主は盲人の目を開かれる

2016年第3期第3課
7月16日
第3課 7月16日 旧約聖書における正義と憐み(その1)
「しえたげられる者のために
さばきをおこない、
飢えた者に食物を与えられる。
主は捕われ人を解き放たれる。
主は盲人の目を開かれる。
主はかがむ者を立たせられる。
主は正しい者を愛される。
主は寄留の他国人を守り、
みなしごと、やもめとを
ささえられる。
しかし、悪しき者の道を
滅びに至らせられる」
(詩篇 146:7~9)
第3課 7月16日 旧約聖書における正義と憐み(その1)
「しえたげられる者のために
さばきをおこない、
飢えた者に食物を与えられる。
主は捕われ人を解き放たれる。
主は盲人の目を開かれる。
主はかがむ者を立たせられる。
主は正しい者を愛される。
主は寄留の他国人を守り、
みなしごと、やもめとを
ささえられる。
しかし、悪しき者の道を
滅びに至らせられる」
(詩篇 146:7~9)
第3課 7月16日 旧約聖書における正義と憐み(その1)
「しえたげられる者のために
さばきをおこない、
飢えた者に食物を与えられる。
主は捕われ人を解き放たれる。
主は盲人の目を開かれる。
主はかがむ者を立たせられる。
主は正しい者を愛される。
主は寄留の他国人を守り、
みなしごと、やもめとを
ささえられる。
しかし、悪しき者の道を
滅びに至らせられる」
(詩篇 146:7~9)
神様はご自分の民を繁栄する国民にしたいと望まれました。そのため神様は
これらの必要を満たすために律法をお与えになりました。それは「社会的正義」
と呼んでいるものです。
外国人を苦しめたり虐げるな。
未亡人や孤児を悩ますな。
悪を行う多数派に従うな。
貧しい人にずるい方法で接するな。
敵が困っている時は
助けなさい。
試練の間貧しい人たちを
がっかりさせるな。
無罪の人に嘘をついたり
不公平にするな。
賄賂を受け取るな。
貧しい人に余分の収穫物を
取っておきなさい。
神様はイスラエルに
3種類の安息(休息)を
守るように命令しました。
レビ記 25:8-55
7回の安息の年
毎のヨベルの年
出エジプト記
23:10-11
出エジプト記
20:8-11
週毎の安息日
(普遍的に守ら
れている唯一の
安息日)
土地を休ませる
安息の年
どのように「社会的正義」がこれらの残りの時代に象徴されていますか。
週毎の安息日
召使い、外国人、家畜は休まなければならない。
出エジプト記20:10
安息の年
土地からのすべての果実は貧しい人に与えられる。
残りは家畜に与えられる。出エジプト記 23:10―11
ヨベルの年
財産は元の所有者に戻る。レビ記 25:10
負債は赦される。レビ記 25:28
奴隷は解放される。レビ記 25:40-41
「神がお命じになった原則は、富者が賢者を圧迫し、
貧者が富者を疑い憎んだ結果、各時代に起こった恐ろしい
罪悪を阻止する事であろう。それは、百万の富の蓄積に
必要な育成、幾万の人々の労働賃金が低いために
必然的に起こる無知と堕落をも防ぐことであろう。この
原則は、現在世界を無政府状態と流血ざたに陥れようと
している諸問題に平和的解決を与えることであろう。」
E.G.W. (人類のあけぼの第51章)
第七日安息日は神様が創造主でこ
の地に住むすべての者、金持ちで
も貧しくても休みを与える者です。
全世界的な安息日の休みは金持ち
であったも貧しくとも全ての者に
共通に適応するものであり、共通の
父なる神のもとに人類の平等と配
慮を意味するものです。
一方、「儀式的な」休息の期間は
永遠の原則を示しました。それらは
必要のある人たちをどのように待遇
するのかの範例です。
私たちはこれらの永遠の原則に
そって生きるならこの世界で神様の
性質をあらわすでしょう。
預言者は通常、困っている人々を優遇するように
語りました。彼らは不和と略奪の酷使から立ち
帰るよう神の人々に呼ばわりました。神様は
これらの行動を伴う礼拝は拒否されます。
「善を行うことをならい、公平を求め、しえたげる
者を戒め、みなしごを正しく守り、寡婦の訴えを
弁護せよ。」 (イザヤ 1:17)
「…見よ、あなたがたの断食の日には、
おのが楽しみを求め、その働き人をことごとく
しえたげる。」 (イザヤ58:3)
「わたしが選ぶところの断食は、悪のなわをほどき、くびきのひもを解き、しえた
げられる者を放ち去らせ、すべてのくびきを折るなどの事ではないか。また飢え
た者に、あなたのパンを分け与え、さすらえる貧しい者を、あなたの家に入れ、
裸の者を見て、これを着せ、自分の骨肉に身を隠さないなどの事ではないか。」
(イザヤ 58:6-7)
「弱い者と、みなしご
とを公平に扱い、
苦しむ者と乏しい者
の権利を擁護せよ。
弱い者と貧しい者を
救い、彼らを悪しき者
の手から助け出せ」
(詩編 82:3-4)
私たちはただキリストを信じるからクリスチャン
と言う訳ではありません。クリスチャンはその
生き方によって神様の性質を反映しなければ
なりません。私たちはこの世を照らす光に
ならなければなりません。私たちは教会で
礼拝する以上に礼拝の生活をしなければ
なりません。昔の預言者の教えのように礼拝
の1つの方法は貧しい人たちを助け、雇い人
に給料をあげる事です。短く言えば、正しく憐
れみ深くすることです。
「父なる神のみまえに清く汚れのない
信心とは、困っている孤児や、やもめを
見舞い、自らは世の汚れに染まずに、
身を清く保つことにほかならない。 」
(ヤコブ1:27)
「神様に対する真の愛は常に自ら明らかとなる。
それは隠されることはない。神の戒めを真実を持って
守るもの達はキリストが父なる神と同朋である人類に
示された同じ愛を現すであろう。キリストを心に宿して
いる者はその品性にキリストを現し、信仰の家族の
ためになす働きと、真理の知識に導かれる必要の
ある人々のためになす働きのうちにキリストを現す
であろう。彼は、良い働きによって信仰の実を常に
示し、愛ある言葉と情け深い行いによってキリストを
現すであろう。」
E.G.W. (The Upward Look, April 22)