7.大川 念仏 踊 9.十三仏 笠 塔婆 10. - まんのう町の文化財

もくぞう ぼ さ つ りゅうぞう
けんぽんちゃくしょく あ
6.木造菩薩 立 像
も
丸く短い面相に穏やかな目鼻を巧みに刻み、裳の折
り返し部分が浅く柔らかに彫り出される等、この時代の
だいせんねんぶつおどり
隔年の8月末頃、加茂神社等に奉納
される。踊は小踊6人、大踊6人とも、
艶やかな振袖姿に女装した男子が
行うのが特徴で、踊の縁起主である
綾子を美しく象徴したものであると考
まんのういけ ひ も ん
旧暦の6月中旬、大川神社等に奉納され
る。他地域の念仏踊では大人が担当する
なかおどり
中踊 を、子どもが主として担い、大人が
補佐することが特徴である。県内の念仏
たきのみや
踊の大半が、滝 宮 へ赴き奉納を行うのに
対し、主に、古くから雨乞い信仰を集めて
いる大川神社への奉納を行っている。
さぬき市の軒 原庄蔵 によって、明治2年に
建設された、日本最大の農業用ため池であ
こうこう
は く せき
樋の抗口周りには五角形の迫石を用い、石
そでかべ
ちゅうとう
こうもん
造のコーニス・袖壁 ・柱頭 付端柱で抗門 を
飾る。樋門は間口 3.5m、高さ 4.2mで、底樋
管の全長は 197mである。
し げ た け じゅうたくしゅおく
かわおく
盛で、川奥集落の主としてその威容を誇っている。
じゅうさんぶつかさ と う ば
3.重田家 住 宅 主屋他 5 件
文様が見事。脇侍が上下に描かれ、動きを感じ
こうはい
ち おんいん
させる。光背 の火炎は天台宗系知 恩院 派の画
風を思わせる。大きさは縦 149 ㎝、横 69 ㎝。
み だ にょらいぞう
こんごうじ い ぶ つ
19.金剛寺遺物
きょう づつ
かがえる。保存状態の良い鉄製経 筒 1点、陶
がい よ う き
え も ん
こうあんじ は い じ い ぶ つ
20.弘安寺廃寺遺物
弘安寺廃寺から出土した、飛鳥時代後半
~奈良時代の瓦。軒丸瓦は、徳島県美
室町時代の作。頭を丸めた通形の地蔵菩薩
で、ふくよかな頬をもつ面相は、慈悲の相を
巧みに表している。衣紋も繊細な彫技によっ
て造形され、特に腹前の表現は見事であ
ひのきざい よ せ ぎ づ く り
ふた
製経筒外 容器 9点、陶製経筒外容器蓋 9点、
銅鏡1点が指定。
い絹本に載金を使い、衣紋の模様を繊細に表現し
ている。大きさは縦 69.7 ㎝、横 32.6 ㎝。
こうざと は い じ
どうはん
馬市の郡里廃寺等と同笵である。飛鳥時
代後半の瓦が、これほど多く出土する寺
院跡は、県内でも稀であり、讃岐国の古
代寺院の変遷を考える上で貴重な資料と
なっている。
そ ぼ く
る。桧 材 寄木造の素木の像で、眼には玉が
入れられている。像高は 77.5 ㎝。
もくぞう や く し にょらい ざ ぞ う
9.十 三 仏 笠塔婆
金剛寺裏山の経塚群から出土した 12 世紀前
半~13 世紀前半の遺物。この地において、100
年の長きに渡り、連綿と経塚が造られた事がう
四十八条の光明を背負った阿弥陀如来の像容や
絹の状態等から見て、室町時代後期の天文年間頃
に描かれたものと考えられるが、明確な制作年代は
不明。後世の補彩が認められるが、比較的目の荒
14.木造地蔵菩薩 立 像
土器川上流の杉王神社境内にそびえるスギの巨
木。高さは約 50m、幹の太さは 9.28m。県下最大の
杉で、その樹齢は推定 800 年以上。現在は埋まって
いるが、幹の下部には大空洞があり、子どもが 25 人
も入って遊ぶことができたと伝わる。樹勢はとても旺
