と め 富 の神明 さま 発 行 所 神 明 社 〒359-0002 社報第1号 所沢市中富1507 社務所電話 04-2943-1709 宮司宅電話 かみじやま 発刊にあたって 宮 司 林 伊佐雄 者は、千三百人にも及んだという。 と感謝の気持ちで一杯になった。この日の参加 事到着すると、万歳三唱とともに大きな達成感 の道のりを進む。杉木立におおわれた外宮に無 身にまとい、心を一つに合わせ、約一キロ余り さな子供からお年寄りまで、揃いの白い法被を はっぴ は長く、先頭から後方の奉曳車は見えない。小 ヤ!』のかけ声とともに曳いていく。奉曳の列 勇ましい木遣り音頭に合わせて『エンヤ!エン 049-259-2228 みかきうち と、自ずからそんな厳粛な気持ちになっていき ます。 五月二十日から二十二日にかけて第六十二回 しきねんせんぐう げくう ほうえい 史の中で生かされていること、そして、まさし くお伊勢様は私達日本人の心のふるさとであ り、私のお伊勢様でもあることを強く実感させ ていただきました。 明さま』を発刊することができました。 れながら、本稿を書き上げているところでした。 昨年来より皇室典範改正問題では、皇室の行 え、皇統の安定を考えると旧宮家の復帰等、日 本の伝統と歴史に則り、しっかりした議論を展 開していくことが急がれると思います。 わってきました。奉曳車から二本の白綱が伸び、 申し上げます。 を迎える温かさと成功への熱気がひしひしと伝 発刊にあたり心より親王様のご誕生をお慶び せていただく。出発式では、地元神領民の私達 て社殿のご用材の原木を内宮・外宮まで奉曳さ ないくう 伊勢市内の出発地に集合し、一日神領民になっ 前日に二見興玉神社で心身を清め、当日朝、 く末を案じておりました。男子皇族誕生とはい ふたみおきたまじんじゃ が始まっています。 遷宮に向けてすでに昨年より様々な神事や行事 にお遷りいただいています。平成二十五年の御 折しも、秋篠宮家に親王様ご誕生の慶事にふ から御宝物、御装束を一新し、大御神様に新宮 ました。伊勢神宮では、二十年に一度、御社殿 この度、お陰様をもちまして社報『富の神 式年遷宮のお木曳き行事に参加させていただき いたことで、あらためて脈々と流れる悠久の歴 五十鈴川に手をひたし、鬱蒼とした大杉の木立 自ら手綱を握り、ご用材を奉曳させていただ 宇治橋を渡りながら神路山を眺め、清らかな す。 西行法師が伊勢神宮に詣でた時に詠んだ句で 忝なさに涙こぼるる かたじけ 何ごとのおはしますかは知らねども 三富、富岡総鎮守 の中、玉砂利を踏みしめて御垣内に進んでいく 平成18年5月お木曳き行事 平成18年10月 富の神明さま (1) ご挨拶 平成十八年度 総代役員紹介 氏子崇敬会・婦人会 青年会結成される の役員並びに総代の皆さんが承認されました の総代会が開催され、平成十八年度の総代会 年や女性の皆さんにに少しでも神様や日本文 要望を受け、また婦人会・青年会は、若い青 氏子区域外の参拝者が増え、そうした方々の の設立総会が行われました。崇敬会は、近年 おいて、神明社氏子崇敬会、婦人会、青年会 九 月 六 日( 水 ) 三 芳 町 の 料 亭「 角 家 」 に のでご紹介致します。再任又は新任されまし 四月十五日執り行われた春祭りの後、定例 当神明社は、三富・富岡地域の産土の神社 た方々のご協力をお願い致しますと共に、退 総代会長 阿部征一 です。私ども総代は、氏子並びに崇敬者の皆 事業としては、年間に一~二回程度の親睦 さんの代表であり、宮司さんに協力し「神社 会 長 上富新道 阿部 征一 化のことを知っていただき、神社に足を運ん 副会長 木の宮・多福 本田 五郎 を兼ねた研修会やお祭りへのご奉仕を考えて でいただきたいという目的で結成いたしまし 副会長 中冨中部 鈴木 平二 います。 