7-1 生涯学習における地域学の手法についての一考察

7.論文
7-1 生涯学習における地域学の手法についての一考察
滋賀大学 社会連携研究センター 准教授
横山 幸司
1.はじめに
前回、拙稿「生涯学習の視点から考える地域学の意義と今後の展望についての一考察」 1)において、生涯学習に
おける地域学の定義やその意義について考察を述べた。
改めてその定義について述べると、森川稔が言うように、地域学(地元学)とは「地域住民が主体(当事者)となっ
て、生活者の視点と自分たちの足で地域の自然、歴史、文化を調べ、地域づくりに生かしていくという取り組みであ
る。」2)という説明が一番端的に言い表しているように思われる。
つまり、地域学とは、ただ地域のことを学ぶだけではなく(もちろん学ぶ行為そのものも尊いことだが)、学んだこと
を現在の地域づくりにつなげていくという点が重要であり、それは、現代の我が国の生涯学習政策の理念とも合致す
るということを前回述べた。
この点について、前回の拙稿では説明が足りなかったので、本稿では、もう少し詳細に述べたい。現代の我が国
の生涯学習政策の大きな目標として、大きく個人の自立と地域の自立という二点がクローズアップされてきている。 3)
すなわち、生涯学習は、個人の自立を促し、さらには地域自治や地域振興にも貢献することが期待されている。比例
して、公民館等の社会教育施設は、これも批判の多い単なる趣味・教養、娯楽の場ではなく、地域自治や地域振興
の拠点、いわば地方自治の学校としての機能を果たすことが求められている。
しかし、いきなり市民に、「やれ地域自治だ、地域活性化だ」と求めても、それは一朝一夕に成るものではない。市
民は、身近で出来ることから無理なく、楽しく学習し、地域づくり等の活動につなげていくのであり、生涯学習政策は
それを後押しするような施策を打つことが重要になってくる。そこで、それらの要素を包含したツールとして昨今注目
を浴びつつあるのが生涯学習における地域学である。
ところが、我が国の地方自治体の教育、生涯学習政策等において、そうした身近な地域のことを学ぶ機会は数少
ないのが現状である。現在のまちづくりや地域活性化のためには、自分たちの地域の歴史、文化、風土(これらには
政治・行政、産業・経済といった分野も含まれる。)を学ぶことが必要不可欠であるにもかかわらず、である。そこで、
筆者は改めて前回、地域学の持つ意義について次のとおり整理した。すなわち、①行政と市民が一体となって、その
地域の魅力を再発見し、内外に発信すること。②学校教育や社会教育、成人教育など教育に寄与すること。③市民
活動の発展を促すこと。④都市計画や観光政策など公共政策に寄与すること、である。4)
これらの意義について一貫して言えるのは、地域学が地域づくりに貢献するということは、換言すれば地域(自治
体)の地域振興策や教育政策など公共政策に寄与するということである。地域づくりは自治体の政策との協調なくし
1)
『滋賀大学社会連携研究センター報 No.2』2014 年、pp.106-117
2)
森川稔編『地域再生 滋賀の挑戦-エコな暮らし・コミュニティ再生・人材育成』2011 年,新評論 pp.5-6 厳密には、「地元学」
についての記述だが、「地域学」と同義語と言って差し支えないと考える。
3)
例えば、平成 25 年 1 月「第 6 期中央教育審議会生涯学習分科会における議論の整理」において、「生涯学習・社会教育を取り
巻く社会が変化する中で求められるもの」として、「①個人の自立に向けた学習、②絆づくり・地域づくりに向けた体制づくり」が挙
げられている。
4)
横山幸司、前掲書、pp.114-116
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てはあり得ないともいえる。また、生涯学習と同様、それが個人的な趣味・教養で行われる分には、そのような意義
を強調する必要性は必ずしもないが、政策として予算を投入する以上は、政策としての効果も求められる。
筆者は、以上の地域学の意義を踏まえた上で、地方自治体の主に生涯学習政策において地域学のシステムを整
備することを提唱しているが、全国各地での地域学の取り組みは様々であり、さらには、その具体的なシステム、手
法について研究したものは少ない。
先行研究としては、吉本哲郎
5)
