8A・アイヌと沖縄

8A・アイヌと沖縄
2011.06.08. 成蹊教養・文化人類学の考え方
8A・アイヌと沖縄
2011/06/08 - [2]
前回:「単一民族国家」幻想
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戦前の膨張過程を通じて、日本は「多民族帝国」化した
が、敗戦により、海外領土とともに「他民族も全て喪失
した」と考えられた
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実際にはそれは間違い
地図の色の塗り替えとともに、人間は移動する:たとえば樺太か
ら北海道へ、内地日本から外地朝鮮へ、外地朝鮮から内地日本へ
結果として、さしひき「もともとの大和民族」だけが残
ったという「単一民族幻想」が、戦後になって作られた

戦後の経済成長に伴って、韓国・中国・台湾など東アジアから、
フィリピン・インドネシア・タイなど東南アジアから、インド・
ネパール・パキスタンなど南アジアから、イラン・トルコなど西
アジアから、ブラジル・ペルーなど南アメリカから、多くの外国
人が日本国内で働くようになっているが、依然として彼ら彼女ら
は「見えない」存在であり続けているのかもしれない
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アイヌ・沖縄について「知る」
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この講義の前半を通じて、異文化理解とは「知ること」
だと学んだ
「自文化のなかの異文化」である、アイヌと沖縄につい
て、知らなかったことを知ってみよう

基本的なスタンスは、「その場所が地図で赤色に塗られたことに
よって、そこに暮らしているひとびとはどういう経験をすること
になったのか」という、空間属性とひとびととの関わり
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アイヌとは(1)
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アイヌとは、「人間」を意味する
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アイヌ民族は、「自分たちに役立つもの」あるいは「自分たちの
力が及ばないもの」を神(カムイ)とみなし、日々の生活のなか
で、祈り、さまざまな儀礼を行いました。それらの神々には、火
や水、風、雷といった自然神、クマ、キツネ、シマフクロウ、シ
ャチといった動物神、トリカブト、キノコ、ヨモギといった植物
神、舟、鍋といった物神、さらに家を守る神、山の神、湖の神な
どがあります。そういった神に対して人間のことを「アイヌ」と
呼ぶのです。(アイヌ民族博物館ホームページより)
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アイヌとは(2)
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アイヌは、1つではなくもともと複数の
民族集団からなる
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15世紀以降、南からの和人の勢力が北
海道内に流入し、アイヌと衝突する
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1457年 コシャマインの戦い
1669年 シャクシャインの戦い
1789年 クナシリ・メナシの戦い
1869年の明治政府による北海道の編入
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右=近世におけるアイヌの分布
北海道は全島が日本領
1875年、日露間で千島樺太交換条約が
結ばれる
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千島は日本領・樺太はロシア領
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千島樺太交換条約の背後で起こったこと
1875年
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千島列島を領有・樺太を放棄
cf. 千島アイヌ……近世には北千島・中部千島・南千島の3集団か
らなり、カムチャツカ半島の住民との交易が15~16世紀頃には始
まっており、また千島産のラッコ皮や鷲羽などが日本にもたらさ
れていた。近世後期、中部千島以北はロシア、南千島は日本側の
勢力下にあったが、1875年樺太・千島交換条約によりすべて日本
の統治下におかれた。ロシア化されていたシュムシュ(占守)島
やポロムシル(幌筵)島の北・中部千島アイヌ97人は、1884年
シコタン(色丹)島に移住させられたが、環境が合わず5年の内
に半数が死亡、さらに第二次大戦時のソヴィエト侵攻により色丹
島から根室に強制引き揚げを余儀なくされた。
cf. 樺太アイヌ……樺太のアイヌは3年後に日露いずれかの国籍を
選ぶことになっていたが、1875年10月、日本は樺太アイヌ841
人を北海道に強制移住させた
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大日本帝国における「アイヌ」
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幕末以降、大和民族からの視点では、「劣等民族」とし
て位置づけられ、教化・同化の対象であった
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原住民展示(1912年拓殖博覧会展示)
レジュメ8B-資料1 旧土人保護法(1899年)
レジュメ8B-資料2 国定教科書におけるイメージ
映像資料:「日本 映像の20世紀
「アイヌ」の紹介
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2000年4月9日・NHK
北海道前編」より
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拓殖博覧会展示の北海道アイヌの住居
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右の女性は金田一京助の著作で有名な鍋沢コポアヌ媼
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拓殖博覧会展示の樺太アイヌの住居
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左から木村チカマ、坪沢テル、影山チウカランケ、坪沢六助の各氏
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cf. 原住民展示(1)
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1889年パリ博で「展示」された植民地住民と観客
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cf. 原住民展示(2)
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1904年セントルイス博で「フィリピン村」に「展示」されたイロンゴット
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琉球=沖縄をめぐる略史(1)
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16c初 奄美~沖縄~宮古・八重山を版図とする琉球王
国が成立する
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1609年 薩摩が琉球王府を襲い、奄美は薩摩に割譲
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琉球は薩摩の附庸(属国)となった=「日支両属」状態
1853年
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明(中国)への朝貢を行なっていた=間接的な支配関係
ペリーが沖縄を訪れて「開国」を迫る
「琉米修好条約」締結(1854年=不平等条約)
1871年 明治日本は琉球王国を鹿児島県の管轄とする
1872年 琉球王国に「琉球藩」を設置
1879年 琉球藩に代えて「沖縄県」を設置