げます。 は著しく変化しております。氏子区域にも新 近年、都市化とともに神社を取り巻く環境 会 計 下富西 山崎 一生 また、当日は、神話の啓蒙セミナーとして 任されました方々の協力に心より感謝申し上 たな住宅街ができ年々初詣の参拝者も増えて 総 代 上富一区 矢島 健時 の世話人」として春秋のお祭り等神社の行事 はおりますが、一方で家庭での神棚祭祀は減 上富一区 森田 太郎 と題して、日本子どもの本研究会理事の代田 た。 少しつつあります。 上富二区 武田 功 そうした中、当社は神社本庁より埼玉県で 一社、大変名誉な『教化モデル神社』の指定 いただきました。 知子先生に日本神話の読み聞かせとご講演を 役員は左記の通り 上富三区 田中 光次郎 中冨東部 仲 光男 上富三区 井田 貞夫 これを契機に氏子の皆さんとの交流を図 中冨西部 野村 敏治 をいただくことができました。 ルとなれるよう微力ながら尽力していきたい り、様々な事業を展開して近隣の神社のモデ 久米新田 宮野 清 青年会会長 篠原拓平(二一名) 崇敬会会長 早速、この度は社報『富の神明さま』を発 神米金 黒須 秀雄 婦人会会長 阿部儀久(三七名) です。 行できる運びとなりました。社報を通して神 北田 関口 文夫 下富東 原島 升 明社に対して少しでもご理解をいただくとと 所沢新町 新井 公一 旧十四軒 田代 賀一 もに、ご社頭の更なる繁栄のために皆様方の と考えております。 ご指導ご協力をいただけたら幸いでございま 小山良子(一七名) 岩岡 青木 茂 岩岡町 粕谷 定司 す。 名誉宮司挨拶 『神話って何?~神話の読み聞かせを通して』 にご奉仕させていただいております。 (2) 富の神明さま 平成18年10月 教化モデル神社に指定 神社本庁より埼玉県で一社 四、鎮守の杜の整 備 社殿の後ろにあ る鎮守の杜(雑木 した祭祀の再興 指定を受けた時は、どの宮司も困惑され 当地の産物であ 青木昆陽を境内社 した吉田弥右衛門 五、地場産業に根ざ 当神明社は、平成十七年十二月神社本庁 たようですが、三年間に様々な事業を展開 る川越いもを普及 林)を整備。 より第十一期神社振興対策教化モデル神社 神明社においてもこれを機会に様々な方途 され大きな成果を残しておられました。当 を講じて神明社の振興のために努力してい 神社振興対策は、 「氏子・住民と神社と として指定を受けました。 きたいと考えています。 ご神酒としての を顕彰する。 祀りし、その威徳 にご祭神としてお の密着をはかる諸種の方途を講ずることに この三年間に左記のとおり様々な事業を 事業計画(案) よって、 その神社の振興ををはかると共に、 更に周辺神社に対しても良い刺激を与え共 に隆昌させること」を目的に、昭和五十年 埼玉県では、当神明社一社で、実施期間 度より開始された施策です。 芋焼酎や御祭神と 衛門さんの紙芝居 しての吉田弥右衛 を作ったりする事 一、氏子崇敬会、氏子婦人会、青年会の結 成 業も検討中。 計画しております。 若い青年、婦人の方、氏子区域外の方 は平成十八年四月一日から三年間です。こ の情報や情報資料の提供、ならびに若干の 々にも少しでも神社や日本文化のことを の間、神社本庁より教化活動に関わる各種 デル神社の宮司を対象とした研究会も開催 資金的援助が行われます。その他、教化モ 知っていただき、親睦を図ると共にお祭 修旅行の開催する。 神話や日本文化についての勉強会、研 二、神道啓蒙セミナー、研修旅行の開催 織を作る。 り等にも参加協力いただくべく上記の組 されます。 宮司研究会開催される 去る三月十三日、十四日と二日間にわた り国民精神研修財団において、第十期・第 神社を身近に感じ、神様のことを知っ 明さま』)の発刊 三、 ホ ー ム ペ ー ジ の 作 成、 社 報(『 富 の 神 が開催されました。