「仏郎察辞範」と「和仏蘭対訳語林」に就いて

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Title
「仏郎察辞範」と「和仏蘭対訳語林」に就いて
Author(s)
吉岡, 秋義
Citation
長崎大学教養部紀要. 人文科学. 1965, 5, p.83-92
Issue Date
1965-03-29
URL
http://hdl.handle.net/10069/9517
Right
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「仏郎察辞範」と「和仏蘭対訳語林」に就いて
吉岡秋義
はしがき
長崎市博物館所蔵の「仏郎察辞範」と「和仏蘭対訳語林」は本邦に於て,始
めて,日本人によって編さんされた最初の仏和辞書として有名であり,これに
就いての諸家の論述も多い.然し, 「仏郎察辞範」の編者が,その題言に於
て,原典として明示している(1)ピ-テル・マリンの'ぐNouvelleMethode
1775年版と「仏郎察辞範」 (以下辞範と略称)及び「和仏蘭対訳語林」 (以下
語林と略称)との関係,辞範と語林との関係及び辞範,語林の成立時期に関し
ては尚,多くの疑問が解かれないまゝに残っている.筆者は,東大の松村教授
の論稿「仏郎察辞範」(2)に多くの示唆をうけて,その間の事情の究明に努力
しつつ現在に到った.前稿(長崎大学教養部紀要第四巻)に於ては,国立国会
図書舘蔵の"Nouvelle Methode" 1790年版と平戸松浦史料舘の所蔵する同17
62年版(この本は辞範との関連意義に於ては従来全く無視されていた(3)もの
である)と辞範とを比較検討して,辞範原典の内容を推定すると共に,平戸松
浦史料館蔵本が,国会図書館蔵本及び辞範原典に対して,同じ"Nouvelle
Methode"の異版本であることを明らかにし,又, "Nouvelle Methode"の
初版本の探究を行なった.本稿は,筆者が,新たに入手した資料によって,秤
範原典(以下原典と略称)と国会図書館蔵本(以下国会本と略称),辞範と原
輿,辞範と語林との関係及び語林の成立期に就いて考察を加えんとするもので
ある.
原典は,諸家の探索にも拘らず,我が国内においては,未だ見出されない.
筆者はアムステルダム大学及びライデン大学の図書舘長, --グの国立文書館
良,アムステルダムのInstitut frangaisの所長等に,原典及び著者Pieter
Marinに関する資料を依頼したるところ,アムステルダム大学図書舘に,原
典二部が残存することが判り,原典全頁の複写を入手することができたので,
吉岡秋義
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前述の諸点について,比較研究した結果を述べることとする.
原典と国会本
原典の前文中の各項目,本文中の各項目,各章及びそれらの小項目,各言語
集は全く一致し,所在のページ数についても同様である.唯,単語の綴り,短
文の構成と用語に,若干の相異が見出されることは後述のとおりで,このこと
が問題の一部の解決の手がかりとなる.大文字やアクサンの用法も殆んど一致
する.
原典と辞範
原典の前文に含まれている部分,即ち, Privilegie, Aan alle franche taalmeesters en schoolhouders, Bericht van den drukker aan den leezer,
Op
de
nieuwe
leerwyze
van
Pieter
Marin,
L′oraison
dominicale,
Vers
choisisの諸文は辞範には含まれていない.従而,辞範の内容は,原典の本文
1ページより49ページに亘る部分に該当するが,辞範の「草稿-」の部にある
発音に関する説明は,甚だくわしく,原典のペ-ジに換算すると約8ページに
当るが,原典は,発音の説明に1ページをあてているにすぎない.辞範の「草
稿二」は,原典の2ペ-ジより15ページの半ばに亘る部分に当り, 「草稿三」
は,原典の15ページ後半より36ページ迄「草稿四」は,原典の37ページより49
ペ-ジ前半に及ぶ部分に該当する.その中にある各項目,各章及びそれらの内
容たる単語,短文は,原典3ページのConstant, Volageに対して,辞範に
おいてはConstant貞節, Volage, Inconstant不貞節,と一語を加え,原典
10ペ-ジのDu Tempsが辞範ではdes Tempsとなっている外は両者全く
一致する.唯,大文字及びアクサンの用法が原典においては,比較的よく統一
されているのに対し,辞範では大文字の用例少く,固有名詞が小文字で始まる
こともしばしばである.又,原典の6がらとなれるもの異常に多く,アクサ
ンの用法は不定である(4)
辞範と語林
語林の内容は原典の49ページ後半より304ペ-ジに亘る部分に該当する.秤
範の内容が発音篇,単語篇(名詞,形容詞,副詞,前置詞及び動詞の不定法をあ
げ,若干の短文例を示しているが,主旨は単語を示すことにある)に当るのに
