千葉 敏 - 先端基礎研究センター - 日本原子力研究開発機構

Interview
原子核物理が原子力の未来を切り開く
革新的高速炉に不可欠な「代理反応」実験を推進
千葉 敏
Satoshi Chiba
極限重原子核研究グループ
Research Group for Physics of Heavy Nuclei
原子炉の燃料であるウラン資源の枯渇の問題を解決するとともに、高レベル放射性廃棄物の問題を軽減で
きると期待される革新的高速炉。その研究開発に欠かせない
「代理反応」
の実験を、千葉 敏サブリーダー
たちは推進している。代理反応とは、原子炉内でできる放射能の強い原子核など、直接測定することが
困難な原子核と中性子の反応を、測定可能な別の核反応によって理解する方法である。千葉サブリーダー
たちは、この代理反応が成り立つための条件を理論的に解明。さらに 2010 年度には、日本原子力研究
開発機構
(JAEA)
のタンデム加速器施設で代理反応の実験を開始する。
工学と理学の垣根を越えて
原子力の未来を開く革新的高速炉
「私が学生のころ、原子力は花形の研究分野でした。
その後一時期、原子力の人気は低迷しましたが、資源
を支配しているのが、核力だ。核融合や核分裂に伴う
の乏しい日本にとって原子力は必要なものだという信
原子力のばく大なエネルギーも核力に由来する。
「しか
念のもと、私は研究を続けてきました。現在、原子力
し、その肝心の核力が、いまだに完全には理解できて
ルネサンスと呼ばれる時代が再来したことは、大変喜
いないのです。私は核力について理解するために、中
ばしいことです」
性子星の研究にも取り組みました」
千葉 敏 サブリーダー(SL)は大学時代、工学部で
原子炉や核融合炉の設計に必要な核反応を測定する実
中性子星は重い星が一生の最後に見せる超新星爆発
によってできる、ほとんどが中性子からなる天体だ。
験に携わった。
「原子力工学の中でも物理学に最も近い
「その半径は 10km ほどですが、質量が太陽の約 1.4 倍
分野です。しかし、核反応のメカニズムについて疑問
という超高密度天体です。中性子星の研究は、人間の
があっても、理学部の誰に尋ねればいいのか分からな
持つ想像力を最大限に高めて、極限状態の核力が織り
い状況でした」
成す世界を探るプロセスです。それによってこれまで
日本の原子力研究開発の世界には、工学と理学の間
考えもしなかった核力の側面が見えてきました。そこ
に垣根がある、と千葉 SL は指摘する。
「欧米では工学
から核反応メカニズムへアプローチすることで、実験
系と理学系の研究者がうまく協力して原子力の研究開
では測定困難な原子核現象を理解することを目指しま
れい めい
発が推進されてきました。一方、日本では黎明期は別
した。実は、それまでの研究テーマとあまりにも違い
として、大学や研究所にいる理学系の研究者は原子力
過ぎたため、この時期、論文はあまり書けなかったの
への関心が薄く、現在でも両者の交流はあまりありま
ですが、一種のブレーンストーミングから新しい知識
せん。私はそのような状況にずっと危機感を抱いてき
と人脈が得られ、その後の研究を展開する上で掛け替
ました」
えのない財産となりました。こういうことをできるの
1985 年、旧・日本原子力研究所(現・JAEA)に入
が、先端基礎研究センターのいいところです」
所した千葉 SL は、原子力工学の部門で研究を進めた
測定困難な原子核現象の理解は、革新的高速炉の実
後、1998 年に先端基礎研究センターに移り、原子核
現にも不可欠である。革新的高速炉とは、原子炉の燃
物理の研究をより基礎的な視点から開始した。
「工学か
料であるウラン資源の枯渇の問題を解決するととも
ら理学にわたる原子核の反応にかかわるテーマを、幅
に、高レベル放射性廃棄物の問題を軽減できると期待
広く研究してきました。そこがほかの研究者と異なる
されている次世代の原子炉だ。まずこの革新的高速炉
私の特徴だと思います。原子核物理に立ち入ることは
について紹介しよう。
回り道に見えるかもしれませんが、ひいては原子力の
利用に役立つはずです」
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陽子と中性子を結び付けて原子核をつくり、核反応
基礎科学ノート Vol.17 No.2 February 2010
現在主流の原子炉である軽水炉では、スピードの遅
い中性子(熱中性子)を、核分裂しやすいウラン 235
千葉 敏(ちば さとし)
1957 年、宮城県生まれ。工学博士。1985 年、東北大学大学院工学研究科原
子核工学専攻博士課程中退。同年、日本原子力研究所研究員。2009 年より極
限重原子核研究グループ サブリーダー(主任研究員・研究主幹)。専門は本人の
造語である 核反応理工学 。
キュリウムなど、ウランよりも重い元素が含まれてい
る。これらは「マイナーアクチノイド(MA)
