27 - 徳永直の会

熊本・徳永直の会会報第27号1992. 1.
第十五回孟宗忌は
命日二月十五日(土)に
昨年は大変動の年であった。今
年も穏やかでは済まされそうにな
い。「日本人サトウ」を忘れぬわ
けにいかぬ。孟宗忌も十五回と連
続してきたのだから、ここらで何
か一歩進めたいものである。全集
刊行の声も小さくなったような気
がする。文庫本もなかなか出ない。
主義とか傾向とかも大事だが、客
観的眼識をもって作品を読むこと
が大切である。徳永作品を、現代
のすぐれた読者層に読み易い状態
で提供すべき時が来ているのであ
る。
日 時一九九二年二月十五日(土)午後二時∼二時三十分
第十五回孟宗忌案内
場 所 立田山登山口 徳永直文学碑前
偲ぶ会 午後三時∼五時 熊本大学教育学部四階
中村研究室 会費五百円
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2
熊本・徳永直の会会報第27号1992. 1.
にごった意識の磨りガラスには
核弾頭の投下がひきおこした
避難所から出て来てはからずも見るのだ
心ゆくまでゲームをやりおえた二人は
死のゲーム
星条旗が飾られた白大理石造りの一部屋
すべてが死に絶えた廃嘘の上に
章雲のひろがる影が
それから地下二十メートルを
木 庭 克 敏
掘りぬいてつ-られた防空壕で
彼等の野心がよびおこした香気楼の
ー熊本大学学園祭で-
第三回徳永直シンポジウム閲かる
虹の様に浮かんでいる光景を
二人の少年はファミコンゲームを闘わせる
上下左右 せわしな-動-指先に
操作されたカーソルは
ブラウン管に浮び上った戦車やミサイル
それに
カービン銃をかまえた歩兵を戴滅する
I九九1年十1月二日、熊本大学教養部
教室において、第三回徳永直シンポジウムは、「今'﹃日本人サト
前号で予告したようにt
ウ﹄をどう読むか」と題して、司会中村青史'報告者吉江研也氏、
散を必ず皆殺しにしようとする意図は
画面に映る敵要塞の
たので'徳永直ゆかりの黒髪'坪井界隈の文学散歩も予定通り行い
気はかなり盛り上がって来た。シンポジウム終了後'天気もよかっ
セージを読み上げ、古江研也氏の内容充実の報告を聞-うちに雰囲
がたい.それでも、宮城の佐藤三千夫顕〟要吉の金野文彦氏からのメッ
事に裏切られた。開始時間をずらしたが空しい気分はいかんともし
な反響を呼ぶであろう、報道関係者も来るであろうとの予想は'見
参加者二〇名余で開かれた。時が時だけに、時事問題としても大き
どんな隙間からもしのびこみ
作戦を指令するコンピューター室に
焦点をむすんで
対象物を破壊しないではおかない
ゲームの没頭が強迫観念を生み出すから
神経の過度の集中は
良識の堤防をつき崩さずにはおかない
熊本・徳永直の会会報第27号1992. 1.
