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第2課
良寛さま
文章の構成
一、えらい
二、出身
三、学問、才能、行い
四、生活
①乞食生活
②帰郷後の生活
③有名になった
④友達
五、事例1:泥棒と布団
六、事例2:小鳥と和歌
良寛様の像
良寛様の生涯
1758年に生まれた。本名:山本栄蔵
18歳~、光照寺出家、「大愚良寛」と名乗る
22歳~、円通寺で修行
33歳~、諸国行脚
39歳~、帰郷。草庵・邸内に住む
73歳没
学問・才能・行い
良寛さまは学問もたいそうよくでき、字を書くにも、歌や
詩を作るにも日本中で並ぶ者が幾人もないだろうと思わ
れるほどによくできました。その上に行いがそれはそれは
立派でした。本当に仏様の教えそっくりの行いというのは
こういうのだろうと思われるほどに立派でした。
望み
ですから良寛さまは、もらおうとさえ思えば、どんな偉
い坊さまの位でももらうようになれたし、 またどんな大
きな立派なお寺にでも住むことができたのでした。しかし、
良寛さまはそんなものは少しも望みませんでした。 た
だもっともっと本当の学問がしたい、 もっともっと立派な
行いのできる人になりたい——それだけが良寛さまの
たった一つの望みでした。
望み
ですから良寛さまは、もらおうとさえ思えば、どんな偉
い坊さまの位でももらうようになれたし、 またどんな大
きな立派なお寺にでも住むことができたのでした。しかし、
良寛さまはそんなものは少しも望みませんでした。 た
だもっともっと本当の学問がしたい、 もっともっと立派な
行いのできる人になりたい——それだけが良寛さまの
たった一つの望みでした。
乞食生活
それで、良寛さまは、とうとう何もかも捨てて乞食になりま
した。そして乞食をしながら、あちらこちらの国々を回って
歩いて、行く先々で偉い坊さまを訪ねては、いろいろと教え
を受け学問を続けました。
帰郷後の生活
越後の国に帰ってきてからも、 良
寛さまは大きなお寺に住んだり、自分
の生まれた家に帰って世話になったり
しないで、国上山という山の中の、五
合庵という粗末な小屋に、一人ぼっち
で住んでいました。
五合庵の遺跡
乞食生活
乞食をして回るのですから、誰も夜泊めてくれる人がなくて、
野原の木の陰で寝たこともあります。 泥棒と間違えられて、
さんざん殴られた後で、土の中に生き埋めにされかけたことも
あります。 誰も食べ物をくれる人がなくて、 二日も三日も水
ばかり飲んで歩き続けることもあります。それでも良寛さまは、
少しもへこたれないで、あちらこちらと偉い坊さまを訪ね回って、
何年もの間学問を続けました。そしてしまいに懐かしい故郷の
越後の国に帰ってきました。
帰郷後の生活
その代わり長い冬が過ぎて、山の雪が消え始めると、良寛
さまはもうじっとしていることはできませんでした。春の野原を
飛び回る蝶々のように、良寛さまは山を下りて、毎日毎日あち
こちの村を托鉢して歩き回りました。托鉢というのは、お経を読
みながら、家々から恵んでくれる物をもらって歩くことです。
有名になった
何年も何年もそのようにして山の中に住んでいるうちに、
良寛さまはいつの間にか大勢の人から敬われ、慕われるよう
になりました。
有名になった
本当に偉い人は、どんなところにどんな貧しい暮らしをして
いても、いつかは世の中の人に知られて、敬われるようになる
ものです。良寛さまは、自分からは何一つ自慢らしく見せびら
かすようなことはしませんでしたが、いつの間にか「良寛さま、
良寛さま」と言って、あっちからもこっちからも慕われるようにな
りました。そして着物や食べ物なんかも、あちらからもこちらか
らも持ってきてくれますので、良寛さまはすこしも困るようなこと
はありませんでした。
友達
あちこちの村を歩き回っているうちに、良寛さ
まは誰とでも仲のいい友達になりました。どんな
偉い人でも、どんなお金持ちでも、どんなつまらな
い人でも、どんな恐ろしい人でも、どんな貧乏な人
でも、 良寛さまはみんな同じように親しく交わり
ました。 そして良寛さまと交わっていますと、ど
んな人でもみんな同じように、心のやさしいいい
人になりました。
友達
良寛さまはまた、草や木や獣や虫なんかとも、たいそう
仲よくなりました。みんな良寛さまのいい友達でした。花が
咲けば、良寛さまは花といっしょに笑いました。鳥が鳴けば、
良寛さまは鳥といっしょに楽しく歌いました。ですから、山の
中に一人ぼっちで住んでいても、良寛さまは少しも寂しいと
思いませんでした。
泥棒のストーリー
秋の月のいい夜のことでした。良寛さまのお家に泥棒が
