平成27年度 校長ブログ 「高文連写真連盟 理事長」挨拶 東京都立多摩高等学校 第23代校長 常國 佳久 (今年度、東京都高等学校文化連盟の写真部門の理事長に就任しました。以下はそのときの挨拶です。 学校教育にも関連があると思いますので載せることにしました。読んでいただけると幸いです。) 「写真撮影の意義」――我々は何を写すのか―― 皆さん今日は。 本日は東京都高等学校文化連盟、写真連盟総会にお越しいただきありがとうございました。私は今年度理事長職 につきました常國と申します。先ほどは私を含めた担当者の就任をお認め頂き、有難うございます。一同、全力 で運営して参りますのでよろしくお願いいたします。なお、本日の会合を進めるために連盟の事務局の先生方を はじめ、各ご担当の方々、生徒諸君、また会場をお貸しいただきましたトキワ松学園様に御礼を申し上げます。 さて、皆さんは何のためにどうして写真を撮るのでしょうか? 戦場カメラマンと言う職業紹介をうける方がいます。パパラッチと呼ばれる人々もいます。これらはまとめて 報道カメラマンでしょう。誰もまだ知らないかも知れない事実を写真という動かぬ証拠を裏打ちとして、知らせ るのが仕事です。 一方で、この会に所属する写真家の方々がいます。これは報道写真家と違って、ニュース性を問うているわけ ではありません。あくまで身の回りや自然といった我々の日常触れ合う中の 1 シーンを写し取ることがその内容 です。では、何を被写体として写そうとしているのでしょうか。 例えば、みんなで同じ被写体を撮影しても、撮る人が違えば自ずと別の作品が出来上がります。そこには被写 体の一瞬一瞬の動きや輝き、人間の場合はその人の個性や人格などまでが垣間見えます。ところが、言い換える と同じ被写体を撮影しても、撮影者が違うと、違う写真になると言う感覚を我々は知っています。つまり、撮る 人自身の個性が現れると私たちは考えます。そこには撮影者自身の物の見方や感性、人間性までもが現れること があります。すると、撮影するのは被写体のはずなのに、不思議なことに、誰が撮影したのかと言う撮影者自身 が重要と言う事実があります。例えば、戦場カメラマン。あの独特のゆったりした話しっぷりです。戦場がそう であろうと思われるような緊張、命に係わる緊迫感とは無縁ではないかと思えます。すると、あのような方が写 す戦場写真とはどのようなものなのか?一つ見てみたい、という思いが湧きます。つまり、戦場という被写体そ のものよりも、その撮影者自身がどんな写真をとるのか、その写真家のとる写真が見てみたい、という気持ちが 強くなります。写した写真に、撮影者自身が現れる訳ですから、撮影するのは被写体と言うよりも写した本人自 身と言うことになります。ここに、人間の芸術活動の不可思議、奥深さが垣間見えます。特に高校生のみなさん は自分自身の成長振りが写真に色濃く映し出されるのではないですか。さあ、そこで先ほどの問いに戻る訳です。 みなさんはどうして写真を撮るのですか? 何のためにとるのですか?また、何を撮るのですか?今や空前のカメ ラ撮影ブームです。また、動画ブームも凄まじい勢いがあります。 この空前の写真ブームの中で本質を見失わな いように、じっくりと写真と、或いは被写体と、或いは自分自身と向き合って、問いかけをしながらここにお越 しの皆さんと一緒に活動をしていきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
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