幼児期の造形表現と生活づくり - 長崎大学 学術研究成果リポジトリ

NAOSITE: Nagasaki University's Academic Output SITE
Title
幼児期の造形表現と生活づくり
Author(s)
井口, 均
Citation
長崎大学教育学部教育科学研究報告, 47, pp.15-25; 1994
Issue Date
1994-06-30
URL
http://hdl.handle.net/10069/30909
Right
This document is downloaded at: 2016-12-12T12:08:47Z
http://naosite.lb.nagasaki-u.ac.jp
長崎大学教育学部教育科学研究報告 第47号 15∼25(1994年6月)
幼児期の造形表現と生活づくり
井 口
均
Synthetic Nature of Preschool Children's Art
Hitoshi INOKUCHI
1.問題一造形表現活動に対する低い評価と消極性
(1)能力的観点から
子どもが絵をうまく描けなかったり,工作が苦手な場合がある。はたしてそのことを,
今日の親や教師そして本人自身が深刻な問題として受け止めるであろうか。通常,そうい
うことはまずありえない。それは幼児の場合でも全く同じである。いわゆる造形表現活動
(描く,つくる等)が上手にできなくても大して問題にされることはない。ことばで遅れ
や問題が生じた場合と比較すれば,その扱われ方の軽さは明白である。能力的観点からそ
の理由を3つ指摘できる。
第1は,改めて指摘するまでもないことだが,学校での受験能力に目立った役割を果た
さないからである。勿論,芸術家への進路を早くから志望する子どもを除外した上でのこ
とである。この短絡的見方を批判することは容易にできても,実際に見方を変えさせると
なると簡単なことではない。
第2は,子どもの造形表現活動が,大人にとって都合の悪いものと見倣されがちな一面
をもっている点にある。その結果,造形表現活動に対する大人の側の否定的見方が醸成さ
れることになるのではなかろうか。幼児が家の壁や柱に傷をつけたり,落書きをするのを
喜ぶ親はめったにいない。幼児が襖や障子を破ったり,配達されたばかりの新聞を破って
あそびでもすれば,それこそお叱りを受けるのが普通である。衣服を汚す泥んこあそびも
然りである。しかし,発達や保育の視点にたてば,それが大事なあそびであり,また造形
表現活動そのものでもある。それらの活動を大人が受け入れるには,子どもの発達への洞
察と共感,工夫と忍耐が必要とされる。子どもに対する日常的対応に浸透しがちな,大人
側の都合を優先した発想を自覚的に対象化して見直さない限り,「汚す・乱す・壊す」こ
とを含んだ幼児の造形表現活動は冷遇され続けるのではなかろうか。
第3に,現実の生活において求められる,既存の価値観・制度をはじめ,様々な枠組み
への順応性や適応力を,造形表現活動では必ずしも優位なものと位置づけない点にある。
造形表現活動では実生活において必要とされる具体的適応力よりも,むしろ,子ども一人
ひとりの自由な発想・イメージに最大限の優位性を与えようとする。そこでは,個々人の
発想・イメージが“主役”となる。確かに教育実践などでも一人ひとりの「個性」尊重
や「創造性」重視が頻繁に強調されることがある。しかし,その意味は,「能力」別処遇
によって一元化された状況下での受験学力達成度の違いを単に置きかえたものであり,そ
16
井 口
均
のシステムへの川頁応性や適応力を一層引き出そうとするものでしかない。そのため,枠組
みに添わない子どもの自己表現や自己主張は既存の秩序や安定を乱すものとして,否定的
にしか評価されないことが殆どではなかろうか。一方,道具・用具等を活用する造形表現
活動も適応力が全く問題にならない訳ではない。しかし,とりわけ幼児期の場合その適応
力は自らの発想・イメージを具体的な形や形態にするための手段に対する操作力を中心と
したものでしかない。はさみ,絵筆,カッター,かなづち等の扱い方が上手にできるから
といって,現在の家庭や学校で高い評価を受けることはまずない。
(2)実践面での困難さ
既にみた能力的観点からの評価問題に加え,幼稚園・保育園での実践上における困難性
が,造形表現活動に対する消極的態度とその結果としての軽視をもたらしていることにも
