EC 条約・指令の直接効果について

EC 条約・指令の直接効果について
立命館大学大学院法学研究科法学専攻博士課程前期課程
法政リサーチコース 1 回生 5126110007-3 田口裕貴
Ⅰ はじめに
EC 条約は国際条約の形式で締結されている。国際法的に見れば、通常は国際条約が私人対国
家の関係(以下、垂直的関係)や、私人対私人(以下、水平的関係)に対して直接的に効力を
有することはない。しかし、EC 条約は「独立の共同体制度と独立の共同体法を創設し、構成国
とその機関だけでなく諸国民も拘束することを意図した条約である」ということもできる1。す
なわち、諸国民を拘束することを意図したということは、EC 条約は、垂直的関係や水平的関係
において直接的に効力を有すると考えることもできる。では、EC 条約にはどのような効力があ
るのであろうか。
以下では、EC 条約の垂直的関係における直接効果の有無を中心に検討し、さらに、関連する
事項である EC 条約の水平的関係における直接効果の有無、EC 条約の派生法である EC 指令の
垂直的関係における直接効果の有無、EC 指令の水平的関係における直接効果の有無を検討して
いく。
Ⅱ EC 条約の垂直的関係における直接効果の有無について
―ファン・ヘント・エン・ロース事件―
Case26/62, Van Gend en Loos v. Nederlandse Administratie der Belastingen [1963] ECR1.
1 事実の概要
オランダの原告ファン・ヘント・エン・ロース社は、1960 年 9 月に西ドイツからオランダに
尿素ホルムアルデヒドを輸入した。被告オランダ関税局は、同製品に 8%の関税を課した。こ
れは、1960 年 3 月から実施されたベネルクス三国間の新関税協定の税率表に従った処分であっ
た。原告はこの課税処分に不服を申し立てた。すなわち 1958 年の EC 設立当時、尿素ホルムア
ルデヒドには 3%の関税が課されていた。EC 条約 12 条〔現在削除〕は、条約発効後、構成国
間の輸出入に対する関税の引き上げを禁止している。ゆえに本件課税処分は EC 条約 12 条に違
反する無効な関税引き上げだという主張である。関税局は、新関税協定で課税対象品目の分類
が変更されたため、本件の製品は品目分類が変わり関税率が変化したが、各分類の関税は以前
と同じなので関税引き上げではないと反論した。原告の不服申し立ては却下された。そこで原
告は被告の課税処分の取消訴訟をオランダの税務審判所に提起した。審判所は、欧州司法裁判
所に先決裁定(EC 条約 177〔現運営条約 267〕条)を求めた。
2 争点
EC 条約 12 条が、構成国内に直接に適用されうるか。構成国の国民が同条を根拠にして国内
裁判所で権利を主張できるか2。
3 先決裁定要旨
EC 条約 12 条〔現在削除〕が国内で直接に適用されるかどうか(すなわち、
「構成国の国民が
同条にもとづいて権利を主張し、国内裁判所がこれを保護しなければならないかどうか」)は、
「当該諸規定の精神、全体の構成、および文言を考慮」して判断する必要がある。
Case 26/62, Van Gend en Loos v. Nederlandse Administratie der Belastingen [1963] ECR1.での原告および欧州委員会の主張(中村
民雄、須網隆夫編著『EU 法基本判例集〔第 2 版〕
』
〔日本評論社、2010 年〕4 頁)
。
2
なお、本件の課税処分は EC 条約 12 条が禁止する域内関税の引き上げにあたるか、また、あたるとしても、例外的に引き
上げが許容される余地はないかという争点もあるが、省略する。
1
1
まず、「EC 条約の目的は共同市場を設立することであり、共同市場が機能することは共同体
の関係当事者の利益に直接関係する」ことから、
「条約の目的は、当該条約が締約国間相互に義
務を生じさせるだけの合意を超えたものであることを示唆している」ものといえる。それは「こ
の条約の前文が、政府だけでなく人々にも言及していること」や、
