と言いきったときには、強
かったんです。教授陣が﹃全員合格
に進み、医学部の大学院で医学博士
年ほど前になる。文系への進学
を中大出身の父親に反対され、理系
にちがいない。
どんなに支えられたか知れません﹂
。
た り ⋮⋮﹁ ロ ー ス ク ー ル の 友 人 に
電車で頑張れと背中を叩いてもらっ
ていきたいと思っています﹂
ですが、責任感を持った仕事をやっ
れから実地で経験を積んでいくわけ
たので。合格した今となっては、こ
仕事だ﹄と思っているところがあっ
はしていたけどやはりどこか﹃人の
ます。でもそれまでの仕事は、安定
ない関わりもできて、彼らとは一生
増 に 成 功 し ま し た︵ 笑 ︶
。気の置け
つけた人を引き込んだんです。3人
﹁どうにか仲間を増やそうと、目を
当初は3人しか人が集まらなかった。
を果たした。
﹁自分が学べたのはいろいろな人
に支えられてきたお陰。それを他の
あるロースクールでなぜ中大を選ん
だのですか?
﹁説明会の印象がよ
答案の議論を通して、自信もヘコミ
例を題材にしたディスカッションや
付き合える仲間であり続けると思い
租税回避を主としたゼミでの活動
は、マイナーなテーマだったためか
◆サラリーマン経験
﹁両親に司
法試験を受けていたことを伝えたの
000年4月中大法学部に再入学し、 柔らかい雰囲気は彼らをまた支えた
号を取得した。さらに一念発起、2
は、実は合格発表の少し前でした。
人にも還元したい﹂という思いが法
サラリーマンからの転進組だ。﹁卒
25
ロースクールへ、そしてみごと合格
今でもあんまりよく分かってないか
ますね﹂
。 友 人 た ち と は、 過 去 の 判
も⋮⋮﹂と横田康行さん︵成蹊大学
卒・ 歳︶は笑う。
曹への道を選ばせた。
31
︵東京大学卒・
◆中大を選んだ理由
岸寛樹さん
歳︶に聞いた。数
大 き な 決 断 で す ね。
﹁ そ う で す ね。 それが充実しているところが気に入
らない学生とのど飴の交換をしたり、
それが1番大きな転換だったと思い
りましたね﹂
だのだそうだ。
思えって言うでしょ。 立っていた生活を捨て、死に物狂い
﹁試験とかだと隣
の人はライバルだと
つづいた。
石黒麻利子さん
なムードだったんです﹂
。名前も知
岸寛樹さん
代主婦の合格
ん︵ 中 央 大 学 卒 ︶。
の服がよく似合う。
者だ。落ち着いた雰囲気、チェック
40
旦那さんは反対なさらなかったん
ですか?﹁夫とは別居してるんです﹂
20
た相手は両親だ。今まで見守ってく
合格が分かったとき、1番に知らせ
合った。自分のことは自分でやると
ンバー同士で遠慮せず厳しく批評し
る仲間内での勉強会では、答案をメ
いきたいと考えています﹂
として社会に貢献できる仕事をして
いと思っていましたが、今は裁判官
た 原 点。
﹁はじめは弁護士になりた
教授と生徒との距離をとても近く
感 じ た と い う。﹁ こ の 特 徴 が い い と
れた、支えてくれたことへの感謝の
いう個人意識の高い東大と、温かい
◆ボストン大学卒
﹁実を言うと、
大きいところなら他でもよかった。
時 間。 自 主 ゼ ミ と 呼 ば れ
思うし、気に入っているところでも
気持ちだ。司法修習を終えた後は、
雰囲気の中でOB・OGが後輩たち
カリキュラムが充実していればのこ
が8 ∼
あ る ﹂ と 岸 さ ん は 振 り 返 る。
﹁合格
一般民事事件を取り扱う弁護士にな