入りました。良寛さまは戸に錠なんかつけておきませんでし
たから、泥棒はやすやすと入ることができました。
しかし、入るのは何でもありませんでしたが、入っても何
一つ盗んでいくようなものがありませんでした。
良寛さまは泥棒の入ったことを知っていながら、黙って
蒲団をかぶって眠ったふりをしていました。
泥棒のストーリー
その様子を見て、泥棒は良寛さまの着て寝ている蒲団を
はぐりました。 それでも良寛さまは平気で眠ったふりをして
いました。
泥棒はせめてこれでもと思ったらしく、その蒲団を持って
出ていきました。 良寛さまは黙ってそれを泥棒に持たせて
やりました。
泥棒のストーリー
しかし、一枚しかない掛け蒲団をとられてしまったのです
から、良寛さまは寒くて寒くてたまりません。 しかたなしに
良寛さまは、 泥棒の行ってしまったあとで、 がたがた震え
ながら起きました。
すると、 ちょうど窓から美しい月の光が部屋いっぱい差し
込んでいるのでした。その窓にさした美しい月の光を見ると、
良寛さまは寒いのも何も忘れてしまいました。
泥棒のストーリー
「何てまあいい月だろう!」 良寛さまはこう言って立ち
上がりました。 そして窓の障子を開けて、 長いこと月の
美しさに見とれていました。
「盗人に取り残されし窓の月——本当にそうだ。いかな
泥棒でもこれまで持っては行けんわい。ありがたいこと
だ。」
泥棒のストーリー
良寛さまはしまいには泥棒のことなんか、まるで忘れてし
まって、ただもうこうして一人で、美しい月を眺めていられる
ことを喜んでいました。

ただもう(こうして一人で、美しい月を眺めていられる )こと
を喜んでいました。
良寛さまは年寄って体が弱くなったので、山から下りて、
島崎という村の木村元右衛門という家に置いてもらうことに
なりました。その頃のことです。 ある日、良寛さまは托鉢に
出て、ある家に立ち寄りました。 すると、その家の主人は、
たいそう自慢そうに、窓のところに吊るしてある鳥籠を指して
言いました。
「良寛さま、見てください。 私のところのあの山雀はよく
馴れているじゃありませんか。それはそれはいろいろな芸当
をしますぜ。 こんないい山雀はめったにあるもんじゃありま
せん。」
良寛さまは言われるままにじっとそれを眺めていましたが、
どうしたのか、 良寛さまの目からぽろりぽろりと涙が零れ落
ちるのでした。
それを見て主人は、「良寛さま、どうかなさいましたか。」
と尋ねました。
しかし、良寛さまは何も答えずに、いつまでもいつまでも籠
の中の小鳥ばかり見つめているのです。そして良寛さまの
目からは、相変わらず涙がほろほろ零れ落ちるのでした。主
人はますます変に思いました。
すると、良寛さまは懐から紙を出し、 腰の矢立ての筆を
持ってすらすらと何か書いて主人の前に差し出しました。そ
してそのまま黙って出て行ってしまいました。
主人は良寛さまを送り出してから、ますます変な気がして、
紙に書いてある字を読んでみました。それは歌でした。
をりをりは、みやまのねぐら、恋ひぬべし
われも昔の、おもほゆらくに
その歌の意味はざっとこうです。
「おお、かわいそうな小鳥よ。お前は今そんな風に小さな籠
の中に入れられて、いろいろな芸当をやってはいるが、時々は
山の巣の恋しいことがあるだろう。仲のいい友達のいるその山
のお家が恋しいだろう。わしもそうだ。こうして今年が寄り体が
弱くなったために、人の家に厄介になってはいるが、 時々は
やっぱしお前と同じように、あの山の自分の家が恋しくなるの
だ。」
主人はその歌を何度も何度も繰り返して読んでいましたが、
「わかった。いや、私が悪かったのだ。」
こう叫ぶかと思うと、つかつかと山雀の籠のところに行って、
いきなりその戸を開けてやりました。
突然戸を開けられたので、山雀はしばらくためらっていまし
たが、やがて元気よく二声三声鳴いたかと思うと、ぱっと籠の
外へ飛び出し、どこともなく飛んでいきました。
主人はさもさも嬉しそうにそれを眺めてい
ました。そして言いました。
「かわいそうに、あのように広い世界に楽
しく飛び回っているものを、私は自分の慰
みにこんな狭い籠の中に入れておいたのだ。
鳥にだって親もあれば、兄弟も友達もある。
それを一羽だけつかまえてきて、こんな狭い籠の中に入れて
おくのだもの、 鳥の方ではどんなに悲しいことがあるか知れ
ない。 しかし、私は今日までそれに気がつかなかったのだ。
それが今日良寛さまのおかげで初めてわかった。ありがたい
ことだ。」
それからその人は小鳥を捕ったり、 飼ったりすることを、
すっかりやめてしまいました。