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﹃天台 本 覚 思 想 と神 仏 混 合 思 想﹄ (中
山)
特 に ﹃柱 源 護 摩 ﹄ を中 心 に し て1
﹃
天 台 本覚 思想 と神 仏 混 合思 想﹄
1
中
山
清
三六八
田
み な ら ず、 修 験 道、 神道、 さ ら に 一般 文 芸 思 想 に、 いた る ま
道 儀 礼 の研 兜 ﹄ の 中 で述 べ ら れ て い る ﹃柱 源 柱 源 護 摩 供 養
て みた い と思 う。 法 且ハの位 置 であ る が、 宮 家 準 博 士 の ﹃修験
﹃柱 源 神 秘 法 ﹄ の次 第 を 追 つて、 本 覚 思 想 を 通 し て検 討 し
道 の発 潮 ﹄ で柱 源 は、 生 起 の修 行 とさ れ て いる の であ る。
で、 大 き な、 影 響 を与 え て いる ご と は、 田 村 芳 朗 博 士 がす で
天台 本覚 思想 は、 日本 の特 に、 中 世 に お い て の仏 教 諸 宗 の
に ﹃天 台 本覚 論 ﹄ の中 で、述 べら れ て いる。 修 験道 の柱 源 護
法﹄ の法 具 の並 べ方 と は、 異 な つ て い る。 ﹃柱 源神 秘 法 ﹄ で
今 回 中 心 とし て いる柱 源 護 摩 の行 記 と し て用 いて いる の は
伽、 塗 香、 華 量 の六 器 を 置 く が ﹃柱 源護 摩 供 養 法 ﹄ で は、 左
は、 正 面 中 央 に 水輪、 花 桶 が有 り そ の 左 右 に 五 供 養 用 の 闘
(1)
摩 を 中 心 に 本覚 思 想 を検 討 し よ う と す る も の であ る。
﹃柱 源 神 秘 法﹄ で あ るが、 こ の 資 料 は、 ﹃修 験 道 章疏 ﹄ な ど
様 であ り、 洗 米 を 入 れた 舎 利 器 と独 鈷 が 置 い てあ り、 二本 の
枡 が斜 め に、 置 い て あ る様 で あ る。 ﹃柱 源 神 秘 法 ﹄ で は、 金
右 に花 桶 を置 い てあ る。 こ の花 桶 の中 に は、 榊 が 入 れ て ある
剛 盤 に、 金 剛 鈴 と独 鈷 を置 いて いる。 檀 板 と い つて いる物 が
に 根本 資 料 と し て い る ﹃修 験 柱 源 神 法 ﹄ ﹃柱 源 神 法護 摩 軌 ﹄
灌 頂儀 則 ﹄ ﹃柱 源 極 秘 印 信 ﹄﹃柱 源 神 法 大 護 摩 供 次 第 ﹄ ﹃柱 源
有 り、 関 伽 器 を 左右 に置 いてあ り、 関 伽 礼 が中 央 に置 か れ、
﹃峯 中 正 漬 柱 源供 養法 大 事 ﹄ ﹃修 験 深 秘 柱 源 護 摩 供﹄ ﹃柱 源 正
神 法 ﹄ 等 が あ る ごと が知 られ て いる が、 ﹃修 験 十 二 箇 条 当 山
そ の左 右 に乳 木 を 立 てら れ、 關伽 礼、 乳 木 三本 の柱 が 自 由 に
(2)
﹃柱 源 護 摩 ﹄ は、 現 在 では、 ほ と ん ど行 な わ れ ては いな い。
方 ﹄ に 有 る よう に、 大要 は、 ほ と ん ど同 じ で あ る と考 え る。
取 り、 はず し が出 き る よ う にな つて いる。
次 第 は、
﹃柱 源 護 摩 ﹄ は、 修 験道 の教 義 の例 外 な く、 密 教的 色 彩 が強
い ご と は、 知 ら れ て いる通 り で あ る が、 村 上 俊 雄 氏 は ﹃修 験
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先入堂