「主権的権利を付与された機
関を設立し、その権利行使が構成国のみならず市民にも影響を及ぼすこと」などから具体的に
確認されるものである。
次に、EC 条約 177〔現運営条約 267〕条は「各国内の裁判所および審判所による当該条約の
解釈の統一性を保障することを目的」として欧州司法裁判所を設置しており、ここからも「国
内の裁判所および審判所において構成国の国民が行使できる権威を共同体法が持つことを構成
諸国が認めたことが示される」。そのことから、
「〔欧州経済〕共同体は国際法の新しい法秩序を
構築するのであって、構成国はその主権的権利を、限られた分野においてではあるが、共同体
との関係で制限したのであり、共同体の統治は、構成国のみならずその国民にも及ぶ」。そして、
「構成国の立法とは別個独立に、共同体法は個々人に義務を課すのみならず権利をも与える」
ものであり、
「このような権利は本条約が明文で与えた場合のみならず、本条約が構成国、個人、
および共同体の機関に明確に課した義務からも発生する」。
また、EC 条約全体から見た同条約 12 条は、「共同体は関税同盟を基礎と」し「〔域内〕関税
および賦課金の禁止を本質的な内容としている同条約 9〔現運営条約 28〕条の応用と説明であ
り、この 9 条は「共同体の基礎」を定義する EC 条約の〔第一〕編の冒頭に位置する」もので
ある。
そして、
「同条約 12 条の文言は、明確かつ無条件の禁止を内容と」しており、
「これは積極的
義務ではなく、消極的義務である」が、「この実施は、構成諸国の立法的介入をなんら必要と」
せず、
「構成国と国民との法的関係において直接効果を発生させるのに理想的に適している」と
いうことができるから、
「同条において消極的義務に服するのが構成国であるからといって、構
成諸国の国民が当該義務からの恩恵を得られないということにはならない。」
さらに、EC 条約 169・170〔現運営条約 258・259〕条は、欧州委員会と構成国が義務不履行構
成国を欧州司法裁判所に訴えることができるとしているが、
「個々人が、必要な場合、国内裁判
所において当該義務を主張できないということを意味するわけではない」
。
よって、
「EC 条約の精神、全体の構成、および文言からして、同条約 12 条は、直接効果を発
生し、国内裁判所が保護しなければならない個人の権利を創設するもの」である。
Ⅲ 検討
1 本件の意義
本件は、EC 条約の規定について、「それが明確かつ無条件の実体内容で、構成国における実
施措置を要しないものであれば、構成国内に直接の法的効果を及ぼし、国内裁判所で保護され
る権利を個人に発生させる効果をもつ」とした3。すなわち、EC 条約に直接効果を認めたとい
うことができる。
本件では、EC 条約が構成国に課している消極的義務から直接効果が生じるとしているが、以
後の事案で、構成国の積極的義務からも直接効果が生じることを認めている。また、EC 条約の
みならず、EC 指令においても一部で直接効果が生じることを認めている等、本件は後に様々な
影響を与えている。
通常の国際条約では、直接効果が生ずる場面はごく限られているが、本件では、
「この条約の
目的は、当該条約が締約国間相互に義務を生じさせるだけの合意を超えたものであることを示
3
中村、須網・前掲書(注 1)7 頁。
2
唆している」こと、欧州司法裁判所の任務から「国内の裁判所および審判所において構成国の
国民が行使できる権威を共同体法が持つことを構成諸国が認めたこと」から、
「〔欧州経済〕共
同体は国際法の新しい法秩序を構築する」として、EC 条約は直接効果を有するとしている4。
本件に対しては、直接効果を否定すべきであるという学説も有力であった。その理由として
は、①オランダ、ベルギー、ドイツの三カ国は共通して EC 条約規定に直接効果を認めること
を完全に否定していたこと、②同条文中には国内法に組み入れることを明確に意図した規定が
ある一方で、内容と文脈からして、構成国の義務を規定するに止まり、直接的な国内効果を意
図していないと解釈される条文も少なくないこと、③争われた同条約 12 条は、構成国に義務を