の「地元学のすすめ方」が地域学の具体的な手法として分かりやすく紹介してあり、
参考になる。吉本は、地域学のすすめ方を(表 1)のとおりにまとめているが、一言でいうと「調べる→考える→まとめ
る→つくる→役立てる」というプロセスになる。
【表 1 地元学のすすめ方】
地元学のすすめ方
1 土の地元学と風の地元学
土の地元学・・・地元の人たちによる地元学
風の地元学・・・外の人たちと一緒にやる地元学
2 調べる心がけとまなざし
〇調べるときの 7 つの心がけ
・現場に出かけて調べる
・外の人たちと一緒に調べる
・先入観を捨てて聞く
対等の立場で聞く
・実際にやっていることや使っているものなどについて聞く
・話しやすい場所を選ぶ
・当たり前に住んでいる人が超一流の生活者だと思って聞く
〇3 つのまなざし
・つなぐ・・・海、山、川をつなぐと、水俣は水俣川流域の町だったことがわかったなど
・重ねる・・・古い道、等高線、水源や水場と神社やお寺、歴史的建造物を重ねると、神社は出っ張っていると
ころ、お寺は引っ込んでいるところ、水場にあったことがわかったなど
・はぐ・・・新しいものやことをはぐと、古い家々は水を求めて山つきにあったことが分かったなど
3 調べる・まとめる
調べる準備/下見をする/調べることを選ぶ/調べ方・まとめ方
〇調べ方の代表例
・地域情報カードをつくる
・地域資源マップをつくる
・直接絵地図をつくる
・パワーポイントでまとめる
・おじいちゃん、おばあちゃんたちの人生を聞く
・出会った人に聞く
・地域の個性を表現する
4 つくる・役立てる
調べたことの活用/調査は創造のはじまり
〇つくる・役立てるのはものづくり、地域づくり、生活づくりの3つの分野
〇地域づくりは次のステップを踏む
・これまでを読む→変化の風を読む→これからを読む→手を打つ
5 子ども地元学の実践
(出所)吉本哲郎『地元学をはじめよう』2008 年、岩波書店より筆者作成
5)
吉本哲郎『地元学をはじめよう』2008 年、岩波書店、pp.38-80
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このプロセスは、前回、紹介した森川稔の先行研究と通じるものがある。森川は、地域再生の取り組みから、①地
域について学ぶ、②地域の資源を継承する、③組織や仕組みをつくる、④交流しつながる、⑤地域再生を担う人材
を育てる、といった点が学べると述べている
6)
が、これらは地域学によって地域再生(地域づくり)に向かうプロセスと
も言えるのではなかろうか。
地域を学び、地域をつくっていくことを本旨とする地域学のプロセスは大きくはこのとおりであろう。そして、具体的
な「進め方」は吉本の「地元学のすすめ方」が参考になる。
しかし、本稿で問題にしたいのは、今まで述べてきたように地域学に公共政策的な意義があるとするならば、それ
らの意義を推進するためには、どのようなツールやシステムがあったらいいのかという点である。つまり、個人的な生
涯学習がどのように地域の公共的な活動として発展していくのか、そのために必要な、あるいは有効なシステムとは
何かという点に最大の関心がある。
そこで、本稿では、地域学を進める上で、有効なツールの一つと考えられる「地域かるた」(郷土かるたとも言う)と
「祭り」を取り上げたい。
地域学を進めるツールは「かるた」や「祭り」以外にも全国にあまたあると思われるが、今回は、生涯学習都市宣
言を行って、生涯学習のまちづくりを進める岐阜県恵那市の中でそれぞれ別の地区から起こった二つの事例を通じ
て、生涯学習における地域学の手法について考察する。
2.「恵那市中野方ふるさとかるた」の事例
(1)事業の趣旨と経緯
文科省公民館 GP
7)
への申請書には次のとおり述べられている。「時代の変化と共に、イベント等華やかなものに
は目が行っても、地域に残る神社や古道、歴史・文化遺産等に対する関心が薄らいできているのが現実であり、寂し
さを感じている。そこで、町の宝を見直し、後世に残そうとかるたづくりを計画した。様々な方法がある中で、かるたを
選んだ理由は、学校や家庭、地域で話題とし取り組むという過程がふるさとへの愛着につながると考えたからであ
る。」
直接のきっかけとなったのは、恵那市中野方町に隣接する中津川市蛭川地区には「蛭川かるた」があり、発起人