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対して,語林の内容は第1冊及び第2冊におさめられている部分は文法篇(冠
詞の用法,名詞,形容詞の変化,動詞の活用と時制に関する説明,誤法の注
意)に当り,第3冊より第5冊に含まれているものが会話篇(Dialogue PremierよりDialogue Vingt-troisieme迄)に当る.したがって,辞範と語林
の両書を併せて1冊の文法書を構成するものであることは内容よりして明らか
であり,編さん者の意図もそうであったにちがいないのであるが,松村教授に
よって,このことが指摘される迄は,両書は別筒の字書とみなされていたので
ある.かようなわけで,語林には,編さんの経緯を示す題言もなく,編さん著
名も原典名も示されていないのである.成立期についてはいろいろな推測がな
されているが,編さん者や原典について疑問を投じた者あるを知らない.恐ら
く,編さん者は辞範のそれと同じであり,原典も又,同様であると一般に了解
されているもののどとくである.果して,そうであろうか.以下に筆者の見解
を述べることとしよう.
語林の原典に就いて
筆者は,原典,国会本及び語林の内容を比較検討した結果,次の事実を見出
した.即ち,原典と国会本との問に単語の綴りと短文の構成及びその用語に若
干の相異があり,これに対応する,語林の単語,短文の中,あるものは原典に
一致し,あるものは国会本に一致するということである.別表Aは短文につい
て,別表Bは単語についての原典と国会本の相異を示す比較表である. A, B
表で,上欄に記入せるものにおいては語林は原典と一致し,下欄に記入せるも
のにおいては語林は国会本と一致する.
この事実は,語林の編さんが原典及び国会本,別言すれば, "Nouvelle Methode"の1775年版と1790年版に基づいて行なわれたものであることを示す
ものである.而も,両版よりの書記は,同時に,並行して,なされたものと推
測される.その理由は,若し,語林の編さんが,先ず, 1775年版によって行な
われたものであるとすれば,別表下欄の単語,短文には,修正が行なわれてい
る筈である(語林の和訳文には,修正されているものが多い.又,傍註や欄外
記入も多く,和訳を欠いでいるものもあるC5)これらの事実は語林が未定稿
であったことを示すもので仏文の修正も,必要であれば,行なわれていた筈で
-Jr間代義
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ある)が加筆されているものは一文もない.従而,これらの短文,単語は,初
めから1790年版より書きとられたものなのである.それでは,両版本を,どの
ようにして,用いたものであろうか.
別
表A
Kokkai-bon
Jihan Genten
p. 73 Conjugaison en lr Punir
Conjugaison en ir Sortir
irで終る動詞の選択が異るために
2ページ半に亘り両書の内容が異
る.
Un homme heureux
130 Une homme heureux
135 Cela me coute cent sous.
135
J′ai
paye
quarante
Cela me coute cinq florins
sous
pour
J′ai
paye
deux
florins
pour
vous
vous.
298 Quelles sont les principales
actions
d′eclat
qui
ont
sign-
Quelles sont les principales actions
d′eclat
qui
ont
signale
d′eclat
qui
ale le gouvernement du Pn-
ont signale le gouvernement du
nee Maurice?
Prince Maurice?
p.163 Je vous le laisse a penser.
173 Oh! le Paresseux, qui demeure
Je vous laisse云penser.
Oh! le Paresseux, qui reste si long
temps au lit.
si long-tems au lit.
176 Le moyen d′apprendre rienえ
Comment peut-on apprendre a des
libertms comme lui.
des libertins comme lui.
180 Allons, mon Frere, nous joue-
Allons, mon Frere, nous jouerons
en bas.
rons la bas.
192 Allons, aussi bien on nous
Allons, nous en on nous cherche.
cherche.
197 Si vous saviez ce que je fais.
Si vous, saviez ce que je fais.