を育てる中大。好一対の校風だが、
カ月、悶々とした気持ちですごした。
の報告をしたら、家ではみなホッと
中で力をつけていき、その後のこと
り た い、 と 語 る。
﹁仕事をしていく
も共有した。
している様子でした。ゼミのみんな
ンできるような職業につきたい、そ
園田稔さん︵東京大学卒・ 歳︶
は﹁自分のキャリアを自分でデザイ
大を選んだ﹂と語るのは辻山千絵さ
◆親身な指導
﹁教授陣の厚みと
アットホームな雰囲気に惹かれて中
司 法 試 験 の 選 択 科 目 で あ る、
﹃国際
で、さまざまな経験ができたし、新
てもらったし、エクスターンシップ
中大への入学を決めてからは、期待
とですが。パンフレットを取り寄せ
の喜びも聞けたし本当によかった﹂
は最高の場所だった﹂と中大ロース
ん︵早稲田大学卒・ 歳︶
。ところが、
を考えたい﹂
クールの魅力を語る。始めは法律家
う思って中央のロースクールへ﹂
通り。国連大学の授業にも参加させ
になる気はなく、法学部国際企業関
もなかった、という。では就職活動
ロス部に所属。法律家になるつもり
見かけからは想像しがたいのだが
体育会系だそうで、学生時代はラク
ルのクラス・アドバイザー制度と、
込んでいるときに,中大ロースクー
也 教 授 に 救 わ れ た、 と い う。
﹁落ち
した﹂
。 そ ん な と き、 担 任 の 野 村 修
登校拒否になりかけたこともありま
公法﹄を指導してくださった先生方
も?﹁ あ ぁ、 ま ぁ 遊 び て い ど ﹂
。国
その担任の野村先生の、いざとなっ
﹁いざ、入ってみたら、学生のレベ
﹁科目が幅広い中から選べるとこ
ろ が 魅 力 で し た ﹂。 講 義 も 大 教 室 で
家公務員Ⅰ種は最終面接まで残った
に非常に恵まれていた﹂と桝實秀幸
の一方通行な感じではなく、ゼミの
らしい。どこか表情や口調にも余裕
ときに答えなければならなかった。
大変で、講義の場で突然当てられた
ど ゼ ミ 形 式 の 講 義 が あ り、
﹁予習は
意が違うからすぐ分かるんですよ﹂
い る 記 者 に、
﹁やる気がある人は熱
が感じられる。就活が目前に控えて
が心の支えになりました﹂
たら相談に乗ってくれるという言葉
授 業 と は 別 に、 1 日 の 勉 強 時 間
は?﹂と考えたことが弁護士を志し
分が子供たちに対してできること
長身、体格もいい。見上げるように
さん。米・ボストン大学卒である。
両 親 が、 障 害 の あ る 子 供 た ち の
教 育 に 携 わ っ て い る こ と か ら、
﹁自
それで応用力が付いた﹂
。常に緊張
おきます。
と、面接のアドバイス。胸に刻んで
ような双方向型。1週間に
へ。
時間ほ
ルが高くて。ついていくのが大変で、
26
25
感を持って勉強できる環境がよかっ
5月に試験があり、9月までの4
た、という。
桝實秀幸さん
多摩研究室で勉強をつづけて大学院
だったそうだ。
原直義さん︵中央大学卒・ 歳︶
は﹁ハードだったが、力をつけるに
どちらが好き?
﹁両方に思い入れ
がありますよ﹂と言った。
10
係 法 学 科 に 入 学。 が、
﹁2 年 か ら ﹂
26
10
仕事にも関心を持つようになった。
とした経済学を学び、修士号を取得
に渡米。ボストン大学で数学を中心
﹁えーと、日本では高校2年で中
退 で す ﹂。 神 戸 出 身 で、 高 校 中 退 後
のイメージは?
