第五期【第7号】 「読書のすすめ」に備えて 学級担任の仕事 ー - 滋賀県

平成24年 2月 4日
【編 集 発 行】
【100年前の2月】
鉄道院(後に鉄道省)、ドイツから蒸気
機関車を輸入、1ヶ月後アメリカからも
輸入、以後は国産蒸気機関車のみ使用。
『滋賀の教師塾』事務局
第五期【第7号】
「読書のすすめ」に備えて
【第八回教師塾開催について】
平成24年3月17日の第10回講座は、読書活
動を取り上げます。その準備として、下記の基準に
あう3冊を用意しておいてください。
1 私の推薦する一冊
2 私の心に残っている一冊
3 児童生徒向け読み聞かせ指導に用いる一冊
学級担任の仕事
ー 生徒指導実践講座Ⅲ ー
時:平成24年2月18日(土)
受付 午後12:10
開始12:50
◎場
所:県庁東館7階 大会議室
大津市京町四丁目1-1
◎交通手段:JR・大津駅下車 東へ徒歩5分
◎内
容
Ⅰ講 義:「特別支援教育について」
講 師:滋賀県教育委員会事務局学校教育課
特別支援教育室 左谷光男 指導主事
Ⅱ講義・演習:「国際理解教育の進め方と外国
人児童生徒の指導について」
講 師:滋賀県教育委員会事務局学校教育課
幼小中教育指導担当 山本祐司 指導主事
Ⅲ講義・演習:「人が輝く人権教育」
講 師:滋賀県県教委事務局学校教育課
人権教育課 首藤 勲 指導主任
◎日
ー中学校の場合Ⅲー
「帰りの会」は明日が気持ちよく始められるため
にも、さわやかに終われるようにしたいものです。
まず、「明日の時間割」が連絡係によって黒板に板
書されているか確認し、集配係が日記やノートを返
却するのを見届けます。次に時間割の記帳と荷物の
整理を促して、「帰りの会」を生徒の司会で始めま
す。学習係による学習点検の報告、生徒会各係や委
員会からの報告が一通り終わったら、担任の話で締
めくくります。ここで注意しておかなければならな
いのは、学級全体をほめる材料をあらかじめ見つけ
ておくこと、注意や指導しなければならない話は、
簡潔に的確にまとめておくことにつきます。「帰り
たい」「部活に生きたい」生徒に、ゴチャゴチャし
ゃべっても聞いてはくれません。会が終わると、日直班と一緒に教室の整理整頓を行います。窓の施錠も確
認しておきます。学級日誌は、日直生徒が全ての点検が終わった後、職員室に持参します。受け取る際に、
記録できないようなことがあったかどうか確認しておきます。部活動の開始に合わせて、活動場所に赴きま
す。この開始時間にトラブルが起こることが多いので、必ず行くようにしています。(*活動内容によりま
すが、少なくとも校内にいることを前提にして計画しておかねばなりません。)
今号からの題字は、スタンダードコース小学校の伊藤舞香さんによるものです。
第6回教師塾の感想と評価
講義・・・4.7
▼ 学校現場において、実社会に通用する社会性をつくっていくことが求められてい
演習・・・4.8
るということに、感銘を受けました。学校の中で、縦割り活動、学年での活動、学
級活動などを通して、人間関係を構築していくのだと感じました。その中で、学級
経営においては、個々の居場所を見つけられる雰囲気のある学級文化の創造を、大切にすべきだと思いま
した。(小S女)
▼ 「学校とは何をするところだと思う。」と、尋ねられたことが一番印象に残っています。私は今まで、
学校とは友達と人間関係を築きともに勉強するところだと思っていました。でも今日の演習を受けて、学
校とは大人になって嫌なことがあったときに、「逃げずに向き合うための練習をするところ。」と、教え
て頂き、非常に納得し考えが変わりました。(小S女)
▼ 「黄金の3日間」と言われるように、学級を経営していく上での「学級開き」の重要性を改めて感じま
した。現場の先生のお話から、担任の先生は、子ども達の不安を取り除くため、クラスのルール作りを円
滑に進めるため、信頼関係を築くためなど、様々な視点から細やかな心配りをしていくことが大切だとい