(ケ)(ン)で、 宇 宙 を 現 わ し、 自 然 の原 理、 万物 能 生 の理 を明
は空、 (ン)は識 に あ てら れ て いる。 こ の(ア)(ビ)(ラ)(ウ ン)
三反
我即 (ア)
(ビ)
(ラ)
(ウ ン)
(ケ ン)
覚悟此 分為成仏
如次腰腹 心額頂
取射 比高声唱
不改自身名即身
六大本有印
字 を あ て、 洒 水 に は、 風を 観 じ、 (ウ ン)の字 を あ て、 花 桶 に
じ、 (ビ)の字 を あ て て い る。 関 伽 蓋 に は、 火 を 観 じ、 (ラ)の
時 も あ る と聞 く、 (ア)の字 を あ て て いる。 柱 源 に は、 水 を 観
は、 地 を 観 ず る時 に よ つて は、 板 でな く、 土や、 砂 を用 いる
仏、 修業 者 は、 大 日如 来 と し て いる。 次 の六 大 観 で、 檀 板 に
いう 修験 観 法、 つまり、 五 大 を 備 え て い る 宇 宙 そ の も の の
とさ れ て いる。 床 堅 の時 に大 声 で唱 え る ﹁我 即 ⋮ ⋮成 仏 ﹂ と
あ り、 打 木、 床 堅 で用 いら れ て いる 道 具 は、 即身 即仏 の密 里ハ
と し て あ る。 床 堅 は、 前 の打 木 と床 堅 で︽ 歓 喜 的 な 意 味 が
(ア)(ビ)(ラ)
(ウ ン)
(ケン)
(ン)
壇板柱源閲伽蓋酒水花桶乳木
地水火風空識
次 六大観
次床堅
は、 口伝 と し てあ るが 台 密 の洒 水 作 法 と同 じ と考 え ら れ る。
ら か に し、 宇 宙 万像、
の和合 を 示 し て いる と考 え ら れ る。 酒 水
次継 二
前礼 一
次皮 登
次塗香
次辮供
次浄三業
護 身法 アリ
被甲
次 法螺
二丁
経耳滅煩悩
金
聴受無飽期
こ の法 螺 で修 験 的 にな る の で あ る が、 法螺 の前 ま では 台 蜜
天人大衆中
一乗妙法音
の十 八道 行 記 の通 り と考 え ら れ る。
三声文 日
へ三昧法螺声
雨法雨当座
(5)
こ の考 え 方 は本覚 思 想 の十 界 互 里ハの思 想 が入 つてお り、 よ
左手取八葉 本尊名号
く 知 ら れ て いる 法 螺文 と は少 し異 な つ て いる。
至壇厳
左手 取香戸
右手取射比
三 礼
六大明
へ(ア)(ビ)(ラ)
(ウ ン)
(ケ)
(ン)
ロイ
は、 空 を 観 じ (ケ)の字 を あ て、 乳 木 に は、 識 を 観 じ (ン)の字
二丁
晦枳 哩 々々
精箇打木
次酒水
三六九
をあ て て いる。 こ のよ う に、 道 具 に六 大 を 観 ず る。
山)
六 大 明 の (ア)は地、 (ビ)は 水、 (ラ)は 火、 (ウ ン)は風 (ヶ)
﹃天 台 本 覚 思 想 と神 仏 混 合 思 想﹄ (
中
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ロイ
閲伽桶之
﹃天 台本 覚 思想 と神 仏 混 合 思 想﹄ (
中
ニ
次關伽 初夜日中後夜
ニ
山)
ロイ
蓋取水輪之傍置開伽抄
供養自身
火風指 之聞校乳木 五字明 一反
右取水輪入天地潤水至愛云云
手 一合 六大本有印
依 正 一体
三 七〇
し て あ る 様 に、 ﹁お よ そ人 の胸 に千 栗 駄 心あ り、 一の 肉 団 あ
り 体 に 八分 の状 あ り、 蓮 華 の ごと し、 男 は仰 ぬき、 女 は伏 し
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な り。 こ の八 分 を観 じ て、 以 て妙 法 業 分 陀 利 華 と な す。 ⋮