である鈴村八枝子氏があるとき、かるたを得意そうに読んでいる小学校 1 年生の女の子の姿に感銘したことから始
まった。中津川市蛭川地区もかつて蛭川村が中津川市に合併してできた地区であり、市町村合併で薄れていく郷土
の記憶を留めようという背景があった。
(2)中心となった組織の概要
生涯学習サークル「お話の会」会長などを務める鈴村八枝子さんや市民三学中野方委員会委員長 8)などを務める
近藤達治さん達が中心となって、中野方地区の様々な機関の代表らで構成する「中野方かるた制作実行委員会」を
立ち上げた。コアメンバーの機関・肩書き(当時)は以下のとおりである。中野方町社会福祉協議会支部長、岐阜県
青少年育成指導員、中野方まちづくり委員会委員長、中野方町観光協会会長、元自治連合会副会長、老人クラブ
会長、中野方小学校 PTA 会長、中野方公民館長。
6)
森川稔、前掲書、pp.272-273
7)
文科省公民館 GP(通称)・・・「公民館等を中心とした社会教育活性化支援プログラム」のこと。「中野方ふるさとかるたは」この
平成 25 年度委託事業の採択を受けた。
8)
市民三学中野方委員会・・・恵那市では公民館地区単位ごとに市民主体の生涯学習を進める組織「市民三学委員会」が設立さ
れている。
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(3)かるた作成事業の過程
当該事業は以下のような過程で実施された。中野方かるた制作実行委員の立ち上げ→先進地視察の実施→か
るたの題材・読み札、絵札の募集と選定→読み札解説文の作成→製本→配布。(表 2)
この過程の中で特筆すべき点は、中野方町地区の町民総参加のかるたづくりにより、一つの地域運動に発展した
ことである。それを可能にしたのは特に自治振興会等の自治組織や小学校の協力が大きかった。
自治組織では、広報紙を通じて町民へのかるたづくりの周知や実際の題材、読み札、絵札の募集、回収まで引き
受けてくれた。
小学校においては、PTA 総会においてかるた制作協力をお願いする機会を設け、かるたづくり講演の聴講、かる
たづくりを夏休みの取り組みとすることや絵札づくりに参加するなどの協力があった。その他にも、公民館まつり等町
の行事を利用しての経過報告等も行われ、町ぐるみでかるたづくりが展開された。
(4)かるたの活用
学校教育においては、授業・地域巡り等での活用、お話の会による読み聞かせ、青少年育成事業においては、コ
ンサートやかるたとり大会、幼児教育においては、お話の会による読み聞かせ、乳幼児学級での活用、高齢者福祉
においては、高齢者の交流の場や高齢者施設での紹介や活用、観光振興では、地元野菜直販所や棚田等での紹
介と販売、かるたマップ作りと活用、公民館等事業においては、町民運動会、敬老会、公民館講座、公民館まつりで
の活用がすでに実施あるいは今後予定されている。
(5)成果(現在のところの進捗状況)について
公民館では、公民館だよりを通しての紹介や地域めぐり等の事業で活用されている。
小学校では、副教材としての活用や家庭教育学級での活用、地域めぐりや祖父母とのかるた大会などが実施さ
れている。青少年育成委員会では、かるた大会の開催。読み聞かせサークルでは小学校や保育園での民話や読み
札の紹介。高齢者分野では、デイサービスやサロン等において回想法のツールとして活用。観光面では観光協会等
において、かるたの展示や販売、マップを活用しての町の魅力の発信。その他、町民運動会等でかるたを取り入れ
た競技を考案中とのことである。
(6)今後の予定
選定にもれた読み札なども大
切なアーカイブになることから、
資料集としてまとめたいとのこと
である。その他、カルタめぐりの
マップ・看板の作成。かたりべの
養成なども考えているとのことで
写真 1 中野方コミュニティセンター
写真 2 中野方ふるさとかるた
写真 3 応募のあった読み句の数々
写真 4 鈴村八枝子さんと近藤達治さん
ある。
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【表 2 「恵那市中野方ふるさとかるた」事業の過程】
平成 24 年 8 月
平成 24 年 10 月
「中野方かるた制作実行委員会」発足
研修会開催
(講師:元小学校長 中根弘之先生、恵那市生涯学習まちづくりセンター 横山幸司所長
(当時・筆者)出席)
