斎藤喜博の授業論

斎藤喜博の授業論
よい授業と教師の資質
授業を考える視点
• 授業は学校教育の根幹-しかし、
• 授業と生活指導は密接に関連
– 岳陽中学の改革
• 生徒の学びの様子の点検(ビデオ)
• 教師同士の授業見学
• ビデオ研究会(完全な平等)
• 授業はやり方で効果に大きな差
– 「島」の授業
二つの教育課程原理
• ふたつの原理
– 学問体系に則した教育内容(教科カリキュラム):
伝統的なエリート教育
– 経験に則した教育内容(経験カリキュラム):大衆
教育への新たな提起(新教育運動)
• 複線型から単線型へ
– どちらが適切かの論争
– 教育内容による違いも
よい授業を考える1
• 「できる」系の授業(算数・体育・音楽・美術)
– 到達目標は「できる」こと
• 課題となる「行為」を構成する要素の把握
– 自転車に乗れるようになる
• 最も基本となる要素をひとつ修得し、順次要
素を加えていく。
よい授業を考える2
• 「わかる」系の授業(社会・理科・国語)
• 到達目標は「理解し、記憶する」
• 通常「知識」を教える授業:×
– その知識に至る前の知識・思考を順序だてる
– 段階ごとの「事実」を配置して並べる
– 段階を進めるのは「考える」行為
• 発問は2択の考える問(正解がない)
• 知識は説明
戦前の授業論の主流
• ヘルバルト教育学
– ルソー→ペスタロッチ→フレーベル→ヘルバルト
– 実践家から学び、それを理論化
• Phase der Vertiefung
– Klarheit über das Vorwissen schaffen 明瞭
– Assoziation = Aufnahme neuer Wissenselemente 連合
• Phase der Besinnung
– Einbau der neuen Wissenselemente in das System des
vorhandenen Wissens 体系
– Durch Einüben wird das neue Wissen als Methode
anwendbar 方法
戦前教育学2
• ヘルバルトの図式的輸入→形式的応用
• 覚えるべき知識の国家による決定→教え込
み
戦後改革の新潮流
• 経験主義 デューイ理論による
– 地域教育計画などが多数立案
– 経験主義の形骸化(ごっこ遊び)
– 低学力という批判
• 経験主義と戦前的教え込みへの批判的理論
– 水道方式(数教協)
– 仮説実験授業
– 歴教協
– 教授学(教育科学研究会) 斉藤喜博
斎藤喜博生涯
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1911 誕生
群馬師範卒後小学校教師(教室愛・教室記)
戦後群馬県教祖文化部長
1952 島小校長 全国的に有名に
教科研教授学部会 ⇒ 教授学研究の会
• 定年後大学で教えつつ、教授学の研究と教
師の授業指導
斉藤喜博が取り組んだ課題
• 克服しなければならないこと
– 戦前の形式化した教授法
– 実力のない教師による遊戯化した経験主義
– 魅力のない学力の鍛練
• 新しい教授法と教師の訓練
– ひとつひとつの授業の記録と分析
– 利用可能な教育技術の創造
• 教育の本質は感動(国語・音楽・体育)
教師論
• 教師の禁句
– 校長が悪い
– 仲間が悪い
– 設備が悪い
– 子どもが多すぎる
– 子どもが悪い
– 前の教師が悪い
• 教師はいいわけをせずに実践で成果を
斉藤喜博から出発した教育者
• 向山洋一 教育技術の法則化
• 陰山英男 百枡計算
• ともに「技術化・操作的」な継承
↑↓
• 斉藤喜博との決定的相違 「創造性」
– 教師は指揮者であり、授業は創造的行為
教育の技術化・芸術化
(斉藤喜博)
知識伝達型教育
文部科学省
授業技術は重要
感動を喚起する授業が必要
教師の人格が影響
教師の教養が授業を左右
感動があれば叱る必要ない
よい教材の発見が大切
精緻な技術化(向山)
簡潔な技術化(陰山)
芸術化には批判的
教育は名人芸ではない
生活の組織も技術化
斉藤喜博の授業例
• 「春」の授業(テキスト) 以下のことを注目
– 朗読のさせ方
– 読めない字
– 言葉の吟味
– 解釈の質問(発問)
授業は何をめざすのか
• 「出口論争」 斉藤vs 大西忠治
– さまよっていた森の中で、「出口」があった。子どもた
ちは森と外の境界を出口と解釈したが、斉藤が脇か
ら口出し、もっと中が出口だと主張。子どもたちが混
乱→次第に納得
– 斉藤:どちらの解釈も正しい。創造的な解釈の広がり
が大切
– 大西: 正しい解釈が大切では
• ゆさぶり
• 定石(「**ちゃん式間違い」)
• 訓練
斉藤喜博の授業でめざすもの
• 「未来誕生」より
• 277 既成の事実を、ただ教え込み、学ばせる
というだけでなく、それを材料にして考えさせ、追
究させ、そのなかから、自分たちの新しい認識を
子どもたちに、そのときどきに再創造させていっ
て、はじめて子どもたちを教育したということにな
る。また、そうしてはじめて、子どもたちの知恵と
か知識とかが確かなものになり、子どもたちの認
識力とか、論理性とか、思考力とか、感動する力
といかいうものも強いものになってくる。
斉藤喜博のめざす授業2
• 280 子どもにほんとうの力をつけ、子どもが教
材によってつぎつぎと認識を拡大深化し、自分
の可能性を生き生きと発揮させていくような授業
をするためには、教師がまず、民族のつくってき
た、文化の方則や体系を、しっかりと血肉化して
いくという、基礎的な作業をやらなければならな
い。
• 通俗的な教師が、教材を通俗的に扱ったときに
は、子どもを平板陳腐にし、通俗的にしてしまう。
斉藤喜博のめざす授業
• 斉藤は「いい授業」であるかを何で判断する
か
– 「子どもがいきいきとしている」
– 子どもをみる「芸術的感性」が教師に必要
– 学力は「結果」としてついてくる。(めざすものでは
ない。)
斉藤喜博とグリンバーグ
• 二人の共通性
– 子どもが解放されたときもっとも成長する
– 教育は知識の伝達ではなく、創造性
• 未来の学力とポストモダンに必要な資質
• 相違
– 斉藤 教師の高い技術による指導が重要
– グリンバーグ 子ども自身が自己教育力をもってい
る。
• しかし、サドベリバレイはグリンバーグのような優
れた指導者がいるからこそ目的が達成できる
斉藤喜博の論争
• 教師の人格や名人芸をめぐって、斉藤への
批判
– 誰もが斉藤喜博のような名人芸ができるわけで
はない
– 教師の人格などは曖昧だ。(育てようがない)
– 子どもの解放ではなく、コントロールが重要
– 与えられた教材をどのように教えるか。だれにで
もできる技術が必要