薬師堂【やくしどう】;pdf

薬師堂【やくしどう】
所在地:元町字オミドウ
元町から野増に向かう都道の途中、山側に登ることのできる山道がある。境内はスダジイ
やタブノキで構成された森に囲まれ、参道途中には神木と思われるしめ縄のされた大木があ
る。本尊の薬師如来は人々の病苦を救い、本堂外陣に安置された「おびんずる様」は特に眼
病に霊験あらかたとされている。大島の古文書、天明 9(1789)年・伊豆國大嶋差出帳には当
すうしゃごう
時の大島に崇社合三拾七社とし、そのなかに蔵王権現薬師十二神、新島村、正月四日・五日・
八日の三度祭礼仕来候とある。この蔵王権現薬師十二神が一般に薬師堂または薬師様と呼ば
れ、現在は吉谷神社の飛地境内社とされている。
よたい
この薬師堂では平安時代後期のものとされている仏像が 30余軀発見されている。この仏
か ん ぜ お ん ぼ さ つ りゅうぞう
じ ぞ う ぼ さ つ りゅうぞう
と ばつ び し ゃ も ん て ん りゅうぞう
し て ん の う りゅうぞう
像は観世音菩薩 立 像 、地蔵菩薩 立 像 、兜跋毘沙門天 立 像 、四天王 立 像 4 軀の計 7 軀が東
京都指定文化財に指定された。この仏像発見時に、天文 2(1552)年の木札が発見され、天文
廿一年修薬師供養法木札として東京都指定文化財に指定された。この木札は天文 21(1552)
年 9 月に三原山が噴火した際、噴火の鎮静祈念のため、伊豆下田から沙門が来島し、百座
の薬師如来供養法を修し、般若心境を 1 万巻読み、法華経の経典をすべて写経し祈祷した
ところ噴火が収まったということが書かれている大島最古の文字資料である。