詩想

詩想
国木田独歩
3
げに横たわりて、ひたすらこれをながめいたりしが、そ
大空に漂う 白雲 の一つあり。 童 、丘にのぼり松の小か
丘の白雲
笑 みて何事もいわざりき。家に帰らば世の人々にも告
微
で忘れじといいて情け深き人の手を執りぬ。 後 の旅人は
先の 旅客 、この恩いずれの時かむくゆべき、身を終わるま
のさまを見て驚き、たすけ起こして薬などあたえしかば、
いに倒れぬ。その時、また一人の旅人来たりあわし、こ
こころ
たびびと
のまま寝入りぬ。夢は楽しかりき。雲、童をのせて限り
げて、君が情け深き挙
動 言い広め、文 にも書きとめて後の
わらべ
なき 蒼空 をかなたこなたに漂う 意 ののどけさ、童はしみ
世の人にも君が名歌わさばやと先の 旅客 言いたしぬ。情
しらくも
じみうれしく思いぬ。童はいつしか地の上のことを忘れ
け深き人は 微笑 みて何事もいわざりき。かくてこの 二人 みち
しゅうど
たびびと
う
な
せんしゅうばんこ
のち
はてたり。めさめし時は秋の日西に傾きて丘の 紅葉 火の
は連れだちて 途 をいそぎぬ。路はいよいよ危うく雪はま
しら
ほほえ
ごとくかがやき、松の 梢 を吹くともなく吹く風の 調 べは
すます深し。一人つまずきぬ。一人あなやと叫びてその手
すみれ
ふみ
遠き島根に寄せては返す波の音にも似たり。その静けさ。
を執りぬ。二人は底知れぬ谷に 墜 ち失 せたり。千
秋万古 、
ゆめこごち
う
たびびと
うる
つよ
ふるまい
童は再び 夢心地 せり。童はいつしか雲のことを忘れはて
ついにこの二人がゆくえを知るものなく、まして一人の
あおぞら
たり。この後、童も 憂 き事しげき世の人となりつ、さま
客 が情けの光をや。
旅
ゆき
わかみず
ふたり
ざまのこと彼を悩ましける。そのおりおり 憶 い起こして
たびびと ひ と り
ほほえ
涙催すはかの丘の白雲、かの秋の日の丘なりき。
膄土 みち
もみじば
ひとけ
こずえ
二人の旅客
美 わしき菫 の種と、やさしき野菊の種と、この二つの一
みやま
かすみ
お
つを石多く水少なく風 勁 く土焦げたる地にまき、その一
おも
雪深き 深山 の人
気 とだえし路 を旅
客 一
人 ゆきぬ。雪 い
つを春風ふき 霞 たなびき 若水 流れ鳥啼 き蒼
空 のはて地に
た
あおぞら
よいよ深く、路ますます危うく、寒気 堪 え難くなりてつ
4
た
るる野にまきぬ。一つは枯れて土となり、一つは若葉
垂 ももとせ
も
ひじり
え花咲きて、百
萌 年 たたぬ間に野は菫の野となりぬ。こ
ひろ
ひ ゆ
つよ
の比
喩 を教えて国民の心の寛 からんことを祈りし 聖者 お
ひじり
ことのは
そだつ
わしける。されどその民の土やせて石多く風 勁 く水少な
かりしかば、 聖者 がまきしこの 言葉 も生
育 に由なく、花
あれの
も咲かず実も結び得で枯れうせたり。しかしてその国は
野 と変わりつ。
荒
おとめ
路傍の梅
や
かきね
少
女 あり、友が宅にて梅の実をたべしにあまりにうま
おとめ
かりしかば、そのたねを持ち帰り、わが 家 の垣
根 に埋め
あた
おきたり。少
女 は旅人が立ち寄る小さき茶屋の娘なりき、
おいき
年経てその家倒れ、家ありし 辺 りは草深き野と変わりぬ。
たびびと
されど路傍なる梅の 老木 のみはますます栄えて年々、花
かわ
のんど
咲き、うまき実を結べば、道ゆく 旅客 らはちぎりて食い、
おとめ
その 渇 きし喉 をうるおしけり。されどたれありて、この
梅をここにまきし少
女 のこの世にありしや否やを知らず。
︵明治三十一年四月作︶
底本:
「武蔵野」岩波文庫、岩波書店
1939(昭和 14)年 2 月 15 日第 1 刷発行
1972(昭和 47)年 8 月 16 日第 37 刷改版発行
2002(平成 14)年 4 月 5 日第 77 刷発行
底本の親本:
「武蔵野」民友社
1901(明治 34)年 3 月
初出:
「家庭雑誌」
1898(明治 31)年 4 月
入力:土屋隆
校正:蒋龍
2009 年 3 月 28 日作成
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