言及しておかねばならない。つまり,その困難性が造形表現活動の取り組みへの足かせと
なったり,造形表現活動を絵(描画)や工作としか思わない視野狭窄をもたらし,幼児の
生活活動に占める造形表現活動の役割を認識する機会を見失わせているのである。これに
ついては,3つの問題を指摘することができる。
その第1は,造形表現活動を心理・発達診断の手段として活用することが与えている問
題である。これは診断的な立場をとる実践者・研究者のみにあてはまることではなく,か
なり広範な人達にもいきわたっている問題と思われる。それは,絵画分析や子どもの心理
分析に関する特殊な能力をもっていないと指導できないのではないか,といった先入観の
ことである。かつての「創造主義美術教育」運動の中でみられた,絵画による子ども診断
の隆盛が下地になっていることは言うまでもない。現在でも,幼児に自由に生活画を描か
せ,その絵(線描画も含め)から幼児の心理や発達状態を診断しようとする実践が一定の
影響力をもっている。描画やリズム運動をもとに,改善すべき生活内容(あそび,仲間関
係,保育者との関係,食事)や獲得させるべき力を明らかにし,保育活動につなげていく
のである。この場合,指導の重点は絵に対してよりも(全く指導しない訳ではない),む
しろ生活の改善,とりわけ身体づくりとあそびの充実に置かれる。あそび重視の保育とい
う点では,経験の浅い保育者でもすぐにでも取り組めそうな印象を与えてくれる。しかし,
実際は,絵に対する洞察力や独自のリズム運動体系に対する指導力がなければ殆ど意味が
ないことを思い知らされる。洞察力や指導力を必要とすることが問題なのではない。問題
は,その洞察力を習得する具体的指針が曖昧なために,絵から様々な問題を読み取る力は
特殊な能力であるという印象を与えてしまう点にある。そのことが先に指摘した先入観と
なり,実践することを躊躇させたり,特殊な能力をもった指導者の傘下でしか実践できな
いかのような雰囲気をもたらしているのである。
第2は,造形や描画活動での表現技法の指導にからんだ問題である。それは,題材選択,
用いる素材・用具や表現形式などに関する知識や技法を習得させることの重要性を実際に
感じながらも,それらを意図的に指導することへの不安感である。これも多くの保育者が
潜在的に感じている。戦後の美術教育の歴史において,かなり精緻なカリキュラムづくり
がなされた時期があった。線・形・色をはじめとする基礎技術,題材の選び方や順序性,
観察画・想像画・鑑賞活動への取り組ませ品等について,年齢別指導カリキュラムが細か
く検討されたのである。カリキュラムでの順序性や系統性への固執は,幼児自身の造形表
現要求を置き去りにし,技法訓練的な傾向をもたらした。その結果,事物を正確に描くこ
幼児期の造形表現と生活づくり
17
とはできるが,どれも同じにみえてしまう絵が多くなってしまったのである。そのため,
造形表現活動に対する指導=幼児の生活や要求から遊離した訓練的活動,といったイメー
ジが今だに強く残っている。そのことから生じる不安に駆られ,手が出せなくなってしま
う。 、
最後に第3の問題として,物的環境づくりの困難さからくる造形表現活動の敬遠につい
て指摘しておきたい。描画に限定したとしても,必要となる素材・用具は様々である。サ
インペン,クレヨン,絵の具,筆,パレット,水入れ,画用紙(西洋紙),画板等が少なく
とも必要となる。これに,日常の造形表現活動でよく用いられる素材・用具を加えると,
砂,泥,水,粘土,紙類,布,箱類,ひも類などの素材。積み木,ブロックなどの遊具。ス
コップ,金槌,のこぎり,釘,はさみなどの道具。その他,糊やテープ等も常備しておか
ねばならない。いくつかは自己負担で購入したり,必要時に家庭から持ち寄れるものもあ
るが,それで全てが揃うわけではない。画用紙ひとつをとっても,個人用の画帳を各児に
購入させるなら別だが,描きたいだけ自由に園から与える方法をとっていれば,その枚数
はかなりのものとなる。年間600枚程度使った年中児の事例を観察したことがある。描き
たいことがあれば,1日で15∼20枚ぐらいをすぐ使ってしまう。1クラス分となると結構
な財政負担であり,とうてい無理な話だということになる。いろんな造形表現活動が自由
に展開できる室内外の空間,必要なものを幼児が自由に取り出せ,収納できる設備の工夫
