2013年ふゆ号(通巻34号) 家々が点々と建っていた ことがうかがえる。不入 斗村の隣、東・西・北大 森村の3村は、品川宿と 川崎宿の中間にある「間 の宿」となっていて、旅 人相手に大森細工(麦わ ら細工)を土産物として 販売する店や、旅の常備 薬として有名だった和中 散の販売所もあったこと から、不入斗はこれらの 周辺の村とは様子が異 なっていたようだ。 不入斗から入新井へ 治時代に入って郡 区町村制が施行さ れて、荏原郡は の村に 分かれ、不入斗村はその 1つとなった。1889 (明治 )年、市町村制 が施行されて、東京市が 誕生。それに伴って、不 あらい しゅく 入斗村は新井宿村と合併 22 し て、 「入 新 井 村」と な り、その他、大森村、馬 込村、池上村、調布村と、 荏原郡は5つの村に再編 された。新井宿、不入斗 おお あざ の地名はそれぞれ大字名 となった。 そ の 後、荏 原 郡 の 5 つ の村は、順次、町制に移 行。1932(昭和7) 年、この5つの町が合併 し て、 「大 森 区」が 誕 生 し、新井宿は「大森区山 王」と「大森区新井宿」 と統合して、大田区に。 へ、不入斗は「大森区入 1962(昭和 )年に 新井」となる。 は住居表示法が制定され 戦 後、大 森 区 は 蒲 田 区 行政サービスの効率化な どを理由に、道路や河川 などによって境界が整理 された住居表示が新たに 採用されることになる。 「大 田 区 新 井 宿」は 大 森北、大森西、山王、南 馬 込、中 央 へ、 「大 田 区 入新井」は大森北と大森 本町の住居表示となり、 長く地域に親しまれてき た新井宿、不入斗の名が 地名から消えることと なった。 ▼ 歴史地名ジャーナル http://www.japanknowledge.com /contents/journal/interest_chimei /chimei_12_1.html ︻協力︼ ︻参考文献︼ 大田区史中巻 大田区史編さん委員 NPO法人ささえあいコミュニティ・ コープ 事務局長 伊藤 宏一 会編集 1992 大田区の文化財 第 集 口承文芸 昔話・世間話・伝説 東京都大田区 ︻活動紹介︼ さんぽの駅・不入斗での活動ブログ 教育委員会 1986 東京町名沿革史 重藤魯 1967 http://1151ki.blog.fc2.com/ ︻注記︼ 斗 ︵と︶ とは尺貫法における体積の ※ 単位で、 升 ︵しょう︶ が1斗 ︵と︶ 、 斗 ︵と︶ が1石 ︵こく︶ である。 37 不入斗界隈のコミュニティの場となっている ﹁さんぽの駅 不入斗﹂ いり や ま ず 方約760メートルの村 だったようだ。 「不入斗」の地名の由来 は、 「この土地が斗(と) に入るほどの米も取れな い土地、肥えていない土 地ということから名づけ いわ い ら れ た」と か、 「磐 井 神 社の社領で税が免除され ていたため名付けられ た」とか、諸説ある。 天 保 年 間(1 8 3 0 ~ 1840年)に全国の村 むら だか 名と村高(米の収穫高) を記した「天保郷帳」に よると、不入斗村の村石 は576石余。当時の全 そん せき 国平均村石が475石 で、荏原郡の平均村石が 358村石だったので平 均より大きめの村であっ たことがわかる。 不入斗村には東海道が 通 り、 「家 数 1 4 9 軒、 街道の左右及び田間に散 在せり」と、街道沿いに 「不入斗」の名残と再生 ﹁不 入斗」の名は、今 でも大森北界隈で 見かけることができる。 東邦医大通りを蒲田方面 いり さん に向かって「入三通り入 口」交差点を左に入った 10 江戸時代の不入斗 1.2 蔵風土記稿』によると、 大 田 区 域 の 村 々 は、 「荏 原郡」内の六郷領、馬込 領、世田谷領の3領に の村が属している。この いりやまず 村の1つが「不入斗村」 である。 こ の 地 誌 に よ る と、不 入 斗 村 の 大 き さ は、 「家 数 1 4 9、村 域 東 西 7 町、南北7町」とある。 キロメートルが 町と 定められているので、四 22 34 在 の 大 田 区 は、江 戸 時 代 に は「武 蔵 国 荏 原 郡」に 属 し て い た。 「武 蔵 国」は、現 在 の東京都、埼玉県、神奈 川県川崎市・横浜市にあ たる。1810 (文化7) 年 か ら 1 8 2 6(文 政 9)年にかけて江戸幕府 へん さん が編纂した地誌『新編武 「不入斗」 の範囲 エリアで行いたい」 。そん な思いから、 「不入斗」の 名をつけているそうだ。 筆者がさんぽの駅「不 入斗」を訪れた時には、 午前中から子どもたちが 遊び、前を通りかかった 親子連れがふらっと立ち 寄っていた。まさに「不 入斗界隈」 のコミュニティ の場が再生されていた。 地名からは消えてし ま っ た「不 入 斗」 。し か し、世代をこえてしっか りと受け継がれている。 10 明 ところは「入三商店街」 と呼ばれ、 この「入」は「不 入 斗」か ら と ら れ て い る。そして、街路灯には 「不入斗界隈」のプレー トがかけられ、かつてこ のあたりが「不入斗」と呼 ばれていたことが分かる。 2 0 1 2(平 成 )年 1月には、ハローワーク 大 森 の 近 く に、 「さ ん ぽ の駅不入斗」ができた。 NPO法人ささえあいコ ミュニティ・コープが運 営を担う。 「世代や町会・ 自治会など様々な垣根を こえて誰もが気軽に立ち 寄れる場でありたい。孤 立しがちな高齢者へのサ ポート、障害者や若者の 自立支援などを行い、希 薄になりつつある地域の つ な が り・ご 近 所 関 係 を、かつての『不入斗』 街路灯につけられている 「不入斗界隈」 のプレート 大森に息づく旧地名・不入斗 44 18 24 不入斗と書いて 「いりやまず」 と読む。 なかなか読み方が難しいが、現在の大田区 大森北一丁目~六丁目、 大森本町一丁目あたりにこの名前の村があった。 11 大森には、人のいとなみが土地の記憶 (地霊) として 残っています。 今回は、 「不入斗」 の歴史に迫ります。 (文=クラカタヒロシ) 現
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