Page 1 Page 2 是等は程ふるつゝ也。 つゝくつゝともいふ。 後撰

1981
March,
244,
pp.233
愛知教育大学研究報告,30(人文科学編),
一
本居宣長の﹁つつ﹂理解について
文末の用法を中心に-
・
・
・
・
・
高
・
・
瀬
正
一
﹃手爾葉大概抄﹄に比べれば、﹁ほとをふる心﹂つまり﹁継続﹂に
て、文字かはるなり
う。文末の﹁つつ﹂すなわち﹁つつ留﹂は、中世歌学では﹁秘伝﹂
ついては指摘があるがい﹁﹁二事相井﹂は欠如している。これは、﹁澄
1 稿では、﹁つつ﹂の文中の用法について考察を試みたが、本稿
となっている。鎌倉末期から室町初期に成立したといわれる﹃手
ろうか。﹃手爾葉大概抄﹄に比べれば、より具体的に用例、すなわ
更に時代は下って、江戸時代末期の、有賀長伯が著した﹃春樹頭
○つゝ留の事
秘増抄﹄を考えてみよう。
一、つゝとめにはロ博あり。つゝには、程ふるつゝ
歌よみは心つかひすへきよし先達申給へり。仍用捨せし
なから
筒留ハ程経ル之心カ又非Jツハーつ事相井之詠歌一禾い留也。
この記述によれば、﹁つつ留﹂には、﹁程経﹂と﹁二事相井﹂用法
があるという・現行の術語でいえば、前者は、﹁継続﹂であり、後
者は、﹁同時並行﹂となろう。従って、送り仮名から考えれば、﹁つ
つ留﹂は、継続﹂か﹁同時並行﹂の何れかを表しているといえよ
次に室町末期に成立したといわれるJ春樹頭秘抄﹄では、
一
正
瀬
高
じ長
んを
ち膏
やす
うさへ
とし
味深
二八
つまり、﹁つつ留﹂に関して、そこに﹁飴情﹂を認めており、その
むる也。終句の外の四句にあるつゝはそのさたに及はす
﹁言外の意味﹂は、﹁修行﹂によって覚るべきだとしている。この
田子のうらに打いてゝみれは白妙のふしのたか
﹁つつ留﹂が、﹁余情﹂を含むとする考え方は、﹃手爾葉大概抄﹄
新古今
以下、﹃氏邁乎波義慣紗﹄に至る系列には認められなかっだもので
ねに雪はふりつゝ
古今
思ひつゝぬれはや人のみえつらんゆめとしりせ
は覺さらましを
い﹃氏遠乎波義慣紗﹄が中世以来の伝統的な説を踏襲してぃるの
あり、新たな考え方といえよう。ただ、時代的にも殆んど変らな
に対して、﹃てには網引綱﹄が新たな説を提示している訳でやや奇
かきくらし雪はふりつゝしかすかに我家のその
是等は程ふるつゝ也。つゝくつゝともいふ。
にうくひすそ鳴く
異な感がしない訳ではない。しかし、﹃てには網引綱﹄自体が、
が家卿のてにはが酎㈲といふ書に宗祇肖柏の奥書をぬへて世
後撰
これはなからのつゝ也。
今集﹄では、﹁ずっと思い続けている﹂ことを述べてぃるのである。
﹃新古今集﹄の用例では、﹁雪がすっと降り続く﹂ことをいい、﹃古
一巻いかめしき奥書等もあれと是又隨にいかなる者の作せる
もみえす偽書たる事顛然たり又春樹穎秘抄とて世に行はるゝ
に秘蔵の事とて持傅へたる人有此書は定家卿の述作の目録に
24
一
一
﹁程ふる﹂用法を﹁つゝくっこと明確に規定している。つまり、
更に、新たに﹁なからのつゝ﹂を付加している。
ともみえす其書は詞とてにはを混雑して抄出す尤但しかたし
﹁尤信し吟たし﹂としたりして伝統的なてにをは秘伝書に対して
の如く、﹃手爾葉大概抄﹄を偽書と見倣したり、﹃春樹顛秘抄﹄を
以上から考えて、﹁つつ留﹂の第一義的な用法は、﹁程経﹂つま
並行﹂や、﹁ながら﹂つまり、﹁逆接﹂であることが窺えるのでは
すこぶる影判的である。﹁つつ﹂につぃても、
りヽ↓継続﹂であり、それに付随して、﹁二事相井﹂つまり、﹁同時
なかろう赤。尚、同様の記述は、宝暦十年(一七六〇)雀部信頬
心得るも極て僻事也俊成定家の雨卿てにはの傅をし玉へる事