課すことを明確に意図した他の条文と同様に構成国の義務を定めるに止まり、直接的な国内効
果を示唆する文言は全く含んでいないし、規定の内容から見ても、同条を適用することには多
くの実務的な困難が伴うこと、④国際条約と国内法との優劣関係は、各構成国において扱いが
一様ではなく、すべての構成国で国際条約の優位が認められているわけではないから、起草者
らが EC 条約の直接適用を意図していたとは考えられないこと、といった点があげられる。
また、EC を、「主権的国家の平等原則を基盤とする政府中心の組織秩序をもつ『政府間協力
型……』の法秩序として」理解する余地もあったといえる5。その理由は、①EC 条約は国際条
約であること、②EC 条約全体を総合的にみると、構成国政府が EC 形成・運営の両面での中心
的な主体であって、在来の政府間協力型の国際組織と共通する部分が多いこと、③「EC 自らが
構成国の立法権を排除してまで自律的に立法できるのは、設立条項にもとづく派生的な立法事
項のうち、EC 判例が『排他的権限』と呼ぶ事項だけであ」り、
「本件裁定にいう『主権的権利』
という用語は誇張であって、基本法規の定立権力を含む『主権』という概念よりもはるかに狭
い派生法規の立法権限を示す概念が使われるべきであった」ことにある6。
このような見解も有力に存在しながらも、本件では EC 法の直接効果を認めた。その真の意
義は、
「EC の『共同市場』形成を通した『ヨーロッパの人々の連合』(EC 条約前文)の行方に
ついて、法的なヴィジョン(憲法像)を示した」ことにある7。すなわち、
「EC と各構成国の国
民との間に直接の法的かつ政治的関係がある―人々が欧州議会・経済社会評議会を通して EC
統治へ参加し、また EC 法の適用など EC 統治を直接に受ける関係に立つ―共同体制度である点
を強調し、それゆえ各国が EC との関係で『主権的権利を制限』し、それと同時に EC は、一定
の事項範囲について各国から独立した『主権的権利』をもつ『新しい法秩序』として成立する
という法制度秩序像を提示した」ものといえる8。
そして、欧州司法裁判所は、
「国家の権限を法的に制限して越境的共同組織自体に独自の決定
権限を認め、構成国家と国民をも直接に拘束するような『超国家型……』の法秩序として理解
する」というものを選択した9。これは「憲法想像に近い、憲法原理の発見作業であった」と評
価することができる10。ただ、
「本件先決裁定を、司法的判断の領域を踏み越え、立法行為(つ
なお、
「EC 法の直接効果の起源は、国際条約の自動執行性〔すなわち、
「当該条約が国内法上の問題について内容が明確で
国の裁量の余地がないような規定をおいている」ものであり、
「このような条件を備えて直接適用が可能な条約」であること
〈松井芳郎ほか著『国際法〔第 5 版〕』
〔有斐閣、2007 年〕20 頁〉
〕に求められる」が、本件では、①「EC 条約規定の直接効
果の有無は EC 法の解釈として公権的に一元的に判断されると」していること、②EC 法にいう直接効果は、国際条約の自動
執行性の意味〔個人に権利義務を創設する効果を持つことはないということ〕とは異なり、
「各国法秩序において個人に権利
義務を直接に創設する効果」を有するとしていること、③EC 法の直接効果は、国内的実施に際して国内立法の有無とは無関
係に発生することから、国際条約の自動執行性と直接効果を区別していると考えられるとの指摘がある(中村、須網・前掲
書〔注 1〕7~8 頁)。
5
中村、須網・前掲書(注 1)11 頁。
6
中村、須網・前掲書(注 1)11 頁。
7
中村、須網・前掲書(注 1)10 頁。
8
中村、須網・前掲書(注 1)10 頁。
9
中村、須網・前掲書(注 1)11 頁。
10
中村、須網・前掲書(注 1)11 頁。
4
3
まり EC 条約の実質的な改正)に及んだと評価するのは行き過ぎであ」ろうとの指摘がある11。
本件裁定からは、直接効果が認められるためには 2 つの要件が必要であるということが読み