」と呼ば
れる。MA には放射能が強く 100 万年を超えるような
長い半減期を持つものがある。
「MA をそのまま廃棄
すると、後世に大きな負担を残してしまいます。軽水
に当てて核分裂を引き起こしている。その核分裂によ
炉や高速炉の使用済み核燃料から MA を取り出し、ウ
り約 2.5 個の中性子が発生し、ほかのウランの核分裂
ランやプルトニウムとともに燃料に混ぜて核分裂させ
を引き起こす。このような連鎖反応が安定して起きる
ることで、廃棄物処理の負担を軽減しようというのが
臨界状態を保つことで、発電に利用している。
革新的高速炉です」
ただし、天然ウランの中で核分裂しやすいウラン
ただし、革新的高速炉の研究開発には、中性子と
235 は 0.7%にすぎず、残りの 99.3%は核分裂しにくい
MA の反応データが不可欠だ。中性子が衝突したとき、
ウラン 238 だ。ウランも限りある資源である。経済
それぞれの MA はどのくらいの確率で核分裂するの
的に採掘が可能だと確認されているウランの資源量
か。核分裂に伴い中性子を何個放出するのか。臨界状
を、
現在の需要量で割った可採年数は約 100 年。現在、
態に影響を与えるそれらのことが理解できなければ、
世界中で原子力発電所の新設が計画されており、ウラ
どの種類の MA をどのくらいの量まで燃料に混ぜても
ンの需要は急増すると予想されている。このままでは、
革新的高速炉を安全に運転できるのかが分からない。
早期にウラン資源が枯渇してしまうおそれがある。
この問題を解決できる方法がある。それが高速炉だ。
革新的高速炉の実現にとって、中性子と MA の反応
は不可欠なデータなのだ。ところが、それを測定する
現在の軽水炉の燃料には、核分裂しやすいウラン 235
ことは極めて困難である。
「原子炉内でできる放射能の
が 3 ∼ 4.5%含まれており、
残りはウラン 238 である。
強い MA をすべて取り出して、中性子との反応を測定
核分裂により発生した中性子の一部はウラン238 に吸
する実験は現実的には不可能です」
収される。すると核分裂しやすいプルトニウム239 に
測定が困難な中性子と MA の反応を、別の核反応に
変わる。現在の軽水炉が生み出すエネルギーの約 3 分
よって理解するための方法、それが代理反応である。
の 1 はプルトニウムの核分裂による。
一方、高速炉では、高速の中性子によってプルトニ
これまでの仮定は間違っていた!
ウム 239 の核分裂を引き起こす。それにより軽水炉で
それでは、代理反応について紹介しよう。中性子と
の核分裂よりも多い約 3 個の中性子が発生する。この
MA の反応により、それらが合体した複合核が瞬間的
ためウラン238 をプルトニウム239 に効率よく変換す
ることができる。高速炉では、核分裂する量よりも多
いプルトニウム239を生み出すことができると考えら
れている。このような高速炉は高速増殖炉と呼ばれ、
JAEA では原型炉「もんじゅ」を建設して、研究開発
を進めてきた。
高速炉によりウラン資源の利用効率は数十倍以上に
向上し、人類は千年以上にわたり原子力を利用し続け
ることができると期待されている。
「原子力を末永く利
用するには、高速炉が絶対に必要なのです。その意味
で、現在の原子力技術はまだまだ発展途上にあります」
原子力利用の大きな課題は、高レベル放射性廃棄物
の処理だ。使用済み核燃料には放射能の強い核分裂生
成物とともに、ウランなどが中性子を吸収することで、
プルトニウムだけでなくネプツニウム、アメリシウム、
図 1 代理反応
基礎科学ノート Vol.17 No.2 February 2010
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Interview
にでき、すぐに壊れて核分裂が起きる。中性子と MA
それが同じだという仮定のもとに、代理反応の実験を
の反応でできる複合核と同じ陽子・中性子数、励起エ
進めてきました。しかし私たちは、その仮定が間違っ
ネルギーを持つ複合核を、重イオンを加速してウラン
ていることを明らかにしました」
などの標的核に当てることによってつくり出し、その
なぜ、仮定は間違っていたのか。
「原子核は、励起エ
核反応を測定する。それにより中性子と MA の核反応
ネルギーのほかに、スピンとパリティーという物理量
を理解しようというのが、代理反応だ(図 1)
。
を持ちます。この三つの物理量が原子核のあらゆる振
そもそも代理反応を行える研究機関は世界的にも限
る舞いを支配しています。これまで米国とフランスで
られている。
「取り扱いに注意が必要なウランや MA を
は、スピンとパリティーの影響を無視して実験を進め
標的核として扱える技術と加速器実験施設があるの
てきたのです。しかし私たちは、スピンとパリティーに
は、日本では唯一、JAEA だけなのです」