⋮ ﹂ こ の思 想 は、宮 家 準 博 士 が ﹃修 験 道 儀 礼 の研究 ﹄ に述 べ
二倶六大
能食所食
ら れ て いる、 ﹁父母 を あ ら わす、 二本 の乳 木 を重 ね あ わ せ、
胎 児 を 示す、 虚 心 合 掌 の指 の間 に はさ む ご とに よ り、 象 徴 さ
胎 内本 有 印 を 結 び、 そ の虚 心 合 掌 の火 風 の指 に乳 木 を は さ
に解 し て理 と し て本覚 が内 在 す る 覚 性 と し て み な し、 そ れ
七 尊 住 心城 ﹂ で宇 宙 す べて の物 が本 来 そ の まま 仏 と いう意 味
三十
常住 妙法心蓮台
れ て い る思 想 と同 じ と考 えら れ る。 ﹁本 来 具 足 三 身 徳
三十七尊住 心城
次住床
み、 五字 明 一反 を唱 え、 金 胎 一致 を 観 じ る と考 え ら れ る。
帰命本覚心法身
峰 入 と結 び つく と考 え る。
が、 事 と し て現 わ れ る に は、 修 業 実 践 が 必要 とし て、修 験 の
本来具足三身徳
ま で唱 え る。 田村 芳 朗 博 士 は、 ﹃天台 本 覚 論 ﹄ の 中 で、 本
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覚 心法 身 に つ いて、﹁本 来 の覚 性 で あり、 心性 とし て の真 理、
独鈷
啓白
三丁
的 に し て、 主 体的 な も の、 つま り 理智 不 二 であ り、 そ こか ら
とあ るが 要 約 す る と、 大 峰 山 は宇 宙 そ のも の であ る か ら、
取香呂
真 理 の主 体的 把 握 が、 強 調 さ れ、 すす ん では、 主 体 とし て心
大 峰 山 で、 床 堅 や、 柱 源 修 法を 行 な う ご と によ っ て、修 法者
小打木
に真 理 が 盛 ら れ てく る ﹂ と述 ら れ て い る。 ﹃柱 源 神 秘 法 ﹄ の
は、 即 身 仏 の境 地 に 達 し う る と し て、 我 れ は、 本 分 八葉 の自
万象 を 支 え る 真理 (法)を 心 に よ せ て表 現 し、 真 理 は、 客 観
中 に 出 てく る、 (ア)(ビ)(ラ)(ウ ン)(ケ)(ン)は、 柱 源 護 摩 の
で 日本国 中 の神 を 道 場 に招 い て いる。
然 開 しき 心中 (ア)字 法 に と顕 現 す。 と結 ん で いる。
次礼神
以本清浄水洗浴無垢身
南無聖宝尊師廿 一反
南無行者 八大金剛童子廿 一反
主 要 な 道 具 で 示さ れ て いる と考 え ら れ る。 こ の柱 源 の思 想 と
同 じ よ うな 考 え 方 に神 道 に あ る ごと が知 ら れ て いる よ う に 柱
は、 日本 の天 地 神 の源 と し て考 え て い る。 こ の 思 想 は ま さ
次混沌供
八葉印
先取二乳木散杖 一
置レ床
に、 本 覚 思 想 の万 象 を支 え る 真理、 宇 宙 の考 え方 と同 じ であ
次闘伽
次行者宝号
る と考 え る。 又、 大 日 如来 の思 想 と も 一致 し て い る点 が 有 る
不捨本誓故証誠我受持
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と考 え る。 ﹁常住 妙 法 心 蓮 台 ﹂ に つ い て、 ﹃本 覚 讃 釈 ﹄ に も 記
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次華座 庵迦摩羅娑婆詞