平成 25 年 2 月
先進地視察
(中津川市の「ひるかわ かるた大会」を視察)
平成 25 年 4 月
広報にて町民へかるたつくりの協力依頼と題材募集
(各地区の組集会にて区長さんから住民の方々へ協力依頼、小学校 PTA 総会にて保護者
に協力依頼)
平成 25 年 6 月
題材の回収(1642 の応募があった)
「かるた選定委員会」(中野方かるた制作実行委員会委員、有識者、
お話の会会員等から成る)において題材を選定
平成 25 年 7 月
広報で題材の集計結果を報告・読み札の募集
研修会開催
(講師:(特)日本郷土かるた研究会 会長 山口幸男先生)
文科省公民館 GP に申請・採択
平成 25 年 10 月
読み札の回収(624 首の応募があった)と選定
絵札の募集
平成 25 年 11 月
読み札裏面の解説文作成
解説文を選定委員会で執筆
平成 26 年 1 月
絵札の回収(98 枚の応募があった、うち 88 枚は小学生)と選定
業者に製本依頼 校正を重ねながら仕上げ
平成 26 年 2 月
かるたマップの作成
平成 26 年 3 月
かるた・かるたマップ完成
平成 26 年 4 月
中野方町全戸等に配布
(出所)「中野方かるた制作実行委員会」資料より筆者作成
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3.「恵奈の里 次米みのり祭」の事例
(1)事業の趣旨と経緯
恵那市には、誇るべき二つの文化遺産があった。一つは、国の指定史跡である「正家廃寺」 9)であり、もう一つは、
奈良県明日香村の飛鳥池遺跡から出土した木簡 10)により恵奈の里から次米を献上したとされる歴史的事実である。
こうした素晴らしい地域資源を、恵那市民の絆づくり、まちづくりに生かしたいという思いから、有志の市民グルー
プにより、恵那から明日香村へ次米を献上する故事を再現するなどの内容からなる「恵奈の里 次米みのり祭り」
(表 3)を企画することになった。
【表 3 「恵奈の里 次米みのり祭り」事業の内容(平成 24 年度の実績)】
5 月 19 日 「お田植え祭」・・・飛鳥時代の斎田を現代風にアレンジして、恵那市正家に再現された会場で、お田植え
歌にあわせて早乙女たちが苗を植えていく。(写真 5)
9 月 15 日 「抜き穂祭」・・・ 太鼓やお囃子にあわせて踊り子が舞い、恵那の次米が刈り取られる。
(写真 6)
9 月 22 日 「恵奈の里 奉納行列」・・・抜き穂祭で収穫した新穀を、次米として恵奈の評督(恵奈郡の長官)に献納
する行列を 9 月の一大イベント「みのじみのり祭」で再現する。古代装束を身にまとい、白馬に騎乗した
恵奈の里長・阿利麻とその従兵、次米献納の大幡を先頭に、里人 60 人が引く 5 斗俵(30 ㎏入り)6 表
を積んだ山車に続いて、 「次米みのり音頭」に合わせて踊り子が続く。 (写真 7)
9 月 23 日 「お米のパビリオン」・・・恵那産の栗とお米を使った「恵奈の栗ごはん」や、 米のポンせんべい、五平バー
ガー、ほうば寿司など、 お米にまつわる食の販売をとおして、恵那のお米の歴史に触れる「お米のパ
ビリオン」が、「みのじみのり祭」にあわせて開催される。(写真 8)
10 月 9 日 「恵奈の次米 飛鳥へ献納」・・・薬師寺は天武天皇が、后(後の持統天皇)の病気平癒を願って建立を命
じた勅願寺。 天武天皇が崩御された 10 月 8 日、9 日・天武忌には盛大な法要が執り行われる。恵奈
の次米は、まず 10 月 8 日に薬師寺に献納。さらに翌日、薬師寺の全僧侶が参加し、明日香村、天武・
持統合葬陵で行う法要にも恵奈の次米が納められる。 これをもって、「恵奈の里 次米みのり祭」全 5
幕の閉幕となる。(写真 9)
(出所)「恵奈の里 次米みのり祭り実行委員会」Web サイト(http://ena-sukimai.com/)2014 年 9 月 2 日参照
(2)中心となった組織の概要
有志グループは、平成 24 年 4 月に、「恵奈の里 次米みのり祭実行委員会」を立ち上げた。役員は会長、副会長、
理事、会計など 15 名である。中でも中心となったのは、会長の河村尚徳氏(地元自治会代表)、副会長の小板潤二
9)
正家廃寺(しょうげはいじ)は、美濃の恵那郡(現在の岐阜県恵那市)にかつて存在した古代仏教寺院。奈良時代に創建され平