へC\Af哉留は秘傅ある事なといひて天下の道を一家の傅と
川々ととまるうたおほよそほとふるつ≒なからのつゝとい
が著したぐ﹃氏邁乎波義憤紗﹄にも
をきかす
れば、﹃か人一首﹄の↓4
田子の浦にうち出でてみれば白妙のふ
u
﹁二噛﹂が﹁余滴﹂を表わすことの指摘は、山口明穂氏によ
引綱﹄の独自性を云々するのは早きに失する。
えるべきであろうか、もちろん﹁つつ﹂の記述のみで、﹃てには網
っ﹂の記述の特異性に関しては、伝統性を打破した新たな説と考
とあり、﹁秘傅﹂であることを否定している。従って、寧ろ、﹁つ
へり。
と見えている。
ところべ﹁つっ留﹂に関して、明和七年二七七〇)栂井道敏
が著した、}てには網引綱﹄には、次のような記述が見える。
結句の末につゝと留3は江除情あるへし(中略)つゝ留は除
漂叫きりなくして千雙万化するもの也すへれし阻にの意味は我
見識の及ふほとならては見ゆへからす道の修行の至に隨て意
本居宣長の「つつ」理解について
じのたかねに雪はふりつこに関して、応永十三年(一四〇六)
法つまり、﹁継続﹂を看過し易いが、仔細に証歌を検討すれば、次
なつ衣きて幾日にか成ぬらん残れる花はけふもちりつゝ
千載
水鳥を水のうへとやよそにみん我もうきたる世をすく
oo
しつゝ
新古
の様な記述に逢着するのである。
おもふへし
?
吋
とみえている。因みに、宗祗抄の﹃百人一首抄﹄(文明十年(一四
もといへる也へ我もうきたる世をすくしつゝは水鳥も我もと
右二首ともに程を経る心有へけふもちりつゝはきのふもけふ
此雪ハふりつゝといへるによせいかきりなし富位郎妙の理を
写の、a﹃御所本百人一首抄﹄に、
つ留﹂,の用例が3例見られるが、﹁つつ﹂に言及しているのは、先
七八)奥書)にも、同様の記載がある。﹃百人一首﹄には、他に﹁つ
秋の田のかりほの庵のとまをあら
いふ心にてさて世をすくしつゝといへるにほとふる心有へし
他は、≒1
の用例のみである。
尤飴情あり
前者で、全く触れることのなかつた﹁程経﹂用法をここでは指摘
みわがころもでは露にぬれつこで、﹁つつ﹂に対する直接の言及
では々いが、
と考えられる。それでは、何故に前者には、﹁程経﹂意を付加しな
している。つまり、﹁つつ﹂を、﹁継続十余情﹂として捉えている
と、﹁よせい(余情)﹂の語が見えている。宗祗抄の本文も同様で
かつたのであろうか。先掲の、﹁つつ﹂の解説の末尾には、
能々よせいをおもふ斗とそ
ある。
さるによりて種tの体あるへしω
﹃てには網引綱﹄に即して検討するならば、前者は、﹁余情﹂のみ、
とあり、証歌をあげて、﹁つつ﹂を石種に大別しているのである。
してみると、﹁つつ留﹂を﹁余情﹂とみる考え方は、少なくとも
﹃御所本百人一首抄﹄まで潮れる訳で、﹃てには網引綱﹄が嘴矢と
うき人の月はなにそのゅかりそと思なからも打なかめ
かょひこし宿の通芝かれくにぁとなき霜のむすほゝ
て、
みょぅ。
的
﹃玉緒﹄では、﹁○下にこゝろをふくめてぃひすっるっことし
次に目を転じて、本居宣長の文末の﹁っっ﹂にっぃて、考ぇて
二
後者は、﹁継続十余情﹂と考えるべきであろう。
はいえないようである。
さて、﹃てには網引綱﹄の記述は、これだけではなく、先の秘伝
新古
書と同様に証歌を掲げて具体的に説明している。
○ゝ
○
っ
同
れっ○
ゝ○
oo
Qo
かんしよう
右ヘ打なかめつゝヘむすほゝれつゝともに感情有て言外の意
︱
E
ぺ
一
正
瀬
高
の外に言をふくめり。そのふくめたる意は。一首の趣をよく
挙げて
︱
右の歌共のごとくっゝといひすてて。上へかへらぬは。皆詞
集﹄1例(同一歌が﹃拾遺集﹄にも見える)の合計15例の証歌を