や用具の保守・管理への指導も不可欠となる。少ない職員でそこまでするには大変である。
しかも園内に,幼児の造形表現意欲につながる多様な体験ができる自然環境(林,池,草
むらなど)や飼育・栽培活動が準備がなされていれば問題はないが,そのような恵まれた
自然環境をもつ園はめったにあり得ない。あれがない,これがないからと理由づけて,造
形表現活動を遠ざけてしまうことになる。
2.造形表現活動の多義性と多様性
(1)造形教育の教育的課題喪失の背景
美術教育や造形教育がこれまで掲げてきた理念は,実に多くのことを期待させるに相応
しいものであった。フレーベル((F.Frobel)は表現的な自己活動としての遊戯と作業
くの
を重視し,人間形成上での主要な要素とした。二物はその自己活動の衝動を促すものとし
て創案された。ハーバート・リード(H.Read)は,意識下の世界表現による感性と理性
の統合を芸術教育に求めた。審美的教育は個性と社会集団との調和的統一をもたらすが故
に,芸術する心と行動を通して教育がなされてこそ真の人間形成が可能となることを示そ
く うとした。芸術教育は,知覚や感覚の力を環境に応じた調和的な機能として引き出し,無
意識的レベルにあった感情や精神的できごとさえも第三者に伝え得るものにさせていかね
ばならず,その結果として,世界について把握・理解した内容を表現させることになるの
である。それは,産業革命以降の産業および文化的発展の側面である,現実的な利益を優
先させた社会的適応によって生じた,分裂状態にある個人をいかに統合するかという問題
意識を含んだものであった。ローウェンフェルド(V.Lowenfeld)は美術こそが子ども
の知能と情緒とを調和的に統合させうるとし,創作活動を通して人間としてのあらゆる成
くヨラ
長の可能性を展望した。いずれにおいても,美術や芸術活動が教育活動の要であり,その
18
井 口
均
活動に取り組むことが感覚・知覚のみならず,知的能力や人格形成に及ぶ成長をもたらす
ものとされていた。
美術教育や造形教育の教育的意義に導かれ,実際にもたらされたものは何であったか。
子どもたちに「よい作品をできるだけたくさん描かせ,つくらせていく指導へと懸命に取
り組んできた」ことが,逆に子どもたちを追いたてることになったのではないか,といっ
けう
た疑問すら出されている。どのように追いたてることになってしまったのか。それは,一
方で,「能力の早期開発的指導観に組み込まれ,たくさん描いて,つくる式の学習へ」で
あり,他方は「子どもたちに秘められている学習意欲と諸手とを系統的に発達させられず
の
に低迷させる」ことである,と指摘されている。その背景には,技法の系統的習得を重視
するか,それとも子どもの表現しようとしていること自体を重視するか,その2つの対立
的潮流が存在していることを意味する。マクロ的にみれば,両者がそれぞれの独自性を維
持しながら,その弱点を克服するための実践的工夫や理論的模索がなされているのが現状
であろう。
造形表現活動に含まれる造形的諸能力(手の操作力,線・形の意味づけ,イメージカ,
空間認識,色の識別等)の個々の発達的系統性や,造形表現の一活動形式としての絵(描
画)の発達段階的特徴づけによって,子どもの造形表現を分析的にのみ解釈しようとする
限り,教育的関わり方への共通認識は得られにくい。なぜならば,絵を解釈する視点が異
なっているために,指導書で意味づけられ,重視される内容も互いに大きく違ってくるか
らである。さらに,立場の違いに固執し過ぎて,相手に対する優位性を保つために,自ら
の研究課題を先鋭化させて共通な土俵を失ってしまうことも関係している。場合によって
は,造形表現活動独自の教育的課題さえも見失う事態に陥ることがある。それは,その活
動を成立させる内・外の諸条件と活動形式における独自な位置づけを見失うからである。
その一例を,異なる2つの立場がもたらす,実践のあり方にみることができる。一方は
絵(描画)に基づく成長状態の確認や心の問題の診断を重視し,他方は描画を話ことばと
書きことばをつなぐ“ことば”として意味づけ,自分の伝えたい思いが表現できることを
重視する。前者は,描線の強さ,ぶれ,表現形態・構図のまとまりや独創性,心の状態と
関係したシンボリックな描画兆候などを細かくみようとする。指導内容はあそびを中心と