取れる。すなわち、①「EC 条約の精神、全体の構成、および文言」がどのようなものであるか、
②当該規定が「明確かつ無条件」なものであるかどうか、である。この点について、EC 条約の
みならず、その派生法である EC 指令等にも妥当し、それらも直接効果を有する場面が存在す
るのではないだろうか12。以下ではこの点について検討する。
2 関連事項に関する事案の紹介
(1) EC 条約の水平的関係における直接効果について―ドゥフレンヌ(第二)事件―
Case 43/75, Defrenne v. Societe Anonyme Belge de Navigation Aerienne (SABENA) [1976] ECR455 (Defrenne Ⅱ)
(a) 事実の概要
原告の女性は、被告(ベルギーの民間航空会社サベナ航空)の客室乗務員であったが、同一
労働の男性よりも賃金が低かった。そこで男性の賃金との差額分の支払を被告に訴求した。当
時の EC 条約 119 条〔現運営条約 157〕は、「構成諸国は、同一労働に対して男女が同一賃金を
受けるという原則の適用を、
〔共同市場の完成までの各 4 年三段階にわたる過渡期のうちの〕第
一段階〔1961 年末まで〕において確保し、かつ、それ以後も維持するものとする」と定めてい
た。しかし、当時ベルギーには EC 条約 119 条を国内法として承認する勅令しかなかった。そ
こで原告は EC 条約 119 条を直接の請求根拠にしてベルギーの裁判所に出訴した。主たる争点
は、EC 条約 119 条に直接効果が、特に私人間の法的関係にも認められるかであり、ベルギーの
裁判所は欧州司法裁判所に先決裁定を求めた。
(b) 先決裁定要旨
「119〔現運営条約 157〕条の直接効果の問題は、同一賃金の性質、同条の目的ならびに EEC
条約全体の体系における同条の一に照らして考察しなければならない。」
119 条は、
「同一賃金原則を実施した諸国の企業が、女性労働者の賃金差別を除去していない
諸国の企業に比べて、EC 内での競争上の不利をこうむらないようにするという目的」と、
「共
同行動を通して社会的進歩を確保し EC 内の人々の生活と労働の水準の持続的な向上」を目的
としているが、この 2 つの目的は社会政策の章に置かれており、
「同一賃金原則が EC の基礎を
なす部分であることを示している。」
119 条の規定の実施においてはその適用領域が区別されなければならず、
「直接的かつ歴然と
した差別」は「119 条に定める同一労働同一賃金の基準だけから差別が認定できる」が、
「間接
的かつ偽装された差別」は「EC または各国のいっそう明確な実施規定に照らさなければ差別が
認定できない。」しかし、「119 条に定める基準に照らすだけで認定できる直接的差別の形態と
しては、
……事実関係の純粋な法的分析から認定できるものなどがあ」り、「とくにこれが妥当
するのは、公的部門であれ民間部門であれ、男女が同一の事業者又は役務のもとで同一労働に
対して不平等の賃金を受けている場合である」。このような場合には、「裁判所は、女性労働者
が同一職務を行う男性労働者より低い賃金を受けているかどうかを判断するために必要なあら
ゆる事実を認定できる立場にある」。また、119 条は、「一定期間内に具体的な結果が強行的に
達成されるよう行動する義務を構成諸国に課している」ものであり、
「単に構成国の立法部の権
限に委ねただけの規定」ではない。よって、
「少なくとも、このような場合には、119 条は直接
適用可能であり、ゆえに個人に権利を生じさせるのであって、裁判所はこれを保護しなければ
ならない。」
11
12
中村、須網・前掲書(注 1)11 頁。
庄司克宏『EU 法基礎編』(岩波書店、2003 年)122 頁。
4
(2)
EC 指令の水平的関係における直接効果について―マーシャル(第二)事件―
Case 152/84, Marshall v. Southampton and South-West Hampshire Area Health Authority [1986] ECR 723.