1871年の「廃藩置県」後に「藩」が置かれたことに注意
日本国(大日本帝国)内に組み込む→清からの抗議→アメリカが
仲裁に乗り出す→8B資料3「宮古八重山分島改約案」(1880年)
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琉球=沖縄をめぐる略史(2)
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1895年 清から日本への台湾割譲
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1945年3月 アメリカ軍が沖縄に侵攻
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まもなく住民を巻き込んだ地上戦が始まる cf. 次々スライド
6月23日に主力日本軍による組織的抵抗は終了、沖縄のほぼ全域が米
軍支配下に入る
1946年1月 北緯30度以南の南西諸島(=奄美を含む)を日
本本土から分離
1951年9月 サンフランシスコ講和条約で南西諸島(奄美を
含む)はアメリカの施政権下に置かれる
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琉球=沖縄が日本であることは「自明」となる
日本の領土ではあるけれども、一切の権限はアメリカが握る
といって、アメリカ的な教育などが行なわれたりしたわけではない
1953年12月25日 奄美諸島は日本に復帰(鹿児島県)
1972年5月15日 琉球=沖縄は日本に復帰(沖縄県)
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琉球=沖縄とアイヌの比較
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アイヌのような劣等民族としてよりは、「古代日本がま
だ目の前に残る日本のルーツ」的な扱いをされる
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一方で、勝手に外部で決められた「地図の色分け」のは
ざまで「そこにいるひとびと」はやはり振り回された

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cf. 資料4 田代安定
cf. 資料3「宮古・八重山分島改約案」
さらに、ほとんど外国語といってもよい日本語への同化
も推し進められた
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cf. 方言札・方言スパイ嫌疑(次からのスライド参照)
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方言札
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クラスの中で「方言札」と書かれた
一枚の札を回す。方言をしゃべった
者に手渡され、持っている者は別の
生徒が方言をしゃべっているのを見
つけ出して手渡す。終業時に持って
いた生徒が罰を加えられる、という
相互監視システム。
1900年ごろには存在が確認されて
いる。戦前・戦後を通じて用いられ、
1970年代までは使われていたこと
がわかっている。
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なお、このようなシステムは、沖縄に限
らず東北などでも、方言を矯正するため
に用いられた
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方言スパイ嫌疑
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1945年3月、米軍による沖縄本島中南部への総攻撃と日
本守備軍による消耗戦に巻き込まれる沖縄民間人、とい
う構図
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映像資料『島クトゥバで語る戦世』(2005年9月10日・NHK教育
「ETV特集」)
1945.4.9.第三十二軍司令部命令「爾今軍人軍属ヲ問ハ
ズ標準語以外ノ使用ヲ禁ズ。沖縄語ヲ以テ談話シアル者
ハ間諜トミナシ処分ス」
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「日本人」と「沖縄人」を区別する指標としてのことば
琉球王国の併合から70年を経ても、琉球語-沖縄語はまったくと
いってよいほど消えていなかった