した生活内容の充実や身体づくりに重点がおかれ,子どもが自信をつけるといったことが
重要な課題になるのである。それに対し,後者は,描く手段を用いて表現と認識を発展さ
せること,その認識が第三者に的確に伝わる表現となっているか,主観的・個人的印象よ
りも客観性・共有性を反映した内容・形態・構図になっているかを問う。指導内容は集団
での伝え合いに重点がおかれ,他者を媒介にした認識の深まりと表現技法の習得が重要な
課題となる。生活内容の充実,身体づくり,集団での伝え合い,どれも幼児期の子どもに
とって大切なことである。しかし,造形表現活動を育てることに限らず,他の様々な活動
にも共通することがらである。このように,幼児の造形表現中でも絵(描画)について
は,立場が異なるとその位置づけや解釈の枠組みも違ってしまうことが多い。描画発達の
筋道やその基本的条件などを共通な話題にすることはできても,絵(描画)を描くことの
意味や指導内容に関する共通な課題内容を設定することは困難である。
(2)幼児の造形表現の多義性と多様な存在形式
絵(描画)ひとつとっても,それは多様な意味をもっている。知的発達を反映するもの
幼児期の造形表現と生活づくり
19
でもあるし,身体的発達とも密接な関連性をもっている。悩みを表現していたり,願望が
描き込められていたり,と実に多義的である。同じ日に描かれたものであっても,表現内
容ががらりと変わることもある。数枚の絵(描画)を見ただけで,それらの全てを読み取
ることなど,経験のある保育者でも容易にできるものではない。それだけに,絵(描画)
く う
の発達的意味を捉えることで絵(描画)に対する診断的な見方を克服できる,という指摘
には若干無理があるのではなかろうか。発達的意味を仮に明らかにすることができたとし
ても,そのことが絵(描画)に託された個々の子どもの主観的意味づけや個々の要求まで
も捉えることにはならないからである。診断的な見方以外に,客観的な意味づけが新たに
加わったに過ぎないとみるべきである。換言すれば,それぞれ異なった立場から,絵(描
画)のもつ多くの意味を読み取ることができるようになったのである。そのこと自体,大
変重要なことである。しかし,それによって,どちらか一方の立場の優位性が高まり,他
方がその軍門に下るような性質のものではない。
同様のことが,幼児の造形表現活動を捉えようとする場合にも当てはまる。様々な視点
からのアプローチなしには,この活動がもつ機能や構造,そして指導すべき独自の内容を
明らかにすることは不可能である。造形表現活動は,意図・意味づけのもとで,材料・素
材に働きかけ,形や形態として構成する活動である。概念的な特徴づけからもわかるよう
に,この活動は多様な活動として展開する。何か要求や意図をもち,事物に直接あるいは
道具を用いて働きかけ,その結果として変形や形による構成や意味づけがなされる活動は,
造形表現活動のみにあてはまることではない。その点で,造形表現活動の成立・発展に不
可欠な諸能力は,その殆どがこの活動内のみで機能するものではないことが推測できる。
砂場でトンネルやだんごをつくる活動,園庭で石ころを並べたり積み重ねる活動,あるい
は電車ごっこでの手づくり切符やダンボール電車を用いた活動など,例を挙げればきりが
ない。実際に,幼児の日常生活での様々なあそびや生活活動として見出すことができるの
である。
絵(描画)はあくまでも多様な造形表現活動の中の一つに過ぎない。そうであるならば
なおさらのこと,生活・あそび活動と造形表現活動との関係を具体的に検討する必要があ
る。それによって,多様な形式で現れる造形表現活動の指導は独自の造形的指導内容・過
程を含んだ,生活・あそびづくりとして見直されなければならない。それは造形表現活動
以外の活動で達成されることへの見通しを含んだものでなければならない。同時に,還元
主義とは異なったものとならなければならない。
3.幼児期の造形表現活動と生活・あそびづくりに対する指導の枠組み形成への視点
指導の基本的枠組みを明確化するために,以下の3点を検討する必要がある。まず第1
は,多様な造形表現活動の成立・発展に不可欠な諸能力・条件として分析・抽出されたも
のと,他の諸活動との対応関係を見出すことである。第2に,造形表現活動の出現形態や
意図を分類することである。さらに第3として,造形表現活動の指導を生活・あそびづく