(a) 事実の概要
原告の女性は、被告(国の機関である地域保健局)が運営する病院の栄養士であった。被告
は女性 60 歳、男性 65 歳の定年退職制をとっていたため、原告は男性よりも早い退職を強いら
れた。この定年は、イギリスの公的年金の受給開始年齢(女性 60 歳、男性 65 歳)に対応して
いた。原告は、本件定年制度が違法な性差別であると主張し、被告に対して 65 歳までの勤務が
あれば得たであろう収入の賠償等を、イギリスの 1975 年性差別禁止法 13と EC 平等待遇指令
76/207 号14にもとづいて請求した。
そこで被告は、本件退職制度がイギリス法上は性差別禁止法の例外規定に該当するので違法
ではないと抗弁し、また EC 法上も、本件の定年制度は公的年金制度の受給開始年齢に連動し
ているので、EC 平等待遇指令の対象外であり、かつ EC 社会保障指令もこれを許容するので違
法ではないと主張した。
一審(労働審判所)は原告を勝訴させたが、二審(労働上訴審判所)は逆転敗訴とし、三審
(控訴院)は、イギリス法について被告の抗弁を容れ、原告が勝訴できるとすれば EC 指令を
根拠とした主張だけであると判断した。そこで欧州司法裁判所に次の二つの先決問題を付託し
た。主な争点は、①本件の定年退職制度は EC 平等待遇指令 5 条の男女平等待遇原則に反する
ものか、②原告は被告に対する請求において EC 平等待遇指令 5 条を直接に根拠にできるかで
ある15。
(b) 先決裁定要旨
争点①について、本件は年金の受給開始年齢の別扱いを争った事案ではなく、解雇の男女年
齢区別を争った事案であるから、EC 平等待遇指令 5 条が適用される事案である。
争点②について、
「構成国が指令を所定期限までに国内法において実施していないか性格には
実施していない時、指令の規定が、対象となる問題に関する限り、無条件かつ十分に明確であ
るときは、当該規定を私人は国に対する主張の根拠にすることができる」が、
「各国の裁判所で
指令を主張の根拠にできるのは指令の拘束的な性質ゆえであるが、この拘束的な性質は EC 条
約 189〔現運営条約 288〕条によれば『名宛人たる各構成国』との関係でしか存在して」おらず、
「指令そのものは私人に対して義務を課すことはできない」。
本件については、本件被告は国の機関と扱って指令の規定を根拠とした主張を認めるとし、
当該規定は「十分に明確かつ無条件で」あることから、当該規定に「適合しない各国法の規定
の適用を阻止するために、私人が各国の裁判所において主張の根拠とすることができる」。
本件性差別禁止法は、原則として性別による労働条件の区別を違法として禁止していたが、
「退職に関する定め」の男女別
扱いを例外として認めていた(同法 6 条 4 項)
。
14
本件 EC 平等待遇指令は「解雇の条件を含めた労働条件」について男女労働者の平等待遇の保障を構成国に命じていた(同
指令 5 条 1 項)
。もっとも、EC 平等待遇指令は社会保障制度に関する平等待遇を対象外とし(同指令1 条 2 項)
、その点は
EC 社会保障指令 79/7 号が別途扱ったが、そこでも社会保障給付の受給開始年齢については男女別扱いの例外を認めていた
(社会保障指令 7 条 1 項)
。
13
15
特に②が争点となったのは、本件の被告が公権力行使にはかかわらない国の機関であって、雇用契約関係においては民間
企業と同視されるため、本件での直接効果の有無の問いは、指令が私人対私人の水平関係においても直接効果を持つのかと
いう見解決の論点に実質近かったからである。当時までの先例は、私人が国を訴える垂直関係において指令に直接効果を認
めたものであった。本件で指令の水平的効果の有無が正面から問われた。
5
(3)
国内法の EC 法適合解釈義務の有無について―マーリーシング事件―
Case C-106/89, Marleasing SA v. La Comercial Internacional de Alimentacion SA [1990] ECR I-4135.