218 Celimene se donne un ridicule.
Celimene se donne ridicule.
227 Qui en doute? vien-?a Lisette.
Qui en doute? venez-ici Lisette.
233
L!amour vous deplait-il a ce point?
L′amour
vous
deplaitace
point?
▼′
259 II faut aussi prendre un siege.
II faut aussi prendre une chaise.
264
Et
Et
s′il
n′yapoint
d′officier-
268 Enfin tout ce qui se sert se
presente toujours sur une
assiette
blancheォ=
s′il
n!y
a
point
domestique'
Enfin tot ce qui se ser, se presente
toujours sur une assiette blanche<
「仏郎察辞範」と「和仏蘭対訳語林」に就いて
261・・・・irez-vous
a
Ia
gare,
Mons-
・ires-vous
a
la
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gare,
Monsieur?
leur?
222
On
n′entend
gueres
de
gens.
281 -,1a gouverna heureusement
pendant cinq ans;
On
n′entend
gens.
--,1a gouverna heureusement pen-
B
Kokkai-bon
Jihan Genten
C!etoit
p.127 C!etoit
A
128 Pourvdque
Pour vuque
118 Rivi6re
Rivisre
102 naquit
naquit
104 mour血t
mourut
137 long-tems
longtemps
191 charmant
charment
294 etrangeres
etrangeres
295 formerent
formとrent
298 changerent
changとrent
ヽ
ヽ
1
l
188 longtems
des
dant, cinq ans;
別表
166 tems
gueres
tempsとその合成語
計38の中原典において
は30かterns, 8がte・
mps.語林ではtemsは
5のみ国会本はすべて
temps
longtemps
temps
195 muet
imit巴ほ
217 aporter
apporter
250 axacte
exacte
285 continuelle
continu芭lle
253 attendant (行中)
atten-dant (行末)
′
′
296 genereux
generaux
294 declarement (誤綴)
declarとrent
295 Union (行中)
U-nion (行末)
辞範の偏さん者が,本木正栄,楢林高美及び吉雄永保の三名であったこと
は,その題言に述べられている.語林の編さん者も叉, 3名及至4名であった
と推測される.それは,筆蹟の相異や,後述の丘,デの用例よりしてである.
従而,語林の編さん者らは,分担して, r'Nouvelle Methode"より書きとる
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吉岡秋義
に際し,或る者は1775年版を,或る者は1790年を用いたのである.又,既に,
本木らは,辞範の編さんに当って, 1790年版を参照したことを推測せしむる事
実がある.それは,荊述の, Constant; Volage, InconstantにおけるInconstantの追記である.その部分を1775年版,辞範, 1790年版の順序に書き
並べると次の通りである.
Constant, Volage. Constant貞節Volage, Inconstant不貞節
Constant, Irlconstant.
つまり, Inconstantは1790年版より,書きとっているものと考えられるの
である.一語の相異を以って,このような推定を下すことは早計であると思わ
れるかも知れないが, 1775年版と辞範を,仔細に,比較してみると,大文字,
アクサンの用例は別として,単語そのものは全く一致し,異語としては, Constantのみであることから,敢て,以上のように推定するのである.
上述せるところから,筆者は,語林の原典は"Nouvelle Methodeの1775
年版と1790年版であると断定して差し支えないと考えるのであるが,本書の最
終版である1800年版(6)を編さん者らが入手していたか否かにつき,未だ確証
を得ないので推定にとどめておきたい.
次に,語林の成立期であるが,一般には,本木らが,幕命により,英語辞書
「暗厄利亜興学小笠」及び「暗厄利亜語林大成」の編さんを終えた1815年以降
の辞範成立期に遠からざる時期に成ったものと推定されている(7)唯,辞範につ
いては,その題言に,本木の署名があるので,彼が死亡した1822年前に成立し
たことはたしかであろう.語林には,その成立期を示唆するような記述は全く
ない.筆者は,語林の成立期を推測する手がかりとして,丘及びデの用例と語
林の仏文に見出される誤綴,誤訳を通じて理解される,編さん者の語学力をと
り上げてみたい.