各県二名約七十名あま ていただくための情報発信。 十一期の教化モデル神社の宮司合同研究会 の活動報告を戴きました。 りの宮司が参加し、前期第十期モデル神社 代田先生の神話の読み聞かせ 聞き入る参加者 神社庁より認定書の授与 平成18年10月 富の神明さま (3) 川越いも開拓の祖 吉田弥右衛門御遷座事業 た。 ても人々の暮らしはよくはなりませんでし 儒学者の青木昆陽は、下総国馬加村(現千葉 享保の大飢饉の三年後、幕府の命を受けた 県幕張)などでサツマイモ栽培に成功しまし 物がある」という情報を弥右衛門が聞きつけ た。「 干 ば つ に 強 く、 ど ん な や せ 地 に も 農 作 その功績を称え、川越いもの産地として賑わ 『川越いも』作り初め二五五周年記念 秋になると三芳町の上富のケヤキ並木は、 たのは十六年後の寛延四年。弥右衛門は知人 のサツマイモ農家に息子の弥左衛門を送っ の仲介で上総国志井津村(現千葉県市原市) た。弥右衛門五十二歳、弥左衛門二十六歳の に吉田弥右衛門さんを主祭神に、甘藷先生(青 木昆陽)を縁のある神様(配祀神という)と いを見せている上富地域の産土神社の神明社 してお祀り申し上げることとなりました。 な幟や看板が立ち並び、サツマイモの直売所 や芋掘り観光で賑わい、秋の風物詩になって 『いも街道』と呼ばれ、 農家の入り口には様々 います。 れ、江戸時代のたび重なる飢饉や大東亜戦争 等、サツマイモは、武蔵野台地で広く栽培さ かつては川越市、所沢市、狭山市、三芳町 直すためにいくつかの記念事業をすでに実施 思いを馳せ、自然の恵みと食物の大切さを見 に社を建て行う予定ですが、先人達の苦労に 遷座祭は、十一月二十三日に神明社の境内 モの試作に成功したのでした。 帰った弥左衛門は弥右衛門とともにサツマイ わずか九日間で種芋と栽培知識を村に持ち 時でした。 の食糧難時代に飢えに苦しむ人々を救ってく させていただいています。 そうしたサツマイモの救荒作物としての性 で挑戦す る苗植え祭を、また十 月九日には、 五月二十七日には、サツマイモ作りに親子 川越藩南永井村世襲名主の四代目。同村を 覚書」 (所沢市文化財)に記されています。 その当時の様子が吉田家に残る「弥右衛門 れました。 格から、全国ではそれぞれの地域でサツマイ いもほり祭を行いました。 また、遷座祭では、東京オリンピックで聖 モを普及された人は、その地域で神様として お祀りされているケースが多く見られます。 火台を作った、川口の鋳物師鈴木文吾氏の監 修により、おそらく日本で一つしかないサツ マイモを抱いた狛犬、撫でると御利益のある 」と ま で 言 わ れ る よ う に 『撫でイモ』も奉納させていただく予定です。 日 「 本一 な っ た 川 越 い も は、 今 か ら 二 五 五 年 前 「 」 一七五一年(寛延四年) 、所沢市の南永井村 江戸で の名主、吉田弥右衛門によって武蔵野台地で 含む武蔵野台地は毎夏不作に見舞われ、アワ 吉田弥右衛門さんは 初めて試作に成功し、川越いもの基礎が築か れました。 そして今日は、飽食の時代の中でサツマイモ やヒエも十分に育たない過酷な土地で、働い は健康食品として注目を浴びています。川越 江戸時代の飢饉、先の大戦の食糧難時代、 いも作り初めからちょうど二五五年の今年、 さつまいも始作地の碑(南永井) (4) 富の神明さま 平成18年10月 でご神園にお祀りし、サツマイモの生育を見 ました。お招きした二柱の神様は、収穫祭ま 慣れない日本的な舞の動きに戸惑っていまし た。参加していただいたお子さんも、当初は 練習から当日までの子供たちの姿を見てい の女の子によって祭祀舞が奉納されました。 