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そのあと数名は懇談会飲して解散した。
と﹃人民文学﹄のこと。徳永は
の分裂」のことO ﹃新日本萱
委員会における主流派と国際派
擁護、干渉戦争反対の闘い」を無にしてはならないこと。また'
いわゆる主流派であったこと。
金野氏のメッセージは'「佐藤三千夫が一命をかけたロシア革命
「二十世紀最後の十年の地点に立つ我々は'徳永直以上に重い課題
中野重治や佐多稲子との関係も
十二歳という青年なのに、それを五十歳の作者がこえられぬふがい
発言「短編﹃日本人サトウ﹄は精魂かたむけた。対象のサトウは二
兵についての、歴史的明解な説
あったが'何よりもシベリア出
司会者が喋り過ぎたきらいが
あったことなど語られた。
を背負っている」などと訴えた。
なさを'このときはど感じたことはなかった。人間が時代の革命現
ことに詳しいメンバーを用意出
明がなされなかったこと'その
古江氏は報告の中で'徳永直自身の「日本人サトウ」についての
時のたかさ'といったもの
来なかったことの失敗は歴然と
象のなかに魂を発揚させる
は年齢などにかかわらぬ恐
していた会であった。
藤掛氏は、かつての東宝争議で退職された方である。このたび東
1藤掛哲夫氏の資料から-
東宝争議と徳永直
ろしいものだ、とつくづく
思った」を紹介し、また、
平野謙の﹃現代日本文学全
集73﹄講談社版解説をとり
あげ'その評価が当を得て
「日本人サトウ」に関する、
宝争議と徳永直のかかわりを証す資料を提供された。「東宝第四次
いることを述べ、その他'
細大もらさず'あらゆる角
日本映画演劇労働組合東宝支部撮影所分会・教育宣伝部」 「﹃女の
一生﹄宣伝資料」 「﹃母なれば女なれば﹄チラシ」それに次に紹介
争議l三六日をわれわれはかく斗った。一九五〇年十二月三〇日'
参会者の井上栄次氏は、
する「声明書」がある。「女の一生」は原作「ひとりだち」、「母
度からの資料を提供して'
いわゆる五十年問題につい
なれば女なれば」の原作は「あぶあら照り」である。
それに解説を加えた。
ての質問に対して'「中央
声 明 書
戦争の危機が更に激しく我々に押しかぶさって来ようとするとき'
我々は七ケ月に亘った大量首切りに対する闘争をここに一応妥結す
る。
この闘いは'幾多の弾圧と'苦難の中で進められたが'我々は多
くの問題を残して妥結しなければならなかったことを深く反省して
事務局だより
△ 命日に孟宗忌がやれるのは何年ぶりであろうか。この日が本当
は一番いいのだと、落ち着いた気持ちになる。二月十五日という
と横井小楠の命日もこの日である。旧暦の一月五日だったが、太
陽暦に換算するとそうなるのだそうだ。個人的なことだが'午前
は小橋祭、午後は孟宗忌と'二月十五日は充実した忙しさがある。
△ 藤掛哲夫氏から寄せられた資料は貴重なもので、次号でも紹介
39,140
だが、我々の映画製作を続けて行-足がかりと、二十数名の再雇
徳永直シンポジウム経費
いる。
していくつもりである。
△ 世界の政治状況も随分変わったのだから、このあたりで徳永直
「日本人サトウ」印刷代
用と、実質的な「赤追放」の撤回を獲得した。この成果と'「さけ
わだつみの声」の勝利'民族映画の製作促進のたゆまなき広汎な闘
の作品を小・中・高の国語の教科書に使いたいものだ。熊本県同
送料 6,200
いは、明日の闘いへ発展する基盤となりうることを確信する。
和教育研究協議会編の「きずな」には'すでに使用されているの
収入合計 46 ,424
支配階級の植民地政策と、アメリカ映画の怒涛の如き氾濫の中に'
だが'現場で果たしてどの-らい実践されているのか。副読本は
支出
日本映画は、未だに、国籍不明のエログロに浮身をやつし、再び、
会報26号 14 ,420
どうしても弱い。教材にできる作品を'各教科書会社の編集委員
預金利子 1 ,424
然し'「戟争と平和」 「女の一生」 「暴力の街」 「また逢う日ま
小沢 晴様)
大本営映画への転落を開始している。
寄付 38,000
に送り付けることでもしょうか。
(大野たつめ様、首藤直一郎様
満田郁夫様、丸山幸子様
で」を作った我々は、日本人が作る日本の映画を製作する光栄ある
「[】本人サトウ」売上金7,000
親愛なる労働者'農民、市民、そして学生諸君。我々は'我々の
収入
「
印刷所 ㈱昭和印刷 三四四1五二五二
〒㈲熊本市黒髪町ニー四〇⊥ 熊本大学教育学部中村研究室
会計報告
任務を'如何なる弾圧にも屈せず、遂行して行-ことを誓う。
勝利の記録が'我々の力だけで書かれるものとは考えない。全世界
の平和を愛する人々と共に、不断の闘いを押し進めることこそが'
我々は'今、争議を妥結するに当り'更に深い友情をこめて、輝
やがて>確乎不抜の勝利をもたらすものであることを知っている。
かしい未来へ前進する挨拶を贈る。
★ 日本映画の革命的発展のために/
★ 世界平和と民族独立のために/
★ 全人民の幸福のために/
1991.・16.15-1992.1.31
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