坊守さんだからこその主役 英 れた子どもに今は感謝。聴聞の 智 ﹁ ア ラ・ フ ォ ー﹂、 昨 年 の 新 座は代々継承して前坊守となっ 谷 語・流行語大賞で、四十才前後 た 今 も 努 力 中 で、 ご 門 徒 の 法 西 の女性を指すとか。この語の裏 友・茶友として努めています。 出雲組源光寺 側に今の世相が映るのは私だけ の共感と共有の思いが見えて微 が? 〟〝ごいんげです〟と笑い ながらのお答えの奥に、お二人 草 が 目 に 付 き ま し た。〝 ど な た 寺のあちこちのコーナーに山野 す ね。 私 が 良 く ご 縁 を 頂 い た お 婦で坊守、母親で奥様⋮大変で も 言 い ま す。 家 族 で 寺 族、 主 真宗寺院は坊守さんで持つと ための乗車券を入手するまで三 向かっています。限られた私の 早朝、足跡が一直線に駅方向に 私が学生時代の昭和二十二年 がたい〟と、爺住と婆坊の会話。 と か、〝 お か げ さ ま だ か ら あ り 戴して、〝どっちが貰い上手?〟 で、届けてくださる方の心を頂 ね。時どき頂き物が並んだ食卓 頂き物の多いのもお寺です 笑みを覚えます。小さな気配り 朝も四朝も続く順番待ちの母の でしょうか? でも心和む大きなおもてなしが 姿を思い出し、阿弥陀さんのご 恩徳に気付くとともに、母、坊 でしたか、庭一面真っ白な雪の 演出されます。 今 は 亡 き 私 の 母、 前 坊 守 が、 守の教化が甦る今年の雪の朝で 性があいまい気味の昨今、女 私の妻が坊守時代、よく注意さ 寺 の こ と が 先 〟。 こ の 言 葉 で 子 性であるからこそ、温もりと潤 した。 どもたちは随分犠牲になったも いのあるお寺づくりに主役を。 4 れた言葉は〝自分の事は後、お の、でも良く了解して育ってく 4 4 第11号 山陰教区寺族婦人会連盟 (1) 2009(平成21)年 3 月10日 寺族婦人研修会での一コマ 講師:北島清秀先生 ﹃念仏の声を世界に子や孫に﹄ とってとても大切な言葉でし り。坊守として何をやってきた なんとなく︻アンノン︼と過 た。幼な子を胸に抱いた時のあ という前回のテーマは、子ども ごしておりますことは、本当に のぬくもりが、 ﹃親にならせてい の か、 た だ 慚 愧 す る ば か り で あ い す ま な い こ と で す。﹁ 仏 法 ただいた﹄喜びそのものなので をはぐくみ育てていく私たちに 不思議なご縁で山陰の地に嫁 ひろまれ﹂の宗祖の熱き願いを しょう。けれども、世界中で人 す。 ぎ長い年月が流れました。その 抱 き、 日 々 に 聞 法 を 重 ね つ つ、 間同士の悲しい争いがあり、そ 朝枝恭子 間、教区の方々にお世話になり 来たる宗祖七百五十年大法要を 浜田組金蔵寺 ました事が懐かしく、この度の れによって苦しんでいる人たち にあって、誰もが救われ、自ら が 大 勢 い ま す。 そ の よ う な 現 在 お迎えしたいことです。 窓より秋の風情を楽しみなが ら、光輪寺様に初めて参詣でき すと、その厳しい一言一言にた ました。ご消息を拝読いたしま 息についてのご講義が展開され 穏なれ、仏法ひろまれ﹂のご消 研修は、宗祖の﹁世のなか安 かかれる喜びとで一杯でした。 にご一緒した前坊守様にお目に まいりましたので、当時のこと を機縁に、私は山陰︵浜田︶へ いらっしゃいました。この法要 報恩の感動溢れる御同行が沢山 ﹁ 七 百 年 大 法 要 ﹂ 勤 修 当 時、 ご 要をお迎えします。五十年前の 二年後、宗祖七百五十年大法 なされたことでしょうか、と⋮。 聞くことができない私たち坊守 多忙でゆっくりと座ってお話を 研修会が開かれました。普段は を会所として山陰教区寺族婦人 清秀師をご講師とし、光輪寺様 この度、乗光寺ご住職の北島 ンとする私たち全員の願いで ﹃世界はみな同朋﹄をスローガ の で あ る 今 回 の テ ー マ こ そ は、 か安穏なれ 仏法ひろまれ︼と いう親鸞聖人のお言葉そのも で は な い で し ょ う か。︻ 世 の な の人たち に 伝 え て い く こ と な の の往生は間違いないと思ってい だ頭が下がるばかり。想像を絶 が 鮮 明 に 偲 ば れ ま す。 と こ ろ としては、今回のような研修会 もあるのです。 る嬉しさと、奈良方面研修旅行 する宗祖の御苦労が偲ばれてな が、現在の社会状況は無宗教時 に偶わせていただくことうれし 今回の研修会に参加させてい るとともにそのことをより多く 仏に対する自身の報恩感謝であ る私たちが次にすることは、み りません。