奈、斉藤芙美、佐藤美咲、島田悠喜美、橘里 鈴 木 光。 ( 五 年 生 九 名 ) 新 井 玲 美、 岸 澤 瑛 美 ( 六 年 生 三 名 ) 井 田 有 里 葉、 忍 田 奈 津 美、 苗植え祭行われる また、当日は、吉田弥右衛門さんの御子孫 思いやりを育むという意味において『祭祀舞』 て、日本の文化を学び、礼儀や周りの人への たが、当日は立派に披露していました。 にあたる吉田浩明様、川越いも友の会事務局 守ってくれています。 二十七(土)日、 の山田英次様にもご参列いただき、貴重なお 去 る 五 月 三芳町上富のご 神園にて吉田弥 話をいただきました。 参加されたお子さんは左記の通りです。(敬 ました。 を奉納させていただいて良かったと強く感じ 右衛門さんの御 さいしまい 祭祀舞の奉納 色鮮やかな狩衣をまとった朝日舞は五人で、 称略、順不同) 赤い袴に白い千早(舞衣)の豊栄舞は十一名 菜、 松 浦 葵、 早 川 千 芙 由、 林 小 百 合。 (四年 さらに、苗植え祭では地元の小学生十六名 中 心 と な っ て、 生三名)井田絵里香、大木実紀、森田菜々。(一 社氏子総代会が サツマイモの苗 あり、参列された総代さんやご両親も艶やか で舞いました。当神明社では初めての奉納で 講師は、埼玉県神社庁祭祀舞講師の江森茂 とよさかまい あさひまい を親子で実際に 人達の苦労に思いを馳せ、吉田弥右衛門さん 代先生(深谷市富士浅間神社禰宜)に七回に 舞 の奉納を予定しています。 なお、十一月二十三日の遷座祭にも祭祀舞 植えるという農作業と、それに伴うお祭りを の威徳を偲ぼうという趣旨のもと企画された 栄 わたって神明社拝殿にてご指導いただきまし 豊 ものです。 舞 当日は、あいにくの梅雨空で残念ながらご 拝殿での練習風景 神園での苗植えはできませんでした。それで 日 も、百名を越える親子の皆さんに集まってい 朝 ただき、近所の倉庫の一角をお借りし、神事 は厳粛のうちに執り行われました。 しての榊を設け、吉田弥右衛門、青木昆陽二 注連縄を張り、祓い清めた祭場に依り代と 柱の御霊をお招きしました。神事の中で、祭 主より祓い清められたサツマイモの苗が、耕 作長(地元農家の代表の方)に手渡され、翌 日代表者の方によって無事ご神園に植えられ 奉 納 後 全員で 通して、自然の恵みと食物の大切さを知り先 年生一名)井田優香。 れました。神明 苗植え祭が行わ 遷座を記念して 苗 植 え 祭 な舞に感動していました。 平成18年10月 富の神明さま (5) 神 社と私 上富囃子保存会 大木和夫 この度社報発刊、お喜び申し上 われました。三日か四日後には祭 毎年、神明社では恒例の氏子 も大変参考になると思いまし なり、産土神社のご奉仕の上で の神社を視察することは勉強に ご結婚式の儀に雅楽の演奏をさせ す。 にて宮司林伊佐雄、千郷ご夫妻の 納をさせて頂いた思い出がありま 関係につきましては、神明社拝殿 その年の神明社の祭礼に囃子の奉 礼の日を迎え、屋台の上で太鼓を 総代の研修旅行を実施していま た。 八十名の企画です。是非大勢の おります。二泊三日、バス二台 何 と 申 し ま し て も、 神 社 と 私 の た た か せ て 頂 き ま し た。 そ し て、 す。 今 年 度 は、 二 月 十 八、十 九 げます。 日の二日間にわたり総勢二十名 時、父親も神社の役員をさせて頂 保存会を設立することができまし ていただいたことであります。当 その後、地域住民の協力で囃子 行って参りました。 ア ク ア ラ イ ン「 海 蛍 」 を 視 察 皆さんにご参加いただけたらと 初 日 は、 早 朝 三 芳 を 出 発 し、 しており、今から楽しみにして ルに宿泊しました。