途中で、編集者から読者へ: 「あなたが戸独楽先生ですか?」

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途 中 で、編 集 者 から読 者 へ:
「あなたが戸 独 楽 先 生 ですか?」
原 稿 を印 刷 所 に入 れる間 際 に、編 集 部 長 に呼 び出 された。先 日 の役 員 会
の席 で、専 務 が「今 度 は娘 のために」と戸 独 楽 先 生 がいわれるわりには、「娘 さん
の出 番 が少 なすぎる」と指 摘 したそうである。上 司 には、「お前 、どうにかしろ。こ
れは専 務 命 令 だ」といわれた。思 案 の挙 句 に先 生 からいただいたメモリーにあっ
た「消 費 税 増 税 をめぐる家 族 会 議 」という書 きかけの原 稿 を私 の方 で再 構 成 し
て、「父 が娘 に語 る消 費 税 増 税 」という新 たな一 篇 を加 えることにした。
上 司 は、もう一 つ厄 介 なことをいい出 した。同 じ役 員 会 の席 で、社 長 が「
た ち の く
立 退 君 の『解 題 』はなかなかいいね。いっそ、彼 にも小 説 を書 いてもらえ」と発
言 したそうである。「立 退 」は私 の苗 字 である。上 司 には、「お前 、書 いてみろ。こ
れは社 長 命 令 だ」といわれた。今 度 は、専 務 命 令 から社 長 命 令 に格 上 げされ
た。それにしても、難 題 だった。私 は、上 司 に「なにか、ヒントをください」とお願 い
すると、彼 は、「戸 独 楽 先 生 が、〈定 常 〉と『非 定 常 』の相 性 が悪 いといわれるん
だったら、『非 定 常 』の試 みが頓 挫 した物 語 でも書 いてみたらいいじゃないか」とい
うのであった。仕 方 なく、「第 二 日 銀 の創 設 と閉 鎖 :その顛 末 」という途 方 もない
物 語 を書 くことにした。
「…その顛 末 」を脱 稿 すると、出 来 栄 えに感 心 した編 集 部 長 には、「お前 、も
う一 本 書 いてみろ。これは部 長 命 令 だ」といわれた。今 度 は、社 長 命 令 から部
長 命 令 に格 下 げだったが、仕 方 なく、「課 題 作 文 『先 生 、おカネが消 えてしまい
ました!』」を書 くことにした。戸 独 楽 先 生 の「ある中 央 銀 行 総 裁 の請 願 」からヒ
ントをいただいて、「おカネの過 剰 と不 足 」について、もう一 枚 、面 白 い風 景 画 を
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描 いてみたくなったからである。よそから見 れば調 子 に乗 っているように、私 から見
れば図 に乗 っているように見 えた編 集 部 長 は、「ついでだから、お前 、ピケティ・ブ
ームに乗 って資 産 課 税 についても書 いてみろ」と 2 つ目 の部 長 命 令 を発 した。
「国 民 の資 産 を狙 え!」と勇 ましい題 名 のものを書 くことになった。
私 が 2 週 間 程 度 ですべての原 稿 を脱 稿 すると、編 集 部 長 は、4 本 まとめて役
員 回 覧 に付 した。その翌 日 、社 長 が編 集 部 の私 の机 のところにやってきて、「立
退 君 、4 つの原 稿 のいずれも、とてもよくできていますね。ところで、あなたが、戸 独
楽 先 生 ですか?」といったかと思 うと、突 然 、ケタケタ笑 い出 した。私 は、「めっそ
うもございません。そんな畏 れ多 いことをおっしゃらないでください」と必 死 に打 ち消
した。そんなことは、虚 構 の世 界 でしかあってはならないことだったからである。社
長 は、いぜんとしてケタケタ笑 いながら、編 集 部 を後 にした。
こうなってくると、なにもかもが、やけくそになってきた。
突 然 だったが、だれもかれも、先 生 の奥 さまのことなんてまったく考 えておらず、
奥 様 がとても不 憫 に感 じられた。そこで、「お前 、『妻 が夫 に問 い詰 めるマクロ経
済 学 』を書 け」と自 分 に対 して命 じてみた。
これもまた突 然 だったが、弊 社 の編 集 のために、ここまで戸 独 楽 家 の方 々を
振 り回 しておいて、編 集 者 というよりも、一 社 員 として、なにか、深 い罪 の意 識 に
さいなまれてきた。そこで、フィクションの世 界 だけでも罪 滅 ぼしをしようと思 い、
「出 版 社 から戸 独 楽 家 への招 待 状 、あるいは、父 からの招 待 状 」を書 くことも自
分 で勝 手 に決 めてしまった。私 は、先 生 の「意 向 」に沿 ったという体 裁 を繕 いた
かっただけなのかもしれないが…
いずれにしても、自 分 の書 いたものに「解 題 」を書 くのはなんだかとっても変 だっ
たので、番 外 篇 としてまとめた「父 が娘 に…」、「…その顛 末 」、「課 題 作 文 …」、
「…資 産 を狙 え!」、「妻 が夫 に…」、「…招 待 状 」は、そこに小 説 だけを含 めるこ
とにした。
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諸 姉 諸 兄 には、読 書 の途 中 だと思 うが、こうした本 書 の経 緯 に対 して、読 者
の寛 容 を請 う次 第 である。(2015 年 3 月 吉 日 記 )
立 退 矢 園 ( Ya s o n o T A C H I N O K U )
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