の様に、右の歌を含めて、﹃古今集﹄13例、﹃後撰集﹄1例、﹃萬葉
ある。﹁テカラニ﹂にっいては、⊇日本文法大辞典﹄にょると、
意をことさらに補おうとしてぃ弓﹃玉緒﹄とは相意してぃるので
われる。ただ、狸言の﹁テカラニ﹂を充てている点で、言外の余
ぃとある点から考えて、成章の理解も、狛長と共通するものと思
べていないが、﹁よみづめには、ことに1
三〇
とある・官一長のように、﹁詞の外に意をふくめり。﹂と明確には述
﹁てからに﹂をつけた動詞が好ましいものでないことを表わ
として、
倒置法またはいいさしの副文止めとして文末に用いられる。
%こめたるもののみ多﹂
味ふれば・おのづから心にうかびてしらるゝものなり。
と、述べている。﹁詞の外に言をふくめり。﹂とあるように、﹁つっ﹂
に﹁言外の余意﹂を認める把握の仕方をしており、その意味は、
す。非難する気持ちをこめてぃうことが多い。
とある。文末の﹁つっ﹂の訳例としては、全て﹁非難する気持ち﹂
山里は秋こそことにわびしけれ=鹿のなくねにめをさ
古四
﹁趣を良く味わえば自ずから感得される﹂としている。その他に、
︱
﹁○てに通ふっゝ
I﹂の一種として、
を含むことになり、いかがと思われる節もあるように見受けられ
以上から、宣長にしろ、成章にしろ、﹃手爾葉大概抄﹄以下の所
理もないかも知れない・
る・尤も、﹁きはめて心得やすから﹂ぬ結果充てたのである故、無
まし︹つこ
以下、﹃古今集﹄2例、﹃後撰集﹄1例、﹃拾遺集﹄1例の計5例を
掲げヽ
﹃てには網引綱﹄にみられ渇如き﹁余情﹂を中心とする理解をし
謂、伝統的なてにをは秘伝書の﹁継続﹂を中心とする理解よりも、
ていることが分る。尤も、出口明穂氏が注意しているように、宣
右のたぐひの引は・留りにあれども。上へかへる格なる故
︱
iとっなり。
に。中にあるも同じことにて。上の件のっゝとひ
として、云わば見かけの上の文末の﹁つっ﹂に対して、それが、
れば、ふと思ひ至りがたし。この︹つっ︺、歌詠みは知りて説
購ひ得たるが、この本の名は宣長の蔵書目録にも載する所な
綱なり。余は本居の蔵書印あるこの本を偶然大阪の書肆より
かくてその先限のうち、特に著しきは栂井道敏のてには網引
点からヽ夙に卵田孝雄が、
さて、﹃玉緒﹄と﹃てには網引綱﹄の関係にっいては、係結の観
があろうが、少なくとも類似するものがあると思われる。
長の把握の仕方と﹃御所本百人一首抄﹄が同義と考えるのは問題
文中の﹁つっ﹂と同一であるとの注意をうながしてぃるのである。
○第二︹末のっっ︺といふ。多くは本・末のよみづめにあり。
因みに、富士谷成章は、Jあゆひ抄﹄で、
︹つっ︺にはこの例きはめて心得やすからす。ただ一例の心
かず、歌説きは説きて知らずと語られき。(中略)また、この
り。(中略)特に﹁つっ﹂かなを結鮮とすることは手爾波大概
に変はらねど、よみづめには、ことに心をこ心たるのみ多け
口づから伝へられたる事あり。
例の︹つっ︺は、里に﹁テカラニ﹂と言ふに当たれりとて、
1
24
一
本居宣長の「つつ」理解について
所にして、てには網引綱にもまたこの二語を結鮮の末に置き
抄の筒留などの鯨波にして曹式のてにをは學者のすべていふ
週乎破義憤紗﹄でさえ、古田東朔氏は、
あろう。又、﹁つつ留﹂に関しては、旧来の﹁程経﹂説をとる、﹃氏
うように、宣長が、﹃てには網引綱﹄を所有していたことは確実で
年よりも後の成立であることが分る。何れにせよ、山田孝雄がい
r氏涸乎波義憤紗﹄も内容を比較するとき、連関があるよう
﹁かな﹂は曹来歌道に於いて最も大事の詞とせるを見れば、
に思えるのだが、証拠の見いだせない現在断言を保留するほ