総代の皆さ 思います。 し、南房総の鴨川グランドホテ んは、お酒も強く、カラオケも です。 地元の祭り、三芳町の行事に参加 業後、地元の地蔵尊祭礼での、あ けていく所存です。 祭り囃子のことですが、学校卒 させて頂いております。今後も続 の笛、太鼓の音が好きで、何とか も、仕事の都合上、東京で修行し 仲間に入れないものかと思いつつ 過ごし交流を深めることができ なくてはならなくて、いつしか忘 たら、人数が少ないので是非と言 思い、思い切って話をしてみまし があるけれど、笑われてもいいと た。『 四 十 の 手 習 い 』 と い う 言 葉 夫氏、同業者の諸星さんもいまし そして、囃子連の中には伊東文 浮かびました。 様のお祭りがやって来るのが思い 四月のある日、まもなくお地蔵 れていました。 ました。 二日目は、約一時間バスを走 社に参拝をさせていただきまし らせて、南房総で有名な白浜神 た。南房総は、菜の花、ポピー 等色とりどりの花が咲き乱れて いました。神社は、そうした花 に囲まれた小高い丘の上にあ のお社でした。 り、緑の多い落ち着いた雰囲気 いただいていますが、他の地域 日頃、神明社の総代をさせて 元旦祭で囃子の奉納 上手な方が多くて楽しい一時を いておりました。ありがたいこと た。以後、 神明社の元旦祭を始め、 勢神宮へのお木曳き行事を予定 総 代 研修旅行 で 千 葉 県 南 房 総、 白 浜 神 社 に 来年は、氏子の皆さんとの伊 総代会研修旅行に参加して 平成十八年二月日~二月日 本田 五郎 (6) 富の神明さま 平成18年10月 Q &A 神様のお話 本人の生活習慣に基づき、自然に生じた神観 神道の起源はとても古く、日本の風土や日 絶された存在ではなく、人は亡くなると神に ります。これは、神々が他の宗教のように隔 大切にする(敬神数祖)といった考え方があ また、神道の特色として神々を敬い祖先を 清らかな正しい心境というものは、誠の 向かって、少しも恥ずかしくないという 普通では目に見ることのできない神様に 明治天皇御製 人の心のまことなりけり 目に見えぬ神にむかひてはちざるは これは、神道の神観念にもよると考えられ 《今日の言葉》 ます。八百万(やおよろず)の神と言われる 日々を神と生きる ように山、川、水、火など森羅万象あらゆる ものが、それぞれの働きによって神になりう るという価値 観があり、仏教の仏( ほとけ) も当初はそうした多くの神々の一神と捉えら れていました。こうした多様な価値観は、自 然環境を守っていくという観点からも、世界 念です。このためキリスト教のような開祖は であります。 の宗教学会でも注目されています。 いませんし、 「聖書」のような教典もありま という他界観が背景にあります。 なり、その祖先神が私達を守ってくれている 神は人の敬によりて威を増し い 人は神の徳によりて運を添ふ そ けい 心 で、 そ れ は 私 達 に と っ て 最 も 貴 い も の せ ん が、 『古事記』 、 『日本書紀』 、 『風土記』 『 神 道 と は、 自 然 と 共 に 生 き、 祖 先 と 共 に 生 き、 人 々 と 共 に 生 き る 道 で あ る。』 と い ★七五三祈願について う言葉もあります。 十一月 五日(日)午前十時~正午 (電話〇四九・二五九・二二二八) 司まで直接ご連絡下さい。 によるものです。 としての運命を与えられるのは、神の徳 その威力を増すものです。また、人が人 いかなる神 も人間の崇敬を受 けてこそ、 御成敗式目 対する寛容さを挙げることができます。神道 十一日(土)午前十時~正午 本年度は左記の日程にて 実施いたしま は仏教や儒教・道教などとも習合し、中世か 十二日(日)午前十時~正午 それぞれの土地や氏族の神話的な淵源に根ざ ら近世にかけてさまざまな思想的な展開が見 す。