念仏弾圧の過酷な逆 代で、私ども門信徒のご信心の く思っています。 片上優子 境下で﹁ただ念仏のみ﹂の仏法 中身もまことにお恥ずかしい限 因幡組浄宗寺 をひろめるべくどんなに御苦労 寺族婦人研修会に 参加して 研修会に参加いたしました。車 寺族婦人研修会に 参加して 2009 (平成21)年 3 月10日 (2) 山陰教区寺族婦人会連盟 第11号 第11号 ゆっくりと親鸞聖人の御消息を いこともありましたが、今一度 とも多く、なかなか理解できな たと感謝しています。難しいこ が大切なことを与えていただい してそして親として、一人一人 ただき、私たちは妻として母と 同 士 が 集 った の だ か ら 本 音 で 話 私が入った班では﹁立場が同じ者 のテーマでの話し合いでしたが、 会は﹁開かれたお寺をめざして﹂ すべて貴 重 な 時 間でした。分 科 ことをしなくなった私にとって、 た。最 近 は 自 分 か ら 進 んで学 ぶ 化 財 につ い て の 講 座 が あ り ま し 念誌の作成と記念コンサートの いたしました。記念事業として記 婦﹁創立百周年記念大会﹂を開催 二〇〇八年六月八日、五十猛仏 ちに終演いたしました。 が本堂一杯に響き渡り、感動のう あり、二胡とアンサンブルの音色 最後に若婦会のコーラス参加も のキャストにより二胡との合奏。 読 み 直 し、 じ っ く り と 味 わ い た 開催を計画。幾度も会を重ね準備 しましょう﹂とのことで、年代を しが及び、楽しく、とても参考に と 等 々 日 常 の こ と につ い て も 話 越えて、仏華のこと、おときのこ いと思っています。 二〇〇七︵平成十九︶年度 なるお話が沢山出ました。 地域、年代も違いますが、皆 さんそれぞれに頑張っておられ の聞法会館で、宗門関係の幼稚 名出席させて頂きました。会場 した標記研修会に益田組より二 三月五日・六日に開催されま として、寺族として今一度自分 くてはなりません。地域の一員 代社会、その中で生きて行かな の著しい山村です。混迷する現 私の住む地域は過疎、高齢化 中村明子 園卒園児さんでしょうか、卒園 を見つめ直し、ご法義相続のた る様子が伝わってきました。 参拝の可愛いい制服姿に出会い したことでした。 間 の 研 修 を 通 し、 思 い を 新 た に め精一杯努めなければと、二日 動の現況等のお話、讃歌指導、文 研修会では、宗門及び基幹運 心和みました。 益田組西光寺 寺族女性教区代表者 研修会に参加して 山陰教区寺族婦人会連盟 (3) 2009(平成21)年 3 月10日 仁摩組浄円寺 藤 本 陵 子 続 き﹁ い の ち の 尊 さ・ 慈 し み の れ、 午 前 の 部 は 記 念 式 典。 引 き 幸いにも当日は好天気に恵ま さみ感激したり等、昨日の事のよ 共々喜んだり、二胡の音色で、懐 されました﹂との声を聞き、会員 色に魅了され、仏教讃歌に心を癒 会 場 の 皆 さ ん か ら﹁ 胡 弓 の 音 心 世 界 に 響 け!﹂ の 講 題 に て 姜暁艶︵ジャン・ショウイェン︶ うに思い出されます。 ノ︶酒見 ん︵ピア 佐伎子さ 歌を酒見 は仏教讃 んのシンセサイザーの演奏。二部 分に問うていかねばと心新たに さ、大切さをひとり、ひとり、自 活動を継続していくことの難し 化の進む厳しい世相の中で、報謝 集いに終ることなく、過疎、高齢 この記念大会が単なる節目の 合掌 するものです。 ルート︶ さ ん︵ フ 中村英晴 ネット︶ ︵クラリ 朗子さん かしい歌を会場の皆さんと口づ さんの語りと二胡、上木ひろみさ を進めてまいりました。 ﹁ 百 周 年 記 念 コ ン サ ー ト ﹂ に 思 い を 馳 せ て 村 上 元 で、 自 分 一 人 で 何 で も 出 来 る と 始 め た 旅 は、 自 分 一 人 で は 何 も 出 来 な い 事を思い知らされたものとなったの です。 お 釈 迦 様 の お 悟 り の 中 に﹁ 諸 法 無 ! 主体も本質も無かった自分 鹿足組妙寿寺 近 年、 自 己 啓 発 セ ミ ナ ー や ス ピ リ 先 生 我 ﹂ と い う も の が あ り ま す。 す べ て る﹁我︵自性︶﹂など無いということ せ 清 胤 祐 子 チ ュ ア ル カ ウ ン セ リ ン グ、 心 理 テ ス ういったものに興味を引かせる誘い で す。 