りを通して実践している事例を検討し,生活・あそびづくりの基本的構造を取り出すこと
である。
(1)造形表現活動を構成する諸能力・条件において独自に指導すべき課題
20
井 口
均
まず,造形表現活動の成立・発展に不可欠な諸能力・条件にはどのようなものがあるの
くの く ラ のう くユ であろうか。造形表現活動の過程分析を行なっている八木*,吉田#,林@,上野,斉藤$ら
の見解を組み合わせ,独自に整理したものが次の表1である。各構成要因を誰が挙げたの
かわかるように,上記氏名の右肩の記号をつけた。また,3次区分の分類項目名は八木の
ものを使用した。
表1からも明らかなように,造形表現活動の成立を支える諸能力は他の活動に含まれる
だけでなく,その中でむしろ積極的に形成されることを示唆している。とりわけ,手の操
表1 造形表現活動に不可欠な諸能力・条件の分類表
1次区分
2次区分
3次区分
諸 能 力
造形表現に
固有
造形能力
具体的な構成要因
備 考
形態能力(造形的イメージ)*#$
・一 舶ェはあそびの中で
位置空間能力*@$
引き出される
色彩能力*$
リズム能力*
材質能力*$
バランス能力*
他の活動に
共通
技法能力#@
基盤能力
かこみ・かたまり*
加える(プラス)*
取る(マイナス)*
・見たてをはじめ,重ね,
手の操作力*@$
・あそび,しごと,その
他の日常活動の中で培
財力・素材の習熟力*#@$
イメージカ*@$
構成力*
集中持続力*
見通し力*
並べ,やぶる,穴あけ
われる
・特別の練習や系統的指
導を必要としない
目的意識性縄
活動経験
他の活動に
共通
認識・思考
観察(見る)*$
模倣*
洞察*
・何について,どのよう
なイメージが描けるか
を左右する
空想*
想像#$
あ そ び#
く ら し弾
機能あそび*
見たて・つもりあそび*
役割あそび*
構成あそび*
・主に基盤的能力,認識・
飼育・栽培*
伝達(自己,他者)*@
食べる・住む・着る*
・その活動の中で,一緒
につくる,描くなどの
活動が,自然になされ
行事*
外的条件
他の活動に
共通
人
育て合う子ども集団*
共感し認めてくれる保育者*#
場・空間
自由に使える専有空間*
時 間
自由に使える時間*
も の
自由に使えるもの*#
道具・用具,材料,人形)
思考,技法能力などを
結果的に培う
ている
・この条件の下で,一人
一人が自分のしたいこ
とをしっかりもち, 自
分の活動を充足するこ
とができるようになる
Eあらゆる活動にとって
の土台
幼児期の造形表現と生活づくり
21
作や素材・材料を用いた機能あそびと見たて・つもりあそびは,五感や手指・身体の操作
力を引き出し,素材・材料への働きかけ(ちぎる,けずる,重ねる,丸める等様々)によっ
て,その性質や働きかけ方がもたらす変化の意味を感じ分ける力を引き出していくことで
もある。さらに,身近にある様々な事物と自分のイメージとの結びつきを活発化させるこ
とにもなる。社会的生活場面や行動を再現する役割あそび等でも,イメージの共有やそれ
に必要な様々な道具づくりを含んでおり,造形表現力と直接結びついた活動を見出すこと
ができる。構成あそびは,まさに造形することの楽しさがあそびの動機となり,造形表現
力の「基盤能力」や「技法能力」をより一層培うことになる。取り上げるべきあそびを検
討する余地が残ってはいるが,造形表現力との関係では特定のあそびが問題となるであろ
う。くらしの中の様々な活動でも,造形表現活動に持続的に取り組む上で不可欠な,自分
の目的意識や完成イメージを明確にもっことが,それらの活動の必須条件として含まれて
いることを見落としてはならない。また,それらの活動がどれだけ豊かに展開できるかを
規定しているのが,裾野としての外的環境条件に他ならない。
その一方で,造形表現活動に固有な構成要因があることも多少指摘されている。その一
例が「造形能力」である。この能力は,形のイメージを素材や道具を用いることによって,
素材に初めとは異なる構成や変形を加え,新しい造形的価値を付与する力であると定義さ
くロう
れている。造形表現活動の定義にも通じるものといえる。この「造形能力」はさらに次の
6つの下位能力に分析されている。これらの全ては,日常のあそびだけで自然に育つとは
・形体能カー形をイメージし,形に表す・リズム能カー色・形の大小,高低,強弱