(a) 事実の概要
スペイン・ポルトガルと締結された EC 加盟条約は、両国が加盟時までに既存の EC 指令を国
内的に実施すべきことを規定していた。そのことから、スペインは EC 加盟に伴い、
「会社法第
一次指令(指令 68/151 号)」16の内容に従った法改正を企図したが、改正法の発効は 1990 年 1
月であり、それまでは従来の法17が適用されていた。本件の原訴訟は、EC 加盟後で指令の実施
措置発効以前という間隙に、国内裁判所に提起された訴訟である。
さて原訴訟の原告であるマーリーシング社は、1987 年 9 月、スペインの国内裁判所に訴訟を
提起し、
「原因の欠如」を理由に、被告ラ・コメルシアル社の設立無効を求めた。原告会社によ
る主張の中心は、被告会社は、1987 年 4 月に、実質的にバルヴィエサ社(以下、訴外会社とい
う)によって設立された公開有限会社であるところ、被告会社の設立は、訴外会社の資産を、
訴外会社の債権者(原告を含む)の追及から隠匿する目的でなされたものであるということに
あった。訴外会社は、被告会社の設立発起人の一人として、自己の資産を被告会社に現物出資
したものであり、原告会社は、従来のスペイン民法を根拠に、発起人間の設立契約は見せかけ
だけの取引で、訴外会社の債権者を欺くためになされたこと、さらに訴外会社の設立手段は、
「原因を欠きまたは原因が違法」であることを理由に、被告会社設立の無効を主張した。原告
会社の主張は、従来のスペイン法によれば十分に成り立つ主張であったが、これに対して被告
会社は、指令 11 条の無効事由には、「原因の欠如」は含まれていないと反論して争い、国内裁
判所は、欧州司法裁判所の先決裁定を求めるに至った。
本件の争点は、①第一次指令 11 条は直接適用可能であるかどうか、②同条の規定する理由以
外の理由による公開有限会社の設立無効は排除されるのか否かであった。
(b) 先決裁定要旨
争点①、すなわち「指令の水平的直接効果」の是非について、指令は、それ自体として個人
に義務を課すことはできず、したがって、個人に対する関係で、指令の規定それ自体に依拠す
ることはできない。
争点②について、国内裁判所が先決裁定手続により実質的に求めているのは、
「会社法第一次
指令 11 条に列挙された理由以外の理由で、公開有限会社の設立無効を宣言しないように、指令
の文言・目的に照らして国内法を解釈することを求められるか否か」であるが、
「指令の求める
結果を達成するという指令から生じる構成国の義務と、当該指令の義務履行を確保するために
あらゆる一般的又は特定的な適切な措置を取るという構成国の EC 条約 5 条〔現 EU 条約 4 条 3
項〕による義務は、構成国のあらゆる機関を拘束し、その管轄内の事項については、裁判所も
拘束する」ことから、
「国内法の適用に際して、当該国内法規定が制定されたのが指令以前であ
るか以後であるかを問わず、国内法の解釈を求められた国内裁判所は、可能な限り、指令の追
及する結果を達成し、それによって EC 条約 189〔現運営条約 288〕条 3 項に従うために、指令
の文言及び目的に照らして、国内法を解釈しなければならない」。よって、
「国内法を指令 11 条
に従って解釈しなければならない義務からして、公開有限会社に関連する国内法規定の解釈と
して、有限公開会社の設立無効が当該指令 11 条に限定列挙された以外の理由で命じられるよう
な解釈は排除されることになる」
。
第一次指令は、会社構成員及び会社と取引する第三者の保護に関する構成国法の調和を目的とし、構成国会社法による会
社設立の無効事由を、同条に限定列挙された一定の理由に制限していた(指令11 条)。
17
スペイン公開有限会社法は、設立無効事由を規定せず、無効理由は民法の一般条項によると解釈されていた。そしてスペ
イン民法は、債務に「原因」が存在することを契約の有効要件とし、
「原因を欠く契約又は原因が違法である契約」は効力を
生じないと規定していた(同 1261 条・ 1275 条)
。
16
6
3 各事案の検討
(1)ドゥフレンヌ事件について
ドゥフレンヌ事件では、EC 条約が水平的関係においても直接効果を有するかが争われたが、
欧州司法裁判所は直接効果があると判断した。
その理由として、前述(Ⅲ-1、本稿 4 頁)の要件のうち①については、119 条の規定が社
会的経済的な目的を有しており、かつ、社会政策の章におかれていることから、
「同一賃金原則
が EC の基礎をなす部分である」として充足するとしたものであろう。また、②については、
明確であるか否かという点では、直接差別であれば「事実関係の純粋な法的分析から認定でき
る」としており、無条件であるか否かについては、119 条の強行法規的性質から肯定したもの
と考えられる。
