ココロに サプリ - 上野弘子のホームページ

枚の新聞記事を読んだ
尼崎の公立中学校の生徒と理科担当の
そこには、
植樹をしたばかりのクヌギ、ミズナラ、
女性教諭が中心となり、自然保護団体
ぎ、 青 草 と 土 の 香 り が ほ ん の り 漂 い、
シバグリの苗木が誇らしげにビロード
をつくり上げていくまでの感動の記録
に記されていた。
たちがすべきことが分かりやすく丁寧
と、日本の森林破壊の現状、そして私
のような新芽をふくらませている。
月末の日曜、早起きをして兵庫県
時間。山里の古民家の
都会からほんの数十分、車を走らせ
など針葉樹の人工林をクヌギやナラを
この山に来た目的は、スギやヒノキ
ならないのは、乱開発の進む外国の熱
までの私は信じていた。救わなければ
に広がる。
「日本の山は豊かだ」とそれ
ると、美しい緑に包まれた山々が車窓
中心とした広葉樹の森に変えようとい
帯雨林だけだと思っていたのだ。しか
半分が、戦後、国策により作りあげら
し、そうではなかった。日本の山の約
知人が持ってきてくれた「クマとも
れたスギとヒノキだけの人工林であり、
きっかけは 冊の本だった。
りとひと」
。しばらくバッグに入れたま
となっていたのだ。成
それが生態系を崩し、自然破壊の原因
繰 っ て み た と こ ろ、 涙 が
まだったが、ふと思い出してページを
作 業 の 手 を 止 め、 ふ と 空 を 仰 ぐ と、
あふれてとまらなくなっ
て し ま っ た。 本 を 読 ん で
尾根をわたってきた風が少し汗ばんだ
額を優しくなでていく。
長が早く、当初は建材
として重宝されたこれ
人の手が入る前の山には、ブナやナ
林は荒れ放題になっていると聞く。
取って代わられ、手入れされない人工
う山の斜面には、春の陽の光が降り注
た森が、地球温暖化の影響を受け、さ
だ。おそらく、
ただでさえ食糧不足だっ
日本のクマは、もはや絶滅状態だそう
で は な く、 空 腹 の た め だ と も 聞 い た。
なったのは、決して頭数が増えたから
年ぶりだろう。
声をかけ気遣ってくれた。急な斜面で
の ほ か キ ツ く、
続けていくという活動だ。作業は思い
なる広葉樹を植樹し、メンテナンスを
得て、スギを伐採した後の斜面に実の
らの針葉樹も、今や外
ラ、クヌギなど実のなる広葉樹や雑多
らに暮らしにくい場所へと変ぼうして
国産の安価な木材に
な草花が生い茂り、それが多様な動物
しまっているのだろう。
歳 代 の メ ン バ ー が、
や昆虫の餌となり、ねぐらとなってい
こ ん な に 泣 い た の は、 何
「日本を自然保護大国
に」
。熱いメッセージ
が込められている。
た。山里の古老たちは口をそろえて言
数週間前までは雪が残っていたとい
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うプロジェクトに参加するためだった。
も 週間遅れでほぼ満開だ。 庭先にはツクシが生え、桜は神戸より
内から車で約
但東町の奥山までやってきた。神戸市
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時間ほど立ったまま作業を続けたが、
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山が人工林に変わる前は、クマもイノ
うそうだ。
「自分たちが子どものころ、
もたってもいられなくなった。
元来ジャ
全国に広がった自然保護団体「日本熊
教諭と教え子が後に立ち上げ、今や
ついた。
成感をお土産に、元気いっぱい帰路に
のだろうか。疲労どころか充実感と達
鮮な空気に心身が癒されているからな
毎年、花粉で私たちを悩ますスギと
森協会」
。その存在を知った私は、いて
ングルや森林は大好きだ。今まで幾度
ヒノキは、生態系に対してさらに深刻
きた。このまま日本の
を回復させてもらって
しっかりサポートして、日本古来の本
「動物たちが棲める広葉樹の森づくり」
若者たちが声をあげスタートさせた
「 気 」 を も ら い、 元 気
森が滅んでいくのを静
当の森を復元させたいと思う。
そ こ で、 さ っ そ く
かない。
フィールドワークに参
加した。地元の協力を
com/kumamori/
【ホームページ】 http://homepage2.nifty.
【日本熊森協会】 0798(22)4190
観しているわけにはい
な影響を与えている。
となく、樹木には良い
シシもタヌキも里には下りてこなかっ
不思議と疲労は感じなかった。山の新
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た。 山 に 十 分 な 食 料 が あ っ た か ら だ。
スギもヒノキも実はならないし、葉は
苦くて食べられ
ない。幹も細く
てねぐらにはで
きない。山の動
物を追い詰めた
のは人間だ」と。
冬眠前のクマ
が山里に頻繁に
出没し、田畑を
荒らすように
スギを伐採した後の斜面。動物たちが棲める
広葉樹の森に…と願いをこめて植樹をする。
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新緑の山で
第26 回
上野 弘子
ココロ に
サプリ
広報メディア研究所代表