也,デの用例は,原典及び国会本の蘭文には見られないが,辞範,語林の蘭
文には多数見出されるC8)然し乍ら, dは辞範の仏文にも,原典及び国会本
の仏文にも見られないものである.デは辞範の仏文中にTaye, fossoyeur,
paテens, Rayonsの4例がある外はすべてyである. Roy. yeux, monnoyes,
ennuyer, paye, mystereの如きである.又Il yaのy,代名詞のyもす
「仏郎察辞範」と「和仏蘭対訳語林」に就いて
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ベてyである.然るに,語林においては6, yが頻出する.例示すればfut, pieut, nature, que, dd, vous, douze, perdu, route, subitement, plusie-
urs,テeux, voyois, assayez, essaテe, royaleの如きであり,殊にIl yaの
y及び代名詞のyはすとなれるもの多く,例えば第4冊(Dialogue Onzieme
よりDialogue Dix-huitieme迄)中のil y aの用例27の中25はyであり,
44の代名詞yほすべてyである.この事実を辞範の仏文と比較するときは,単
に蘭文の影響であるとして片づけ得ないものがあるのである.こゝに,筆者
は,村上英俊の「三語便覧」の影響を見出すのである.本書は我が国における
仏語学の鼻祖とされている村上英俊が,最初に著はした仏語辞書であるが,そ
の刊年は1857年である.刊本として広く重用され,長崎の通詞問にも用いられた
ことは疑いない(9)本書の綴字で目立つのはd,yの頻出である(10)例示すれ
!
!
ば, univers, lune, que, quatre, huile, nuque, pays, ennuテer,?boテer,
payer, paテs, hypocrisieの如きである.語林におけるd, yの異常な用例
は,村上の仏語学者としての名声と「三語便覧」の好評に影響された結果では
ないかと推測されるのである(ll)何故ならば, 「三語便覧」の刊行前に,請
林の編さん者に影響を与えたと思われるような字書,文法書を見出し得ないか
らである.柳河春三が復刻した「法郎西文典」(12>は「三語便覧」以上にdを用
い,殆んどすべてのuをdとしているが,その発行は1866年である.然し乍ら,
村上の後著「仏語明要」 (1864年)ではdの用例は激減し,前記の「三語便
覧」中の11語においても,丘はすべてuとなっている.語林におけるd,デの用
例は「仏語明要」に近い.
次に,語林の仏文中に見られる誤綴,誤訳であるが,それは甚だ多く,編さ
ん者の語学力を疑はしめるような,幼稚な誤りも少くない.末審或は欠訳に就
ても同様である.これを辞範と比べてみると,辞範では,その内容が主として
単語の羅列であり,簡易な短文であるから,自然,誤綴や誤訳も少いのではあ
るが,語林の誤りの中には,余りにも幼稚で,辞範の編者と同一の者による誤
りとは考えられないようなものがある.辞範の題言によれば,本木らは既に,
英語辞書の編さんの経験もあり,仏学の学習も, 1806年に幕命を受けた後は,
オランダ商舘長ヅーフについて学び,自学自習も怠っていないのであるから,
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以下に例示するような誤りを犯したと推測するのは困難である.辞範に誤りの
少いことの主たる理由は,そこにあるものと思はれる.以下に,語林の幼稚な
誤りを例示してみよう.
前述の別表Aの下欄にある"Enfin tot ce qui se ser, se presente- t>t
でtoutがtotとなり, sertがserとなっている.同じく"Si vous,
saviez ce que je fais"においてvousの後にvirguleをおいている.
原典や国会本の行末で,綴りが切られ, -で次行に続いているとき,語林で
は,その語が行中にあっても,わざわざ切っているのが7例もある.例示
すると,別表Bの下欄に出ているatten-dantは,原典では行中にあるが
たまたま国会本で行末において切られたものを語林では,行中にあるに拘
らず,そのまゝ書きとって上記の綴りとなっている.これと正反対の誤り
が,別表B上欄のIong-ternsである.これは,国会本では行中にあって
Iongtempsとなっているが原典では行末にきてIong-temsと次行へつな
がれたものである.語林では,原典よりそのまゝ書きとって,行中である
に拘らずIong-temsとしたものである.
誤綴例若干をあげれば,
salle-sale,
-J′aural,
ailleurs-alleurs,
quand-qund,
pとre-l′ere,
tombes-tembes
ensemble-encemble
Qa.
me
J′aurai
semble-ceme
semble, voulez-vous-volez-vous, enfans-enfas (同一頁に3回),
aperceue-→apereueなどである.