そこひずいどう
る満濃池の底樋隧道 とその出口である。底
き り かね
もくぞう じ ぞ う ぼ さ つ りゅうぞう
すぎおうじんじゃ
8.杉王神社のスギ
の き はらしょうぞう
も
13.絹 本 著 色 阿弥陀如来像
ふ り ゅ う おどり
2.満濃池樋門
の う え
尊の納衣や裳の部分に使われた、細かい截 金
けんぽんちゃくしょく あ
7.大川念仏 踊
えられる。風流 踊 と総称される踊の
一つであり、近世初期の女歌舞伎の
面影を色濃く伝えるものである。
安造田東三号墳は6世紀後半~7世紀
前半の横穴式石室を持つ古墳で、県下
では珍しい遺物を含め、多彩な副葬品
が出土した。中でも、美しい模様のモザ
イクガラス玉は、最大径 1.45 ㎝で、2~4
世紀頃の黒海周辺で製作されたものと
考えられ、国内では他に発見例がない。
鎌倉時代末期の作。阿弥陀如来が観音・勢至
の二菩薩を伴って来迎する様子が描かれる。三
わき じ
ひのきざい よ せ ぎ づ く り
代表的な作風といえる。桧 材 寄木造で像表面には金
箔を漆で貼った痕跡があり、眼は彫り込まれている。
像高は 101 ㎝。
あ や こ おどり
そ だ ひがしさんごうふん い ぶ つ
18.安造田 東 三 号 墳 遺物
せ い し
もとどり
藤原時代の作とされる。 髻 は高めに形よく整えられ、
1.綾子 踊
あ
み だ さんぞんぞう
12.絹 本 著 色 阿弥陀三尊像
み し ま じんじゃ ゆ たて か ぐ ら
15.木造薬師如来坐像
21.三島神社湯立神楽
明治 20 年に築造された、木造平屋建て
よせむねづくり かやぶき
住宅。寄棟造 茅葺 の上を金属板で覆っ
し じ ょ う ほんむら
た主屋根の周囲に、 庇 屋根をめぐらせる
し ほ う ふたづくり
めいぶん
四方蓋造。他に取合廊下、長屋門、土塀
いっけつ しゅう
及び石垣擁壁 、道具蔵及び雪隠 、米蔵
の5件が同時に登録されており、明治初
期の上層農家の屋敷構えを今に伝える。
なかでら は い じ あと
こ ん ご う か い だいにちにょらい
ぼん じ
たいぞう
側に胎蔵界大日如来を表す梵字が彫られている。
あしどう
だいせんざん
にしはりまさん
寺との関係も推測される。西播磨産
す
え
き た こ う へい
こ み っ きょうほう ぐ
須恵器多口 瓶 や古密教法 具 等、珍
しい遺物も多数出土している。
あまがわじんじゃしゃそう
あこうぼくそう
り、亜高木層 や低木層にはイヌガシ、
クロバイ、ナンテン等がある。シダ・コケ
類は県下屈指の豊富さを誇る。
いちぼくづくり
材一木造で、像表面には漆で金箔が貼られ、
眼には玉が入れられている。像高は 31 ㎝。
いかま
16.木造薬師如来 立 像
旧阿波街道沿いに建つ素朴なお堂。現在
の茶堂は明治初年の再建で、江戸時代末
い り も や づ く り かやぶき
期の様式を持つ入母屋造茅葺。粉ひき地
蔵が安置され、街道を行き交う金毘羅参り
の 旅 人 が 休 ん だ 。 平 成 16 年 、 地 元 の
し も ぶ け
下福家 自治会によって、屋根の葺き替え
が行われ、建築当時と同じ姿となった。
こ ん ご う じ じゅうさんじゅうとう
土器川沿いに鎮座する、天川神社の
社叢。約3ヘクタールの敷地に約 300
種類の植物が生い茂る。高木層には
樹齢数百年とされるスギの大樹を始め
アカマツ、クスノキ、ツブラジイ等があ
鎌倉時代の作。穏やかな表情の中にも厳しさ
を秘め、力強い彫技がいかにも鎌倉期の様式