うことが分かりました。(小S女)
▼ 学級を開くにあたって、担任が子どもに伝える熱量は相当なものだと思いました。その熱量が計画的で
具体的で、子どもの方へ向いていれば、それが熱意に変わり、良いスタートが切れると感じました。学級
目標の四字熟語というのは、そういった点でも、子どもに伝わりやすいメッセージになるのかなと考えさ
せられました。(中S男)
▼ 生徒に対してこれだけは譲れないことを、今からきっちり決めて守っていきます。特に生徒に対して時
間厳守を徹底させるだけでなく、まず私が、必ずチャイムと同時に挨拶して授業を始め、終われるように
していきます。そして注意や指導しなければならないことも、つい見て見ぬふりをするのではなく、生徒
が聞く聞かないは別にして、まず私が口に出していきます。(中A女)
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[事務局長の独り言
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事務局長
寺村銀一郎
これ常識と思っていることが、実は・・・国名について(6)
山村昌永の『訂正増譯訳采覧異言』中の歐邏巴エウロッパ洲諸國を続けます。*印は、寺村がつけた注釈です。
・フランス拂郎察 羅フランシア、国フランセ(*Franceフランス)、ガアリヤ、フランカレキス、フランガレギョム、
古名ガッリア、ガアリヤ、意フランスヤ、フランガレイキ、和フランス(*Franse)、『海国
聞見録』には仏蘭西と記載
ノルマンデア諾尓満弟亜(*侯国が存在)
・オッランド喎蘭地 ヲランド
ヲランデヤ この国の総名はネデルラント涅垤児蘭土
(*Nederlanden低地諸邦の意) 羅セルマニア・インヤリヨル、ベルギカ別尓技哥、ペルキ
ュム、拂パイスパス(*Pays-Basペイ・バ)。
オッランド喎蘭地はその内の一州で、羅ホルランデア、拂ホルランデ、自称ホルランド
(*Holland)、ホは喉音であるからオッランドあるいはオッランデアと聞こえる(*ポルト
ガル語Holandaは記載なし)。我が国にて阿蘭陀と書す例あり。この州は開基の州であるか
ら、総州名に用いられた。我が国の「大和」と同じ。『坤輿約説』に「涅垤児蘭土」の中
に自立する州ホルランド等七州、外邦の人はこれを総称してホルランド。他に10州は自
立せずにスパアンセ・ネデルランド斯把盎設涅垤児蘭土(*スペイン領ネーデルランドSpaanse Nederlanden、スペイン継承戦争、オランダ戦争等を経てヲステンレイキセ・ ネデルラ
ンド窩失天歴乙吉設涅垤児蘭土(*オーストリア領Oostenrijkseネーデルランド)。
*ちなみに1581年の事実上の独立時は、ネーデルランド七州連合共和国de Republiek der Zeven Verenigde Nederlanden
あるいは、ネーデルランド連邦共和国de Republiek der Verenigde Nederlanden。フランス革命からナポレオン戦争
中にフランスの影響下に1795年ヴァタビア共和国Bataafs Republiek、1806年オランダ王国Koninkrijk Holland、1815年
ウィーン条約により南ネーデルランドを得て独立回復し、ネーデルランド連合王国Verenigd Koninkrijk der Nederlandenに移行、1839年南ネーデルランドのベルギー王国Koninkrijk Belgiëとしての独立を認め、ネーデルランド王国het
Koninkrijk der Nederlandenとなり現在に至る。これをオランダ王国と呼んでいるが、この国の外務省は、ホラント州
が商業さかんでこの頃にホラント商人が海外に進出、オランダと呼ばれるようになった、とHPに記載。
・アンゲルア漢乂利亜 諳厄里亜 アンゲルア アンゲリヤ
大ブリタニア蒲利丹尼亜(蘭Groot-Brittannië *英Great Britain)王国と自称