誤訳例としては,
le courage vous viendra en marchantが'p汝歩行するの問少しく勉
められよ. H
---elles (東印度会社の株) monteront tant que l′ Etat subsistリソク
era.この商業の建てある間はアクチインの子利貴ふ為る"
Je suis toutえvous.我こそ斯く希望すれ.
Je me moque de vous.我嘗て是を不敵H
monsieur peut partir quand il lui plaira君は発行することを得"
などである.
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上記の誤りは, J′auralを除く他はすべて,語林の第2冊後半から第5冊に
亘る部分に含まれているもので,例示されていない誤りも,大部分は第3冊か
ら第5冊に亘って見出されるものである. u.yの頻出についても同様である.
上述せるところより,筆者は,語林の編さん者と辞範の編さん者とは異るも
のと推測する.一歩を譲って,第二分冊迄は本木らによって編さんされたとし
ても,第三分冊以後の部分は後継の通詞らによって,なされたもので,その時
期は「三語便覧」の刊行された1857以降「仏語明要」が出る1864年迄の問では
ないかと推測するものである.
註(1)題言の後に次の記載がある.
-甥i正払郎察語例"暦数一千七百七十五年鐘版
ピーテルマーリン
西洋大儒官批得耳麻林著
へンデイリキド-フ
和蘭加比旦顕地力喝読和樟口授
大日本和蘭家訳長崎本木正栄等奉命謹訳
(2) 「国語研究室」創刊号昭和38年1月号
(3)松村教授が,同稿において述べておられる次の言葉は,この間の消息をよく伝える
ものである.
Pieter MarinのぐぐNouvelle Methovde"ほ,前述のとおり,国会図書館に現蔵
されているが,この本は,現在のところ,国会図書館蔵のものだけで,他に所蔵さ
れたもののあることを知られていない. "
(4)例えばreformes-reformとs, peletier-psIetier, preposition-preposition, 1′6t6-1′stと, eternite-eternitとaccouchee-accouchとe
(5)このことは,オランダの歴史を対話形式で語るDialogue 23に多い.興味ある例
は,和訳文の内容に,欄外で評釈を加えたるものがあり,又,次の二文はキリスト
教にふれるのをはばかってか欄外に(削)として和訳文をつけていない.
En quel temps la foi chretienne a-トelle ete recue en hollande,?
willelord,
venu
d′Angleterre,
A
Ie
premier
preche
l′Evangile
sur
la fin du sixieme siecle.
(6) M. M. Kleerkooper, "De boekhandel te Amsterdam voornamelijk m
de 17eeeuw, vol. 1, p.229'による.
(7)京大の渡辺助教授の次の記述は.その一例である.
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"-・・-本木らは, 「語林大成」献上の後,中絶していた仏語研究に形を与え, 「仏
郎察辞範」 「和仏蘭対訳語林」を脱稿した.現在本は草稿で脱稿の時は未詳だが,
序から推して「語林大成」の後あまり遠からぬ頃と考えられる. " 〔人文第10集
(1964年3月京都大学教養部)抜刷第36貢〕
(8)辞範及び語林の蘭文より夫々5例を示すと辞範heiipen, biiik, deugd, hoofdstuk, krutten語林Zult, uw, vuurwerpen, uit, duiven
(9)県立長崎図書にも一部所蔵されている.
(10 「三語便覧」の原典はでくFrangois HalmaのWoordenboek derNederduitsche
en Fransche Taalen, Leden, 1781"と推定されるが,同書のYの項で,外来語
を除いて, Yを蘭語に用いざることとし,その代りにijを入れた旨を述べている.
「三吉吾便覧」中の一見tremaを附したYの如き字は,実はijを連ねたものであ
る. Y-ij-テを仏語にまでとり入れたのは村上の誤りなのである.
(ll)村上英俊は, 「三語便覧」を始めとして11の字書,文法書等を編さんしている.そ
の中,最も普及したのが「三語便覧」と「仏語明要」である.彼は,幕府の草書調
所で仏語の教授を始むるに当って,同所の教授手伝となった.
(12) 「法朗西文典」はM. No61 et M. Chapsalの-rGrammaire Frantpaise sur
un plan trss methodique, 1852."の復刻版である.原典にはd,車の異常な用例
は皆無である。
(昭和39年9月30日受理)