・位置空間能カー上下左右の位置関係 ・材質能カー素材の固有の性質の感じわけ
・色彩能カー個別色を感じ,使い分ける・バランス能カー大小,高低,強弱の調整
限らず,個人差も大きいと指摘されている。八木はこれらの能力を習得させる必要性を十
分認識していないことが,造形表現活動における混乱の一因であるとみている。実際に,
リズム能力,材質能力,バランス能力は,幼児期では形と結びついて表れることがあまり
ないので,意識的に問題化しづらいことは確かである。日常の生活で様々な自然素材との
触れ合いを通して培うためには,幼児期の具体的な課題と方法を取り出す必要がある。そ
れは同時に,美的認識との関わりを問題にすることでもある。
(2)造形表現活動の出現形態に応じた指導内容・方法
日常の諸活動,とりわけあそびやしごとで,造形表現活動の出現形態が異なれば,そこ
での指導内容の重点や方法も当然のことながら変えなければならない。ここで問題にする
出現形態とは,全体か部分かという問題と,個別か集団かという問題である。
まず,全体か部分かという問題は,あそびとしての造形表現活動か,それともあそびの
手段として組み込まれた造形表現活動かということである。このことについて,吉田は
くユ ラ
「造形的あそびの二側面と発達」として基本的な特徴を分析している。それによると,造
形表現活動の前段階と位置づけられた,つくったり,描いたりを楽しむ行為が,機能あそ
びとしてまず出現する。その中では,見ること,触れること,もてあそぶことが主な内容
となっている。「つくる中であそぶ」ことで自己の表現欲求を満たしているのである。そ
の目的は活動自体であり,この主題性(どんなものをつくるか,あるいは描くか)は柔軟
22
井 口
均
かつ開放的で変化に満ちている。しかし,次第に明確な主題をもった構成あそびとして,
完成イメージへの志向性をもった造形表現活動も出現してくる。もう一方の,あそびの手
段として組み込まれた造形表現活動は,あそびの中でつくったり,描いたりする行為が,
あそびの一構成部分として取り組まれる場合である。その中では,何らかの模倣あそびに
規定され,かつそのあそびに必要な道具立てとして取り組むことが主要な内容になってい
る。「あそびの中でつくる」ことであそびへの活動欲求を満たしているのである。その目
的は,「用を目的として」遊びの展開を支えることであり,表現意図もあそびのテーマと
結びついて明確化されている。はじめは模倣的なものが多いが,次第に自分の工夫や想像
を加えたものとなっていくのである。
次に,個別か集団かという問題がある。当然のことながら,一人あそびとしての取り組
み,自然発生的な仲間集団としての取り組み,意図的に組織されたクラス全体としての取
り組みである。表2は,これらとの組み合わせによる出現形態と,環境設定を中心にした
指導内容・方法との基本的関係を整理したものである。
これらのあそびの中で展開される造形表現活動では,個々の幼児への働きかけが主たる
ものとなる。そのために,指導内容・方法がどれだけ個人差に応じたものかがもう一づの
重要な問題となる。それは,個人レベルでの造形表現活動における個人差の中身をどう取
表2
集団規模
全 体
部 分
指導内容・方法の基本的視点
・可塑性に富んだ素材・材料
機能あそび
見たてあそび
模倣あそび
つもりあそび
・関係性やイメージ喚起性の高い
つもりあそび
ごっこあそび
・関係性やイメージ喚起性の高い
l形や生活用品玩具,操作し易
「道具
l形や生活用品玩具,加工し易
「素材・材料と道具
・大型の加工し易い素材・材料,
共同構成あそび
gみ立てや接合し易い材料や道
’役割あそび
・関係性やイメージ喚起性の高い
カ活用品玩具,加工し易い素材・
f材と道具
・話し合いの中で必要な材料や道
・C手順・分担を検討
共同製作
劇づくり
行事活動
・話し合いの中で必要な材料や道
・C手順・分担を検討
り出すかに規定される。
第1に,表現意図を尊重した個人指導のあり方の工夫という問題がある。これについて
う
は,八木による「表現の3領域」という指摘が有効性をもっている。それは造形において
表現されるのは3つの領域で,形態と機能と関係であるという指摘である。形態表現では
ものの色や形の特徴をとらえた表現になり,機能表現ではものの動きやしかけ・しくみな
幼児期の造形表現と生活づくり
23