私 の 中 に 私 た ら し め る 主 体 も 上 手 く い っ て い る 時 の 自 分 は﹁ 本 ら 出 雲 組 妙 壽 寺 に て の 存 在 に は、 主 体︵ 本 質 ︶ と も 呼 べ 文 句 に﹁ 本 当 の 自 分 探 し ﹂ と か﹁ 自 本質も無く、唯、目に見えるもの見え という名目で一人旅をしたものでし 当 ﹂ で、 上 手 く い か な か っ た 時 の 自 場 題 ト、 占 い 等 が 流 行 っ て い ま す が、 こ 分の本質に目覚める﹂などというフ ないものを含めて一切の縁起によっ て生かされている存在。つまり、 ﹁自 レーズをよく目にします。 どこか魅力的な言葉に見えます た。 そ こ で﹁ 本 当 の 自 分 ﹂ を 見 出 せ 分 は﹁ 嘘 ﹂ で あ る と ⋮。 そ う 見 て い 分﹂に嘘も本当もないのです。 た か と い う と、 た だ た だ 人 の 優 し さ ませんかね? 私達。 ご 会 安講 芸師 教 区 山 県 太 田 組 正 覺 寺 ﹁ あ な た に あ え た か ら ﹂ 講 ▽年末からの大雪は、各地で数々の被 害をもたらしたようですが、各寺院及 び関係者の方達におかれまして、 被害に あわれた所がないかと案じております。 ▽昨年は、自分勝手な思いによる放火 やひき逃げ事件などが多数起きたよう ですが、これは、自分自身を見つめる 鏡を持たず、又他人の事を受け入れる 心も忘れた生活が続いたための出来事 なのでしょうか。 今こそ、人は自分一人で生きている のではなく、多くの人や物に支えられ ていることを教え、生かされているこ とに気づくためにも、仏法を広めなけ ればいけないのでしょう。 ▽ 今 年は教区寺 族 婦 人 会 連盟 結 成四 十周年の年です。これを期に私たちの 歩む道をもう一度見つめ直したいもの ですね。 編 集 後 記 し、私自身も二〇代前半﹁自分探し﹂ や 温 も り、 親 切 に 助 け ら れ る ば か り 〝NET縁〟 寺したいのですが一ヶ月いくらも ら え ま す か? 門徒数は何軒です か? そ れ だ け で す か? それで はやっていけません。﹂と電話が切 れたそうな⋮。 ご門徒大事にと時々布教にでら れたり、お寺のあり方について真面 目に取り組んでおられる御住職様、 ﹁何か淋しくなりました。田舎にき てもらっても仕事もなければ寺が なりたっていかんです。困ったもん です。﹂と話されました。 お寺を維持していく事のむつか しさ、過疎をどうやって生きるのか 大きな課題のような気がします。 知 教 区 寺 族 婦 人 会 連 盟 四 十 周 年 ︵ J ・ T ︶ 原田由久子 大家組浄土寺 時 代 の 流 れ で し ょ う か? 出会 い も 結 婚 もNETで と あ ち こ ち で 聞きます。 お寺の後継者、入寺希望者、お嫁 さんがほしいからと﹁NET縁﹂が 開設されたと聞き良い方向にいけ ば良いなと思いました。 私たち過疎地にもいいのでしょ うか? 山間部の御院家さんが言われま し た。﹁NET縁 で 知 り ま し た。 入 お 記 念 研 修 会 を 開 催 予 定 で す ! 二 〇 〇 九 年 九 月 十 四 日 ︵ 月 ︶ 黄 鶺 鴒 が 我 が 家 に 初 め て 巣 立 短 歌 の コ ー ナ ー 今 ち 年 た の る 吉よ を 事ごと と メ モ に 残 せ り 円 錐 に 立 つ 高 野 槙 の 凛 と あ り 久 聞 猫 氷 埋 羅 綿 鋼 散 甘 針 方 く ま 雨 め 漢 雲 管 り や 葉 振 ん が ゆ 槙 の を 敷 か の り ま 霙 く の 浮 繋 く に 叢 に し に 樹 く ぐ 庭 山 に 帰 て 変 下 大 鳶 に 雀 小 り も は に 屋 職 日 啼 鳥 し い る ク 根 の の け の 幼 い 気 ロ の 技 射 り 寄 は か 配 ッ 上 冴 す 山 ら ゆ 朝 茶 ず と に カ 花 る 我 ス の に を 魚 屋 が う っ か り 持 ち し わ が 眼 鏡 蜆 と 共 に 戻 り 来 た れ り す ぐ り の 実 の 熟 る る を 待 ち て 食 み し 畑 実 家 の 寺 の 墓 地 に な り た り 間 歩 伝 ふ 天 か ら の 水 に 便 り ゐ し 嫁 ぎ し 頃 の 難 儀 を 思 ふ 酉 年 の 女 三 世 代 揃 ふ 家 互 み の 立 場 に 添 ひ つ つ 生 き む 2009 (平成21)年 3 月10日 (4) 山陰教区寺族婦人会連盟 第11号
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