安時代中期には廃絶したと考えられ、法隆寺式伽藍配置の堂塔の遺構が残る。寺名が不明のため、正家廃寺と呼ばれている。
寺跡は昭和 34 年(1959 年)に岐阜県史跡に、平成 13 年(2001 年)に国の史跡に指定されている。
10)
平成 9 年に奈良県明日香村の飛鳥池遺跡で、今から約 1,300 年前の 677(天武 6)年に現在の恵那地方とみられる地域で精
米された次米五斗俵(約 30 キロ)を奉納したと記された木簡が出土。次米とは、天皇が収穫を感謝し、使用するコメのことである。
これは、年号のはっきりした次米献納の最古の木簡とみられている。
上記の正家廃寺と合わせて、古代の恵那は、大和朝廷の東国支配の一つの拠点ではなかったのかと推測されている。
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氏(商工会議所青年部)、事務局長の三宅洋志氏(元市役所職員)、理事の鈴木英幸氏(地元建設業会長)、理事の
宮崎光雄氏(元小学校教員)、大嶋晋一氏(元市役所職員)などの皆さんである。
その他に、地元の正家地区では「恵奈の里次米みのりまつり正家区実行委員会」が組織されている。また後述す
るように、恵那市役所の関係課をはじめ、恵那市商工会議所や JA 東美濃、恵那農業高校など多くの地域の機関・
団体の協力を得ている点が特色的である。
写真 6 抜き穂祭
写真 5 お田植え祭
写真 7 奉納行列
写真 8 お米パビリオン
写真 9 飛鳥へ献納
(3)「恵奈の里 次米みのり祭」事業の過程
本事業は、当初から上記のような各機関の協力を得られたわけではない。また、祭りの内容も徐々に今の形になっ
てきたものである。その変遷については、(表 4)のとおりである。しかし、結果的には多くの公共機関をはじめ、地元
自治会や企業等の協力を得ることに至っているのは、この実行委員会が、この祭りを単なる一過性のイベントとして
捉えるのではなく、当初から高い公共意識を持って取り組んできたからに他ならない。当時の内部の討議メモを見る
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と、なぜ、このイベントを行うのかといった理由に、米を中心とした農業の振興、イベントによる交流人口の拡大、歴
史・文化の掘り起し、恵那のイメージアップ等の言葉が並んでいる。こうした“公共性”が次のように多くの機関との連
携・協働を可能にしたと言えるのではなかろうか。
【表 4 「恵奈の里 次米みのり祭り」事業の初期の過程】
平成 23 年 3 月~ 市役所、商工会議所、農業関係諸団体へ協力依頼
平成 24 年 2 月
先進地域・岡崎市への視察
(大正天皇即位の大嘗祭悠記斎田)
平成 24 年 4 月
平成 24 年 4 月
「恵奈の里 次米みのり祭り実行委員会」が発足
寺本建雄氏へお田植歌の作詞・作曲依頼
鈴木三千子氏へお田植、抜き穂の踊り 踊りを創作依頼
平成 24 年 4 月
JA 東美濃へ協力依頼
(職員の参加、コメの提供、栗おこわの販売など)
平成 24 年 5 月
「恵奈の里 お田植え祭」開催
平成 24 年 6 月
薬師寺松久保長老が正家廃寺を視察
平成 24 年 7 月
明日香村を視察
平成 24 年 8 月
薬師寺松久保長老が恵那市にて講演
薬師寺へ打ち合わせ
平成 24 年 9 月
従来の「みのじみのり祭り」に参加、「恵奈の里 抜き穂祭」、「恵奈の里 奉納行列」、
「恵奈の里 お米パビリオン」開催
平成 24 年 10 月
「恵奈の次米 飛鳥へ献納」
平成 24 年 12 月
恵那市長が明日香村を表敬訪問
平成 25 年 1 月
恵那農業高校へ協力依頼
(「総合的な学習の時間」を利用して、恵那の古代の歴史の学習、祭りへの早乙女役等への学
生参加など)
平成 25 年 5 月
宮崎理事が恵那農業高校にて講義
平成 25 年 5 月
「恵奈の里次米みのりまつり正家区実行委員会」が発足
(出所)「恵奈の里 次米みのり祭り実行委員会」資料より筆者作成
(4)多様な機関との協働
前述したように、当事業は、恵那市役所の関係課をはじめ、恵那市商工会議所や JA 東美濃、恵那農業高校など
多くの地域の機関・団体の協力を得ている。
詳細にみていくと、はじめに、行政(市役所)との関わり合いでは、市との協働事業に位置付けられ、平成 25、26