より核分裂の確率が変化することを明らかにしました」
代理反応の実験は、米国とフランスの研究グループ
により先行的に行われてきた。しかし、千葉 SL たち
には両国にはない強みがある。代理反応の実験に最適
標的核に当てる重イオンビームの速度を調整するこ
な大型タンデム加速器を擁していることだ。
「代理反応
とで、複合核の励起エネルギーは任意の値を実現でき
では、ぶつける重イオンビームを構成するそれぞれの
る。しかしスピンとパリティーの値はコントロールす
重イオンの速度が高い精度でそろっている必要があり
ることができない。
ます。タンデム加速器は、高い電圧を発生させて重イ
では、どのような条件で代理反応を行えば、中性子
オンを加速する静電加速器なので、きれいに速度がそ
と MA の反応を理解することができるのか。その条件
ろった重イオンビームをつくることができます。しか
を理論的に導き出すことにも、千葉 SL たちは成功し
も JAEA のタンデム加速器は、さまざまな元素の重イ
た。
「その条件は少し複雑なのですが……」と、千葉
オンビームをつくり出すことができます。まさに、代
SL は図を描きながら説明してくれた(図 2)
。
理反応にうってつけの装置なのです」
ある種類の MA と中性子の反応を A、別の MA と中
千葉 SL たちの代理反応の実験は、
文部科学省の「原
性子との反応を B とする。MA の反応の多くは測定困
子力システム開発事業」に採択され、3 年計画の実験
難だが、一部には測定可能なものがある。ここでは反
を2009 年度からスタートした。
「まず私たちは、どの
応 A は測定困難で、この核分裂確率を知りたいとしよ
ような条件で代理反応の実験を行えば中性子と MA の
う。一方、反応 B は測定可能で、例えば 42%の確率で
反応を理解することができるのか、それを理論的に検
核分裂することが知られているとする。
「それぞれの反
討することから始めました」
応の途中でできる複合核 A と複合核 B の陽子・中性子
ポイントは、反応の途中でできる複合核の陽子・中
数が偶数か奇数か、原子核の形、励起準位の分布など
性子数と励起エネルギーが同じならば、その後に起き
が似ていれば、スピン・パリティーの分布も似ている
る核分裂の確率(核分裂断面積)などは同じとなるの
と考えることができます」
か、という問題だ。
「米国やフランスの研究グループは
図 2 代理反応が成り立つ条件
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代理反応が成り立つ条件を発見
基礎科学ノート Vol.17 No.2 February 2010
この反応 A と B に対応する代理反応の実験を行う。
中性子検出器
例えば、反応 A と同じ複合核を生成する代理反応 A'
MWPC(多芯線比例計数管)
で測定された核分裂する確率が 80%、反応 B と同じ
複合核を生成する代理反応 B' の核分裂確率が 40%と
測定できたとする。A' と B' の核分裂確率の比は 80%:
γ線検出器
40%= 2:1 だ。
「中性子反応 A と代理反応 A' で生成さ
れるのは、同じ複合核でもスピン・パリティー分布は
ずいぶん違っています。反応 B と B' も同様です。し
かし、
A' と B'(両方とも代理反応)のスピン・パリティー
円環状シリコン
ΔE-E 検出器
分布は、両者の構造や反応機構が似ていればほぼ同じ
になります。驚くべきことに、この条件のもとでは、
代理反応 A' と B' の核分裂確率の比と、中性子による
反応 A と B の場合の比が等しくなることを、私たちは
MWPC(多芯線比例計数管)
中性子検出器
図 3 代理反応の実験装置の概念図
理論的に明らかにしたのです。それによって、どのよ
と考えられている。地球上のウラン資源も、超新星爆
うな条件で実験をすればよいかも分かってきました」
発の遺産である。しかしその元素合成の仕組みがよく
すなわち、この例でいえば、A' と B' の核分裂確率の
分かっていない。
「安定核が中性子を吸収して不安定核
比は 2:1 なので反応 A と B の比も同じく 2:1。反応 B
となり、それがすぐに崩壊して陽子数が増えた重い元
は 42%なので、反応 A の核分裂の確率は 84%だと導
素の原子核ができます。このような元素合成の過程を
き出せる。いったんこの情報を得ることができれば、
解明するには、中性子を吸収した不安定核の反応を理
原子炉設計の計算で必要な反応 A の核分裂の確率を求
解することが必要です。しかし、不安定核はすぐに崩
めることは簡単である。
壊してしまうので測定が困難です。そのような不安定
「この代理反応の成立条件が正しいかどうか、これ
核の反応の理解にも代理反応が有効です」
から実験で検証していきます」
。千葉 SL たちは、2010
代理反応の実験は、工学と理学の懸け橋となるだろ
