9[再]・日本について 2011.07.05. 青山・文化人類学 9[再]・日本について 2011/07/05 - [2] アイヌ・沖縄について「知る」 この講義の前半を通じて、異文化理解とは「知ること」 だと学んだ 「自文化のなかの異文化」である、アイヌと沖縄につい て、知らなかったことを知ってみよう 基本的なスタンスは、「その場所が地図で赤色に塗られたことに よって、そこに暮らしているひとびとはどういう経験をすること になったのか」という、空間属性とひとびととの関わり 9[再]・日本について 2011/07/05 - [3] アイヌとは(1) アイヌとは、「人間」を意味する アイヌ民族は、「自分たちに役立つもの」あるいは「自分たちの 力が及ばないもの」を神(カムイ)とみなし、日々の生活のなか で、祈り、さまざまな儀礼を行いました。それらの神々には、火 や水、風、雷といった自然神、クマ、キツネ、シマフクロウ、シ ャチといった動物神、トリカブト、キノコ、ヨモギといった植物 神、舟、鍋といった物神、さらに家を守る神、山の神、湖の神な どがあります。そういった神に対して人間のことを「アイヌ」と 呼ぶのです。(アイヌ民族博物館ホームページより) cf. 「ヤノマミ、とは、人間、という意味だ」 9[再]・日本について アイヌとは(2) アイヌは、1つではなくもともと複数の 民族集団からなる 15世紀以降、南からの和人の勢力が北 海道内に流入し、アイヌと衝突する 1457年 コシャマインの戦い 1669年 シャクシャインの戦い 1789年 クナシリ・メナシの戦い 1869年の明治政府による北海道の編入 右=近世におけるアイヌの分布 北海道は全島が日本領 1875年、日露間で千島樺太交換条約が 結ばれる 千島は日本領・樺太はロシア領 2011/07/05 - [4] 9[再]・日本について 2011/07/05 - [5] 千島樺太交換条約の背後で起こったこと 1875年 千島列島を領有・樺太を放棄 cf. 千島アイヌ……近世には北千島・中部千島・南千島の3集団か らなり、カムチャツカ半島の住民との交易が15~16世紀頃には始 まっており、また千島産のラッコ皮や鷲羽などが日本にもたらさ れていた。近世後期、中部千島以北はロシア、南千島は日本側の 勢力下にあったが、1875年樺太・千島交換条約によりすべて日本 の統治下におかれた。ロシア化されていたシュムシュ(占守)島 やポロムシル(幌筵)島の北・中部千島アイヌ97人は、1884年 シコタン(色丹)島に移住させられたが、環境が合わず5年の内 に半数が死亡、さらに第二次大戦時のソヴィエト侵攻により色丹 島から根室に強制引き揚げを余儀なくされた。 cf. 樺太アイヌ……樺太のアイヌは3年後に日露いずれかの国籍を 選ぶことになっていたが、1875年10月、日本は樺太アイヌ841 人を北海道に強制移住させた 9[再]・日本について 2011/07/05 - [6] 大日本帝国における「アイヌ」 幕末以降、大和民族からの視点では、「劣等民族」とし て位置づけられ、教化・同化の対象であった 原住民展示(1912年拓殖博覧会展示) 資料1 国定教科書におけるイメージ 映像資料:「日本 映像の20世紀 「アイヌ」の紹介 2000年4月9日・NHK 北海道前編」より 9[再]・日本について 2011/07/05 - [7] 琉球=沖縄をめぐる略史(1) 16c初 奄美~沖縄~宮古・八重山を版図とする琉球王 国が成立する 1609年 薩摩が琉球王府を襲い、奄美は薩摩に割譲 琉球は薩摩の附庸(属国)となった=「日支両属」状態 1853年 明(中国)への朝貢を行なっていた=間接的な支配関係 ペリーが沖縄を訪れて「開国」を迫る 「琉米修好条約」締結(1854年=不平等条約) 1871年 明治日本は琉球王国を鹿児島県の管轄とする 1872年 琉球王国に「琉球藩」を設置 1879年 琉球藩に代えて「沖縄県」を設置 1871年の「廃藩置県」後に「藩」が置かれたことに注意 日本国(大日本帝国)内に組み込む→清からの抗議→アメリカが 仲裁に乗り出す→8B資料3「宮古八重山分島改約案」(1880年) 9[再]・日本について 2011/07/05 - [8] 琉球=沖縄をめぐる略史(2) 1895年 清から日本への台湾割譲 1945年3月 アメリカ軍が沖縄に侵攻 まもなく住民を巻き込んだ地上戦が始まる cf. 次々スライド 6月23日に主力日本軍による組織的抵抗は終了、沖縄のほぼ全域が米 軍支配下に入る 1946年1月 北緯30度以南の南西諸島(=奄美を含む)を日 本本土から分離 1951年9月 サンフランシスコ講和条約で南西諸島(奄美を 含む)はアメリカの施政権下に置かれる 琉球=沖縄が日本であることは「自明」となる 日本の領土ではあるけれども、一切の権限はアメリカが握る といって、アメリカ的な教育などが行なわれたりしたわけではない 1953年12月25日 奄美諸島は日本に復帰(鹿児島県) 1972年5月15日 琉球=沖縄は日本に復帰(沖縄県) 9[再]・日本について 2011/07/05 - [9] 琉球=沖縄とアイヌの比較 アイヌのような劣等民族としてよりは、「古代日本がま だ目の前に残る日本のルーツ」的な扱いをされる 一方で、勝手に外部で決められた「地図の色分け」のは ざまで「そこにいるひとびと」はやはり振り回された cf. 資料2「宮古・八重山分島改約案」 さらに、ほとんど外国語といってもよい日本語への同化 も推し進められた cf. 方言札・方言スパイ嫌疑(次からのスライド参照) 9[再]・日本について 方言札 クラスの中で「方言札」と書かれた 一枚の札を回す。方言をしゃべった 者に手渡され、持っている者は別の 生徒が方言をしゃべっているのを見 つけ出して手渡す。終業時に持って いた生徒が罰を加えられる、という 相互監視システム。 1900年ごろには存在が確認されて いる。戦前・戦後を通じて用いられ、 1970年代までは使われていたこと がわかっている。 なお、このようなシステムは、沖縄に限 らず東北などでも、方言を矯正するため に用いられた 2011/07/05 - [10] 9[再]・日本について 2011/07/05 - [11] 方言スパイ嫌疑 1945年3月、米軍による沖縄本島中南部への総攻撃と日 本守備軍による消耗戦に巻き込まれる沖縄民間人、とい う構図 映像資料『島クトゥバで語る戦世』(2005年9月10日・NHK教育 「ETV特集」) 1945.4.9.第三十二軍司令部命令「爾今軍人軍属ヲ問ハ ズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ。沖縄語ヲ以テ談話シアル者 ハ間諜トミナシ処分ス」 「日本人」と「沖縄人」を区別する指標としてのことば 琉球王国の併合から70年を経ても、琉球語-沖縄語はまったくと いってよいほど消えていなかった
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