年度にわたって、まちづくり推進課の所管する「恵那市地域の元気発信事業総合助成金」の採択を受けている。この
時の市側の協働相手は、観光交流推進室である。また、恵那市まちづくり市民協会より、平成 24 年度に「恵那市ま
ちづくり市民活動推進助成事業」に採択されている。この時の市側の協働相手は、農業振興課であった。
その他にも、(公財)伊藤青少年育成奨学会、(公財)十六地域振興財団、恵那社会福祉事業協力会からの助成
も受けている。
恵那農業高校との関わり合いでは、当委員会の宮崎氏が高校の「総合的な学習の時間」に講義をするなどの交
流がある。
また、地元正家地区からも助成をうけている。このように、当事業は、地元の自治会をはじめ、様々な地域の機
関・団体からの支援あるいは協働の上に成り立っている点が特色的である。
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(5)成果について
当事業も、平成 26 年度で 3 年目を迎え、これまで新聞やテレビなど多くのメディアにも取り上げられてきて、恵那市
のイベントとして定着してきた点が成果という。
正家廃寺や次米などは、歴史的にもまだまだ不明な点が多い。全国的な認知度もない。しかし、「恵奈の里 次米
みのり祭実行委員会」のイベントが契機になって、新たな発見がなされる可能性もある。このような貴重でありながら
埋もれていた地域資源を世に知らしめた功績は大きい。
(6)課題と今後の予定
しかし、まだまだ課題も多い。第一には、800 万円ほどの高い事業費をどう維持していくかという問題である。これま
では、市の補助金をはじめ、多くの助成を受けてきたが、補助金は恒常的なものではない。
また、前述のように多くの機関・団体の支援を受けているとはいえ、例えば学校教育においては、恵那農業高校以
外の教育機関との関わり合いもないし、コミュニティセンター(公民館)における生涯学習との連動もない。
今後の予定、目標としては、恵那市全体に祭りを広めていきたいという点と若い世代の参加を促進するということ
であるが、そのためにも、より多くの教育機関や各地区の生涯学習まちづくり活動に働きかける必要があろう。
その他、恵那の米をブランド米として売り出したいという話もあり、産業振興の面からも実現が期待される。
4.事例からみえてきた地域学の手法
以上、恵那市における二つの地域学の事例をみてきたが、二つの活動の発展過程を通じて、地域学の普遍的な
手法、ポイントとも呼べるようなものが浮かび上がってきた。以下、大きくは四点が考えられる。
(1)地域について学び、活動を通じて学ぶ
地域学は、改めて言うまでもなく、学びの作業である。そして、それには二つの観点がある。一つは、まず当然のこ
とながら、地域のことについて学ぶという観点である。
「中野方かるた制作実行委員会」では、かるた作りにあたり、中野方の土地、歴史、昔話・伝説、産業、文化などに
ついて題材を募集した。この題材探しが、住民たちが改めて地域について学ぶという機会になった。同様に「恵奈の
里 次米みのり祭実行委員会」では、正家廃寺や次米の歴史についてはもちろんのこと、奈良時代から現代まで行
われている薬師寺の行事などについて、講演会等を開催して学んでいる。これらの学びは地域学のメインとなる学
びの作業である。
そして、地域学の学びはそれだけではない。それぞれの活動自体が学びなのである。例えば、「中野方かるた制
作実行委員会」では、先進地視察やかるたづくりの講師を招いての研修会を開催している。同様に「恵奈の里 次米
みのり祭実行委員会」でも、先進地視察をはじめ、絶えず、祭り(イベント)の方法について、会議を重ねてきた。それ
ぞれ、行政等の補助金を申請するにしても、その都度、その制度や方法について学ぶ作業もあったであろう。これら
の活動は、言い換えれば、市民によるまちづくり、あるいは市民協働の実践ともいえる。市民は、地域学の活動を通
じて、自然と、地域自治・市民協働の方法を学び、また実践しているのである。
(2)地域の様々な主体をつなげる
次に、地域学を振興するためには、有志グループの皆さんだけでなく、地域に存在する様々な機関との連携が重
要であるという点であろう。
様々な機関とは、例えば、地域の自治会等の自治組織、市役所などの行政、企業あるいは商工会議所などの経