年度から JAEA のタンデム加速器施設で、酸素 18 な
う。
「私が先端基礎研究センターで原子核物理の研究を
どの重イオンビームをウランの標的核に当てる代理
開始して十数年になります。その間、数多くの物理学
反応の実験を開始する予定だ(図 3)
。酸素 18 から標
者と知り合うことができました。そのネットワークを
的核に 1 個ないし 2 個の陽子や中性子が吸収されたり、
駆使して、タンデム加速器やこれまで築いてきた重イ
逆に MA の陽子や中性子が酸素 18 に引き抜かれたり
オン実験技術、原子核の理論を総動員しなければ、代
することで、さまざまな代理反応を実現できる。さら
理反応の実験は成功しません。工学と理学の垣根を取
にプルトニウムやキュリウムを標的核として用いるこ
り払い、原子力利用に役立てることを目指してきた研
とで、革新的原子炉の設計に必要な中性子と MA の反
究の集大成が、この代理反応の実験なのです。そして、
応のほぼすべてを、代理反応で調べることができる。
JAEA はこの研究を中心となって遂行できる施設、人
「核反応により中性子を引き抜かれた酸素 16 を測定
的資源を有する国内唯一の機関です。そのミッション
することで、複合核の励起エネルギーを測定します。
を果たすために、何としてもこの実験を成功させなく
核分裂確率は、核分裂生成物を測定することで導き出
てはなりません」
します。さらに核分裂によって発生する中性子数の測
定や、MA が中性子を吸収する際に発生するガンマ線
の測定も行いたいと考えています。それは臨界状態に
かかわる重要なデータですが、そのような測定は米国
やフランスも行ったことのない、世界初のチャレンジ
ングな実験です。それらをすべて実現するには、最低
でも 5 ∼ 6 年かかるでしょう」
工学と理学の懸け橋に
代理反応は原子力だけでなく、元素合成の謎を探る
原子核物理からも大きな期待を寄せられている。鉄よ
りも重い元素の多くは、超新星爆発に伴い合成される
(取材・執筆:立山 晃)
Nuclear physics breaks a new frontier of nuclear energy
-Surrogate reaction method to measure indirectly nuclear data necessary for development of
innovative fast reactors-
Dr. Satoshi Chiba, sub-leader of Research Group for Physics of Heavy
Nuclei, has initiated a project called "surrogate reaction method". This is an
experimental technique to measure indirectly neutron nuclear data of nuclei
for which direct measurement is difficult or practically impossible due to, e.g.,
their short half lives. In this method, the neutron cross sections is determined
by creating the same compound nuclei as desired neutron reactions by using
different reactions, mostly multi-nucleon transfer reactions. This method
will enable us to determine neutron cross sections of a number of nuclei
inevitably important for development of innovative fast reactors. They have
found an important criteria for the neutron and surrogate reactions become
equivalent, which makes the surrogate reaction method to work effectively.
The experiments to verify this criteria and actual data production will be
carried out at Tokai tandem-accelerator facility from fiscal year of 2010.
基礎科学ノート Vol.17 No.2 February 2010
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