てあるが、玉緒も亦之を末に置けり。(中略)かくして﹁つつ﹂
いふべし
と、控目な態度をとっているが、その後で、先学の諸説をとりあげ
かない。
本居も亦未だ曹套を全然脱却し得ざりしことを澄するものと
と、両者の影響関係を想定している。それでは、宣長は、その他
のてにをは秘伝書や研究書を見た可能性はないのであろうか。も
慣紗﹄が﹁は﹂﹁も﹂を取りあげている点、宣長に影響を与え
ともに、(筆者云、山田孝雄、重松信弘、田辺正男の諸氏)﹃義
宣長はまさにそのようなてにをは伝授書(筆者云、例えば﹃春
ちろんそんなはすは、ない訳であり、﹁即田東朔氏は、
と述べている。﹁つつ﹂に関して、対照的な両書がともに、宣長に
ているのではないかとの見解を示されている。
る環境のただ中にあって歌を学んでいたわけである。﹃網引綱﹄
影響を与えているとのことである。この影響とは、﹁係結﹂であり
樹顛秘増抄﹄の如き)刊行された研究書などについて知り得
以外のものについても、目にふれたり、手にしたりする機会
当面の﹁つつ﹂自身とは視占が相違していることはいうまでもな
い。してみると、宣長は、﹃玉緒﹄に於いて、文末の﹁つつ﹂すな
はあり得たと思われる。
と、述べている。
わち﹁つつ留﹂に関して、旧来の伝統的な﹁程経﹂意の﹁つつ﹂
れるのである。そこには、宣長の一つの見識が窺えよう。確かに、
ではなく、﹁言外の意﹂を含んだ﹁つつ﹂を選択していると考えら
山田孝雄のいう様に、﹁係結﹂の観点からみれば﹃手爾葉大概抄﹄
因みぺ﹃てには網引綱﹄は、﹃費暦二年以後購求謄寫書籍1
﹃手爾波大概抄﹄についても、同書にゴ、大概抄六﹂とあり、更
﹄の﹁貧目﹂の項に﹁ てには網引綱二﹂と記載が見えており、
に、﹃鈴屋蔵書目録全﹄の﹁黎﹂部に、ブ手爾波大概抄一﹂と記さ
るが、﹁つつ﹂に限定すれば、﹃手爾葉大概抄﹄と﹃てには網引綱﹄
←﹃てには網引綱﹄←﹃詞の玉緒﹄という一つの系列が考えられ
とは、連続しておらす、断絶が見られたのであった。少なくとも、
鈴屋蔵書目文化六年。﹄の妨には、見えていない。
﹁つつ﹂に関しては、先掲の山田孝雄の如く
れている。但し、4
この一冊の外に、﹁鈴屋蔵書目録全﹂と外題を付したる書目一
両者については、﹁文化六年編﹂の践で、本居清造氏が、
冊古くよりあり、その編纂年代不明なれども、文化十四年成
本居も亦未だ曹套を全然脱却し得ざりし
三一
﹃玉緒﹄と﹃てには網引綱﹄の﹁つつ﹂の特異な記述が一致する
とは、いい切れないように思われるが、いかがであろうか。又、
りて、刊行されたる後鈴屋集を記入せるによりて、文化六年
編のこの書目より後のものなること確かなり
と述べている。﹃手爾葉大概抄﹄の記載が見られるものは、文化六
0
24
一
正
瀬
高
ぽ劣れることは、両者の影響を側面から裏付けるものといえる
パドドヰヤドリ八町鸚回
なるまい。
三
底に見えつゝ
三二
へえもいはすおもしろきけしき哉とふくめり。
へ、老もてゅく事よとふくめり。
ノ八つの年のをはりになるごとに雪もわが身もふりまさり
ふりまさりつy\
52
口6
︲こ
こひしねとするわざならしうば玉のよるはすがらに夢に見え
^ Aつつゝには逢事なくてたへがたきまで懸し
夢に見えつA
次に﹃玉緒﹄と﹃遠鏡﹄の記述の比較を試みょう。両者の比較
の意義については、前稿で述ぺた故、ここでは繰り返さない。既
きはこひしねとするわざならし也。
れ[目]
へいとゞぬるさ﹂とよ。
見まくほしさにいざなはれつゝ
へいとゞわびしくかなしき別なるかな。
へ下にのみこふることのくるしさよ。
ぺまたではえあらす懸しき事よとふべめたり。