を思わせる。納衣全体に繊細優美な載金文
様が施され、華美にして荘厳な像である。桧
もくぞう や く し にょらいりゅうぞう
10.四つ足堂
徳島県との県境近く、大川山の西尾
根に立地する、平安時代の山林寺
院跡。計画的に配置された仏堂跡・
塔跡が存在することから、讃岐国分
5.天川神社社叢
ぞうよ う
表す像容、左側に金剛界大日如来を現す梵字、右
よ
4.中寺廃寺跡
えい しょう
村の一結 衆 によって造立された。正面に十三仏を
せっちん
毎年 10 月 12 日、秋祭の宵宮に湯立神
事で奉納される神楽。拝殿の前に湯棚
を設けて諸神を祀り、神楽が奉納された
後、御祭神、諸神、宮司の順に湯につか
る。その湯は、青笹の葉で参拝者に振舞
われる。湯立行事と伊勢流の神楽、火渡
りの神事が一体化していることが特徴。
ぎょうかいがん
銘文によると、永正16 年(1519 年)9月 21 日、四條
とりあい ろ う か
ようへき
たて や く し
四條本村の立薬師にまつられる凝灰岩製の石塔。
ひさし
室町時代の作。伏し目勝ちで締まった口もと、豊かな
頬と大きな耳、すべてが温雅で健康的である。衣紋
は左右対称に美しく表現される。薬師如来像の多く
や っ こ
てのひら
ほうじゅ
し ほ ん すみがき
やまわき
17.蓮如筆執持鈔 文(紙本墨書)
鎌倉時代後期の石塔。第 10 層までが山門前に
立ち、第 12・13 層が境内にある。県内で現存す
しら み ね じ
る、この時代の十三重塔は、白 峯寺 の3基と金
剛寺の1基のみである。平成 21 年に町指定文
化財となった金剛寺遺物等と伴に、この時代の
仏教文化を知る上での貴重な遺物である。
幹の太さは約 2m、枝の繁った広さは約 3.5m。
樹齢は 200 年以上と推定され、静かな山里に
どっしりとした、たたずまいを持つ。元より、瀬
戸内沿岸ではあまり多くないこともあり、これほ
どまっすぐ伸びたイスノキの大木は、県内では
他に類を見ない。
は左手に薬壺を載せるが、本像は 掌 に小さな宝珠
を載せる。桧材一木造で、像表面には漆で金箔が貼
られ、眼には玉が入れられている。像高は 53 ㎝。
れんにょひつしゅうじしょうぶん
11.金剛寺 十 三 重 塔
22.生間のイスノキ
23.山脇、香川家のツバキ
室町時代の作。本願寺第八世蓮如が「執持鈔」の第
かけふく
二条と第五条の一部を掛幅 にするため、抜き書きし
かくにょ
たもの。「執持鈔」は本願寺第三世覚如によって撰述
された。筆法や蓮如の動静より、晩年の 70 歳以降に
書されたと考えられる。縦 84.2 ㎝、横 37.5 ㎝。同寸の
ものが双幅存在する。
あま ぎ り
戦国時代末期、讃岐天 霧 城主一族が、この
地に住み着き植えた、と言い伝えられる老
木。幹の太さは約 2m、高さは約 3m。一般的
ごしきやえちりつばき
に「五色八重散椿」と呼ばれる種類の木で、4
月始めには、白から真紅までの、様々な色合
いの美しい花が、山里を彩る。
18.安造田東三号墳遺物
2.満濃池樋門
21.三島神社湯立神楽
11.金剛寺十三重塔
16.木造薬師如来立像
9.十三仏笠塔婆
13.絹本著色阿弥陀如来像
17.蓮如筆執持鈔文(紙本墨書)
1.綾子踊
5.天川神社社叢
19.金剛寺遺物
20.弘安寺廃寺遺物
6.木造菩薩立像
15.木造薬師如来坐像
22.生間のイスノキ
14.木造地蔵菩薩立像
4.中寺廃寺跡
7.大川念仏踊
8.杉王神社のスギ
3.重田家住宅主屋他5件
23.山脇、香川家のツバキ
12.絹本著色阿弥陀三尊像
10.四つ足堂