すなわち、前述の2つの要件を充足していることから、水平的関係においても EC 条約が直
接効果を有すると判断したものと考えられる。
(2)マーシャル事件について
マーシャル事件では、EC 指令が水平的関係において直接効果を有するかが争われたが、欧州
司法裁判所は EC 指令には直接効果がないと判断した。
その理由としては、以下のことが考えられる。まず、本件指令が前述要件②の「明確かつ無
条件」であれば私人は国に対する主張の根拠とすることができるとしている。そのことから、
垂直的関係においては EC 指令が直接効果を有するものと考えられる。しかし、EC 指令の拘束
的な性質は「名宛人たる各構成国」との関係でしか存在せず(EC 条約 189 条)
、私人間では主
張の根拠とすることができないとしている。すなわち、EC 条約の文言を考慮すると、前述要件
①を満たすことがないから、水平的関係における直接効果を否定したものと考えられる18。
(3)マーリーシング事件について
マーリーシング事件では、前述マーシャル事件を踏まえて、EC 指令が水平的関係において直
接効果を有さないのであれば、他の方法によって何かしらの効力を私人間に与えることがある
のか否かが主たる争点となったといえる。
これについて欧州司法裁判所は、EC 指令は「構成国のあらゆる機関を拘束」するものであり、
この機関の中には国内裁判所も含まれるとした。そして、国内裁判所が国内法を適用する場合、
可能な限り EC 指令に適合するように解釈しなければならない義務があるとした。
これは、EC 指令の直接効果の欠如を補完することを意図したものであるということができ19、
国内法を EC 指令に適合するよう解釈することにより、結果的に指令の求める結果が間接的に
達成されるということができる。そのことから、EC 指令には直接効果はないが、間接効果があ
るということができる。
Ⅳ むすびに
結びにかえて、本稿のまとめと簡単な私見を述べる。
本件(ファン・ヘント・ロース事件)で欧州司法裁判所は、2 つの要件(すなわち①「EC 条
約の精神、全体の構成、および文言」がどのようなものであるか、②当該規定が「明確かつ無
条件」なものであるか)を充足すれば、EC 条約が直接効果を有することを認めた。通常の国際
もっともマーシャル事件においては、被告について国概念を広く解釈し、EC 指令を請求の直接の根拠とすることができる
としている。
19
中村、須網・前掲書(注 1)63 頁。
18
7
条約であれば、直接効果は有さないと考えられる。また、通常の国際条約における自動執行性
から EC 法を把握することも可能であったといえる。しかし本件では、あえて国際条約の自動
執行性と直接効果を区別し、EC 条約は国際条約の自動執行性よりも効力の強い直接効果を有す
るとしている。この判断によって、「EC 域内の個人は国内訴訟を通じて直接効果がある EC 法
規の実施を各国で強制できるようになり、EC 法規の実効性は飛躍的に高まった」ということが
できるし、また、「その結果、EC の長期目標である共同市場の形成がいっそう確実に推進され
ることになり、EC と構成国、両法秩序の融合も徐々に進んだ」ということができるであろう20。
ただ、本件のような判断に疑問がないわけではない。まず、条約締結国自身が直接効果を否
定しているのに、その条約から直接効果を導き出すということは、非常に不自然であるといえ
るだろう。また、国際条約と国内法の関係(位置づけ)は国によってまちまちであるにもかか
わらず、EC 条約であるからということで国内法よりも上位であるとするには無理がある。
しかし、欧州司法裁判所がヨーロッパ統合という大きな目標を成し遂げるために、EC 条約に
直接効果を認めた意義は大きいといえるだろう。
このような本件の判断は、後の事例にも大きな影響を与えている。後の事例では、本件で用
いられた 2 つの要件によって直接効力の有無を判断しており、この判断方法は定着したといえ
る。また、直接効力が認められない場合(前述マーリーシング事件など)であっても、適合解
釈義務によって間接効果を認めており、直接効果が及ばない部分を補完しようとしているとい
える。
しかし、間接効果については、あくまで「可能な限り」適合解釈する義務を負うとされてお
り、直接効果と同じ効果を発生させることはできず、また、各構成国に若干の裁量は残される
ことになるだろう。
ただ、いずれにしても、このような判断がなされることによって、EC の影響力は非常に大き
なものになったということができ、現在の EU が形成される基礎となったことは間違いないで
あろう。
20
中村、須網・前掲書(注 1)7 頁。
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