補足の部分については、例えば﹁51見せぬ事よ﹂の様に郭嘆表現
立またれつゝ
772こめやとは思ふものからひぐらしの鳴ゆふぐれはたちまたれ
□J[ヱ]
むすぼゝれつゝ
65
こ3
1花
1す
に、きほに出てこひば名ををしみ下ゆふひものむすぽゝれ
ふ伺そほぢつゝ
639あけぬとてかへる道にはこきたれて雨もなみだもふりそほぢ
□︲大﹂
へ猶ゆく事よ。
620いたづらにゅききは来ぬる物ゆゑに見まくほしさにいざなは
露さへおきそはりつゝ
545夕されぽいとゞひがたきわが袖に秋の露さへおきそはり[つい]
述の様に、﹃玉緒﹄では、﹁言外の余意﹂を認め、その意味は、﹁趣
を良く味わえば自すから感得される﹂とのことであった。﹁余意﹂
の内容についても、宣長は各々の証歌について指摘している。﹁遠
鏡﹄との比較の意味で、それらを掲げてみよう。﹃古今集﹄の用例
に限柿、新たに﹃国歌大観﹄番号を付加した。
へ春とも見えぬ意をふくめたり。
べ春ともなきことよといふ意をふくめり。
1]
1]
91 I]
1
3春がすみたてるやいづこみょしののよし野の山に雪はふり[作い]
雪はふりつゝ
雪はふりつゝ
5梅枝にきゐるうぐひす春かけてなけ共いまだ雪はふり[
21君がため春の野に出てわかなつむ我衣手に雪はふり[こ0
雪はふりつゝ
へいと寒きにつめる若菜ぞといふ心をふくめ
たり・
51山ざくらわが見にくればはる霞みねにもをにも立かくし[作0
立かくしつゝ
へ見せぬ事よとふくめり。
240やどりせし人のかたみかふぢばかまわすられがたきかににほ
ひ[作り]
を含むものと、そうでないものの二系列にわかれることが分る。
べいとなつかしきはとふくめて。さてそれ
香ににほひつゝ
現行の文法書では、文末の﹁つつ﹂を口語訳する場合、﹁・:ている
ことよ﹂と、常に﹁詠嘆﹂の意を含めた訳を与えているがこれと
1
9]︲︼
1
はやどりせし人の形見かといふ也。
304風ふけばおつるもみぢ葉水きょみちらぬ影さへ底に見え[
39
心
本居宣長の「つつ」理解について
はやや相違した把握の仕方をしている。
oつゝの詳は、くさぐぁり、又雪はふりっゝなど、いひす
四
゛
さて、﹃遠鏡﹄では、その﹁例言﹂で、
たる意の詞をくはふ、いひすてたるつゝは、必ズ下にふくめ
ててとぢめて、上へかへらざるは、テと譚して、下にふくめ
966
いい切れない。しかし、その場合でも、当然後掲の用例の如く順
序を変更して訳すはすであり、その点が疑問となる。
]︰-㈲゜湾﹁テハ﹂と訳し、﹁反復﹂を示すもの
此上ヘナガラドウゾト頼ミ奉ツテハヒタスラ其ノ御遇
966つくはねのこの本ごとにたちぞよる春のみゃまの陰をこひっゝ
o筑波山ノキツウシゲツテアルヤウニ御メグミノ深イ春宮ノ御
蔭ヲ
もし、内部徴証のみで捉えるならば、これも426と同様に実際の訳
様に﹁反復﹂に相当し、﹁例言﹂の﹁つつ﹂の訳例とは対応しない。
ツヲ″オシタイ申シマスル(以下略)
り
﹁つつ﹂に対する訳語は﹁テハ﹂であり、これは、拙稿で述べた
とあって、﹃玉緒﹄と同主旨とみられる。この﹁例言﹂が、実際の
例が相違する例となる。しかし、これは、前記の﹃玉緒﹄の形式
たる意あれば也、そのふくめたる意は、一首の趣にてしらる
訳例では、どの様に反映されているのであろうか。文末の﹁つつ﹂
上の﹁つつ留﹂の例に当る。その点から考えれば﹁例言﹂とは背
r玉緒﹄とは対応しているのでありヽ確かに﹁引に
日 ヽ
㈲1 I﹁テハ﹂と﹁反復﹂に訳し、﹁詠嘆﹂の意を加えるもの
﹁つつ﹂の訳例が、﹁テハ﹂とある故、﹁反復﹂に該当し、更に補
懸
□文末に補足のあるもの
てみることの重要性が窺えよう。
