数学万華鏡

り好きになり,古本屋で 4 年生,5 年生(旧
制)の因数分解の本を買い挑戦したのです。
“世界数学者”万華鏡〔Ⅱ〕
その結果,2 学期には「因数分解クラス 1」
となりました。これが大きな“転機”です。
中学 4 年生のときはすでに数学好きになっ
ていましたが,この学年のときは幾何(図形
の証明)が大好きになり,この頃から「将来
数学者になろう」と考えたのです。
(余談)小学校,中学校時代の同期会がある
と,「君が,大学の数学教授になったのは信
元埼玉大学教授 数学旅行作家 じられない」とよく言われたものです。
仲田紀夫
さて,幾何に興味をもったのは,その後の
かい
勉強で証明だけでなく,次に示す“広い範囲
「まず,隗より始めよ」
からの誕生にあったこと”の発見です。
これは,有名な中国のことわざで,補足す
えん
しょう おう
ると,B.C.2 世紀頃,燕の昭 王が優れた家臣
誕生のきっかけ
かくかい
を集める方法を,部下の知者・郭隗に相談し
・農業,天文,航海
(海図),地図,通商
ゆう ぎ
・絵画,遊戯(一筆描き),賭博
・代数,公理,コンピュータ(C.G.)
・工業,経済 など
たとき,彼が述べた言葉です。
この名言を広く解釈し,今回の“転機”の
話について,「まず私の場合から始めること」
にしましょう。算数・数学が嫌いだった私が
“数学ってスゴイナー”という感動です。
中学 3 年生のとき,夏休みに出された因数分
参考までに,これらから産まれたいろいろ
解が気が重く,
「早く片付けて夏休みの後半を
な幾何を系統図でまとめると,下のようにな
楽しもう」と考えイヤイヤ取りかかりました。 ります。
そのうち基本的な考え方を発見し,すっか
(注)中学生が学ぶ図形学は,ほんの一部です。
幾何学の種類と誕生・発展
測量術
(作図法)
田 畑
初等幾何
B.C.6世紀
ターレス
論理・論証化
何
ルネサンス
代 数
代数幾何学
グラフ
16世紀 デカルト
絵 画
地 図
16世紀 メルカトール
透視図法
(遠近法)
投影図法
18世紀 モンジェ
公 理
画法幾何学
(投影法)
19世紀 ポンスレ
射影幾何学
関数(変換)
20世紀 ヒルベルト
大航海
15世紀
15世紀 ダ・ヴィンチ
座標幾何学
基礎論
法
幾
15世紀
ユークリッド幾何学
非ユークリッド
幾何学
機
技
アイディア
B.C.3世紀
ユークリッド
19世紀 ロバチェフスキー
ボヤイ
リーマン
動
球面幾何学
18世紀
一筆描き
捨象法
18世紀 オイラー
トポロジー
(位相幾何学)
学際化
コンピュータ
20世紀
CG
(コンピュータグラフィックス)
20世紀 クライン
20世紀 ベノワ
20世紀 ルネ・トム
幾何学
フラクタル
(破片)
カタストロフィー
(破局)
1.デカルト(17 世紀,仏)
y
フランス貴族の子と
C
して生まれた彼は,青
年時代“三十年戦争”
A
に参戦しました。ドナ
B
x
ウ河畔で露営中,ウタタ
ネから,
『座標幾何学』のアイディアを得た
といいます。これは図形の性質の証明で,図
形を座標平面にのせ,これを代数的に解決し
ようというものです。(上図例)
彼は哲学者でもあり,「我思
彼は学生時代学んだ図形の研究を,
・収容所の白い壁を紙代わり
・暖房用の消し炭をペン代わり
A'
C
O
B
}としました。
1814 年 9 月に帰国すると,1822 年
C'
A
う,ゆえに我あり」の名言があ
ります。
2.ポンスレ(19 世紀,仏)
ポンスレは,「金の卵を生む学校」とナポ
レオンが言った高等工芸学校(エコール・ポ
リテカル)出身で,ロシア遠征で少尉として
参戦しましたが,フランス軍敗退の折,シン
ガリ部隊になり負傷の上捕虜になりました。
に著書『図形の射影的性質論』を出版
しました。これから,彼は射影幾何学
B'
3.ガウス(19 世紀,独)
(左図例)の創始者といわれています。
4.ハミルトン(19 世紀,英)
“神童”といわ
彼も神童といわれましたが,特に語学に優
れ,小学生時代
れ,10 歳で 15 か国語をマスターしたそうです。
に 1 ∼ 100 の和を
彼はガウスの左の大発見の土台となった
右のアイディア
『複素平面』にも興味をもちましたが,数の
で一瞬に答えを得た話は有名。
彼は若い頃,「文学か数学か」と迷ってい
分野で『四元数』という人工数を創案しまし
た。これは妻といつものように散歩していて,
ましたが,難問の『正十七角形の作図』を解
橋を渡る瞬間,このアイディアがひらめき,
決したとき,自分には数学の才能があると考
忘れないため欄干に書き留め,あとで写しに
え,数学者への道を選んだといいます。
来た,といいます。
(複素数は高Ⅰで習います)
5.ガロア(19 世紀,仏)
6.ソフィー・ジェルマン(18 世紀,仏,女性)
少年時代から数学の才能を示し,難解な本
1789 年バスチーユが陥落し,パリがひどい
をたやすく読破していましたが,青年期にな
混乱の中,彼女は 13 歳でした。良家の娘だった
ると有名学者に送った論文を紛失されたり,
ので,両親は街に出ることを禁じました。退屈
学会で報告される約束を無視されるなどの災
な日々を,父の書庫に入りびたり,手当たり次
難にあい,次第に大人や社会に反感を持つよ
第に本を読んだのですが,ある日『アルキメデ
うになりました。
スの死』
(前編参考)に関する本を読み,
“数学と
やがて,退学,革命参加,投獄,あげくの
果ては恋人問題で決闘をすることに―。
は死ぬことも恐れぬほど熱中できる学問か”と。
以来,数学を夜おそくまで勉強したため,
前夜,友人に宛てた手紙では,「自分が研
健康を心配した親は早々に暖房とランプをと
究中の五次方程式の一般解がないことを有名
りあげましたが,彼女は寝たふりをし,毛布
学者に伝えて欲しい」ということと,
「空が明
をかぶり,ローソクで勉強を続けました。
るくなった,時間がない」という悲痛な文で
当時は論文も男子名で投稿。やがて認めら
終わっています。決闘で 21 歳で倒れました。
れて学位を得たのは,残念ながら死後でした。