晦縛 日羅健庵都使也解
ニ
両手虚合 〆火風之問按乳
三力
耳胸顔
次独鈷 庵縛 日羅 薩恒縛悪
次振鈴
次 五供養
次現供
普供養
次舎利根源塔
常住妙法心蓮台
木 一字明唱立時住床之文 一反
帰命本覚心法身
ル
三十七尊住心城
ヲ
本来具足 三身徳
同印 ・・箸校 一字明 一遍諦散杖立寸 々
修験 者 が、 大 日如 来 の性 質 を 持 つた と観 法 し、 不 動 明 王 の
加 護 のも と に、 父母 のま じ わ り や 五供 養 に よ つて、 (ア)(ビ)
(ラ)(ウ ン)(ヶ)(ン)から 成 り、 仏 性 を持 つた修 法 者 を 母 体 と
し て はぐ く み再 生 を 象 徴 し て いる と考 え ら れ、 宇 宙 万物 の生
滅 のく り かえ し を 現 わ し て いる と 考 え ら れ る。 振 鈴 で は、
(ヲ ン)(バ)(サ)(ラ)(ゲ ン)(ダ)(ウ ン)と は異 つて いる。
次柴燈護摩
畢寛
山)
こ の所 で修 業 者 の煩 悩 を 焼 き つく し て、 仏 地 に入 る 事 が出
一反
来 る と 考 え ら れ る。
略
六大 明
關 伽札
﹃天 台本 覚 思想 と 神 仏混 合思 想 ﹄ (中
關 伽 札 を 虚 心合 掌 の手 に はさ み、 六 大 明 を 一反 唱 え て い
る。 こ の事 を、 ﹃修 験 秘 奥妙 ﹄ では、 ﹁虚 合 と は十 界二 如 凡聖
不 二 の表 徴 也。 十 界 凡 聖 全 く 是 れ 五大 の所 成 に差 別 有 無、 故
に虚 合 と は、 是 れ 即 十 界 也、 関伽 礼 と は、 五智 也、 十 界 の衆
生、 本 従 果 位 五 智 有 る 事 を 示 す 也﹂ と し て あ る。 こ の 作 方
は、 十 界 の衆 生 が ご と ご とく 五智 あ る い は、 六 大 か ら 成 り、
そ の間 にな ん ら、 妨 げ とな る も の が無 い事 を 示 し て いる と 考
こ の思 想 は、 十 界 互 具 の思 想、 一念 三 千 の思 想 に も 結 び つ
えら れ る。 こ の事 は、 宮 家 準 博 士 も指 摘 さ れ て いる。
く とも 考 え ら れ る。 これ で出 堂 し て ﹃柱 源 神 秘 法﹄ は終 え て
いる のだ が、 こ の修 法 は、本 覚 思 想 に基 ず き、 大 日 如来 を 本
尊 とし て、 柱 を 大 日如 来 に み た て、 日本 古 来 の天 地創 造 の思
想 を も 取 り 入 れ た、 修 験 独 自 の修 法 だ と 考 え る。 ﹃柱 源 神 秘
法﹄ よ り 見 た 一例 だ が、 修 験 の中 に本 覚 思 想 が いか に 巧 み に
取 り入 れ ら れ て いる か が 理解 でき る。 (原文は そのまま)
1 ﹃天台本覚論﹄ 日本思想大系 田村 芳 朗、﹁天 台 本 覚 思 想 概
説﹂四七 七頁。 2 ﹁柱源灌頂 の行儀 に至りては諸山概 同 な り﹂
と記 してある。3 村 上俊雄 ﹃修験道 の発達﹄ 二九三頁 ﹁柱源 の
柱とは、宇宙 万物 の柱 であり源 とは、天地陰陽 和合 の本源を現 わ
している。4 宮家準 ﹃修験道儀礼 の研究﹄七〇〇頁。 5 三昧
法螺声 一乗 妙説 経耳滅煩悩当入阿字門。6 田村芳朗、前掲
書 ﹁本覚讃﹂九 八頁。 7田村芳朗校注、前掲書 ﹁本覚讃釈﹂ 一〇
四頁。8 宮家準、前掲書 七〇八頁。
三七 一
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