どが主な表現内容となる。さらに,関係表現ではものを取りまく背景や関連する状態を表
現する点に特徴がある。例えば,各児がカメラを空箱で製作することになった場合,その
外形か,写すしくみか,さらにそれで他の人を写すことか,そのどれかに必ず興味をもつ
というのである。その結果,同じ対象物を形象化する造形表現活動に取り組んでも,子ど
もによって表現しようとしている事柄が全く異なるのである。何を主に表現しようとして
るかにより,形象化・造形化されるものに違いが生じるのは当然である。だからこそ,そ
の子の関心や興味が何かを読み取っておくことが大事なこととなる。関係表現などでは形
態が,非常に単純化されるので,表面的に見ると低い評価をつい与えてしまう危険性を指
摘している。基本的には,その子の興味・関心を大事にし,どれかの内容に集中して取り
組めるように援助・指導することが造形表現では必要なことである。
第2に,造形に至るプロセスを画一化せず,個々の子どものスタイルを尊重した取り組
ませ方の問題である。吉田は,子どもが自由に自分から絵を描いたり,つくったりする場
く 合,子どもによって異なった造形表現過程が展開することを指摘している。つまり,普通
は最初に,何を(着想)があり,その次にどんなもので(素材・材料)つくるかを考える。
そして,どんな表現方法で(用具・技法)描くかを考える。しかし,それはあくまでも典
型的なプロセスに過ぎない。素材・材料から着想へ,そして用具・技法という展開をみせ
る場合もある。これは,幼児に比較的多いようである。つまり,最初は何をつくるかわか
らないまま,近くにある素材をいじくっているうちに何かを思いたち,表現方法を工夫し
ながら取り組む姿である。また,素材・材料から用具・技法にいき,着想という展開をみ
せる場合もある。これは,素材だけでなく,用具や技法の面白さから,それであそんでい
るうちに表現したいものができる姿である。さらに,用具・技法から着想そして素材へ,
あるいは用具・技法から材料そして着想という展開をもある。これはどちらも,用具の面
白さに触発されて,何かをつくってみようと表現したくなった姿である。子どもによって
も,またその時の状況によっても,異なった展開をみせるのが幼児である。決まりきった
展開プロセスだけではない,いろんな入り口を造形表現活動では用意しておく必要性を痛
感させられる。
(3)生活・あそびづくりによる実践例にみる造形表現力形成過程
八木は,三層構造論に基づいて,日常の生活・あそびづくりと造形表現力とを統一的に
指導している。その際,土台となる生活づくりとして,専有感のある生活,また造形的行
為を意識的に育てる生活づくり,そして系統的学習活動づくりの3つの部分を中心に構1造
化しようとしている。生活づくりと子どもの造形表現力との有機的な結びつきに対する一
つの考え方を,その3つの部分の内容と関係づけに見出すことができる。
①専有感のある生活とは
専有感のある生活は4つの基本的要素から成り立っている。第1は,自分の生活を営む
場ともいえる空間づくり。第2は,様々な材料を自由に使えるように整備すること。第3
は,自分のあそび,ごっこ,劇あそび,飼育・栽培活動。第4は,保育者との安定したペ
ア関係である。まず,子ども一人ひとりと保育者が安定した人間関係をつくることが重視
され,そこでの安定感をベースに,自分の安心できる空間で自分のあそびに打ち込める状
況を自らつくり出せるようにもっていこうとしている。既にその段階で,道具・用具類,
容器用具,加工用具,可塑性のある造形材料,ぬいぐるみなどが自由に扱える状態で準備
24
井 口
均
されているのである。しかも,準備される材料・用具・道具については,子どもの自主管
理に委ねる方法を意識的に工夫している。あそびでは,まず自分のやりたいことをしっか
りと見つけさせることを優先させている。それを手がかりに,平削との交流,劇遊びやごっ
こあそびへとつなげていく見通しをたてている。その集団的関わりの中で,イメージの共
有体験をつくりだすのである。そうしたあそびへの展開過程と並行して,飼育・栽培・行
事活動でも各児の,そして他児とめあてを共有した,目的的な活動を引き出そうとしてい
る。しかも,ここでも自主的な運営に任せる配慮が徹底されている。自分のあそび→交流
→共有→分担→協働→自主管理・運営の流れを,段階的・計画的な見通しをもって,保育