それ 以外の日時をご希望の方は宮 られ、日本の文化に大きな影響を及ぼしまし 十五日(水)午前十時~正午 神道の特色の一つとして、外来の他宗教に た。しかし、 我が国独自の神観念は変わらず、 したものです。 りました。神社の創立の由来はとても古く、 らの道(神道) 」として意識されるようにな 祖神(みおやがみ)の御心に従う「かむなが たので、仏教が大陸から伝来したのちに、御 神道は、日本人の生活と深い関わりがあっ うことができます。 などにより、神道のあり方や神々のことを窺 質問: 神道(しんとう)について 教えて下さい。 平成18年10月 富の神明さま 現在まで脈々と受け継がれています。 (7) 平成十九年 も「一日神領民」として参加できるようにな りました。奉仕の前日に二見浦において「浜 参宮」をして頂くなど、伝統行事への奉仕に 浜参宮 一層意義ある内容になっております。 ■行 程 七五〇〇円含む) 一日目 当地を早朝出発し、二見にて浜参 宮を行い鳥羽温泉泊。 二日目 午前八時頃出発し、指定されたお 木曳車を外宮まで奉曳し、外宮参 拝後解散。 白砂青松とたたえられる二見浦の砂浜八キ ロ余り、ここはむかし清渚と喚ばれ『みそぎ は長良川温泉泊。 引き続き内宮に参拝。長島温泉又 ここに鎮座するのが二見興玉神社です。江 ■定 員 八十名(定員になり次第締め切 熱田神宮参拝等観光後、夕方着。 らせていただきます。 ) の御社殿や御装束・御神宝をはじめ一切を一 の浜』として知られたところです。 三日目 行われました。その伝統にあやかり、奉曳前 戸時代のお伊勢参り(おかげ参り)には、み 日にお参りします。 そぎの浜で心身を清める「浜参宮」が盛んに のおまつりを式年遷宮と称し、今から千三百 いただくおまつりが執り行われています。こ 年前に天武天皇がお定めになった制度です。 えて、各地区総代まで十一月十五 までお問い合わせください。 ご奉賛いただける方は総代もしくは宮司 一、一口一万円以上 一、総工費約五百万円 願い致します。 築、狛犬の設置等の境内整備にご協力をお 吉田弥右衛門御遷座に伴い境内社の新 吉田弥右衛門御遷座事業 ご奉賛のお願い ■企画・実施 (株) JTB川越支店 み用紙は総代にお尋ね下さい。 日までにお申し込み下さい。申込 ■申し込み 所定の申込み用紙に申込金を添 ■実施時期 平成十九年五月二十五日(金) ■実施日程 二泊三日 全行程バス利用 ~五月二十七日(日 ) なっています。平成十七年五月には天皇陛下 ■旅行代金 六三〇〇〇円(お木曳参加料 第六十二回神宮式年遷宮が行われることに のお定めを仰いでご用材をお山から伐り出す 小 さ な お 子 さんもエンヤ! 最初のお祭りである「山口祭」が行われまし た。 お木曳(ひ)き こ の よ う に 着 々 と 準 備 が 進 め ら れ、 平 成 十九年にも、今年に引き続き木曽のお山から 伐り出されて伊勢に運ばれたご用材を木遣り 音頭も勇ましく内宮・外宮に奉曳する「第二 次お木曳行事」が予定されています。 奉仕する慣例でありましたが、昭和四十八年 この行事は元来、伊勢の旧神領民だけがご の第六十回遷宮のお木曳に際し神宮御当局・ 地元奉曳団の理解により全国の崇敬者の方に 外 宮 到 着 の ご 用 材 子から親へと受け継がれ、平成二十五年には 以来、絶えることなく連綿と親から子へ、 新して、清々しい新宮へ大御神さまにお遷り 伊勢の神宮では二十年に一度、御正殿以下 式年遷宮とは 第六十二回神宮式年遷宮 第二次お木曳行事 (8) 富の神明さま 平成18年10月
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