済界、学校等の教育機関、その他 NPO や観光協会、福祉協議会といった団体等である。
今回の恵那市の二つの事例をみても、そのことは顕著に表れており、二つの事例は、地域学の成功事例と言って
もいいと思うが、いずれも多くの地域の機関・団体の協力を得ている。これは別の言い方をすれば、これらの事例が、
98
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有志グループの私的なものではなく、公共性のある、まちづくり・地域づくりであるという点に他の市民のコンセンサ
スが得られている証左ともいえよう。
そして、改めて指摘しておきたい点は、これらの地域の連携には行政組織にありがちな縦割りはないということで
ある。行政の縦割りを克服していると言い換えてもいい。
例えば、行政においては、しばしば首長部局と教育委員会の縦割りが指摘される。市民協働やまちづくりを担当す
る部署と生涯学習を担当する部署が連携することは稀である。しかし、市民のまちづくり活動にとっては、そのような
行政の縦割り意識は関係ない。市民は、必要だと思う機関・団体に協力を依頼しにいく。それが本来の姿である。近
年は、どこの自治体にも市民協働を所管する部署が設置されている。このような部署は、二つの事例のような自ら活
動を起こそうという市民にこそ支援すべきである。行政内部を横断し、市民と担当部署の橋渡し役を果たすことも行
政の重要な役割であろう。
(3)持続可能な仕組みをつくる
有志グループで発足した活動も、成功すればするほど、次に持続可能かどうかが問題となってくる。具体的には人
材面と財政面の問題がその主たるものである。人材面では、創始者世代以降の世代の参加と育成が進まないケー
スが多い。こうした人材面での問題を克服するためには日頃からの学習活動が重要である。公民館の生涯学習講
座などにおいて、地域を学ぶ学習機会の確保が求められる。
また、財政面においては、幸い、両事例とも行政や他の機関からの補助金、寄付金等に恵まれたが、補助金や寄
付金は恒常的なものではない。今後も、活動を続けていくためには、自主財源の捻出も重要になってくる。そのため
には、成果物を販売するような経済的な観点も重要である。また、近年、多くの自治体で、地域のまちづくり協議会等
の単位で、一括交付金という地域予算の仕組みを導入する例も増えている。地域学に関する事業も他の住民のコン
センサスを得ることによって、地域の公的なまちづくり事業として、存続していく可能性もある。
(4)地域資源を再発見し、新たな文化を創造する
恵那市の二つの事例は、いずれも、地域の伝統や文化といった地域資源を再発見し、それを基に、現代の「かる
た」や「祭り」に復活させたという共通項を持つ。つまり、単なる歴史好きな懐古趣味に留まることなく、現代のまちづく
りや地域活性化につなげているという点が重要である。この点については前回の拙稿でも「地域学は、決して過去の
ことを学ぶだけではなく、未来を創造する学びともいえよう。」11)と指摘した。
加えて、本稿では、「地域学には新たな文化を創造する効果がある」と指摘したい。伝統文化は、忠実に伝統を守
って後世に伝えるという種類のものもあるが(それはそれで尊いことだが)、全国で歴史を活かしたまちづくりに成功
しているような事例は、伝統的な歴史風土の継承のみならず、そこに新たな現代の風味を加えて、さらなる発展を遂
げている例が少なくない。恵那市の二つの事例も、そうした成功事例の一つに加えられていいだろう。
新たな文化の創造は、新たな地域のブランドになっていく可能性を秘めている。地域ブランドの創出は、自治体政
策においてますます重要になってきており、地域学は地域ブランドの創出という面からも大きく期待されるのである。
【謝辞】
本稿の内容は、2014 年 5 月 14 日、「中野方かるた制作実行委員会」の鈴村八枝子氏、近藤達治氏へのヒアリング
調査と、2014 年 8 月 26 日、「恵奈の里 次米みのり祭実行委員会」の河村尚徳氏、三宅洋志氏、鈴木英幸氏、宮崎光
雄氏、大嶋晋一氏へのヒアリング調査に基づくものである。改めて、ここに記して両関係者に感謝を申し上げる次第で
ある。
11)
横山幸司、前掲書、pp.117
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