通ふ引﹂として訳していることが分る。訳例を﹃玉緒﹄を通し
馳しているか'
の全用例をながめてみょう。﹃玉緒﹄と共通するものにつぃては、
﹁テ﹂と訳し継起的接続を示すもの
426
当該部分のみを示す。以下、分類して掲げる。
H-㈲
日補足のないもの
ひっゝ
426あなうめにっねなるべくも見えぬかな懸しかるべき香はにほ
マモナウ散テシマイサウデ
j-ニ常﹁住見ラレサウニモ見エヌ事カナGソノクセアトデ
o梅″花ハヤレくウィ物ヤ
﹁例言﹂では、﹁テと訳して、下に含まれている意味の詞を加える﹂
足の部分でも﹁又シテモイキ又シテモイキスル﹂と、﹁反復﹂に相
又シテモイキ又シテモイキ
620逢タイト思フ心ニサソハレテハ
スルワイ
ドウ云テモトカク逢。タサニ
とのことであった。含まれる意味を補足するという大原則は後述
つまり、﹁反復十詠嘆﹂と考えられるのである。﹁テ﹂と訳す﹁例
当する表現があり、それに、﹁ワイ﹂と詠嘆の表現を含んでいる。
シカリソウナ香ハヨウニホウテ。
るものが見られる。先学の指摘のある通り、﹃遠鏡﹄の訳例が、﹁例
214
214山里は秋こそことにわびしけれしかの嶋音にめをさましつゝ
三三
㈲-㈲﹁テハ﹂と﹁反復﹂に訳すもの
言﹂の原則とは明らかに、対応していないことが分る。
の如く殆んど守られ吋いるが、この用例の如く補足の欠如してぃ
言﹂に必すしも対応しない一証左であろう。尤も、三句目の﹁か
な﹂で切れる所謂﹁かな留﹂と見るならば、﹃玉緒﹄にいう﹁上へ
かへる格﹂である故に、補足の必要はなく、必すしも不適当とは
620
38
ぺ
正
瀬
高
秋が。別シテツラウナンギ
ヨルく鹿ノナク聾デ目ヲサマシテハ
○山里ハイツデモト云″ウチニ
ニ思ハレルワイ
ハ長シ何ヤラカヤト難-義ナ事ヲ思ヒツゞケラレテサ
前掲966と同様の用例であるが、966とは、補足の部分が付加されて
いる点で相違している。﹁言外の詞﹂を補足する点では、﹁例言﹂
夜
51立テカクシテ
法
継起的接続
例 用
f
用
426
例
三四
I
2
2
アゝコマーツタ
サテモイヂノワルイ露カナ
次第二年ガヨツテイク
花ヲ見セヌワイ
339フルサガマサツテサ
モノヂャ
以上6例は、前項川と同様であるが、補足の部分に詠嘆咳現を含
Vビアアく著白
ヱゝコンナ約東セネバヨカーツタニ
454人二見ラレテマア
イヨイヨヒツタリトヌレテ
サテモく力
639りタヒタト落テ
ナシイナンギナ事カナ
んでいる点でいとは相違している。この訳例は、現行の﹁テイル
と対応しているものの、訳例が﹁テ﹂ではない故、違いが見られ
ー
﹃玉緒﹄966同様﹁つ通引﹂言及が653
い様である。尚、前項㈲-圀とは、補足の箇所に詠嘆の表現が見
見られる訳で、﹃玉緒﹄の観点からは一概に錯誤とのみ言い切れな
コトヨ﹂と訳す、訳し方にも一脈通じている。文中の﹁つつ﹂が、
3524030452654﹃
5玉
7緒
7﹄
2と﹃遠鏡﹄で差が認められたのとは、対照的である。
五
訳
㈲
1
1、
13
215139543
6953
3466
7O
C
ぺ
15
。、2403045265457727
4
21
㈲ テ゛ 反
復
966
I反復十詠嘆620
独
j ・yハ
け
ー
に旧い反 復
㈱単
1
﹃遠鏡﹄の文末の﹁つつ﹂の用法をまとめれば次表の如くなろ
無
大八の
う。表中の記号は、前節のそれに対応する。
づ
ぐ
つ
有
㈱ テ
﹃永
嘆
ぐ 弓‘μ 1
計
られない点で違いが見られる。
ナカく春ノケシキハ見エヌガ
圓-㈲﹁テ﹂と訳し、単なる補足のみのもの
3雪ガフーツテ
5雪ガフーツテ
春ノヤウニモナイ
つ"
。
240嗜がニホフテ。貴様ノ事ヲオナツカシウ存ズル