意エンゲルタイラ、波アンキリヤ、和インゲランド、羅アンゲリア、アンギリア、拂エン
ゲレテルレ、和エンゲラント、中国の『海国聞見録』には英機黎、古名はアルヒオン、ロ
ーマ時代にブリタニア蒲利丹尼亜の名称あり。「イギリス」は「エンゲルスが轉じた」(*
と記しているが理由は記載なし)。『萬國傳信記事』から、ゴロヲトブリタンニア大蒲利丹
尼亜島にはアンゲリア諳厄里亜とスコシア思可齊亜の二国が存在し、諳厄里亜の女王厄利
沙別多*Elizabeth歿後に思可齊亜王がヤコブス雅谷普斯*Jacobus(英James)1世となり両王
国の王となる(*著者は同君連合が理解できず)。その後1707年にアンナ盎那(*Annan 英
Anne)女王により両国一体化、以後は大蒲利丹尼亜(蘭Groot-Brittannië *英Great Britain)王
國と自称。*その後1800年にアイルランドと「大ブリテン及びアイルランド連合王国」発足。
スコッテア思可齊亜 和スコットランド、シコッテア、羅スコヲシア、拂エユリセ、別名ノオルド(*北)ブリタン
ニア
イペリニア喜百泥亜 和イールランド 羅ヒペリニア 拂イルランデ 意而蘭大 大蒲利丹尼亜に属す
・ヘルヘシア赫尓勿萋亜 拂シュイッセ(*Suisse) 和スウィッセルランド(*Zwitserland)
入尓馬泥亜の窩失突利亜の支配に抵抗し1648年のウェストハリイ物斯法略の和約の際に1
3州にて独立し建国。 ヘルヘシアはこの地域の旧号。*我が国ではスイス。
・ロテリンシア羅得林日亜 拂ロルライネ(*ロレーヌ)、和ロタリンゲン(*ドイツではロートリンゲン)
・ギリッシア厄勒示亜(*示は「はつがしら」あり)、ガラレヲ ゲレシア
拂ケマッセ、和キリイキズ、ギリイクンタント、トルコの支配
・ブルガリア歩尓葛利亜 大半は都児格トルコの支配下
・セルビア設尓非亜
大半は都児格トルコの支配下
・ダルマシア大尓馬示亜 大半は都児格トルコの支配下 一部は勿搦示亜ヘネシア(*ヴェネティア)の支配下にあり
亜弗利加アフリカ洲諸國 *アフリカを漢字で利未亜と表記しながら、羅・和ともにアフリカ、拂アフリクと紹介
・トルカ都児(耳)格 羅トルシア、和トルコ、トルケイエン、オットマンセ・レイキ、漢訳・都児格、度尓格
この国は亜細亜州より歐邏巴州や亜弗利加州に進出し、首都は厄勒(示)亜ギリッシア(示
は「はつがしら」あり)の地にある邏馬の中興の帝公斯璫低奴撲コンスタンティヌス瑪孤奴斯
大帝が築いた公斯璫低諾波児であることから亜弗利加に分類することは疑問。この首都を
都児格は、斯璫歩児スタンブルと呼んでいる。
・カアプトホユスベイ曷叭布剌(カアプル)
漢訳:喜望峯
意カアポ・テ・ボネ・イスプランサ、羅カヒュット・ホナスベイ 拂カアポ・デ・ホンネ
・エスペランセ、カアポ・デル・ヒオナ・エスペランサ、和カアフ・デ・クウデ・ホウブ
カアプ(*英語でCape of Good Hope、ポルトガル語でCabo de Boa-Espérança、オランダ語で
Kaap de Goede Hoop、フランス語でCap de Bonnne-Espérance、イタリア語でCapo di Buona
Speranza)、 1650年から和蘭オランダ人が入植し歐羅巴より東に向かう交通の要所として加
斯多魯撲那斯百乙喜望城と海港を築き、通過船舶から重税を取り立て支配している。
*『萬國傳信記事』には加普牒般涅尼斯伯郎設カアプテホンネエスペランセとあるとし、加普は「峯」と記し、漢訳
の喜望峯を採用。峯については亜弗利加の極南界にあるこの地の山を海から見れば、テーブル状でオランダ語でタ
アフルベルグ打弗尓別尓孤(卓山と訳)と呼んでいると説明。またカアボ、カアプはともに峯で海岸にある山と理
解。カアプ(*正しくは岬)云々の地名は多いが、単にカアプとされるのはここのみとも紹介している。
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