する側が目的意識的に追求しているといってもよいであろう。これらによって,自分の生
活全体を自覚的に捉え,主体的な見通しをもって目的的に過ごせる力をまず育てようとし
ている。
②基盤となる生活とは
専有感のある生活の中で育ってきた造形への芽を,具体的な造形表現活動に結びつけて
いくために,ここではさらに意識的な働きかけや工夫が加えられる。第1は,様々な道具・
用具類,加工し易い材料・素材,あるいは役割やつもりなどのイメージを喚起し易い遊具
を常備し,自由に使用できるようにしている。この環境づくりによって,ふり,みたて,
簡単な造形的行為を活発に引き出そうとしているのである。それを背景に,造形表現活動
と密接な関係をもつあそび(機能,みたて,役割,構成)や仕事(動物の家づくり等)・
行事(入園式,運動会,二等)に意識的に取り組ませようとしている。これは,様々な道
具や材料との関わりをはじめ,あそびや仕事の中で造形表現をすることが如何に楽しいか
をわからせようとするものであり,本格的な造形表現活動に向けての下地づくりといって
もよいのではなかろうか。保育者からも積極的に働きかけや誘いかけを行なっている。
③アンサンブルする生活一集団による相乗効果とは
互いの目的やイメージを共有し,協働する生活を保育者が意図的に組織化することがか
なり優先的な内容となっている。ごっこあそびの中に造形的あそびを積極的に持ち込むこ
となども行なっている。同時に,この場面では,子ども間の拡散と個別化を繰り返させな
がら,相互に刺激を与え合う状況を非常に重視している。なぜなら,そこで子ども一人ひ
とりが自己の生活要求や自己表現要求を自覚化していくと考えるからである。それを前提
にした表現意欲をまって,造形表現力に対する学習課題が提示されるのである。子ども自
身の中に,客観的学習課題を自己課題へと転化する主体的構えを意識的につくった上での
取り組みであることがわかる。子どもに一貫して要求することは,目的(めあて)のある
生活づくりである。短期的なものから長期的なものまで,生活のあらゆる場面でそのよう
な主体的取り組みが出てくるのを待ちつつ,働きかけている。そのことによって,その後
の造形表現活動における系統的学習課題への積極的な姿勢を子どもの側から引きだそうと
していると考えられる。
全体を通して,個の安定を,専有空間の設置や保育者による親密な関係づくりによって
もたらし,毎日のあらゆる活動場面で,造形的活動と生活づくりを統一させようとしてい
る。その重要な要として,自発性と目的性を一人ひとりの子どもの生活に根づかせようと
している。それによって,系統的学習活動への取り組みが無理強いされたものではなく,
逆に積極的な自己教育活動となるように意図されている。それは本人自身の必要性に依拠
幼児期の造形表現と’生活づくり
25
しながら造形表現力を獲得させようと考えたものζ思われる。強制でもなく,放任主義と
も違った,子ども自らが取り組む生活・あそびづくりでの,造形表現力形成論となってい
る。
参考・引用文献
(1):F.Frδbel,1826,岩崎次男訳『人間の教育』,明治図書,1960
(2)H.Read, Educatin Through Art, Faber and Faber,1943,植村・水沢共訳, 『芸術
による教育』,美術出版社,1953
(3)V.Lowenfeld, Creative and Mental Growth, The Macmillan Company,1947,竹
内・堀ノ内・武井共訳,『美術による人間形成』,黎明書房,1963
(4)八木紘一郎編,『造形の誕生』,8,青木書店,1984
(5)八木紘一郎編,前掲書,9
(6)田中 義和,「子どもの絵の診断的見方について」,『現代と保育』,78−94,ひとなる書房,
1984
(7)八木紘一郎編, 前掲書, 11−14
(8)吉田 泰男,『美的教育原理』,167−168,文化書房博文社,1991
(9)林 建造,『幼児造形教育論』,66−72,建吊社,1986
(10)上野 省策・斉藤浩志,『手の労働としての造形教育』,37−49,黎明書房,1973
(ll)八木紘一郎編, 前掲書, 38−41
(12)吉田 泰男, 前掲書, 197−!98
(13)八木紘一郎編, 前掲書, 53−61
(14)吉田 泰男, 前掲書, 168−169