ヘヨウウツとア
ハヤ大分チツタヤウニ見エル
3041
526諮エテ
思ヒヲサセテ
ッシテホッマニハネカラアハレ
545露マデガオキッフテ″イヨくカワカヌ
がドモシモヤト待ッ心ガアッテドゥモ思ヒ切ッテハ
以上7例は、﹁例言﹂でいう﹁下にふくめたる意の詞をくはふ﹂例
である・﹁例言﹂に忠実な訳例といえr先掲の﹃玉緒﹄とも対応す
る訳例といえよ今。
2151339454639653ぐ
サテくナンギヲ致シテツンダ若菜デゴ
圓-圖﹁テ﹂と訳し、詠嘆表現を含むもの
21雪ガフリカゝツテ
川
本居宣長の「つつ」理解について
﹁例言﹂では、﹁言外の意﹂を補うべきだとしているが、実際の訳
例では、そうでないものが2例見えている。文末の﹁つつ﹂は、
﹁て十余意の補足﹂として訳すのが通例であるが、﹁反復﹂つまり、
るべきものである。従って、厳密にいえば、620のみであるが、﹁言
﹁尹ハ﹂の訳例を与えるものが3例あった。尤も、214弧は、見か
I
けの上であり、本来は、﹃玉緒﹄のいう、﹁てに通ふつゝ﹂に属す
外の余意﹂を補足するという点では、﹁例言﹂に適っており、全く
背馳したものではない。してみれば、大部分(ロー㈲に属する13
例)は、﹁例言﹂と合致しているとみて良い。但し、補足の点では、
そこに詠嘆表現が介在するか否かで、二通りに分けられ、前者(ロー
圓圖)が6例、後者( I-圓㈲)が7例と相拮抗しているのであ
て﹃玉緒﹄の言及している例は、 I-剛のみ
34
稿でも述べた如く両者の性格の差に基づくも
総じて、﹃遠鏡﹄の用法が、﹃玉緒﹄よりも広いことがいえる。
った。
文末の﹁つつ﹂と
である。これは、1
欠如していたのに比べれば、文末の方は、﹃遠鏡﹄に包含される訳
四にっいては、補足に﹁㈲詠嘆表現を含むもの﹂と、﹁㈲含まない
のであろう。しかし、﹃玉緒﹄では、文中の﹁つつ﹂が﹁反復﹂を
であり、寧ろ殆んど忠実に反映しているとも見られよう。214966の
様に、﹃玉緒﹄の観点からの訳例の反映があることからも、この推
いるのである。
﹁て﹂が、両者を兼ねており、﹃玉緒﹄の記述の妥当性を証明して
もの﹂に細分出来よう。
9
訳例についてμ﹁て﹂が、日四の両者を兼ねてぃるがこれは、
︲﹃玉緒﹄にいう、﹁l
てj
に通ふっゝj
﹂である。﹁つっ﹂の訳例として
定の妥当性が窺えよう。
六
たい。以下か表に示す。尚、以下の記号は表中のそれに対応する。
ふりっゝなど、いひすててとぢめて、上へかへらざるは、テと譚
り﹂と文中にっいては、沈黙してぃるのに対して、文末は、﹁雪は
それにしても、前記﹁例言﹂において、﹁oつゝの譚は、くさぐぁ
文中については、﹁日反復﹂﹁□逆接﹂﹁呻同時並行﹂であり、文末
次に、﹃遠鏡﹄の、文中を含めた、全ての﹁つつ﹂をまとめてみ
は、概ね﹁四継起的接続土言外の余意の補足﹂と、分類出来る。
三五
して、下にふくめたる意の詞をくはふ﹂と、用例まで掲げて、詳
一
36
CM
一
一
正
瀬
高
細に述べてぃるのは何故であろうか。文中にっいては、糾稿では、
モく﹂﹁614イク度力く﹂{960ツネぐ}である。
三六
9347イク度
は、﹁75チラチラ﹂﹃177アチ呻コチヤ﹄﹁187344ダンく﹂
o動詞を副詞に用牛ルハ(中略)又、重用スルハ、行く行く﹂
は、大槻文彦の心語法指南﹄で、
dも語構成から見れば、当然畳語であり、品詞の面からも古く
用法の多様性にょって訳語が一定出来ないものと考えたが、文末
の用法を含めて再度体系的に分析してみるならば、寧ろ、文末の
泣く泣く﹂盆す盆す﹂代る代る﹂返へす返へす﹂取り取り﹂
みを﹁て﹂と訳すのではなく、殆んど全てを﹁て﹂と訳すことが