﹁とにかく自分が
強くないとだめだな、と思うように
てからが仕事になる﹂
。理想の法曹
者が手前にいて、自分が必要とされ
なるかも。法律の下では、常に依頼
新するような、言ってはナンだけど、
の だ が、
﹁地味な中央﹂を一人で一
といえば、地味だったかな﹂となる
たくさんの大学が集まる法科大学
院 で、
﹁中大生のカラーはどちらか
花の幹事役・世話役は、この人では
スクール一期生の会﹂が生まれれば、
感が生まれた。のちのち﹁中大ロー
中大と他大を越えた絆、新たな連帯
になったから﹂
。ロースクールでは
こ
している。
なりました。いろんな誘惑にも勝た
法曹の世界に行ってしまうには惜し
も
座を盛り立てるような女性がいた。
中大が大好き、と満面の笑みを浮
か べ る。
﹁ 中 大 の た め な ら、 自 分 が
﹁本当は学者になろうと思って
いたんですが、数学的なセンスがな
な け れ ば な ら な い し︵ 笑 ︶
。これか
◆打率よりヒット数
2 時間の式
たて と
捉えた感じが経済だとすると、法律
竪十萌子さん︵中央大学卒・ 歳︶
か っ た み た い で︵ 笑 ︶
。日本に帰っ
らは、相手の最大の利益を考えなく
いような社交性⋮⋮。
多摩キャンパスでは学研連の正法
会で勉強した。併せて、合気道部に
ないかしら。
次第が終わってからも、あちこちで
歳になる。新司法試験合格の知
ら せ を 聞 い て、﹁ や っ と 手 を 離 れ た
時 間 に は 参 考 書 を 開 い た。
﹁合気道
で は な く、 集 中 す る 形 で ﹂
。合間の
し た。
﹁数をがむしゃらにこなすの
歯に衣着せぬ語り口に特徴がある。
からの就任だった。ざっくばらん、
宗像紀夫教授の姿もあった。元東
京地検特捜部長、名古屋高検検事長
教授陣の顔も明るかった。全体の空
か﹂と両親も安心されたそうだ。
も司法試験の勉強もする、というの
勉強のスタイルもはっきりしてい
る。
クラスなどの雰囲気はよかったが、
本当によかったと思う﹂
う。自信をもって送り出せる131
1は大変な数だ。よく頑張ったと思
人ですよ﹂
法 科 大 学 院 に 進 ん で、
﹁検事や弁
護士の先生に出会って目指す道が広
いなかったビジネス弁護士、検事の
がりました﹂と話す。以前は考えて
ね。打率よりヒット数、だよ。13
﹁合格者数では日本一だったが合
乗り越えられた。4年間続けてきて、
格率では⋮⋮という声もあったけど
ね、同期や先輩が支えてくれたから、 ポートを締めくくろう。
教授のこんな言葉で会場からのリ
である。
てきてからは何をやるかがはっきり
てはならない﹂
。 リ ー ガ ル・ タ フ ネ
会話がつづいている。法科大学院の
して話を聞いた。
はもっと細かい単位でのとらえ方に
せず、しばらくはアルバイトをやっ
所 属。
﹁根は体育会系なんですよ﹂
曹を目指してみようと﹂
できることをしたい。本当にお世話
ていましたよ。以前から政治などに
ス ――タフな法曹 は中大法科大
学院が描く理想像である。
気に弾んだようなものがある。
興味があったから、それだったら法
と笑った。試験前以外は、週3回の
◆文武両道の華
ひときわ明るい
笑顔。会場のあちらこちらを歩いて、 稽古は欠かさず出た。合宿へも参加
25
は苦しい面もあったわよ。それでも
授業についていくことだけを考えた。
﹁よく聞く﹃答案評価のし合い﹄は
なかったですね。基本的に、勉強の
仲間⋮⋮っていうのはあまり。ただ、
授業を信じていました。アメリカに
経 済 学 と 法 律 学。﹁ 現 実 を 大 き く
いたときの遊学 ――
って感じからし
たら真剣でしたから﹂
30
竪十萌子さん