関東大地震の回顧 防災工学 (火曜日3限) 担当教官:田守先生 はじめ 大正12年9月1日(1923)に起こった関東地震(M=7.9)の 地震が日本に与えて打撃は極めて大きく、昭和の大恐慌ひ いては太平洋戦争の遠因となったとされている。関東地方全 域と静岡、山梨両県に大災害をもたらした。死者不明者14万 人、焼失家屋44.7万戸、全半壊25.4万戸にのぼり、被害総 額は相当大きい。今回の課題は関東大地震の時に建物に 起こった被害の現象及び要因に関する分析であり、今後の 建物に運用する防震対策を検討する。 目次 • 地震分布図 • 都内火事分布図 • 都内の地震被害 • 終わり (1)地震分布図 ・地震に伴う上下地殻変動 このM=7.9に達する地震に 際しては、断層が相撲湾中央 部に北西-南東の走向に沿っ て発生し、その北東側がずり上 がる変動を起こした。したがっ て、南関東の多くの水準路線 を改測することにより、1mを超 える。三浦、房総半島を伴った ことが明らかとなった。 (2)都内火事分布図 (3)都内の地震被害 日本橋三越新館6Fの焼け跡 六区の興業街もすべ て全焼するに隣接して、 何故か浅草寺のみ焼 け残った。前方に見え る五重塔、伽藍の大屋 根、境内の樹木が丸ご と火難を避けた。市民 は観音様の御利益と噂 した。境内に避難した 人は助かったのである。 東京を一望できる名 所として人気があり浅草 の象徴でもあった、煉瓦 造り12階の凌雲閣は8階 から上が崩落した。再建 されず、爆破の上撤去さ れた。 静岡県、熱海海岸に津波が襲来後に壊れた民 家の様子 終わり 関東大地震の被害から耐震設計の必要性 が最も重視され、1924年ついに[市街地建 築物法」が改正され、水平震度0.1を導入し た地震力規定が制定された。これは日本で 始めての耐震規定である 。
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