が、﹁ては﹂で、語形上は、﹁て﹂を含んでいる故である。又、㈲
可能なように思われる。H-㈲日四は、いうまでもないが日-㈲
次ぎ次ぎ﹂取り取りに﹂次ぎ次ぎに﹂ノ如シ
として、19詞と認定してぃるのである。但しこれにつぃては、作
{ふリマ
起i
的接
I昌時並鮒
さてヽ副詞の機能は、用言を修飾する。つまり、連用修飾語と
と、述べてぃるのである。
とすること盛んに行はる。
さてこれらの方法よりして確めの複語尾﹁つ﹂を重ねて﹁つゝ﹂
﹁這ふく﹂などの語の生するなり。
(中略)かくてこれらの方法により﹁見るく﹂﹁怖づく﹂
へす﹂は﹁かへす﹂を﹁すす﹂は形式動詞﹁す﹂を、﹁かぬか
ぬ﹂は孫定のtの下二段動詞﹁かぬ﹂を重ねたるものなり。
以上の﹁しくしく﹂は﹁及く﹂といふ四段動詞を、﹁かへすか
を重ねた畳‘であり、夙に山田孝雄が、
の記載が見られない。小異はあるものの、今は、通説に従って副
詞と見ておこう。因みに、語構成の面からは、﹁つつ﹂自体が﹁つ﹂
ッミ﹂﹁552775思ヒ思ヒ﹂﹁820プリプリ﹂であり、357のみ副詞として
﹃
尚、真体例としては、↓87274見イ見イ﹂﹁133438ヌレヌレ﹂﹁3575
ツミ
する氏の立場からは当然の帰結といぇよう。
としており、副詞としての見方を否定している。副詞自体を否定
これらは、動詞の終止形の重なった連匹叩熟語と見る。
等価と見るならば、まさに訳語は﹁て﹂と考えられよう。従って
いえば、﹃遠鏡﹄が、訳例を一種類だけに限定しなかったのは、そ
木一彦氏が、﹁考究を要する﹂と述べ、結論としては、
の﹁で﹂も含まれよう。]︰-㈲にしても、O-㈲又は、]︰-㈲と
3
﹁て﹂と訳せないのは、 Iと向の僅か5例となるのである。逆に
こに微妙な差異を認めた故であろうか。
{ aて
bては
副詞
今度は、﹁つつ﹂の訳例の系列を多面的に考えてみよう。具体的
{ Aて系
↑ c副詞十て-g反
復
復↓
には知表の如くなろう。以下の記号は、表のそれに対応する。
つつ
B畳皿 而系
動詞重
d複形式-g反
Aの﹁て系﹂につぃては、既述の通りであるが、Cの﹁て﹂は、
eの用法に該当するものである。Bの﹁畳語系﹂について述べて
みよう。cに該当するものは、語構成吻らは畳語もしくはそれに
準するものであり、品詞の面からは、齢詞である。因みにそれら
本居宣長の「つつ」理解について
なることである。接続助詞﹁つつ﹂は、動詞の連用形を承接する
のであり、機能の面からも、﹁つつ﹂を副詞で捉えることの妥当性
が窺えるわけである。B-c、dと細分化したが、実は、品詞か
らいえば同一なのである。つまり、Bは﹁つつ﹂を副詞で把握し、
逆にAは、助詞で把握していたといえよう。
七
おわりに、﹁つつ﹂を﹁反復﹂に限定していえば、中世以降、漸
次衰退していったことは、通説の如くである。﹁反復﹂の衰退とい
っても細口明穂氏のいう﹁﹃反復﹄の論理﹂自体がなくなった訳で
つまり、﹁﹃反復﹄の論理﹂が、勤続助詞から概ね副詞へと変化し
はなく、観点を変えればその把握の仕方が変化したといえよう。
ていったのであり、これも近代語の↓分析的傾向﹂を示す一例で
あろうか。但し、﹁反復﹂を沙口明穂氏がいう様に何故に、最も捉
え易い接続助詞で統一的に、把握しなかったのかという点に疑問
が残る。これについては、接続助詞﹁ては﹂自体の解明も必要で
あり、後日を期すこととする。又、﹃遠鏡﹄から、湖源的に中世以
降の反復表現の変遷を跡付けることも、宣長の訳例の妥当性を考
える上で、必要であることを付言して一先す欄筆することとする。
(昭和55年9月1日受理)
-234-
高
瀬
-233-
正
一